この世を呪うかのような男のうめき声で、少女――立木沙耶は目を覚ました。
体はうまく動かず、頭に鈍痛のようなものを感じる。ぼーっとして思考がうまく回らない。瞬きを数回繰り返しながら、なんとか思い出そうとする。少なくともここはあのやかましくて仕方ない施設ではなく、まったく知らない、来たことのない場所。でも自分は確かに施設で兄を待っていた筈だ、と思う。学校から帰ってきて、自分をからかう施設の子供たちから隠れるように、兄と自分にあてがわれた部屋の隅っこでうずくまっていた。するとどこからともなく嗅いだことのない甘ったるい匂いがしてきて――。しかしそこから先は思い出せない。
沙耶はなんとか視界に映る物を確認する。意識がはっきりしていくにつれ眼球がある程度動くようになり、首も少しだけなら動かせるようだ。だだっ広く、窓一つない部屋。そして沙耶以外には男が二人。金髪の男の後ろ姿とソファに誰か呻きながら横たわっているのが見える。どうやら金髪の男がソファの男を介抱しているようだ。
「まったく、片腕を切り落とされた上に刀で刺されて、よくここまで意識が持ったものだ。自分を誇りたまえ、マスター」
金髪の男は皮の袋に入っている水を掬い、ソファの男にそれをかける。
沙耶は二つのあり得ないものを見た衝撃で一気に目が覚めた。一つはソファの男の状態。男は片腕がなく、胸の辺りに大きな刺し傷を作っていた。ボタボタとソファの下に敷かれたタオルに血の赤い染みが作られている。ホラー番組でも見たことの無いような血の量だった。そしてもう一つは――水をかけられた箇所からみるみる傷口が塞がっていく光景だった。胸の刺し傷は金髪の男からかけられた水で洗い流されると同時に皮膚が再生していく。
――なに?なにが起こっているの?
沙耶は声をあげることが出来ない。首から下は麻酔がかけられたようにぴくりとも動かすことが出来ず、ただ目を見開いて、その魔法のような光景を見ていることしか出来なかった。
「……軽口はいい。ランサー、答えろ」
ソファの男はぜえぜえと苦しそうに息を荒々しく吐きながら、金髪の男をにらめつけた。
「お前、わざと立木由基人を逃がしたな?」
「……『ああ、そうだとも』。やれやれ。令呪というのはここまで強制力があるものなのか。《絶対に嘘偽りなく真実を話す》なんて命令、録でもないぞ?嘘も方便という言葉もあってだな……」
「黙れ!!」
ソファの男が怒鳴った拍子にまたごほごほと咳き込む。ランサーと呼ばれた男は「まぁまぁ」と水をかけながら宥めていた。
「いくら私の宝具で傷を癒すことは出来ても、失われたものは取り戻すことは出来ない。だから申し訳ないが、君の右腕を取り戻すことは出来ないし……まずは目下、君は深刻な血液不足だ。あれだけ血を流せば当然だと君でも分かるだろう?消化器官が修復できたら鮭でも食べると良い。鮭は良いぞ?知恵がもりもり溢れてくる」
「……俺が聞きたいのはそんなことではない。何故逃がした」
「あの状況で君を顧みないならば出来たかも知れないが、難しい状況だった」
「だが、お前の腕を以てすれば相討ちにくらい持っていけた筈だ。なにせ相手のマスターは瀕死の小娘と一般人、おまけにこちらには人質もいたのだからな」
「それはまぁ、『そうだな』」
ランサーはため息をつきながら、肩を竦めた。
「なぁ、この問答、まだ続けるのか?」
「当然だ。答えろランサー。お前、立木由基人を以前から知っていたな?」
「……『そうだ』」
「いつ知った」
「『15年前だ』」
「やはりお前、15年前の聖杯戦争に召喚されていたな!」
掴みかかる勢いでソファの男はランサーに怒鳴りかかった。だがランサーは悪びれる様子もなく、淡々と答えていく。
「『ああ』。だが誓って言おう。召喚されてすぐにこの令呪をかけて、君は訊いてきたな。立木楓花を知っているか、と」
――この人たちは、何を喋っているの?お兄ちゃんやお母さんのこと?
沙耶は二人の男たちの口から飛び出す理解できない単語の羅列の隙間から、自分の母や兄の名前が出てくることに戸惑う。
もしや、自分は何かとんでもないことに巻き込まれたんじゃないか、と徐々に自覚してくる。だが悲鳴をあげて助けを呼ぼうにも声が出ず、ソファの男の質問に淡々と答えていくランサーの後ろ姿を眺めることしかできない。
「誓って言おう。『私は立木楓花という人物を知らない』」
「ならば何故お前は立木由基人を知っている。15年前なんてあいつは赤ん坊だろう。誰が立木由基人を連れていた」
「『名前は知らない』」
「そうか、ならばこう聞こう。――そいつは聖堂教会の人間か?」
ランサーは大きなため息をついて、観念したように答える。
「『そうだ』。大方君の予想している人物だろうよ」
ソファの男はそれを聞くと、わなわなと体をふるわせたあと、怨念のこもった笑い声をあげた。瞳には憎悪の炎が燃え、口元を醜くゆがませながら、乾いた声で何か明確な対象に向かって嘲笑う。
それは、長いこと獲物を付け狙っていた肉食獣が、今まさに噛み付かんとするときに零れる笑みのような、猛々しいものだった。
「くっ……、はっはははは!やはりそうか!!あの似非神父!やっぱり関わっていやがったか!!」
沙耶は今までに聞いたことのないおぞましい笑い声を聞きながら、背筋を凍らされた。
――これからあたし、どうなっちゃうんだろう。
思えば、お母さんが死んでから、イヤなことばっかりだった。
あたしたちの家なのに、追いだされた。
学校でも近所でもヘンな目で見られるし。しせつは子供ばっかりでうるさいし。
お兄ちゃんだけが、変わらずにいてくれた。
だからあたしは負けない。うざったく絡んでくる男子にも、ひそひそうわさする女子にも、ヘンな同情をかけてくる大人にも。だれにも負けない。
でも、けっきょくは、お兄ちゃんに守られているだけだった。
もう泣かないってきめてたのに。お兄ちゃんがいないとだめだった。
ああ、やだな。こんな自分、やだな。
こんな泣いている自分、きらいだ--。
「おい。立木沙耶が目を覚ましたようだぞ」
ソファの男と目が合った。
自分の背筋に這った汗が、ますます冷たくなっていく。それは悪寒となって、全身に寒気を引き起こす。どうしよう、あたし、ころされちゃうのかな。
ランサーが振り返って沙耶の方へ近づいてくる。ぎゅっと目をつぶると大粒の涙が頬を滴り落ちた。ランサーの足音が一歩、二歩、三歩と響いて自分の傍で止まった。こわい。こわい。こわい。お兄ちゃん、たすけて。
けれど、沙耶に降ってきたのは刃物でもなんでもなく、優しい声と暖かな手の感触だった。
「よしよし、小さな淑女を泣かせてしまった。怖い思いをさせてしまってすまないね」
おそるおそる目を開くと、そこには見たことないような、美しい男の顔があった。
――テレビの芸能人みたいだ。ううん、それよりもっときれいかも。
「はじめまして。小さなお嬢さん。うんうん、君は将来さぞ美しいご婦人に成長しそうだ。どうか泣き止んでその可愛らしい顔を見せておくれ」
大きな手でランサーは沙耶の頬を包んで涙をぬぐう。沙耶が呆然としていると、ランサーはそのまま手を沙耶の瞼の上に覆いかぶせた。
「何もかもが終わるまで、何もかも忘れるといい。さぁゆっくり瞼を閉じて――。そう、いい子だ――」
ランサーの声とともに、あの甘い香りが漂ってくる。暗くなった視界の中で、勝手に瞼が重くなる。そしてだんだん意識が遠のいていく。そんな、ねむくなんて、ないのに。
――お母さん……。
***
12月8日の早朝。僕が起きてリビングに行くとミサさんはすでに着替え終わって、朝食を食べていた。彼女は僕に気づくと手に持っていたパンを置いて「おはようございます、由基人さん」と挨拶し、すっと立ち上がった。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで」
そんなとりとめない話をしながら、ミサさんは僕の分の朝食をダイニングテーブルに準備する。僕はそれを手伝いながら気になったことを尋ねた。
「セイバーもアサシンもいないようですけど……」
「ああ、アサシンには少々偵察を頼みました。セイバーも、今朝方地形を確認してくると言って出かけましたよ。すぐに戻ってくるでしょう」
「そうですか。じゃあ二人分の食事も用意しないとですね」
「うーん、どうでしょう。サーヴァントは食事を必要としませんから。完全に娯楽の一環ですね。食事だったらいいんですけど、アサシンは何かとお酒を要求してきて……。私未成年だから買えないって言ってるのに。困ったものです」
ため息をつきながら慣れた手つきでミサさんはカップに紅茶を注ぐ。とぽとぽと温かいお茶が陶器に当たる音が響くと同時に紅茶のいい香りが僕の鼻孔をくすぐった。良い茶葉を使ってるんだろうなぁ、と思う。こういった些細なことや、家具や調度品から経済的な豊かさを感じる。あまりテレビを見ない僕でも知っているような有名人が身内にいるんだから、当たり前かもしれない。
「そういえばアサシンって、なんで最初セイバーを名乗ってたんですか?」
ミサさんは「ああ」と思い出したように手を止めた。
「サーヴァントは真名で能力や弱点が分かってしまうことが多いので原則隠すのですが、その一環ですね。ですが“セイバー・坂本龍馬“と名乗るのは彼のたっての希望です。まぁ、アサシンは土佐弁で喋りますから、”坂本龍馬“はいい隠れ蓑でしょう。もっとも、もうセイバーが召喚されてしまった以上、あまり意味はなくなってしまいましたが」
「……ということは彼はやっぱり、“坂本龍馬”じゃないんですね?」
「ええ。史実の坂本龍馬にアサシンクラスの適性があったとは思えません。ということで彼のことは変わらず“アサシン”と呼んでいただければと」
ミサさんは少し悪戯っぽい顔をして僕の顔を覗き込んだ。相変わらず整った顔だ。あまり彼女を信用するなとセイバーに釘を打たれているのを忘れそうになる。
「あ、あの、なにか?」
「……ふふ。だからセイバーのことも、あまり“沖田総司”と呼ばない方がいいですよ?」
僕は驚いた。セイバーがミサさんを信用していない以上、彼女からミサさんに真名を明かすとは考えにくいし、僕がミサさんにセイバーの真名を話してもいなかったからだ。
僕が混乱して黙りこくっている様子を見ると、彼女はくすくす笑って「そんなおびえないでくださいよ」と淹れたばかりの紅茶を僕に差し出した。
「貴方がセイバーを召喚したときに触媒として使った刀。あれは生前沖田総司が使っていたとされる菊一文字です。だから当然、沖田総司しか召喚しようがないんですよ」
「はぁ……そんなすごいものだったんですね……」
「ええ。まぁ、正確には用意というか、買い付けたのは兄様ですが」
セレブの力ってすごいなぁ。
でもここで、ふと、一つの疑念が頭をよぎった。
「ミサさんは、せっかくその触媒?を用意したのにどうして使わなかったんですか?」
ミサさんは少し考え込んだ後、「いいでしょう、お話しします。立ち話もなんですからどうぞこちらへ」と用意の出来た僕の朝食をテーブルに持って行った。
僕らは大きなダイニングテーブルをはさんで向かい合う。目の前に置かれた朝食はとてもおいしそうだ。僕が早速溶けかけたバターの乗ったトーストを頬張ると、ミサさんも食べかけだった自分のトーストを小さな口に運ぶ。彼女はこくんとトーストのかけらを飲み込んだあと、湯気の立った紅茶のカップを手に持ち、もう一方の手でカップに入らないように長くて艶やかな髪を耳にかける。その一連の所作が、僕の見知った同級生とは、なんというか一線を画したもので――とても美しいと、思った。
「私が触媒を使わなかった理由ですが――」
ミサさんが語りだしてハッとする。何を考えているんだ、僕は。
「私は、アサシンクラスを召喚したかったんです。アサシンは気配遮断スキルを持っていますから」
「……どうして、そこまでこだわったんです?」
「私のこの聖杯戦争における目的は願いの成就ではありません。あくまで聖杯の悪魔の殺害です。そのためには戦闘能力というより、多くの情報を集められるスキルを持ったクラスの方が都合がよかった。兄様は菊一文字のほかにも、何個か触媒を用意してくださいました。その中で最もアサシンが召喚される確率が高いものを使ったんです。実際、沖田総司はアサシンではなくセイバーで召喚されましたしね」
「はぁ、なるほど……」
ミサさんは一通り語り終えるとまた紅茶をすすった。
冬の朝の澄んだ空気に漂う朝ごはんの匂い。一見して、とても穏やかな時間。
世間では何も変わらないのだろう。本当なら、僕も沙耶と一緒に学校へ行く時間だ。でもここはあのアパートの部屋でもなければ施設でもない。そしてここには沙耶がいない。そのことをただ慌てふためくのではなく、ただ事実として僕の胸にのしかかる。いや、沙耶のことだけではない。ここ数日あったこと全てが、胸の内にただ在るだけ。昨日あんなに取り乱したのが嘘のようだ。……セイバーのおかげかな。
僕は、昨日の覚悟が揺らいでいないことに、自分自身に安堵しながら口を開く。
僕はミサさんに聖杯戦争に参加することを告げた。
ミサさんは格別驚いた様子もなく、カップの中の揺らいだ紅茶を見つめていた。少しの沈黙があって、僕がそろそろ気まずくなってきた頃、「一つだけ確認したいことがあります」と彼女の方から口火を切った。
「貴方のこの聖杯戦争における目的は何ですか?」
「目的……ですか?」
ミサさんからそんなことを聞かれるとは思わなかった。彼女は僕に聖杯戦争に参加すべきだと言っていた張本人なのだから。
僕の疑問に気づいたのか、ミサさんは捕捉した。
「ああ、反対してる訳ではないんです。貴方はどこまで参加するつもりなのか、その意思を確認したくて。妹さんを助け出すまでなのか、それとも……私と目的を合致させてくれるのか」
ミサさんの目的――聖杯の悪魔。確かに、沙耶を助け出すだけならランサーとそのマスターさえ撃破してしまえば終わる。彼女は、沙耶とは関係なく戦う意思があるのかどうか聞いているのだ。
「僕は――知りたいんです。母さんがなぜ死んだのか。どうして聖杯の悪魔はそんな殺人を繰り返しているのか。真実が知りたい。そして、全てを知って、納得して僕はあの日常に戻ります。魔術とは何も関係のない、人並みに大変で穏やかな日常に。僕がそんな日常を生きることを、母さんも望んでいた筈ですから」
「――そのためには、自らの手を汚すのも、構いませんか?」
「ええ。その日常を手に入れるためならば、僕はどんなものだって差し出します。……そう決めました」
ミサさんはふぅと息を吐いた。
「そうですか。覚悟は決まったのですね」
ゆっくりと彼女の右手が僕の眼前に差し出される。僕はその手を受け取って、しっかりと握った。彼女の手がそれをまた軽く握り返す。冷たい、女の子の手だ。
「貴方と私の目的は一致しました。私は全力で貴方と共に戦いましょう。その道行が、たとえ地獄だとしても」
彼女は美しい地獄の道先案内人だ。僕はその手を取ってしまった。もう戻れない。けれど。
上等だ。
――地獄なら、とうに見た。
「沖田さん、ただいま戻りましたー!!……ってあれ?ひょっとしてお邪魔でした?」
いきなり帰ってきたセイバーが僕らを見てニヤニヤと「いやー沖田さん、これはやってしまいましたかねー。失礼しました!」などと言って部屋を出て行こうとする。待て、なんだそのラブコメみたいな勘違いは!
「待ちなさい、セイバー」
ミサさんがセイバーを呼び止める。そうだ、言ってやってください。
「そんな大っぴらに自分のことを真名で呼ばないように」
そっちだったかー。
***
僕は桐生さんに電話をかけ、聖杯戦争に参加することを告げた。
桐生さんは一瞬言葉を詰まらせた後、「エルクトル嬢と共に教会へ来て欲しい」と僕らを呼び出した。
アサシンは結局帰って来ず、昨日と同じく、向かったのはミサさん、セイバー、僕の三人だ。
「呼び立ててすまないね。まずはこれを見てくれ」
桐生さんは大きな上枝の地図を教壇の上に広げ、そこに光る石を7つ置き、さらにその上に手をかざした。
しばらくすると7つの石は各々がジリジリと動き出した。これも魔術の一つなのだろうか。
「……神父、こんなことをして貴方の立場はいいのですか?」
ミサさんが訝しげに桐生さんに問う。
「なに。立場なんてもの。私は既に求めていない」
桐生さんは石に手をかざしながらこちらに視線もくれず答えた。6つの石はやがて止まり、1つだけがジリジリとまだ動いている。
6つのうち2つは教会に。残りはそれぞれ、北西の郊外の森、東の住宅地の外れ、南西の大きな屋敷、北東のビジネス街に置かれている。そして動いている1つは教会から北西の森に向かっているようだ。
これはもしかして……。
「これは、聖杯戦争に参加しているマスターたちの現在位置だ」
桐生さんは事も無げに言った。
「昨夜、最後のサーヴァント、キャスターが召喚された。私は本日中のうちに聖杯戦争の開戦を宣言するつもりだ。つまりこれは君たちへ事前の情報のリーク……というわけだね」
僕は分からない。桐生さんがどうしてここまでしてくれるのか。全く思い当たる節がない。やっぱり母さん関連なんだろうけど……。
「神父、あんなに由基人さんが聖杯戦争に参加するのに難色を示していたわりに随分協力的ですね」
ミサさんはまだ桐生さんの事を怪しんでいるようだ。でも桐生さんは彼女へ一瞥もくれはしない。
「簡単な事だ。私は由基人君を死なせたくはない。そのためには聖杯戦争を勝ってもらうのが一番確実というだけだよ。……エルクトル嬢、ゆめゆめ忘れないように。私は君に協力するわけではないということをね。その方が今後の為になるというものだ」
うう。やっぱりこの二人の間の緊張感は胃に悪い。
「さて。私は君たちに提言しよう」
桐生さんがじりじりと動く石を指さした。
「最初に狙うなら、彼にしたまえ。君たちのサーヴァントは共に奇襲に長けているだろう?」
僕がセイバーに視線をちらりと投げると、彼女はゆっくりと頷いた。もう、準備は万端だとでも言うように。
ミサさんが動く石を凝視しながら桐生さんに問う。
「そこまで推薦するだけの理由はなんです?」
「彼は参加しているマスターたちの中で唯一、拠点となる工房をもってない上に、情報が割れているからだ」
桐生さんは動く石をつかみ取り僕らに見せる。そこには焦った顔で森の中を走る青年の顔が映っていた。
「彼の名は門矢鷹也(かどやたかなり)。サーヴァントはバーサーカー、ベオウルフ。私の弟子だ。元、だがね」
***
三日前、12月5日。
青年――門矢鷹也にとっては31年の人生の中で最も過酷な一日であった。
そしてその一日がもう終わろうとしているころ、門矢は地下牢に入れられていた。彼は自分の左手に刻まれた令呪を見ながら毒づく。
「畜生、畜生……。なんで俺がこんな目に……!」
門矢は魔術師の家系に生まれた。多くの魔術師の家と同様に、門矢の家も例にもれず根源への到達を代々目指していた。しかしその根源へ至るために生まれた様々な因習に嫌気がさした彼は、成人すると共に家を出、半ば当てつけのように魔術協会と対立する聖堂教会の門を叩いた。
当然元魔術師である門矢は聖堂教会でもうまく馴染むことはできなかった。そも、彼は魔術師としての実力も中途半端であった。それがまた一層、魔術への反発を引き起こしていたのであった。にもかかわらず、神学校に通っている最中でも、元魔術師であることは常に影のように付きまとっていた。同級生ばかりか講師からも“卑しい”家の出と扱われた。
歯を食いしばりながら耐えるのも限界かと思われたある日、彼はある噂を耳にする。
――魔術師の家の出でありながらも、代行者として魔術師を殺す男がいる。
名を、桐生源仁という。
神学校の同級生たちが彼の話をするときは、一種の畏れが含まれていた。そのことを門矢はその都度敏感に肌で感じ取っていた。そしてふつふつと胸の内から衝動のような熱いものが込み上げてくる。その感覚はヒーローの活躍をテレビで見る少年のような憧れだった。
自分と同じ“卑しい”家の出でありながらも第一線で活躍するダークヒーロー。門矢にとっては桐生とはそのような存在だった。
神学校を卒業する目前、桐生が代行者から異動になり、上枝という小都市の担当になったと聞いた。
正直落胆した面もあった。しかしそれはチャンスでもあった。代行者などという常に命の危機が晒される役職より、よっぽど自分が近づける位置にヒーローは降りてきたのだ。
門矢は進路担当者にかなり無理を通し――なんならちょっとばかしの袖の下をちらつかせ――晴れて、上枝市教会担当補佐として配属されたのであった。
***
初めて実際に会った桐生の印象は、「怖い」。ただ一言に尽きた。
「私は桐生。単刀直入に言うが、私は君に興味がないし、面倒を見る気もない。自ら希望してここの配属になったそうだが、転属届を出すことを勧める」
それが憧れの桐生に初めて言われた言葉であった。
しかし、その一切こちらに目を向けない冷たさは噂通りであったし、自分が想像していたダークヒーロー像にぴったりと当てはまった。
だから門矢は桐生から発せられるその冷たさを逆に好ましいものととらえ、思ったことをそのまま口に出した。
「いいえ、師父。俺は貴方に何と言われようと、貴方について行きます」
桐生は大して興味もなさそうに、「そうか」とだけ言うと門矢に数個雑事を言い渡し、通常の業務に戻っていった。
門矢には教会の二階の一部屋が生活スペースとして与えられた。桐生は同じく二階の別の部屋で寝泊まりしていたが、彼の部屋には結界が張られていた。どうやら簡易工房になっているようだとは分かったが、もし自分がそのドアノブにでも触れたら、即あの世行きだろうということが分かる程度には門矢は自分の実力を知っていた。
桐生は門矢に宣言通り、一切興味を持たなかった。日々ごくごく普通の地域の教会としての業務を言い渡し、桐生自身も教会にやってきた市民への対応を粛々と行っていた。
ただし、何度か桐生は“代行者”としての顔を門矢に見せたことがある。
それは、上枝を代々魔術的な側面から治める御三家の定例会であった。
上枝の御三家――嗣堂、龍門寺、エルクトルは上枝の地で聖杯戦争なる魔術儀式を聖堂教会に極秘で行い、そして当時のそれぞれの頭首全員が死亡した。頭首がいなくなったことにより、以降聖堂教会の担当者が上枝の地に直接監督が赴任することになった。それが桐生だったというわけだ。
頭首のいなくなった御三家には、聖堂教会主催の元、定例会が義務付けられた。
嗣堂はほとんど姿を見せず使い魔を寄越し、龍門寺は若い気弱そうな男と黒い着物に身を包んだ老婆が出席し、エルクトルはまだ年端のいかない少女が出席していた。
定例会に門矢が参加したことはない。だからどのような内容なのかは知る由もなかったが、定例会がある日の桐生はいつにも増して殺気に近いものを放っていた。それはまさしく門矢が抱いていた桐生のイメージそのものであり、心の中で感激に打ち震えていたのだった。
桐生の元に身を寄せて数年経ったある日、門矢の左手に奇妙な痣が現れた。それまで門矢のことを歯牙にもかけなかったにも関わらず、桐生はその痣を見た瞬間、血相を変えた。
「門矢、お前、その痣はどうした」
それが、彼にとって憧れのヒーローから初めて視線を注がれた瞬間であった。
門矢の胸がどくりと高鳴った。師父が俺を、俺の、名前を呼んだ!
門矢はどぎまぎしながら応えた。師父の視線は未だ自分の左手に注がれている。
「ええと、朝起きたらこうなってて……」
「お前、それがなんなのか知っているのか?」
「いえ……」
「それは令呪だ。お前は聖杯に選ばれた」
聖杯戦争については上枝に赴任するときにどういったものなのかはあらかた学んでいたものの、何故自分が選ばれたのかはさっぱりわからない。いや、そもそも前回の聖杯戦争で使用された上枝の聖杯がどこにあるのかも未だ教会は行方を終えていないはずだ。教会も、御三家も、聖杯は儀式の失敗によって消失されたと思われていた。
それが、誰かに、なんらかの手で起動されたということだ。
「師父、俺は、どうすればいいですか」
門矢は震える声で桐生に尋ねた。かけたい願いなど、命と引き換えにでも欲しいものなど、ない。だから自分の行く末など決められない。どうせ決めなければならないのなら、それなら、自分と同じ道できちんと道を切り開いた人に決めてもらいたい。
「叶えたい願いはないのか」
桐生は問う。門矢は応える。
「師父の願いを、叶えたいです」
桐生は初めて出会った日のように「そうか」と言うと、二階の空き部屋に門矢を連れて行った。桐生は召喚のための魔法陣を描き、門矢に召喚のための文言を教えた。
しかし、サーヴァントは召喚できなかった。
門矢は慌てふためいた。初めて師父が自分を見てくれたのに、自分は応えられないのか。
「師父!申し訳ありません!!」
土下座する勢いで謝ったが、桐生は門矢に一瞥もくれず、考え込んでいた。しばらくすると、ようやく桐生は口を開いた。
「まだ聖杯が完全に起動していないのだろう。それならそれで好都合だ。門矢、私の弟子になりなさい。いつ聖杯戦争が始まっても、我々が勝ちぬけるように」
それから二年間、桐生に代行者仕込みの戦闘術を教え込まれるという天国のような地獄の日々が過ぎて行った。
ある日、門矢は桐生に聞いたことがある。
「師父は、俺が聖杯を手に入れたらどうするおつもりなんですか」
桐生は迷わず答えた。
「あのような紛い物。破壊するまでだ。聖杯が生み出した悪魔共々な」
門矢は、桐生のその言葉を信仰によるものだと解釈した。魔術師の生まれでありながら、やはり代行者にまでなるにはそこまで厚い信仰心があったからなのだと。
そう、桐生を自分の幻想に、都合の良いように解釈したのだ。
結局、門矢が桐生を真の意味で理解しようなどと思ったことは二年間のなかでも一度もなかったのだと、門矢自身は気付くことが出来なかった。
だから、門矢は桐生の逆鱗に触れたのだ。自分のわけのわからないままに。
「お前は破門だ」
桐生の、殺意が明確に自分に向けられている。
牢屋にすさまじい力で放り込まれ、謎の薬を無理矢理口に流し込まれた。
胸焼けするような強烈な苦みのある液体状の薬は、すぐさま門矢の魔術回路を破壊しかかった。
「お前はもう、ここで死ぬしかない。お前が私の望みを叶えたいならば、お前が聖杯戦争に参加することを私は許さない。私の望みは、聖杯を破壊し、あの子たちを守り抜く事だけだ」
桐生はそう言い残し、地下牢から去っていった。
師父、師父……!声が出ない。
俺は必死に二年間、貴方に付いてきました。いや、それより前からずっと……!
それを、それを、あんな、なんの変哲もないガキに奪われるのか。
師父は、信仰に生きた崇高なお方じゃなかったのか。
俺が、嗣堂に、“師父が会った子供の名前”を脅されたくらいで……!俺は“そんなこと”で師父に見捨てられるのか。
師父、師父。
あなたこそ、俺に、あなた自身のことを何も教えてくれなかったじゃないか!
「畜生、畜生……!」
令呪を見ながら毒づく。自分の口の端から、血があふれ出し始めてる。
俺は何も悪くない。
俺は脅されたんだ!
「みたせ……みたせ……」
自分の血を、地下牢の床にこすりつける。
「繰り返す……つどに五度……」
俺は、裏切られたんだ。
「されど汝は……その眼を……混沌に曇らせ……侍るべし……」
俺は、俺の崇高な師父を、壊した子供を許さない。
「くそ……っ」
俺は、神以外を守ろうとする、まるで普通の人間のような貴方を許さない。
口から、勢いよく血の赤が噴き出す。
冷たい地下牢の床を感じながら、左手の令呪を見る。
「こんなのが……聖杯なんてものがあったから……」
俺は、願う。
「俺の師父を……かえせ……!」
陣と、令呪が光った。
「よう、マスター。いきなり死にかかてってんな。生きろよ、叶えたいんだろ?」
沖田「私と!」
ノッブ「儂による!」
二人「ぐだぐだ次回予告~!!」
ノッブ「厄介な部下に慕われると、本当に面倒なこと起こるよな~。わかるわかる」
沖田「ノッブの部下がキャラ濃すぎただけって気がしますけどねぇ」
ノッブ「なんじゃとう!弱小人切りサークルだってキャラの濃さで絶対もめ事起こってたじゃろ!」
沖田「いやまぁ、キャラの濃さは否定しないですけどぅ……」
ノッブ「なんじゃその歯切れの悪い言い方は」
沖田「だって、ノッブのとこ、大体矢印がノッブに向かってたじゃないですか。うちは各々志があったんでー、一緒にしないでほしいなーとか」
ノッブ「お?なんじゃ?やるんか?」
沖田「いいですよ?おっとその前に……次回!『森の中の魔術師』!ノッブなんか八つ裂きにしてやりますよ!」
ノッブ「おおん?返り討ちにしてくれるわ!!」