門矢の前に現れたのは、全身に傷痕を持つ筋骨隆々の勇ましい男だった。
「俺はバーサーカー、真名をベオウルフ。あんた、よくそんな状態で俺を召喚できたな」
ベオウルフは床に突っ伏していた門矢の襟首をむんずと掴み、無理矢理体を起こさせた。
「オラッ」
門矢の無防備になった腹部めがけてベオウルフは拳をねじ込んだ。「ぐえっ」というダチョウが締め上げられたような悲鳴と共に、門矢の胃の腑からは空気と吐瀉物が込み上げ、ぼとぼととそれらが血に交じりながら服と地下室の床を汚した。
「おっ、おまえぇ、マスターに向かって何、するんだ!」
「よし、そんだけ喋れれば上々だな」
ベオウルフはにやっと笑うと門矢をまるで米俵のように軽々担ぎ上げた。
「毒は多少抜けただろ。さて、じゃあこんな辛気臭ぇ場所からとっとと出て行こうぜ」
「まて、まてまてまて!お前出て行くって言ったってどうやって!」
「そんなん決まってんだろ。大抵のものってのは、殴るか蹴れば壊れるんだよ。うらぁ!」
門矢はベオウルフの肩に担がれながら足をばたつかせるが、ベオウルフの鍛え上げられた体幹はびくともしない。それどころか暴れまわる門矢を一向に意に介さず、ベオウルフは牢屋の鉄格子を思いきり蹴とばした。鉄格子は魔力が込められた簡易結界になっていたものの、最上位の使い魔であるサーヴァントの攻撃にあっけなく破壊されたのだった。
「これで牢屋からは出られるぜ、マスター」
「……ここから出られたって、行く場所なんか、ない。それにこんなでかい音立てたら、師父にばれるに決まってるだろ、この馬鹿」
「あん?師父?そいつは強いのか」
「師父はなぁ!凄いんだ!!あの代行者だって務めた、百戦錬磨の、うぇっ」
「うわ、俺の上で吐くなよ」
勢いよく話すと未だ毒がぐるぐると体をめぐるのを感じた。それが押しつぶされた胃腸によって逆流する。それは大変不快だったが、嘔吐することによって毒も一緒に吐き出され、体が死から遠ざかっていく。魔術回路もきちんと作動している。
しかし、どのみち自分は死ぬのだろう、と門矢は思う。あの師父から、桐生源仁から逃げ切れる訳がない。
「もういい……。俺に、師父に見限られた俺に、生きてる意味なんか……って、なにしてんだよ!」
ベオウルフは門矢の泣き言を一切無視して、ずんずんと歩いていく。その精悍な顔に、野性味を帯びた笑みを浮かべながら。
「マスター、お前がなんでそこまで相手を怒らせたかは知らねぇよ。だが、お前は許さないと願った。許さないってことは、戦う動機だ。それが俺を呼び寄せたんだ。何より――俺がその師父ってやつと殴り合いてぇ」
「殴り合うってお前……、馬鹿か!?」
「忘れたのか?名乗ったはずだぜ、俺は、『バーサーカー』ベオウルフだってなぁ!」
――地下室の扉が勢いよく蹴り飛ばされた。
薄暗い空間に一気に光が飛び込み、閉じ込められていた門矢の目を刺激する。
そして、本来あるべき日中の光に彼の目が適応する暇も与えず、ベオウルフの声は門矢に彼の止まりかけた心臓を再びひねりつぶすかのような衝撃を与えた。
「ほう。あんたが“師父”かい。なかなか良い佇まいじゃねえか」
門矢は息を呑んだ。そしてその空気の塊が門矢の喉を通り抜けたころ、どくん、と大きく心臓が波打った。嫌だ。どうしてこうなったんだ。
ちかちかしていた目が慣れる。慣れてしまう。
門矢の視界が、完全に桐生を捉えた。
「し、師父……」
「私は言ったはずだが?『お前が聖杯戦争に参加することを私は許さない』と」
桐生の目は、代行者のそれだった。門矢の背中に冷たい汗が伝い、体温を奪っていく。止まりかけていた心臓はどくどくと波うち続けている。しかしそれは、再びその鼓動を止まらせる予感の音だった。
しかしベオウルフはそんな“予感の音”など気にもしない。担いでいた米俵を放り投げるように、門矢を乱暴に地面へ落とす。彼は再びダチョウのような声をあげて冷たい床と接吻した。鼻が痛い。
「お、お前ぇ、仮にも俺はマスターなのに、扱いが雑すぎるだろ!」
「黙ってな。ギャーギャー騒ぎ立てる元気があるならどっか隠れてろ」
ベオウルフの興味は既に門矢にはなく、獲物に今まさに食らいつかんとする肉食獣のような、ぎらぎらした瞳が桐生を捉えていた。
ベオウルフが肉食獣であるならば、桐生は猛禽類のようだった。必ず相手を仕留める。そんな確固たる意志は距離が離れていても伝わった。
門矢はベオウルフの言った通り、こそこそと情けない横歩きで二人から離れ、参拝者用の長椅子の間に身を隠す。しばらく二人は構えを取ったまま動かなかった。門矢はその膠着状態を体の内部からも外部からも苛む痛みに涙目になりながら見ていた。致死量は抜けたものの未だ体内に残っている桐生の毒薬による内臓の痛みと、ベオウルフに殴られたあげく地面に落とされた際の痛みである。
そんな内外の痛みを感じながら門矢は何故、サーヴァントを、ましてバーサーカーを召喚したのか自問自答した。
確かに自分は神以外を守ろうとする桐生に失望し、許さないと思った。
でもなんでバーサーカーなんだ。バーサーカーの割に言葉は通じるようだが、結局ただの戦闘狂じゃないか。
門矢はベオウルフの筋骨隆々とした体を恨みがましく見る。
『――許さないってことは、戦う動機だ』
ベオウルフの言葉を脳が何故か反芻した。師父と?あの師父と戦いたいと願っている?
――ベオウルフが一歩踏み込んだ。
ダンッという大きな足音が、離れた場所にいる門矢の元にまで響く。
「うらぁあああ!!!」
びりびりと鼓膜を揺さぶる雄たけびと共に、ベオウルフが桐生に向かって殴り掛かった。
「……うっ。あのバカ……!!」
ベオウルフとリンクした魔術回路が消耗するのが分かる。既に桐生の毒薬によってボロボロだった回路を酷使されることで、全身に焼けるような痛みが回っていく。
ぐらりと視界が歪んでいく。魔力のリソースをそんなに割けていないことはベオウルフも感知するはずだ。しかし戦闘に憑りつかれたベオウルフはそんなことはお構いなしに拳を次々と桐生に打ち込んでいく。
「おらおらおらぁ!!」。
そんな中で、桐生はあのバーサーカーの苛烈な攻撃をかわしていく。冷静に、一つ一つの動きを注意深く観察しながら。
桐生がいくら代行者であったとはいえ、生身の人間だ。そんな彼が、攻撃力に特化したバーサーカーの拳を一度でもくらえばひとたまりもないだろう。桐生はそのことを十二分に理解していた。決して自分から仕掛けようとせず、機を伺っている。
その周到さは、まさしく自分があこがれ続けた代行者“桐生源仁”その人であった。
門矢は見る。かつてのダークヒーローを。
その時門矢はようやく気付いた。師父が、憧れの桐生だけが自分の青年期を形作っていた。それを奪われたら自分には、何もない。からっぽで、空虚で、薄っぺら。そんなこと見つめたくないから、気づかないふりをしていた。
しかしいざそれが初めて失われたとき、一つの言葉が、衝動が生まれたのだ。“許さない”。それが自分の頭で考えた最初の言葉だったのだ。
門矢は形容しがたい吐き気に襲われた。それは単純な魔力切れと、自分の醜悪とも言える衝動に目を向けてしまったから。
ベオウルフの動きが鈍った。自分を現界させる魔力が底をつきかけていた。その一瞬を桐生は見逃さなかった。
桐生が動く。
しかしベオウルフに、ではない。
門矢の首筋を、鋭利で大ぶりなナイフがかすめた。魔力切れを起こして倒れかけていなければ、確実に門矢の喉元を捉えていただろう。
首から襟にかけて熱い血が滴る。そうだ。考えてみれば当たり前だ。生身の人間がサーヴァントに勝てるわけがない。ならばどうするか。
マスターを狙えばいい。
気付くと、門矢は叫んでいた。
「逃げるぞベオウルフ!!」
左手の令呪が光った。
令呪の力により強制的にベオウルフは門矢の近くに引き寄せられる。
「ちっ」
ベオウルフは舌打ちと共に仕方なく再び門矢を抱きかかえ、入り口の扉に向かって、勢いよく跳ぶ。
扉の前に降り立ったベオウルフはかなり乱暴に重量があるだろう扉を蹴り破って外へ駆け出した。
桐生はただ黙って開かれた扉を見ていた。その猛禽類のような眼差しで。
***
ベオウルフは教会が見えなくなるまで走りに抜けた。令呪による強制的な離脱だった故、ただただ目的もなく教会が見えなくなるまで足を動かした。気付くと二人は鬱蒼とした森の中にいた。上枝の北西の郊外に位置する森は、森の入り口にこそ公共施設や小さな公園が設置されていたものの、そういった整備されているエリアを抜ければ近所の子供に“迷いの森”だとか“お化けの森”だとか噂されるほど光が入らない。そのうえ方向感覚を狂わせる、似たような木が密集しているため、GPSを使っても迷い込んだらなかなか出られないほどだ。実際、何人かの子供がその森で行方不明になっており、近隣の学校では立ち入らないように再三注意が行われていた。
「おい。外出たぞ。……大丈夫か?」
「う……うぇえっ」
ベオウルフに投げ出された門矢は地面にうずくまり、嘔吐した。手の平は湿った土に汚れ、ぼたぼたと零れ落ちる涙は地面に吸い込まれていく。消化器官から食道にかけて焼けるような痛みと共に胃酸が逆流していった。乱暴に揺さぶられたことによる酔いや魔力切れなどによる身体ダメージももちろんあったが、身体的なものよりも、心が体をめぐる体液の循環を拒否し、摩耗していた。
少なくとも、師父と、桐生と戦うなんてことは出来ない――。門矢は自覚してしまった。自分の空虚さを理解してしまった。桐生を許さない。その感情を直視できなかった。認めれば、自身の空虚さも同様に直視しなければならない。胸にうごめく自己否定の苦しさは吐き気となって門矢をますます苦しめる。
ベオウルフはバツが悪そうに門矢の背中に手を置いて謝罪した。
「まぁ、俺も悪かったよ。お前のこと気にかけてなくて」
「……ふん。やっと分かったか。うえっ。早く残りの毒を抜かないと……」
毒は致死量を下回っていた。自分の生にもはや嫌悪を感じるほどだったが、ほっといても死ねず、ただただこの痛みが続くことだけが分かった。
幸い、当てはあった。
「ベオウルフ、肩を貸せ。そして俺の言う通りに進むんだ」
ベオウルフは言う通りに門矢の片腕を担ぎ、息も絶え絶えの彼の指示に耳を傾けた。門矢はポケットから光る石を取り出し、ダウジングのように光が反応している方向へ進んでいった。
整地されていない森の中を、二人はゆっくりと進んでいく。門矢はなんども藪に足をとられながらも、一歩一歩確実に踏みしめていく。全く見わけのつかない木々の間を、光だけを頼りに進んでいった。
何度も意識が飛びそうになったが、ベオウルフの前で失神することは避けたい一心で持ちこたえた。もしここで自分が彼の制御権を失ってしまったら、バーサーカーである彼は自分を放っておいて桐生の元に舞い戻ってしまうのではないかという恐れがあったからだ。
ネズミや蝙蝠などの小型の動物を使い魔として使役することはあったものの、過去の英雄が自分の使い魔になっているというのは元魔術師の視点からしても恐れ多い行為だったかもしれない。しかしネズミや蝙蝠にはない体温が、確かにそこにはあった。確実に彼は、バーサーカー・ベオウルフは生きていた。だからこそ、自分の腕から肩にかけて感じる体温を門矢は信用できない。
小一時間歩くと、鬱蒼とした木に隠れるように小さな家が現れた。門矢の石はこの家を指し示して一層力強く光を放った。
「ここだ。出来れば関わりあいたくはなかったが仕方ない」
門矢はベオウルフから離れ、意を決したように玄関をノックした。
はーい、とどこか間延びした男性の声が返事をし、少し間を置いてその声の主が扉から身を乗り出した。
「あれ、君は、門矢君?って、うわぁ!ボロボロじゃないか。どうしたの」
「間さん、すみません。手を貸してくれませんか」
「勿論勿論。さあ入って!ん?そちらは……人間、じゃないよね」
間と呼ばれたその男は門矢の後ろで霊体化していたベオウルフを訝し気に見ながら門矢を抱きかかえた。
「ほう、俺が見えるってことは、あんたも魔術師か」
「うん。僕は間秀徳(はざましゅうとく)。ただのおじさん魔術師さ。良かったら君も入って。娘の亜梨沙(ありさ)も君みたいな不思議な存在に会いたいと思うんだ!」
どこか浮足立って話す間に対して、門矢は苦虫を嚙み潰したような顔をしながら「バーサーカー、行くぞ」とぶっきらぼうに呟いた。
三人は家の中に足を踏み入れた。森の中の小さな家。その童話のような家に足を踏み入れた瞬間、ベオウルフは背中に悪寒が走るのを感じた。
嫌な予感がしながらも、玄関のすぐそばのリビングに通された。間は部屋の中央に置かれたソファベッドに門矢をゆっくりと降ろした。
「門矢君、何があったか聞かせてもらっていい?」
「……聖杯戦争が始まったんです。毒を盛られてしまったので、間さんに霊薬をいただければと。お礼はします」
「ああ。君たちが言ってた御三家が昔失敗したっていうやつ?勿論薬をあげることは全然かまわないのだけど、桐生さんはどうしたの。いつも一緒だったじゃない」
門矢は下唇を噛んで黙りこくってしまった。間はそんな門矢を見て何かを察したのか「言いたくなかったら言わなくてもいいよ。誰でもすれ違うことはあるものさ」と優しく声をかけた。
間は別の部屋から注射器と薬を持ち出してくると、慣れた手つきで門矢の手当てを開始した。ベオウルフは何故門矢が間と関わりあいになりたくないと言ったのか分からなかった。間は白髪交じりの頭で老けて見えたが、おそらく四十台半ばに見える。身なりには気を使っていないらしく、少しくたびれた服を身にまとっていた。物腰も柔らかく、人当たりがいい。サーヴァントであるベオウルフに対しても「適当にくつろいでていいからねー」と声をかけるほどフランク、悪く言えば警戒心が皆無だ。猜疑心が強い魔術師にしては珍しい人柄に感じた。
間が薬を注射器にいれ、門矢の腕に注射する。
「さぁ。これで大丈夫。あとは安静にするだけだよ」
「……間さん、聖杯戦争に参加しませんか。あなたの手には、その資格がある」
ベオウルフはハッとして間の手の甲を見た。そこには確かに令呪が刻まれている。
間は白髪交じりの頭をぼりぼり掻いて、うーん、とやはりどこか間延びした声でうなった。
「僕は娘と穏やかにくらしていたいだけだからなぁ」
「……眠ったままの、娘さんとですか?」
頭を掻いていた間の手がぴたりと止まった。
「眠っているのは今だけさ。必ず僕の手で亜梨沙を起こして見せる」
「俺が、貴方に力を貸しますよ。娘さんを起こして見せる。協力して聖杯を勝ち取るんです」
門矢は天秤に計ったのだ。生きていくことと、殺されること。他のマスターたちに命を狙われることと、桐生に殺されること。
未だ自己嫌悪の嵐には向き合えない。けれど、桐生に殺されることは脳が激しく拒否反応を起こしていた。殺されないために、戦う。そのためなら――このキチガイとだって手を組んでやる。
門矢は痛む腹部に力を入れ、体を起こした。
「今日はまだ娘さんに挨拶していませんでしたね。バーサーカーと一緒に挨拶させてください」
「……いいよ。バーサーカー君、門矢君の歩行補助してくれる?」
リビングから出て二階へ上がり、一番手前にある扉の前に三人は立った。
間は扉をノックし、返事も待たずにドアノブを回す。
「亜梨沙、今日はお客さんが来てくれたよ」
部屋には女の子が喜びそうなものであふれていた。可愛らしいぬいぐるみ、ドールハウス、プリンセスをあしらった子供用のドレス。そのごちゃごちゃとした空間の真ん中にはこれまた少女趣味の、天蓋付きのベッドが存在感を放っていた。
ベオウルフは門矢を森の中の時と同様、支えながら歩いていく。しかしベッドに近づくにつれ、この家に足を踏み入れた時に感じた悪寒が強くなっていった。
そしてその嫌な予感は的中する。
ベッドに横たわっていたのは、大きな絵本を胸に抱えた小さな白骨死体だった。
「紹介するね、娘の亜梨沙だ」
***
門矢と間が初めて出会ったのは、二年前の事だった。
二年前、桐生は門矢に令呪が発現したことを契機に、上枝の他の魔術師が同様に令呪を発現していないか調査した。結果、御三家の魔術師三人、すなわち、ミサ・エルクトル、嗣堂雄二、龍門寺万里江に同様の現象が起きていたことが判明する。
上枝には御三家の他に二人、魔術師がいる。一人はエルクトルと仲違いした入間昭人、もう一人が間秀徳であった。
入間にはサーヴァントを召喚するだけの実力はなく、今回も聖杯に選ばれないであろうことは教会側も把握していた。しかし問題は間であった。
間は二年前の時点でも謎が多い人物であった。魔術協会には一応所属しているものの、教会どころか世間とのかかわりを持たず、森の中でひっそりと暮らしていた。魔術師としての立身出世への願望も薄いらしく、自分の専門分野である霊薬を時折魔術師同士のルートに流し生計を立てていたが、決して争いごとや競争に巻き込まれないように立ち回っている。妻と娘もいるはずだが、二人は間秀徳以上に情報がない。娘は就学年齢に達しているはずなのに、どこの学校にも通っている痕跡がなかった。
使い魔を放っても、森に入れば最後、帰ってくることはなかった。そこで桐生は門矢を連れて、直接間を訪ねたのだ。
桐生が玄関をノックすると、どたどたという足音と共に女性が扉を開け、崩れるように桐生に縋りついた。
「嗚呼……、ここに人が来てくれるなんて!お願いです。助けてください!ここにいたら私までおかしくなってしまう!」
女性は間の妻であった。瘦せ衰えて、目には濃いクマが刻まれている。
「奥さん、落ち着いてください。いったい何があったのですか」
桐生はあくまで冷静であった。しかし門矢はその夫人の狼狽した姿以上に――、家の二階から漂う腐乱臭に、ただならぬ事態を予感していた。
「誰か来たのかい?」
騒ぎを聞きつけてか、二階から間秀徳その人が降りてきた。妻の恐慌じみた様子とは真逆で、どこか気の抜けた雰囲気を醸し出している。
「あなた、ごめんなさい。でももう、私耐えられない!!気づいて。亜梨沙はもう死んでしまったのよ!!」
間は困ったように苦笑いをすると、桐生達に会釈した。
「すみませんね。妻は一年ほど前から質の悪い妄想に憑かれてしまったみたいなんです。きっと娘が目を覚まさないことから来る心労なのでしょう。どうか許してやってください。ところでどういったご用件で?この森は僕が時々霊薬の実験をするので、ちょっと特殊な結界が貼ってあるんです。だから迷い込んだ……、というわけではないですよね」
間はあくまで穏やかに、そして親切に語り掛けた。しかしあの二階から漂う悪臭から、どちらが正しいことを言っているのか、それは明白であった。
門矢が言葉に窮していると、桐生は間夫人を抱えながら、応対する。
「こちらこそ突然押しかけて申し訳ない。私は聖堂教会の桐生源仁。こっちは弟子の門矢です。私たちは聖杯戦争の調査に来たのですが、奥方はどうにもご息女の看護でお疲れのようだ。どうです、気晴らしも兼ねてお二人で教会にいらっしゃってみては」
「いやぁ、お誘いはありがたいのですが、僕は遠慮しておきます。娘が起きた時、一人では可哀そうでしょう?」
「そうですか。では奥さんはいかがですか」
桐生は抱えた間夫人と門矢に目配せした。夫人はこくこくと頷き、門矢の手を借りて立ち上がった。
「あなた。私は行くわ。もうあの子を、亜梨沙を見続けるのは辛いの」
「そうか……。君にも辛い思いをさせてしまった。亜梨沙は僕が見ておくから行っておいで」
桐生は門矢に夫人を教会へ送るように指示した。門矢は彼女を支えながら、桐生を残して森の中の家を後にする。
「亜梨沙が、娘が、どんどん朽ちていくの。あの人に言っても眠っているだけだと言って聞かなくて……。埋葬もしてやれなかった……。嗚呼、亜梨沙……」
森を抜けていく最中、夫人はうわ言のように娘の名前を繰り返していた。
結局、夫人があの森の中へ戻ることは二度となかった。聖堂教会に保護され、どこか上枝から離れた場所で療養していると、のちに門矢は桐生から聞いた。
一方、森の中の家に残った桐生は聖杯戦争について間に説明した。間の手の甲に令呪が確認されたからだ。
しかし間はやはり間延びした声で、始まったとしても辞退するとあっけらかんと言い切った。
「僕が死んだら、亜梨沙が起きた時悲しむでしょう?」
間の世界は、娘中心に回っていた。そこに誰も立ち入ることは出来なかった。残酷で、穏やかで、腐臭のする世界。
「あの男は危険だ。自分の世界の中で物語が完結してしまっている。その物語にひびが入った時、何をしでかすか分からん」
桐生は間をそう評価し、二人は定期的に間の元を尋ねるようになった。
門矢は間の元へ尋ねるのが嫌で仕方なかった。いつ踏み抜くか分からない地雷原に行くようなものだった。そしてなにより、間があたかも普通の父親であるように喋るのを嫌悪した。自分と同じ空間にいるはずで、会話も一見通じているのに、実は次元の違う場所に相手は立っている。その独特な気持ち悪さが、門矢の間への嫌悪感を募らせていった。
ある日、間は門矢と桐生を娘の部屋に案内した。少女趣味が溢れた部屋の中央のベッドで、ソレは絵本を抱きながら横たわっていた。まだ頬やふくらはぎには肉が残っていた。本来はどんな姿だったのか、ぎりぎり分かる程度に原型をとどめている。間が処置を施しているのか、蛆やハエは一切見当たらない。今まさに干からびようとしているのに、土に還ることすら出来ないソレは、ただただ黙って腐臭を放つ。間はソレの髪を愛おしそうになでながら、語り掛けるのだった。
語り掛け続けて、月日は流れる。
腐臭ですら応えなくなって、ただの骨と化したとしても。
それでも間は語り続ける。いつか自分の声で目が覚めてくれると信じている。愛によって救われる、童話のハッピーエンドを待ち続ける。
そんな男を門矢は自分が生き残るために利用することに決めた。
「俺が聖杯戦争に勝った暁には、聖杯の力で亜梨沙ちゃんを起こします」
「……僕は、僕が死ぬかもしれない、橋を渡りたくないな」
「貴方はサーヴァントを召喚して、僕の命令を聞くように令呪で縛ってくれればいい。俺が戦っている間、貴方はこの家の中で隠れるなりなんなりすればいい」
門矢は二日かけて間を説得し続けた。そして12月7日の夜、ついに間は折れたのだった。
二日間、説得とともに間の霊薬による治癒に勤しんだ門矢は、走れる程度にまで回復した。その間、ベオウルフは門矢と同じくこの家と間に嫌悪感を抱いたようで、森の中で鍛錬をし、英気を養っていた。その嫌悪感には嫌というほど身に覚えがある門矢は、とやかく言わなかった。
門矢はリビングの自分が寝ていたソファベッドをどかして魔法陣を描き、間に詠唱を教え込んだ。
「かんじゃったら、ごめんね?」
などと相変わらず間はのんびりとしている。その危機感のなさに苛立ちながらも、門矢は、これしか生き残る方法がない、と自分に言い聞かせていた。
そして間の詠唱が始まった。
陣が光りはじめる。なぜか二階で、どんっ、という音が聞こえた。門矢はこの時、また新たな胸騒ぎがした。しかし召喚を行っているこの場から離れることなど出来ない。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」
間が最後の一文を唱えた時、陣の中央には、一人の少女が立っていた。
「こんにちはすてきなあなた。夢見るように出会いましょう?」
可愛らしくお辞儀をする少女を見て、間は目を見開き、わなわなと震えだした。
「間さん?どうしたんですか?」
門矢が間の肩に手をかける。しかしその手はすぐさま払いのけられた。今までの間では考えられない行動だ。
そして数十秒の沈黙のあと、少女はおろおろとしながら間に語り掛けた。
「マスター?どうかなされたの?」
さらに沈黙が流れ、間はついに口を開いた。
「亜梨沙!!」
間は少女を抱きしめた。門矢はその様子を見て呆気にとられると同時に、先ほどの胸騒ぎが大きくなるのを感じた。
「あの、マスター、私はありさではなくて、アリ――」
「ああ、亜梨沙!!やっと目を覚ましてくれたんだね!!さぁ、またあの声でパパと呼んでくれ!」
門矢は手を額に当てた。何かとんでもない悪夢を見させられている気がする。
少女はしばし、何か考え込んだあと、間の背中に手を回した。
「ええ、パパ!会いたかったわ!!」
門矢は思う。最悪だ。悪夢は続きそうだ。
二階の子供部屋では、死体が抱えていたはずの絵本が何故か床に落ちていた。
その絵本は――『不思議の国のアリス』。
沖田「私と!」
ノッブ「儂による!」
二人「ぐだぐだ次回予告~!!」
沖田「うわぁ、いやな二人が手を組みましたね……」
ノッブ「手を組んだと言えるんか?コレ」
沖田「ていうか今回私出番なかったじゃないですか!セイバーですよ!?私セイバーですよー!主人公のサーヴァントですよー!!」
ノッブ「やかましいわ!!一話くらい出番がなかったくらいでごちゃごちゃ抜かすんじゃなーい!わしとか参戦すらしとらんのじゃぞ!是非もないよネ!」
沖田「あ、すみません……」
ノッブ「普通に謝られて逆に傷ついたわ……」
沖田「なんかさらにすみません……。次回!『迷路』!あ、私今後この二人と戦うんですか!?」
ノッブ「まぁ、がんばるんじゃな!!」