コンビニなどの小売店でさえ売っている商品がハロウィン一色になって来て、何だかこの世界が紫色とオレンジ色に染まっていくんじゃないかと思える10月22日(水)。
いきなりなんだけど、僕は今、約一週間前の僕をぶん殴ってやりたい。
あの時はただ猛練習しておけば良いって思っていたんだ。何も考えずにひたすら練習したんだ。
猛練習って響きはとっても良く聞こえる。だけど僕は気づいたんだ。
猛練習や猛勉強。響きは良いけどどっちも事前に計画を立てて早くから用意をしていなかったから焦ってしまい、短期間に一気に詰め込むことだ。優秀な人は絶対にそんな事はしない。
だってそんなの、ただの付け焼き刃なんだから。
そして、一気に詰め込むことによって副作用が出てくるんだ。
それが今の僕。
「ねぇ、もうちょっと音を控えて欲しいわ。こっちまで寝不足になるから」
「もうちょっと我慢してよ、母さん」
「何?あんた、声ガッサガサじゃない」
僕は今日の朝起きた後、すぐに喉に違和感を感じたから声を出してみると自分でも分かるほどの声の枯れようだった。
良く歌手の人が喉のケアは大事とかテレビで言っていたけど、まさかこんなにもすぐに喉がおかしくなるなんて思ってもいなかった。どうしたら治るのかも分からない。
こんな状態でどんな顔をして大和さんに会ったら良いのか分からない。後一週間と二日で本番なのに喉を壊すバカは僕ぐらいしかいないだろう。
「おはようございますっ!山手君」
「おはよう、大和さん」
「えっ……えー!?どうしたんですか?その声」
「なんか朝起きたらこんな声になっちゃってて……」
僕は乾いた声でははは……と笑うことしか出来なかった。大和さんは少し困ったような顔を作って僕の方を覗いてくる。
「山手君、無理はしないでくださいね?」
「もうすぐ本番なのに申し訳ないです……」
「仕方ありませんよ。今は治すことに集中しましょうか」
「例えばどんなことに注意すればいいかな?」
「えっと……極力話さない、とかですかね」
「これから学校へ授業を受けに行く人に言うアドバイスでは無いよね」
「あ、はは……」
僕の皮肉通り、今日は精神的に大ダメージを受けた授業だった。今日に限って僕に教科書を読ませてくるんだ。読んだら読んだで、前に座る桃谷が大声で笑うし。
今日が水曜日で学校が早く終わるのはせめてもの救いなんだけど、明日からもこの声が続くなら、おろし金で生姜をすりおろすように神経がズリズリと減っていくのだろう。
「山手君、今日の合わせ練習は中止にして病院に行って来てはいかがですか?」
「喉ってどこの科に行けばいいか分かんないや」
「えーっと……たしか耳鼻科だったと思いますよ」
「そうなんだ、じゃあ行ってくるよ。ばいばい大和さん」
僕はそのまま一人でとぼとぼと学校を後にする。
一人で学校から出るのも久しぶりだ。それに大和さんとの合わせ練習を楽しみにしていたからテンションも上がらない。
プールの中を歩くような重たさを両足に感じながら、僕は近くの耳鼻科に向かった。
診療を終えて、僕は自宅に着いた。
医者の先生が難しい事ばかり言っていてイマイチ良く分かっていないんだけど、声帯が炎症を起こしているらしい。一~二週間ぐらい声を出すことを控えれば問題なく治るとは言われたものの、最短で治らないと本番に間に合わないと言う焦燥感に僕はベッドの上で寝転がった。
病院で貰ったトローチを舌の上で転がしながら、天井を見つめていると家のインターホンが鳴った。今日は母親がいるから僕は出なくて良い。
「聡士~お客さんよ~」
なんて思っていたら一階から母親が呼んでいるので僕は気だるく階段を降りる。
玄関に着くと、少し大きめのトートバッグを持った大和さんが居た。
僕は危うくトローチを一気に食道に放り込んでしまうところだった。それほど口をポカンと開けたような気持ちになったんだ。
「や、大和さん!?どうしたの、急に」
「練習しましょうっ!山手君!」
「お、お邪魔しま~す」
「遠慮なんてしなくて良いよ。どうぞ入って」
僕は何故かやる気満々の大和さんの気迫に押されて自室に案内した。一瞬だけ川の流れに無慈悲に流される小魚のような気持ちになった。
「男の人の部屋に入るのは初めてでして……」
「あー、そのむず痒い気持ち分かる。僕も初めて大和さんの部屋に入った時もそんな気持ちだったから」
「でも、思っていたより普通の部屋ですね」
「え……部屋の中がごみ屋敷だと思ってたの?」
「い、いえ!そう言う訳では無く、プラモデルとかあると思っていました」
「僕は組み立てる事とか細かい作業がちょっと苦手なんだ」
大和さんは僕のベッドに腰掛けて周りを見渡しているから、何だか恥ずかしくなってしまった。別に僕の部屋にはやましいものとか無いから大丈夫なんだけど。
「あの、大和さん。今日の合わせ練習は中止にするって言ってなかったっけ?」
大和さんが家に来てくれた理由が分からなかったから聞いたんだ。僕自身、大和さんが会いに来てくれただけで嬉しい癖に、そんな感情を必死に隠して聞くんだ。
でも、そんな努力も口の中のトローチと同じスピードで溶けていった。
「今日の帰りでの山手君、悲しそうな顔をしていたので。それに一人で練習していたのですが、なんだか寂しくなっちゃいまして」
「僕は大和さんと合わせ練習するのが楽しみだったから、表情に出ちゃったのかも」
「フヘへ……。ジブンも山手君と一緒に練習するの、好きですよ」
「好きですよ」と言う言葉に僕の心臓がぎゅっとなった。僕に向けて言った「好き」ではないけど、僕の心臓をドキドキさせるには十分だった。
「さて、準備をしましょうか」と大和さんがトートバックから色々な物を出しながら準備を進めていたけど、僕は手が震えて上手くギターのチューニングが出来なくて時間がかかってしまった。
今日の合わせ練習は僕の歌声も、大和さんの電子ドラムの音も無く始まった。
大和さんはラバー製の練習パッドを僕のギターに合わせてタンタンと鳴らしている。そしてサビは大和さんのコーラスが入る。
丁度何回か会わせた後、母親が僕たちにジュースを持ってきてくれたから休憩することにしたんだ。
「それにしても山手君!すごく上達していましたよっ!リズムも完璧でしたし」
「たくさん練習したから。でもそれで声が枯れちゃったら意味ないよね」
「ジブンはそうは思いませんよ。日記もそうですけど、小さい事でも毎日一生懸命積み重ねていった結果ですから。ジブンはすごいって思います」
「大和さん……」
大和さんの立場なら普通、「こんな時に喉痛めて何してるの?」とか嫌味の一つや二つぐらい出てきてもおかしくないと思う。
だけど大和さんは笑顔ですごい、って言ってくれたんだ。
そこまでされて、僕は何をするべきか。
そんなの決まってる。本番までに絶対に喉を治して最高の舞台にする事。
それくらいしないと、男じゃないでしょ?
「大和さんっ!」
僕はガサガサな声を出した。今はまだガサガサだけど、絶対……。
「もうちょっとだけ練習しない?喉はこんなんだけどさ、ギターは絶好調なんだ」
「分かりました!では、やりましょうっ!」
この後僕たちはちょっととか言いつつ、何回も合わせた。
部屋の中はタンタンとジャカジャカが中心の、他人から見たら何をしているか分からないような音だけど、僕たちにはちゃんと本番の機材と音が目に浮かぶ。そんな有意義な練習が続いたんだ。
@komugikonana
次話は12月31日(月)の17:00に投稿予定です。
大晦日は少し早めの時間に投稿しますのでよろしくお願いします。
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新年一発目にハロウィン祭(文化祭)に到達します。次話は練習編ラストです。甘く仕上げておきましたので、乞うご期待!
では、次話までまったり待ってあげてください。