フレオリック家の三女、フィオナ。その彼女に対して、
奉公人といえども労働者に過ぎないため、この世界では貴族の家に仕える人間が私事によって退職することは珍しくない。とくに女性使用人は、結婚などによって
さて、そうなると職務を引き継ぐ新しい人材が必要になるわけだが――
これが意外と、使用人として適当な人物を採用するのは難しいのだ。掃除や洗濯をするだけのメイドなら、どこぞの馬の骨でも運がよければ就業できるかもしれない。だが侍女ともなると、名のある人間が発行した紹介状を通すことが大半だった。
さらに、身元だけでなく能力も相応のものがなければならない。礼儀作法や常識などがきちんと備わっているか、主人の生活をサポートするすべを心得ているか。何よりも、そばに仕えるうえで二人の相性が合うかどうか。求められる条件は、単純な仕事よりはるかに多かった。
そういうわけで、フィオナの侍女が辞めたからといって、後任が即座に見つかるわけもなく――
「……時間か」
――なぜか目をつけられたのが、俺だったというわけだ。
侍女の仕事をほかのメイドにやらせるというのは、一時的であればそこまで特異なことではない。朝に主を起こしにいって、紅茶を淹れたり、話し相手になったり、簡単な外出に付き添ったり、まあそんなことは平のメイドでもできるだろう。
ただ下級使用人のメイドだと、田舎から出稼ぎにきた世間知らずな生娘のパターンが多いので、貴族のお嬢様の侍女をしつづけるのは少々荷が重いとも言えた。とくに来客がいる前で侍女が粗相をしてしまったら、主の恥にもなってしまう。だからこそ、その辺のメイドに侍女の仕事を長期にわたってやらせることは、基本的にはあまりなかった。
……基本的には、である。
「さて……お嬢様は、相変わらずおねむかな」
ぼんやり呟きながら俺は――その部屋の扉を、トントンとノックした。
返事は、ない。
もういちど、ノックをする。やはり反応はなかった。
「入りますよ、フィオナお嬢様」
間違いなく聞こえていない言葉を、俺は淡々と呟く。いちおう二回ノックして声をかけてから開錠する、というのが朝の起床を促しに行く時の決まりである。泣けるくらい律義に守っているのだが、今まで起こしにいく前に主が目覚めている例は、悲しいことに一度もなかった。
「失礼します」
ポケットから家政婦に渡された鍵を取り出し、それを使って扉を開く。
暖かみのあるクリーム色の壁紙と、落ち着いた木目のタイルで綺麗に彩られた広い空間には、高級そうな家具や寝具がゆとりをもって配置されており、いかにも金持ちの部屋といった風情だった。
フィオナが三女のわりに豪勢な部屋が割り当てられているのは、単純にほかのフレオリック家の息子や長女が、仕事の都合や嫁入りなどで屋敷を出ていってしまっているからである。月に数度は、家の息子や娘たちがこの屋敷に顔を出したりもするのだが、毎日ここで寝起きしているのは当主と奥方、そして次女、ならびにフィオナの四人だけというわけである。
「…………」
ベッドのほうに目を向けると、布団からひょっこり金髪が顔を覗かせていた。こちら側に後頭部を向けて、横向きで寝入っているのだろう。
起きていないことは明らかだったので、俺は無言で動くことにした。戸口に待機させていたワゴンを引いて、部屋の中に入室する。毎朝、白湯を入れたポットと汲んだばかりの水差し、そしてコップやタオルなどを一緒に運ぶのも決まりだった。
テーブルのそばにワゴンを固定したところで、ようやく俺はフィオナのもとへと近づいていった。
「――朝ですよ、フィオナ様」
声をかけてみたが、返ってくるのはかすかに聞こえる寝息だけだった。俺は目をわずかに細めると、ベッドに身を少し乗り出して、布団の上から彼女の肩をやさしく揺らした。
「朝ですよ。お目覚めになってください」
「……うぅー……ん……」
うなるような、それでいて可愛らしい声を漏らしながら――フィオナはころりと顔をこちらに向けた。
――俺とほぼ同じ年頃の少女が、あどけない寝顔をさらしていた。
美しい肌と繊細な顔の線は、まるで人形のように整っている顔立ちだった。ただ人間離れしているという雰囲気はなく、どことなく愛嬌もうかがわせる容姿であるため、親しみを感じられる美少女と言えるかもしれない。
その長い髪も金糸のように輝く色だったが、残念なことに寝相のせいで少し乱れている。あとで、きちんと
――フィオナ・フレオリック。眠りこけている彼女が、そこにいた。
「朝です、フィオナ様」
三度目の正直、とばかりに、もう少し強く肩を揺らしながら言う。相手がお嬢様でなかったら、リタの時のように布団を引っ剥がしていたのだが、穏便に起こすしかないのが煩わしいところである。
「…………ぅ」
うめき声のようなものを漏らしながら、その目がわずかに開いた。まぶたの間から、青く透き通った瞳が、俺に視線を向けていた。
「おはようございます」
「…………」
「おはようございます」
「…………」
無言。完全に寝ぼけている様子だった。
リタに勝るとも劣らないほど寝覚めの悪い彼女に、俺は内心で嘆息しながらじっと待つ。しばらくすると、フィオナは布団からするりと両手を伸ばし、俺の肩を捕まえて――
がっと引き寄せられた。
ベッド側に上半身を乗り出していたせいで、俺は抵抗することもできず、彼女の胸元にかぶさる形となってしまった。お互いの胸がクッションになったおかげで、体を打ち付ける痛みがなかったのは幸いと言うべきだろうか。
「寝ぼけていらっしゃいますね?」
肩を掴まれているせいで動くこともできず、俺は仕方なくその状態のまま彼女の耳元にささやいた。自分の黒髪と、彼女の金髪が、白い枕の上で重なり合っているのが目に映る。対照的な色合いだった。
フィオナは薄いネグリジェで寝入っていたため、その体のラインが感触としてよく伝わってきた。体躯はやや痩せていて、華奢と表現しても差し支えのない体つきだ。俺もあまり他人のことは言えないが、その歳ならばもう少しふくよかであるほうが健康的だと思うのだが。
「……ぉはよう、カレン」
「はい、おはようございます」
互いに耳元で、朝の挨拶を交わす。フィオナの声色は、ずいぶん眠そうでぼんやりとしていた。
彼女に抱きつかれるような形のまま、されど振りほどくわけにもいかず、俺は淡々と彼女に尋ねた。
「お目覚めでいらっしゃいますか?」
「……んー。……このまま、もうちょっと……ねていい?」
「私は抱き枕ではないのですが」
「ちぇー、ケチ……」
またリタみたいなことを言う。もっとも、ただの冗談で本当のわがまま娘ではないので、その点では共通する可愛げがあったが。
ようやく俺の肩が彼女の手から解放されると、その体を引き離す。フィオナは眠そうに、どこかつまらなそうに、目をこすりながら上体を起こした。
「洗面器に水を張ってきますね」
「んんー……うん、おねがい」
大きく伸びをしながらそう答える彼女は、それなりに目が覚めてきているようだ。二度寝してしまう心配もないだろう。
水と湯を混ぜ合わせて、洗面器にぬるま湯を用意しおえた俺は、タオルを手に携えて待機した。少しすると、ベッドから抜け出してきたフィオナがとぼとぼと気怠そうにやってきて、顔を洗いはじめる。
その様子を黙って後ろで眺めていると、しばらくしてフィオナは顔を上げた。目垢を洗い落とした表情は、さっぱりと眠気が取れている様子だった。
「はい、どうぞ」
「ん」
俺が差し出したタオルを受け取り、フィオナは顔を拭きはじめる。その間に白湯をコップに注いでテーブルに置いておく。起床時は湯冷ましで喉を潤すのが彼女の日課だった。
水滴をぬぐい去ったフィオナは、椅子に腰かけてコップに口をつける。一息ついたあと、彼女はどこかじっとりとした視線を俺に向けた。
「……カレン」
「どうなさいましたか」
「……む、むね」
「むね?」
フィオナは自分の胸板に手を当てるジェスチャーをした。薄いネグリジェ越しに小さな膨らみがうかがえるが、まだ大人の色気は帯びていなかった。
俺は首をわずかに下げ、目線を下に向けた。そこにはドレスとエプロン越しでも、胸の隆起が確認できた。年齢を考慮すると、発育が良いほうだと言えるだろうか。
「わ、わたしのほうが年上なのに……!」
「成長の時期と度合いには、個人差があるものだと思いますが」
俺は冷静に指摘した。第二次性徴の発現するタイミング、およびその進行具合など、ひとそれぞれだろう。そもそも年上と言っても、俺の体が十二歳で、彼女が十三歳。生まれた時期も半年くらいしか違わないのでほぼ誤差である。
「これから女性らしく成長してゆきますよ」
「ほ、ほんとにぃ……?」
「ええ、かならず」
半信半疑の色を目に浮かべるフィオナに、俺はそうはっきりと返した。女性らしく成長することは確実であろうし、嘘ではなかった。……その程度と限度については、まあ保証できないが。
俺の言葉に少しは安心したのだろうか、フィオナは「そっかぁ……」と呟いた。どこか遠い先を望むような面持ちだった。
「――お着替えはどうなさいますか」
話題を変えるために、俺はそう切り出した。まだ彼女は寝間着のままなので、服を用意しなければならない。
「今日はだれかお客さん来るの?」
「いえ、とくに来客のご予定はありませんが」
「なら、面倒くさくないやつで。どうせ外に出かけるつもりもないし」
「かしこまりました」
この地では服装など含めて実用志向にあるところが、かつて機能的な物にあふれた世界で生きていた俺にとってはありがたいと言えるだろうか。コルセットのような七面倒の極みのような存在がないことは、たいへん喜ばしいことである。
それでもゴムがないので、紐やピンなどで衣服を留めるのが主流であり、そこは少しだけ不便かもしれない。とくにトイレで用を足す時などは、嫌でも思い知らされてしまう。毎回めんどくさいのだ、パンツの紐を結びなおすのが。
妙なところで男の肉体を恋しく思いながら、俺はクローゼットへ赴いた。使用人の部屋にあるものより、ずっと大きいその扉を開くと、これまたハンガーに掛けられている服の数も多かった。隣の箪笥棚に収納されている下着類も、同様に種類が豊富である。電動による紡績も縫製もない世界において、衣類の数はまさしく裕福さの象徴であった。
「…………」
どうしたものか。
服装選びを任されたものの、俺にはファッションセンスなどというものが皆無だった。巷の流行など、興味がなさすぎていっさい把握していないのだ。
それでも外出予定がないのなら、まあ難しく考える必要もないか――と適当に、衣類を見繕う。
「……ツーピースでも、よろしいですか?」
「うん、いいよ」
「それでは――」
下着はキャミソールとドロワーズ、およびペティコート。上着は簡素な白いブラウスと、裾の広い薄紅色のスカート。あとは膝上までの長さの黒い靴下。ひねりが皆無の取り合わせだが、屋内で過ごすならこんなもので構わないだろう。
衣服をカゴに乗せて、俺はフィオナのもとへ戻った。これでようやく、彼女の着替えが始まるわけだが――
「…………」
立ち上がってネグリジェを脱ぎかけたフィオナは、ふと目線を俺のほうへちらりと向けた。その瞳には、何か気まずさや躊躇のような色が垣間見える。
彼女はぷいと俺のほうに背を向けると、ネグリジェを脱ぎ去った。まだ下にパンティが残っているものの、ほとんど裸に近い素肌がさらされる。肉付きの少ない体躯や、か細い肢体は、やはり華奢さが感じられた。
「……そんなに気になさっているのですか?」
「う、うるさいわねっ」
あえて胸を隠しているフィオナは、その状態のまま右手を後ろに差し出した。そこにキャミソールを渡すと、やはり背を向けたまま肌着を身に着ける。よほど乳房を見せたくないらしい。
同性同士、しかも侍女扱いの使用人が相手なのだから、そう恥ずかしがることもないだろうに――とは思うが、やはりひとによっては身体的差異に劣等感を抱いてしまうものなのだろう。
上下の下着を付け替えたところで、ようやくフィオナはこちらに向き直った。そこからは、俺も積極的に着替えを手伝ってゆく。ブラウスはボタン留めだが、スカート類はすべて紐を結んで留めなければならないし、靴下も紐のガーターで固定しなければならない。ゴムがない世界の衣服は手間だらけである。
「――よろしいですか」
すべての着衣が終わり、フィオナに鏡の前で立って確認してもらう。彼女はいちど髪を掻き上げると、「うん」と素直に頷いた。これで、ようやく着替えは完了である。
次は――髪梳きか。
フィオナを化粧台の椅子に座らせ、櫛で髪を梳かしてゆく。
「…………」
「…………」
はたして貴族令嬢と侍女は、ふだんどのような会話をするものなのだろうか。
俺が漫然とした雑談を好まないタチのせいで、フィオナ側が話を振らないでいると、無言の空間になってしまうことが多々あった。俺自身は会話がなくても気にならないのだが、彼女にとっては退屈でつまらなくはないだろうか。少し気がかりではあった。
ふと化粧台に置かれた鏡を覗くと、フィオナの顔には陰りのような色が浮かんでいた。最近は朝食の時間に近づくほど、彼女に元気があまりなくなっていた。その理由をなんとなく察しながら、俺は静かに尋ねた。
「……お気分が優れませんか?」
「べつに」
「私でよろしければ、どうぞ愚痴をこぼしていただいても構いませんよ」
「…………」
フィオナは迷うように目を細めたあと、疲れたように深い息をついた。それから陰鬱そうな声色で口を開く。
「またお母さまから、小言を聞くハメになるんだろうなー……って」
食事はフレオリック家の家族が揃っておこなう。その席で、家族から何か言われるのが嫌でたまらないのだろう。
母親からの苦言。それを呈されるフィオナは、べつに日頃の行いが悪いわけでもないし、性格に大きな難があるわけでもない。能力に関しても、語学や歴史学、法律学などの分野の勉強において、文句なしに優秀であるのだが――
「――まだ“魔法”もろくに使えないのか、って絶対しつこく言われる」
不満そうに口をとがらせながら、彼女は抗議するように言った。
――魔法。
それこそが、この世界が明確に俺の生きていた世界と異なる要素であった。原理の理解できない“不可思議な力”。何がどう作用して引き起こされるのか、科学的には解明されていない現象。だが、それはまやかしではなく確かに存在していた。
指の先から炎が出る――そんな光景を目の当たりにしたら、ひとは手品だと思うだろうか。この世界の住人に限っては、そうは思わないだろう。何もない空間に火も風も起こせるし、水や金属を作り出すこともできる。疾病や傷痍を治療、緩和することさえ可能だ。それが、この世界なのだ。
ただし、それは万人が行使できる能力ではなかった。魔法という現象を引き起こすのが得意な者もいれば、どう努力しても発現不可能な者もいた。そして、その性質はおおむね遺伝によって左右される傾向にあった。魔法の得意な血筋の人間は栄え、社会の中で高い地位につき、その家系は支配者層となった。
言うまでもないだろう――魔法に秀でた者が、貴族だというのは。
しかるに、魔法を使えない人間が貴族と称したらひとは何を思うだろうか。貴人は魔法という御業を権威として、広大な土地を治める上流階級に居座っていられるのだ。魔法の使える人間からも、使えない人間からも、魔法の苦手な貴族は“失格者”として捉えられるのは避けられないだろう。
「…………」
なんと声をかけるべきだろうか。
フィオナの髪を梳きながら、俺は少し思案していた。魔法が苦手であることに対する解決策を提示することは、少なくとも魔法研究者でもない俺にとっては無理な話だ。早く魔法を使えるようになりなさい、と娘を叱る母親を理不尽であると非難し、彼女の溜飲を下げる配慮をすべきだろうか。だが、それも母娘の仲を悪化させてしまうだけで、あまり好ましくない手法のように思えた。
悩んだすえに、俺が出した結論は――
「――お嬢様の髪は、とても綺麗ですね」
「……はっ? えっ?」
唐突な褒め言葉に、フィオナは素っ頓狂な声を上げた。話の流れに対して、脈絡がなさすぎたので、その反応も当然かもしれない。
しかしながら、それでも構うことなく、俺は彼女に素直な言葉を告げた。
「艶やかで美しい金髪だと思います。私は好きですよ、フィオナ様の髪」
「そ、そそ、そう? あ、ありがと?」
彼女は困惑しきった様子で、顔を赤らめながら返事をした。どことなく嬉しさが顔に滲んでいるところを見ると、悪い気分ではないのだろう。
――人間は、否定されて生きてゆくことはできない。
それは異世界においても、共通することだった。他人から、あるいは自分自身で、己への肯定や承認がなされていなければ、ひとは生きるという行為を苦痛なくこなすことはできない。俺はそれを知っている。
だから、彼女を肯定するのだ。それだけで、苦痛にあふれた人生は多少マシなものになるだろう。
「僭越ながらこうして侍女のように、おそばで仕事をさせていただいておりますが――お嬢様と一緒にいると、本当にとても楽しく思います。いつもありがとうございます」
「お、お世辞を言っても何もあげないからね……?」
「本心からの言葉を口にしただけですよ」
「――――」
フィオナは朱顔のまま、言葉が見つからないように口を半開きにしていた。ストレートな好意や褒辞に慣れていないのだろう。恥ずかしさと嬉しさを混ぜ合わせたような彼女の表情は、純情な子供らしい可愛らしさがあった。
しばらく、ふたたび無言でフィオナの髪を梳いていると、ふいに彼女は目を伏せながら口ごもるような声を上げた。
「あ、その……えっと……」
言いにくそうにしている様は、まるで意中の人への告白に臨む乙女を連想させた。もっとも、ここにいるのは同性同士であるが。
「なんなりと、おっしゃってください」
「……わ…………」
フィオナはいちど唾を飲み込むと、意を決したように改めて口を開いた。
「わ、わたしも……か、カレンの髪が好き。ほ、ほら……珍しいでしょ? そういう、黒髪」
「……ありがとうございます。そうですね、私のような髪色の方はあまり見かけないかもしれません」
漆黒のような髪色は、大陸の遠方からやってきた人種に由来するものらしい。この辺だと、百人に一人か二人いるかどうか、といったところか。
俺自身も自分の髪は好ましく感じているので、この形質を授けてくれた母には感謝をすべきだろう。……いつか再会した時にでも、かならず言葉を伝えたいものだ。
「あっ、お世辞じゃないからね? だって、侍女の代わりとしてカレンを指名したのも……その髪が目に留まったからだし」
「――さようでしたか。目立つ色でしょうし、納得です」
なるほど。おそらく彼女にとっては、メイドの中で俺がいちばん印象に残っていたのだろう。おまけに年齢が近いうえに、自分で言うのもなんだが勤務態度も良いほうだったので、フィオナや当主や家政婦の全会一致で俺が侍女代理に選ばれたのも道理というわけだ。
「……お嬢様からそう褒めていただけると、たいへん光栄です」
「わ、わたしこそ……ありがとう……えへへ……」
感謝を口にするフィオナの表情は、嬉しさを隠しきれないように口元がにやついていた。少なくとも、家族からの小言を憂う気持ちはまぎれたのだろう。俺の採った選択は、相応の成果があったと言えよう。
――為せば成る。その言葉が、俺の頭をよぎった。
この場でフィオナに何か声をかけることを諦め、無言を貫いていたら、おそらく彼女は陰鬱な気分のまま朝食に向かうことになったのだろう。だが、俺の行動は彼女に良い変化をもたらすことができた。それはきっと、とても喜ばしいことなのだろう。
あるいは、もっと昔から最良の選択を迷わずおこなえていたのなら――
「……そろそろ、朝食のお時間ですね。何か不足はございませんか」
「服も髪もばっちり大丈夫。……はぁ、やだなー。お母さまから、今日はなんて言われるか」
「もしかしたら、褒められたりするかもしれませんよ」
「えぇー、ないない。カレンじゃあるまいし」
ふと、俺は思ってしまった。
もし俺が一つも間違うことなく生きていたら、この少女とこうして言葉を交わすことも、ありえなかったのではないか――と。
物事の真理も正しさも、賢者ではない無知蒙昧な俺にとっては、結局わかることなどないのかもしれなかった。