TS百合   作:てと​​

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006 過ぎた日の善いものごとを忘れ去れば、その人は、まさにその日に、老いぼれる。

 

 温かく穏やかな陽光が、部屋を隅々まで白く彩っていた。

 

 いつものポットや水差しを乗せたワゴンを固定すると、俺はベッドのほう――フィオナのもとへは行かず、窓際に誘われるように足を運んだ。

 

 ガラス越しに空を眺めると、雲一つない快晴が広がっている。その清々しい光景のなか、鳥たちが美しいさえずりを奏でていた。安らぎを感じる芸術的な早朝に、いつも硬い俺の頬がわずかに緩んでいることに気づく。

 

「ん……ぅ……」

 

 鳥の音色に混ざって、かすかなうめき声が上がった。そろそろお目覚めになってもらう頃合いだろう。俺はゆっくりと、ベッドのほうへと歩み寄る。

 

 今日は寝相が少し悪かったのか、布団が腰のあたりまでずり下がっていた。上半身をさらけ出しながら、すやすやと寝入っている彼女の姿は、なんとなく幼さと可愛げがあって心を和ませる。

 そのまま眺めていても飽きないくらいだったが――残念ながら、起こさないわけにはいかなかった。

 

「フィオナ様」

 

 そう声をかけながら、俺は身を乗り出して彼女の肩に触れる。

 

「朝ですよ」

 

 少し揺らすと、フィオナのまぶたが微動する。小さなうなり声のようなものを上げながら――暗中で物を探るかのように、彼女はおもむろに両腕を伸ばした。

 その華奢な上肢は俺の脇を通り抜け、そのまま背中に手が乗せられる。彼女の夢の中では、枕か人形でも抱いているのだろうか。まるで縋りつかれるような格好になったかと思うと――すぐに力を込められて、俺は彼女の胸元に引き寄せられてしまった。

 

 いつぞやにも、同じようなことがあったな。

 そう思い出しながら、けれども抵抗できずにフィオナの半身に覆いかぶさる。頭をぶつけずに済んだのは幸いだったろう。

 

 ――体と体が重なりあい、柔らかな感触が伝わる。

 薄いネグリジェ越しの彼女の肌は、心地のよい体温だった。人形のように抱きしめられても、あまり不快感はない。柔らかな少女の体は、どこか甘い肉感があった。

 視線のすぐそこには、彼女の頭がある。真横から眺めると、端整な鼻梁がよく確認できた。今日のような明るい朝には、いっそうよく映える美貌だった。

 

「お嬢様」

 

 声をかけても、寝ぼけているのだろう。そのまぶたが持ち上げられる様子がない。ただ代わりに、俺の背に回された腕が少し強まった。

 ――あたかも恋人同士がするかのような抱擁。お互いの胸が形をわずかに崩して密接した。

 その柔らかさは、俺の胸が大きくなったからだろうか。それとも、彼女のものが成長したからだろうか。あるいは、両方かもしれない。

 

 俺を抱き枕にするフィオナは、幸せそうに口元を緩ませていた。まるで母親の胸のうちで安堵する、小さな赤子のようだ。穏やかで、そして無垢な表情だった。

 目線を彼女の側頭部にずらすと、金髪に埋もれたものが見える。婉然とした、少女らしい耳朶が横たわっていた。その奥の小さな穴に、俺はゆっくりと唇を近づける。

 

「――起きて、ください」

 

 間近で紡いだ音は、彼女の鼓膜をはっきりと震わせたのだろう。聴覚への刺激は、寝坊助な脳をようやく覚醒へと向かわせる。フィオナはどこか悩ましげに、うめくような声をこぼした。

 目覚めまでは、もう一押しだろう。

 もういちど、起床を促す言葉を耳元で囁こうとした時――

 

「う……ん……」

 

 フィオナが、ふいに頭を動かした。

 顔を横へ……つまり、俺のほうへと。だが抱きすくめられている状態では、それを避けることなどかなわない。

 

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 ――傾けられた彼女の頬が、俺の横顔と接触した。

 繊美だが柔らかな、温かい肌。服越しではない、生身の触れ合い。お互い体温はそう変わらないはずなのに、重なりあった頬は熱を帯びているように感じた。

 

 肉体同士が密着し、二人の温度が共有されるなか――ふと、くすぐったい心地を抱く。

 フィオナの吐息が、俺のうなじを湿っぽく撫ぜていた。優しく愛でるかのような感触は、情緒的な愛撫だった。そのえも言われぬ官能に目を細めながら、俺はふたたび口を開いた。

 

「フィオナ様。朝ですよ、起きてください」

「…………うーん……?」

 

 どうやら、ようやく意識が浮上してきたらしい。

 

「お目覚めでしょうか」

「…………」

 

 声をかけてみるものの、彼女は無言のままだった。ただ、その体温が少し上がった気がする。密着した胸と、触れた頬から、熱い血の巡りが感じられた。

 ややあって、フィオナは呟くように言葉を漏らした。

 

「カレン……」

「はい」

「……もうちょっと……ねていい?」

「だめです」

 

 そう答えると、フィオナは「けち……」と名残惜しそうな顔で、俺の背に回した腕をほどいた。やっと解放された俺は、ゆっくりと上体を持ち上げる。体同士が離れゆくなか、フィオナは淑やかに目を伏せていたが――その瞳には、どこか艶っぽい色を宿しているようにも見えた。

 

 ……少しだけ。

 以前よりも、フィオナが大人びてきたように感じる。

 それは肉体の成長ゆえだろうか。それとも、少女から女性として移行する精神的変化があったからだろうか。答えを出すのは容易ではなかった。

 

 そんな、つまらないことを考えながら――フィオナの朝の支度を手伝う。

 

 顔を洗い、白湯で喉を潤し、服を着替えるという、いつもと変わらない手順。毎日、繰り返している作業的なやり取りである。だが――最近は、彼女の反応に微妙な違いが生まれていた。

 とくに着替えの最中、服を脱いで素肌が曝される時。かならず胸を見せないようにするし、こちらの視線を気にするような素振りをする。同性である侍女に対して乙女の恥じらいを浮かべるというのは、貴族の子女にとってはあまり一般的なことではなかった。

 

「――向こうでね」

 

 フィオナは化粧台の椅子に座って、俺に髪を梳かれながら口を開いた。

 向こう――というのは、ボスウェル卿の誕生日パーティの会場を指しているのだろう。あくまで侍女は日常生活の手伝いが職務のため、さすがに俺は領地外への遠出にまで付いて行かなかった。そういう外出時には、もっぱら専用の付き添い人(シャペロン)が同行するものである。

 

「アジール家のおじ様に、すごく褒められちゃったの。ドレスがよく似合っている、って」

 

 えへへ、とはにかんで笑む彼女は、本当に嬉しそうだった。わざわざ俺に言うくらいだから、きっと相当なべた褒めをされたのだろう。……あの人も、律儀なものである。

 

「お楽しみになられたようで、何よりです」

「うん。……ちょっと疲れちゃったけどね」

 

 そう言って、ふわぁと小さなあくびをするフィオナ。まだ少し眠り足りないのだろう。今日は予定もないので、あとで昼寝でもしてもらうといいかもしれない。

 

「――ほかには、どのような方とお話されましたか?」

「うーん。とりあえず、お父さまの知り合いとは挨拶したけど……。それ以外だと、あんまり同年代の子がいなかったのよね。だから年上の人と、社交辞令ばっかり」

 

 退屈さを感じさせる口調だった。子供と大人の中間という微妙な年齢だと、気さくに会話できる相手を見つけにくいのかもしれない。なかなか難儀なものである。

 フィオナはぼんやりと化粧台の鏡を眺めながら、ふと思い出したように言葉をこぼした。

 

「カレンって……小さい時の出来事、おぼえている?」

「……幼少時の記憶ですか?」

 

 尋ねられた事柄は、俺にとっては少し苦いものでもあった。普通なら印象的なこと以外はあまり覚えていないのだろうが――

 三十路の人間が二十歳のころを思い出すかのように、俺は昔のことをはっきり記憶していた。

 脳という物理的なモノが未発達なのに、なぜ記憶を損失せずにいられるのか。そもそも生前の知識と経験が残っていることからしても、俺という存在はきわめて奇妙で不可思議で、そして異常だった。

 

「あまり……いえ、ほとんど覚えていませんね」

 

 だから嘘をついた。それが自然な答えだろう。

 フィオナは「わたしも」と同意したが、すぐに「でも――」と言葉を続けた。

 

「こないだのパーティみたいに……両親に連れられて、どこかの園遊会か何かに参加したことが、なぜかずっと記憶に残っているの」

 

 遠い場所を探るように、彼女は目を細めて過去を思い返す。

 一部のエピソードだけ鮮明に記憶している、というのはよくある話だろう。祝い事のイベントなどは、非日常的で印象に残りやすいのかもしれない。

 

「そこで……同じくらいの年齢の、男の子と話したのよね」

「……どこかの、貴族の家の子弟でしょうか」

「たぶんね」

 

 そう曖昧に頷いたフィオナは、ちょっと恥ずかしそうに笑って。

 

「――その時ね。わたし、その子がものすごく気になったのを覚えているの。なんというか……雰囲気が、ほかの子と違っていてね。……一目惚れ、ってやつかしら?」

 

 懐かしむような声色のフィオナ。彼女の口から異性についての話題が出るのはめずらしかった。ましてや、初恋の話となれば。

 

「――お嬢様の好みのタイプ、だったということでしょうか」

「うーん、そうかも?」

 

 にやけた顔で、彼女は小さく笑った。年頃の少女なだけあって、この手の話には相応の興味があるのかもしれない。

 俺は彼女の髪を梳きながら、ほんの少しその耳元に顔を近づけた。そして、そっと、ささやくように尋ねる。

 

「ちなみに、ですが……その男の子の特徴は?」

「んんー……知りたい?」

「ええ、気になりますので」

 

 フィオナは頬に手のひらを当て、少し照れたように視線をわずかに下向けた。まるで恋する相手がそばにいるかのような、うぶな所作である。

 櫛を持つ手もとめて、じっと答えを待っていると、ようやく彼女も決心したのだろう。

 

 秘めた気持ちを告白をするかのように、フィオナは鏡に映る俺を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

 

 

「その男の子ね――めずらしい黒髪だったの。そう……ちょうど、カレンみたいに」

 

 

 

 

   ◇

 

 

 

 

「――だから、あいつは自覚が足らんのだ」

 

 非難めいた口調とともに、グラスがとんと音を立ててテーブルに置かれる。

 薄い黄金色の液体は、すでに半分の量となっていた。湯で割った蜂蜜酒とはいえ、これが二杯目なことを考えると、彼にとっては結構なペースだろう。あまり酒好きではなかったはずだが、最近はやけに飲みっぷりがよかった。

 

 俺は咥えていた煙草を指に挟み持つと、口内の空気を吐き出した。紫煙はたゆたいながら広がり、虚空に溶け込むかのように薄れてゆく。それを漫然と眺めながら、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「向こうでの生活は、お忙しいのでしょうかね」

「いいや。ほとんど評判も聴かんから、のんきにやっているんだろう。いいご身分だ」

 

 わずかに赤らんだ父の顔は、いつもの温和な表情から少し離れていた。アルコールが回り、ふだん抑圧していた感情が表に出ているのだろう。誰かを悪く言うのはめずらしい光景だったが、彼とて人間なのだ。つねに聖人のような振る舞いをすることはできまい。

 

 ――都のほうで、大学の教師として働いている長兄。ほとんど領地に帰ってこないわりに、何か研究成果を出したり、大した名声を得たりしているわけでもないので、父にとってはいささか不満があるらしい。いずれ継ぐ家督のために、領主としての勉強や上流階級との社交に力を入れてほしいというのが、彼の本音なのだろう。

 それでも強制はせず、好きにやらせているあたり、父の人の好さというものがうかがえた。子供に対する心配と期待、そして愛情が言葉からも感じ取れる。親としては理想的な存在であった。

 

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 手元の煙草からくゆる煙を見つめながら、俺は言葉を選んで口にする。

 

「……親の心子知らず、とはよく言ったものです。離れて暮らしていると、どうしても親の抱いている気持ちよりも、目の前の生活に意識が向いてしまうのかもしれませんね」

 

 それはどちらかというと、父の側に立った言い方だった。まだ長兄は三十路にもなっていない若者なので、個人的にはそっちの気持ちのほうが理解できるのだが、こういう時は目の前にいる人物に共感を示したほうがいいものだろう。

 

 父はどこか寂しそうに頷くと、「まったく、もっと手紙でも寄越せばいいのだが……」と愚痴をこぼした。遠方のわが子を心配する彼の横で、俺の内心では安堵するような感情が湧き上がる。

 こういう世俗的な心配や弱音を吐いている父を見ていると――たとえ彼のような優秀な人格者であっても、悩みや苦しみというものがあるのだと。完璧な超人など存在しないのだと。そう……自分と同じように、些細なことに苦悩する存在なのだと、情けないながらも安心してしまうのだ。

 

「……ああ、すまない。つまらない話ばかり聞かせてしまって」

「いいえ、気にしませんよ。子供を持つ親というのは、なかなか気苦労は絶えないものでしょう」

「……わが子からそう言われると、不思議な感じだな」

 

 父は苦笑のようなものを浮かべながら、ごまかすようにグラスに口をつけた。けっして親子らしい会話とは言えないが、それを気にする必要もないだろう。もとより彼は、俺が普通の子ではないことを承知しているのだし、いまさら子供を演じるまでもなかった。

 

「――お前は、手間のかからない子だったな」

 

 ふと過ぎた日を懐かしむように、父はぽつりとそう言った。俺は短くなった煙草を灰皿に押し付けると、遠い場所を見遣るように目を細める。父が覚えているのと同じように、俺も小さい時からの記憶をはっきりと保持していた。

 

 ――泣きも笑いもしない子供。それを“手間のかからない子”と表現するのか、それとも“不気味で異常な子”と捉えるのか。普通に考えれば後者であろう。

 とくに母は、俺の存在にたいそう悩んでいたようだった。自分の腹を痛めて産んだ子が、恐ろしいほど情緒を持っていなかったら、気を病むのも致し方あるまい。

 俺がもっと子供らしく、女の子らしく振る舞えていたのなら、あるいは――

 

「お母様は元気ですか?」

 

 くだらない後悔を打ち切って、俺は気になっていたことを尋ねた。話の脈絡がなかったが、それでも構わない。父は自分から母の話題を出そうとはしないので、俺から話すほかなかった。

 いきなり彼女のことに触れるとは思ってもみなかったのだろうか。父は困惑したような表情を浮かべ、口を開こうとするが言いよどむことを繰り返す。悩んでいるようだった。

 

「愛する親について知りたいと思うのは、子供として当然のことです。……教えていただければ幸いです」

 

 そう一押しすると、彼はようやく決心したのだろう。おずおずと、弱々しさを感じさせる声色で言葉を紡ぐ。

 

「いつも医者に治癒を施してもらっているのだが……一向に完治する様子がなくてな。体の不調をずっと繰り返して、もう一年以上も経つ」

「……精神的な要因ではないのですか?」

「わからん。ただ医者によると、体の奥に強い病魔が巣食っているのではないか、と。そうならば……よほど腕の立つ魔法の使い手でないと、取り去ることができないとも言っていた」

「…………なるほど」

 

 不調がずっと続いているということは、一時的な症状の病ではないのだろう。俺は医学知識があるわけではないので、話を聞いただけではさすがに有意義なアドバイスもできなかった。たとえ前世の経験があろうと、知りもしないことはわからないのが無情な現実だ。

 

「お母様に伝えていただけませんか? お大事にお過ごしください、と。そして――」

 

 俺は酒を少し口に含み、喉を湿らせると、遠い故郷を見遣るように虚空を眺めた。

 艶やかな黒い髪色の女性を思い浮かべながら、俺は彼女の安息を祈りつつ言った。

 

 

 

「あなたを愛しています。いずれお見舞いにも行かせてください……と」

 

 

 

 

   ◇

 

 

 

 屋敷の自室に戻った時、俺が目にしたのは慌てて棚に本を戻すリタの姿だった。

 その頬には赤みが差しており、かすかに汗ばんでいるようにも見える。よほど焦っていたのだろうか。呼吸も乱れ気味であった。

 

「お、おお、おかえりっ! カレン!」

「……はい。ただいま、戻りました」

 

 俺は荷物を置くと、ゆっくりとリタのもとへ近づいた。すると彼女は、びくっと後ずさるような動作をする。何やら隠し事をしているかのような振る舞いだった。

 そんな反応を訝しみながら、俺は棚のほうを覗く。ついさっきリタがしまったであろう本。その題名を見て、どんな内容だったかを思い出した。

 

 男女の恋愛を描いた小説――と言ったら聞こえは悪くないが、実態は性愛描写を多分に含んだ官能小説だった。堂々とエロティシズムを謳っていると世間から睨まれるので、最近は外見だけありふれたロマンスの風体をした、中身ただのエロ本、などという偽装本が主流となっているらしい。

 この本もリタから頼まれて買ったものなのだが、どうやら本人は普通の小説と勘違いしていたらしい。中を開いてみれば男女の交わりの描写ばかりで、彼女がショックを受けて喚いていたのが印象に残っていた。

 

「こんな下品で破廉恥な内容云々……とか言ってませんでしたか?」

「そそそ、そうだっけぇ……?」

 

 顔を真っ赤にして、変な笑いを浮かべるリタ。その目線は定まっておらず、羞恥と動揺でめまいを起こすのではないかと、少し心配になってしまうほどだった。

 俺は肩をすくめると、クローゼットのほうへ体を向けた。私物をしまっていると、後ろからおそるおそるといった声が投げかけられる。

 

「そ、その……カレン……」

「なんですか?」

「……ぁ、いや…………」

 

 とても言いにくそうな口調だった。声からも気まずさが感じ取れる。どうやら俺の心証が不安なようだ。

 荷物を整頓しながら、俺は冗談っぽくリタに言ってみせた。

 

「興味があるなら、今度そういう本を見つけて買ってきましょうか?」

「きょ、興味なんて……べつに……!」

「恥ずかしがることもないと思うのですが」

 

 なんとなしに、そう伝える。年頃の若者にとっては、その手の関心が湧くのも普通なのだと。深刻に悩むこともないのだと。不安を和らげるようなニュアンスで話す。

 

「誰だって、そういうものが気になる時期が来るものですよ」

「…………カレンも?」

「いや、私はさほどではありませんが」

 

 真顔で答えた瞬間、「なにそれぇ」とリタは非難するようなジト目を向ける。もっともらしい不服であるが、普通の青少年ではない俺は例外というやつだろう。「個人差というやつですよ」とあっさり受け流すと、彼女は脱力したようにベッドに腰掛けた。

 

 リタはしばらく俺の姿を眺めていたが、ふと思い出したかのように口を開く。

 

「ねぇねぇ、カレン……」

「はい」

「――恋人さんは、どうなの?」

「はい?」

 

 なんのことだ? と思ったが――どうやら、以前のことをまだ勘違いしているらしい。父と会っているのを、恋人……それも同性の相手と逢っているのだと。訂正もしていなかったので、リタの頭の中では今も妄想が繰り広げられているようだ。

 まあ、それはそれで面白いので、俺は適当に話を合わせて喋る。

 

「どうと言われましても。自分のことではなく、相手のことですから」

「えー? 相手が、その……」

 

 リタは両手の人差し指同士を、胸の前で控えめに突き合わせた。何やらはっきり言うのが恥ずかしいらしい。伝えたいことはなんとなくわかるが。

 

「こう、なんというか……“そういうこと”に興味があったとして」

「はい」

「カレンのほうは……べつにそこまで、って感じなんでしょ?」

「まあ、そうですね」

 

 知識と経験の積み重ねが、本能的欲求を軽減することは否めない。さまざまな感覚や情動を理解すると、理性が培われて欲望を抑えることができるようになる。もっとも――それは性愛を嫌うようになるという意味でもないが。

 

「もしさぁ……。その……相手がカレンを求めてきたら……ど、どうなの?」

 

 その問いは、べつに難しいものではなかった。

 もともと、俺は堅苦しい貞操観念など持っていない。女は純潔を守るべきだとか、同性愛は不純だとか、そんな絶対的な道徳など盲信していなかった。

 

 大事なのは――それがひとに不幸をもたらすか、それとも幸福をもたらすかだろう。

 もしも性行為が幸福に資するのであれば、人生においてプラスになるのであれば、それは歓迎すべきことである。功利主義を基礎とする哲学者たちなら、そう考えるであろう。

 

 ……なんて、真面目ぶって考える必要もないだろう。

 

「その時は――」

 

 愛する人が、肌の触れ合いを望むというのなら。

 ただ素直に、その体を重ね合わせて、愛を深めるだけだろう。

 

「きっと――すべてを受け入れるでしょうね」

 

 ――その時が来るのかは、まだ俺にはわからなかった。

 


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