■一日目
私は、目を覚ました。
周囲は真っ暗だ。何も見えない。
手探りで状況を確認しようとするが、どうにも手が動かなかった。
耳をすましてみるが、何も聞こえてこない。
はて、これはどういう状況だろうか。
記憶を辿ろうとしてみるが、なにも思い出せない。
頭の中に霧が掛かったような感覚。
意識は不明瞭、記憶は不鮮明。
というか、なんだ。
非常に眠い。
とりあえず寝よう。
■二日目?
いくら寝ても眠いのだが、これはどうしたことか。
■三日目ぐらい
どうやら私は、記憶喪失というやつらしい。
■四日目だと思う
喪失したのは、記憶だけではない気がしてきた。
これ、周囲が真っ暗なんじゃなくて、もしかして目が見えていないのでは。
耳も聞こえないし、手足も、首も、口すら動かせない。
なんだこれ。
■五日目なんじゃないかな
お腹が空いてきた気がする。
あるのか知らないけれど。お腹。
■仮に十日目だとしよう
暇だ。
■十五日目と定義する
腹減った。
■私が二十回寝た後の日
体を動かす事はできないが、体内(?)を流れる血液的な何かを操作できることに気づいた。
やっと見つけた暇つぶしなので色々試してみたのだが、めっちゃ疲れる。
というか、やりすぎて気を失ってしまった。
■二十三という数字、私は嫌いじゃない
暇を持て余した私は、ひたすら血液操作をして遊んでいた。
それぐらいしかやる事がないのだ。
悲しくなどない。
■一ヶ月って、なんで月によって日数が異なるんだろう
もはや、我が血液操作術は神の領域に達した。
どうやら私は、天才と呼ばれる類の存在であるらしい。
他の人と比べた事なんて無いが、たぶんきっとそう。
信じる者は救われる。
■日付? 忘れた
今日、なにかに体を触られた気がした。
いや、なんとなくそう思っただけなのだが。
気にしすぎだろうか。どうだろう。
仮に気のせいでないとしたら、同意も無しに私の体に触れたということになる。
とんだセクハラヤローだ。
■日付? そんなことを気にしている場合ではない
これ、気のせいじゃないのでは。
明らかに触られている。
集中してみると、触れられる感覚だけでなく、空気の振動まで感じ取ることが出来た。
これは、音だ。
耳で感じ取っているというより、体全体で感じ取っているかのような感覚。
おそらくだが、音波が私の血液(?)に干渉し、血流の乱れを私が感知しているのではないだろうか。
おお、日々の血液操作が、こんな所で役に立つとは!
人生、何があるかわからないものである。
いや、どっちにしろ聞こえないけど。音。
■火を付けたい。ファイヤー!
目と耳が欲しい。
状況がわからないのが、非常に強いストレスとなっている。
平たく言うと、イライラする。
ムカ着火ファイヤーという奴だ。
目はともかく、耳はどうにかなりそうな気がするのだが。
空気の振動は感じ取れているのだ。あとは、それを音に変換できればいい。
たしか耳の構造は、鼓膜で拾った空気の振動を中耳で増幅し、内耳にある液を揺らし、その振動を電気信号に変換して脳に伝えるという流れだったかと思う。
細かい部分は知らないが、要はこの振動を増幅し、いい感じに変換できればいいのだ。
頑張れ、マイボディ。伝われ、この振動!
強くそう願うと、体がカッと熱くなってきた。
循環していた血液が、周囲の肉と共にうごめくのを感じる。
やがて、ザリザリ、ザリザリと耳障りな音が聞こえてきた。
それはひどくうるさかったが、目覚めて初めて味わう感覚に、私はすがりついた。
自覚はなかったが、外界からの刺激に飢えていたのかもしれない。
……あれ、なんだこれ。
めっちゃ眠い。眠い。ねむ……
◇◇◇
「──だ。そんな──不可能──」
「──卿に頼めば──」
声。
人の声だ。
起きたばかりで酷い頭痛がするし、ノイズも酷い。
だが、私は意識を集中させた。
今頑張らないと、全部無駄になってしまう気がしたから。
数分ほど、そうしていただろうか。
邪魔な音は徐々に消えて、耳が聞こえるようになってきた。
「──が良い。時間を掛けてでも、回収すべきだろう。結局どんな効果があるかはわからなかったが、状況を考えると貴重な遺物である可能性が高いしな。なにせ、この飛行船は深界六層から流されてきたんだ。一級以上だとしても驚かないね」
いえぃ、やったぜ。耳が聞こえるようになった!
すごいぞマイボディ。よくわからんが、いい感じに振動を拾えるようになったらしい。
こんな奇跡を引き起こせるなんて、私はもしかすると、神にも匹敵する偉大な存在なのかもしれない。崇め奉ってくれてよいぞ!
疲れて思考がお馬鹿になってきた気がするが、ようやくイライラが解消できたのだ。
少しぐらい感情的になっても、許されるだろう。
「本当に六層から上がってきたのか? 奇跡もいい所だぞ」
「そう考えざるを得ないだろう。
「六層には火山があるという。上昇気流に押し戻された可能性は、ゼロではない」
「二年も経って、か? しかも戻ってきたのは船と、この白い箱だけ。ゴミすら無いとは……不気味すぎるぜ」
「奈落の探窟家が、何を言うとる。今に始まった事か?」
「違いない」
彼らは熱心に議論しているようで、状況を把握したいこちらとしては都合がいい。
とはいえ、熱意が過剰に表れているのか、みんな早口だ。
次から次へと新しい情報が出てくるため、整理が追いつかない。
ひとまず重要そうな部分だけ抜き出してみる。
飛行船。
深界六層から戻ってきた。
遺物。
白い箱。
クルーは居ない。
彼らは、奈落の探窟家だ。
うむ、わからん!
聴覚情報だけでは不足だ。
が、白い箱というのは、なんとなく私の事な気がする。
どうやら私は、人間ではなかったらしい。
その辺りの事をもっと喋ってほしいが、彼らの話題は次に移ってしまった。
都合よく彼らが私の欲している情報を口にするなど、待っていてもしょうがないだろう。
体の中には、まだ熱い感触が残っている。
この感覚をうまくコントロールしてやれば、目も見えるし喋れるようにもなる。
なぜだか、その確信があった。
さて、次に必要なものは何だ?
彼らに話しかけて、情報を頂くことか?
しかし、彼らが友好的に正しい情報を話してくれるとは限らない。
と、なると。
次に必要なのは、目か。
状況を把握するために、視覚情報が必要だ。
だから、目が欲しい。
目が熱くなる。
先程よりも、熱さが激しい。
体に襲い掛かる疲労感は、耐えがたい程だ。
たっぷり五分ほどは我慢していたであろうか。
熱が引いたのを感じた私は、緊張しつつ、まぶたを開くようなイメージで体を動かしてみる。
すると、ぼんやりと周囲の状況が見えてきた。
どうにも焦点が合わないが、ひとまずはこれで十分だ。
まず目に映ったのは、四人の人間。
やけに体つきがガッチリしている。先程の会話の通り、彼らは「探窟家」と呼ばれるような職業に就いているらしいし、名前の雰囲気からして肉体労働の従事者なのであろう。
彼らは、汚れの目立つ分厚い布の服を着ていた。
──探窟家が好んで着る、作業服だ。
あの服は機能的ではあるが非常に重く、おまけに洗い辛くて臭くなるので私は大嫌いだった……
記憶が乱れた。
私は、あの服の事なんて知らない。
頭痛がする。目を開けていられない。
どうにかして状況を知りたいが、耐えられそうにない。
眠いのも収まらないし、今日は眠ることにしよう。
◇◇◇
ガリガリ、ガリガリと引っ掻かれる感触で目を覚ました。
イライラしつつ目を開けると、でっかいハリネズミみたいな奴が、私の真っ白い直方系ボディを引っ掻き回している。
……何だこいつ。何がしたいの。
もしかして、私を食べようとしているのだろうか。
いや、違う。
凶悪な見た目をしているが、こいつは確か草食性だった。
タマウガチ。
三メートルを超える巨体。
全身から針を生やした獅子のような姿。
針には猛毒。危険度、理不尽。深界四層の覇者。
こいつと遭遇した場合、戦闘の回避を絶対方針とする。
ナワバリに踏み込むと問答無用で襲ってくる狂暴さを持つが、逆に言えば、ナワバリから離れれば襲ってこない。
ナワバリの範囲が分からない場合、四層に広がる巨大植物、ダイラカズラから離れればいい。ダイラカズラ以外の足場……化石や水晶は食糧にならないため、タマウガチがナワバリにすることは無い。
タマウガチを避けたければ、ダイラカズラを避けろ。
それが、探窟家の常識──
記憶が乱れた。
私は、探窟家ではない。
私は、あんなクソに群がるウジ虫のような職業ではない。
ガリガリ、ガリガリと、タマウガチは猛毒の針で私の体を引っ掻き回し続ける。
特に脅威とも感じなかったので、私は周辺に目を移した。
荒れ果てた室内。中央には、操舵輪が設置されている。高度計や気圧計まである所を見るに、ここは飛行船の操舵室か。
船体は、まるで巨大なドラゴンにでも襲われたかのように滅茶苦茶だ。
壁が引き裂かれ、隙間から外の様子を伺えるほど。
外は、青白い光で満たされている。白いモヤのようなものは、水蒸気か。
モヤのせいで遠くまで見渡せないが、どうやらこの船はダイラカズラの端っこに引っかかっているらしい。船首の方が下を向くような形で傾いているが、前方に地面が見えない──ダイラカズラの一般的な大きさを考えると、落ちれば千メートル単位で真っ逆さまなのは間違いない。
これ、けっこう危険な状態なのでは?
そう思うが、身動きがとれない以上はどうしようもない。
ガリガリ、ガリガリ。
タマウガチは、飽きもせず私の体をひっかいている。
一時間経過。
二時間経過。
三時間経過。
……何なのこいつ。暇なの?
私は動けないので何もできないが、こうも執拗に体をいじくり回されると不快だ。安眠妨害である。私の安らかな時間を返せ。
事情はよくわからんが、興味本位にしては妙だ。
やはり、食べようとしているのでは。
動かないので、植物と認識されている可能性がある。
なんだ、私はレアなオヤツかこのヤロー。
……駄目だ、食べ物について考えてしまった。
考えないようにしていたのに、なんてこと。
私は腹が減ったぞ。前に食事したのがいつかすら思い出せないほど、私は飯を食っていないのだ。
や。食事の記憶どころか、過去の事なんて何も思い出せないのだけれど。
食べ物といえば。
タマウガチの肉は、意外と美味しいと聞いたことがある。
危険だし、毒針を除去する必要があるし、あえて食料として狙う旨みはないと探掘家の間で結論を下していた。
が、私は動けないのだ。食料を探しにいけない以上、私が食べられるのなんて、目の前のこいつぐらいの物だ。
やるしかないのでは?
血の流れに意識を向ける。
体の形を、頭に思い描く。
自分がなんなのかは不明だが、なんとなく自分ができることについてはわかってきた気がする。
必要なのは、腕だ。
毒針が刺さらないぐらい硬くて、タマウガチを潰せるぐらい巨大な腕。
作ろうと思えば、きっと作れる。私なら。
重量感。
重い物を持ち上げるような感覚と共に、ゆっくりと形が出来上がっていく。
タマウガチの体に、影が落ちた。私の腕だ。
鋼よりも硬い腕。タマウガチをも上回る大質量。
気づいたタマウガチが、慌てて逃げようとする。
が、遅い。私が腕を振り下ろす方が早い。
ブチュ、と。
なんだか間抜けな音を立てて、タマウガチは地面と同化した。
うは、ミンチより酷ぇや。
毒針を除去するどころか、毒針まで一緒に潰してしまった。
これは食えない。やり過ぎだ。
むう、辛い。
眠いし、腹が減った。
なまじ「食えるかも」と期待してしまったことで、より空腹が際立つ。
というか、何だ。
考えてみれば、私には口も無いし、消化する内臓器官すらないのでは。
つまり、こいつを食う手段などなかったのだ。
先にそちらをなんとかすべきだった。
空腹で頭が働いていなかったらしい。
や、あるかどうか知らないけど。頭。
ううむ。このままだと、本当に飢え死にしてしまいそうだ。
一刻も早く、なんとかしなければならない。
私は心を落ち着かせて、必要なものを列挙しはじめる。
一つでも欠けてはいけない。
移動するための、足が必要だ。
食料を調達するための、腕が必要だ。
それらを、効率的に組み合わせると……
──ああ、そうか。
私は、人の形をとればいいのか。
体中が痛む。
目や耳を作った時の比ではない。
文字通り、身が引き裂かれるほどの苦痛。
無理やり骨格を造り、そこに力づくで肉を被せて、形を作る。
そうして、私は
腕を動かす。
酷く重い。
頭を回す。
めまいがする。
脚を動かし、立ち上がろうとする。
まともに立ち上がる事さえできない。
腹が減った。腹が減った。腹が減った。腹が減った。
ここには、光が届かない。
力場の光を、浴びれない。
ここは駄目だ。移動しないと。
私は四肢を動かし、這うようにして進む。
木製の床。
所々が破損し、ささくれ立っている。体に刺さって少々痛い。
目の前にある障害物──操舵輪を避けて進む。
操舵輪とは、なんだったか──どうでもいい。操舵輪があるという事は、ここは飛行船の──飛行船? よくわからないが、構造は分かるのでどうでもいい。窓際まで進めばいい。
汗が噴き出す程の疲労があったが、私はようやく窓際まで進むことが出来た。
遠くに光が見える。
天地を繋ぐような、星の息吹。星屑の糸とも呼ばれる、奈落の神秘。
アビスの力場だ。
光に当たると、呼吸が楽になった。
動かし方が分からなかった手足も、徐々に動くようになってくる。
頭の中に、色んなものが流れ込んでくるような感覚。
不思議と、不快ではない。むしろ、安心できるような気がする。
空腹感も、ずいぶんとマシになった。
──ああ、眠い。
本当に、眠い。
今日はここまで。
眠るとしよう。
おやすみなさい。