体が上下するのを感じる。
ぼんやりと目を開けると、白と黒の頭が見えた。
どうやら、オーゼンに背負われているらしい。
「おや、目が覚めたかい?」
「……オーゼンか。相変わらず、同じようなセリフばかり吐く奴だ」
「悪いね。雄弁にものを語るのに、価値を感じないタイプなのさ」
「そうか? 面倒がっているだけでは」
周囲を見渡す。
力場が見えたので、ここは奈落の中か。
明るく草木が豊富なことを考えると、深界一層?
なぜ、奈落に潜っているのだろうか。眠る前は、たしか……例によって、眠りこけてしまったのだったか?
「すまんな、オーゼン。突然気を失ったり眠ってしまったりと、まるで物語のヒロインのような事をしてしまった。ヒロインムーブというやつだ。可愛い私だから、許されるだろう? 許せ」
「そうすると、その物語の主人公は私ということになるのかい?」
「えっ、それは……自意識が過剰なんじゃないか、オーゼン」
「話を合わせてやったのに、ハシゴを外されるとは」
腕を回してみる。
動きにくい状態というのを差し引いても、動きが鈍い。
自力で歩くのは、難しそうだ。
「身体は動くかい?」
「あー、いや。無理だな。動けん」
指の感覚を確かめつつ答える。
まるで夢の中にいるかのように、感覚が鈍い。
「まぁ、そうだろうね。奈落の生物は、地上に出ると衰弱していくから」
「衰弱ねぇ……あれ。これってもしかして、私の知識が欠けていくのとは別件? おいおい、知っていたなら教えてくれたまえよオーゼン君。私は、そういった知識が全然ないんだから。あと奈落の生物って、もしかして私ってば人間ではない?」
「人間さァ。私と同じく、極々平凡な人間だよ」
「嘘臭すぎて涙が出てくるな」
オーゼンが平凡な人間だというのなら、私は人間でなくていい。
あと、自分の知識が抜け落ちていく件について話をしたのだが、軽くスルーされてしまった。
私が現状を把握していることぐらい、お見通しというわけか。
もっとこう、気まずい感じとか、口に出しにくい雰囲気を醸し出したほうがいいのではないかオーゼン。
や、オーゼンにそんな雰囲気を出されたら、気持ち悪くて仕方がないかもしれないが。
しかし、私が若干気まずさを感じているのだ。オーゼンの方も感じてくれないと、不公平ではないか?
しばしの沈黙。
オーゼンと二人っきりだ。無言で歩くのなんて珍しくも無いが、気まずい感覚が抜けない。
これは、私の心の在り様の問題だろうけど。色々と話したい事があるのに、口をつぐんでいるから気まずく感じるのだ。
今までの私なら、ズバっと切り込んでいたはず。
うむ、そうだ。ゆけ、ゆくのだ私。
「オーゼンは」
重苦しく、口を開く。
少なくとも、これだけは聞いておかねばなるまい。
たぶん、これが最後になるから。
「どうして私を拾ったんだ? 面倒事は避けるタイプに思えるのだが」
「頼まれたからねぇ」
「頼まれた? 誰に?」
「君の母親にさ」
そういって、オーゼンは懐から一冊の本を取り出した。
なんだか見覚えがあるような気がする。
これは……日誌か。そういえば、たまに読んでいたな、オーゼン。
ふむ。よく覚えていないが、私の母が必死に書きなぐっているのを夢で見た気がする。
なるほど、あれには私のことが書いてあったのか。
「泣き言が沢山書いてあったよ。自分の全てを捧げてでも、子供を生かしたいんだと。まさか、文字通りそれを成し遂げるとは思っていなかったが……奇跡を引き起こしたんだ。少しぐらい手助けしてやってもいいか、と思った」
「そうか。意外と優しいんだな、オーゼンは」
「そうさ。私は優しいんだ」
「ナイスジョーク……おい待て。病人だぞ私は」
「別に、殴ろうだなんてしていないだろうに」
「いや、条件反射的にな? 日頃の行いを反省しろ」
崖を滑り降りる。
子供とはいえ、人ひとりを背負ってのアクロバティックな動き。
オーゼン、お前。私の事を荷物かなにかと思っていないか。
ま、抗議なんてしても無駄だろうから、言わないけど。
というか。
「これって、どこに向かってるんだ?」
「シーカーキャンプだよ。奈落で生活できる場所なんて、あそこぐらいさ」
「なるほど。あそこなら私も、悠々自適に生活できそうだ」
「言っておくが、君はお客さんではなく管理する側の人間だよ。そう申請しておいた。無駄飯喰らいを置いとく余裕なんてないからね」
「まじか。働くのか、私は」
働きたくないでござる。
ぜったいに、働きたくないでござる!
「おい待て。私って、これから記憶が無くなるのでは? 記憶喪失の可哀そうな子供を働かせるというのか、オーゼンは」
「そうだよ。当然だろう? 働かざるもの食うべからず、さ」
即答かよ。血も涙もない。
オーゼンに情というものを期待した私が馬鹿だった。
その後も、私はオーゼンと他愛無い話を続けた。
話していないと、眠ってしまいそうなのだ。
断片的とはいえ、それなりには記憶が残っている。強く印象に残っていることであれば、なおさらだ。
だから、話のネタぐらいはある。
「今日は、ずいぶんと口数が多いね」
「多くもなるさ。これが、オーゼンとの最後の会話になるかもしれないしな」
「記憶を失ったって、君は君だろうに」
「そうか? 気休めで適当なこと言っていないか、オーゼン」
「それで気が休まるのなら、適当だろうが問題なかろ」
「オーゼンは、もう少し言葉を着飾った方がいいと思うぞ」
「面倒だね」
「この野郎が」
「ああ、背負われてるだけで良いなんて、とても楽ちんだ……もっと早くこうしていれば、楽に登れただろうに」
「言ってくれれば、別に背負うぐらいはしたけどねぇ」
「まじか。もっと図々しく要望するべきだったか」
「君を背負って移動したら、半分の時間で地上まで上がれたよ」
「残念……あれ? それって上昇負荷も二倍きついってことでは? 死ぬのでは?」
「そうだろうね」
「この野郎が」
「オーゼン、オーゼン。地上で食べた魚介スープなんだが、最高に旨かったぞ? 名前は忘れたが、熊みたいな人の家付近にある屋台だ。面倒くさがらずに、お前も食べてみるといい」
「気が向いたらね」
「おう。気が向いたら、ついでに私の所まで届けてくれ」
「流石に冷めるだろう」
「なら、オーゼンが作って……いや、やっぱりいい」
「どうした? 遠慮する必要はない。作ってやろうじゃないか」
「お前、ぜったい失敗するだろう」
「間違いないね」
「この野郎が」
「……眠ってしまったか?」
「や、起きてるよ。少し疲れただけだ」
「この程度で疲れるなんて、鍛え方が足りないね。まったく、手間が掛かる」
「すまんな。だが、子供は手が掛かるものだろう?」
「ふてぶてしい答えだ」
「オーゼン」
「なんだい」
「短い間だったが、楽しかったよ。すまないな、世話を焼かせてしまって」
「まったくだ。私にこんな苦労を掛けさせるなんて」
「まぁ、これからもいろいろ迷惑をかけると思うが。どうか私のことを、よろしく頼む」
「面倒は嫌いだよ……だが、まぁ。一人で生きていけるようになるぐらいまでなら、手助けしてやるさ」
「面倒見がいいことで」
「そんなこと言われたのは、初めてだねぇ」
「それは、ほかの連中の目が節穴なだけだろう。こんなお節介焼きなのに」
「オーゼン……」
「なんだい」
「……」
「おや、寝言か」
「……忘れてしまうのだって、悪い事ばかりじゃないさ。こんな世の中だ、良い事より嫌な事ばかり起こる」
「だけど、その記憶が君にとって、本当に必要なものなのだとしたら」
「きっと、どこかに残っている。いずれ思い出すかもしれない」
「だって、人は貪欲だからねぇ。自分が欲しい物には、命を掛けてでも手を伸ばすものだ」
「きっと、また思い出せるさ。だから」
「今は、ゆっくりと眠りな」