何かの気配を感じて、目を覚ました。
視界に映るは、黒い影。歪な形。自分より、かなり大きな体。
そいつは、ズタズタに引き裂かれた船体の隙間から、部屋の中に入り込もうとしていた。
狭い隙間だ。その巨体では入らない……と思ったが、そいつはあっさりと。当然のように壁をむしり取って穴を広げ、侵入してきた。
恐るべき怪力。おそらく強い。
だが、関係ない。
私の意識は、すべて食欲に塗り潰されていた。
動いている以上は生き物であり、生物である以上は食える可能性が高い。
私は腹が減っている。耐えがたい程の空腹だ。
だから、食う。
体を起こす……と、転んでしまった。
体がうまく動かない。まるで錆び付いた鍵穴を回すように、ぎこちない動き。
これでは、獲物をしとめる事なんて出来やしない。
しかし、もう限界なのだ。次の機会を待つ猶予は無い。
腹が減った、腹が減った、腹が減った。
もしこの空腹を満たす事ができるなら、腕の一本や二本は惜しくない。命には代えられない。
だが、どうする?
動かない体。この状態で敵を仕留めなければならない。
死んだふりでもして、不意打ちで仕留めるか? いや、相手は既にこちらを認識している。警戒されている状況で、不意打ちは不可能だ。
私にできることといったら、体を作り変えることぐらい。
いくら作り変えた所で、まともに動けないのであれば意味が無い。
いや。
動けないこともなかった。別に手足を動かす事だけが、動く手段ではない。
考え方を変えよう。私にできること。手足の大きさを変える事ぐらいは造作もない。なら、出来る事があるはずだ。
そうだ、こうすればいい。
手足の一本や二本ぐらい、惜しくないのだ。
だから。
私は、足首から先を一気に肥大化させた。
爆発的な膨張。風船が一気に膨れ上がるイメージ。それがもたらす結果など、語るまでも無い。
そう。
肥大化した私の脚は、勢いよく
急な加速により、体が軋む。
耳鳴りがするのは、急激な気圧の変化によるものか。
首が取れそうだ。足を失った痛みで気が遠くなる。
が、構わない。すぐ終わるから。
相手が身構えた。
近づくと、体格差がはっきりと見て取れる。
二メートル以上もある体。細い四肢に、小さな頭。
形が歪に見えたのは、どうやら頭に乗せた大きな傘のせいらしい。
ゴテゴテした装備を身に纏っているだけで、敵は人型だ。
なら、大して強くは無い。
頭を潰せば終わる。
腕を振り上げた。
もちろん、このまま振り下ろすわけではない。
そんなもの、大してダメージにならないだろう。
だから、腕を大きくする。相手よりも大きく、重く、硬く。
たとえ岩だろうと粉砕できるほどの破壊力を。
激突。
振り下ろした腕から、衝撃が広がる。
強くぶつけすぎたせいで、腕が半分潰れてしまった。血が飛び散り、視界を塞ぐ。
終わりだ。
人間が、これを喰らって生きているはずが無い。
腕と足を一本ずつ犠牲にしてしまったが、問題は無い。
すぐに喰って、腕と足を治して、それでおしまい。
簡単な仕事だった。
血が落ち、視界がひらける。
その向こうに、頭の潰れた人間──は、いなかった。
「腕が痺れた。見た目のわりに、ずいぶんと重いじゃないか」
私の一撃は、そいつの腕に止められていた。
無傷。ありえない。人に止められる一撃ではなかった。きっと、こいつは人間ではない。私は夢でも見ているのか。
「しかし、ひどい動きだねぇ。その足は、まだ動くのかい? そんなナリで、どうやって生き残るつもりなのか」
敵は、笑っていた。
三日月のように吊り上がった口が、ひどく不気味だった。
敵が動く。
ゆっくりと、腕を後ろに。
風の音……いや、呼吸音か。大きく息を吸っている。
理由は言うまでもない。
攻撃が、来る。
全力で体を捻じる。
暴風が、私の体を掠めて通り過ぎた。
直撃してれば、即死。
危険だ。目の前のこいつは、私より強い。
距離を取らないと。
だが、遅かった。
敵が、私の脚を掴んでいる。
既に片方しかない脚だ。犠牲にはしたくないが、やむをえない。離脱するために破裂させるしか──?
「なるほど、こうすると膨張も止まるのか」
圧迫感。次いで、鈍い痛み。
私の脚が、握りつぶされようとしている。
膨張が止まったのは、あまりに強い力で血流を止められたからだ。
私が体を破裂させるためには、血を溜めなければならない。つまりは、時間が掛かる。
この状態では、血を溜めるよりも相手に体を押さえられる方が早い。
「さて。人の形をしているが、君は本当に人間なのかなァ。体を潰したら、別の生き物が出てきたりはしないかい?」
問いかけというよりは、独り言なのだろうか。
私に言葉を伝えようという雰囲気は、微塵も感じられなかった。
体を持ち上げられる。
さっき私がしたような動き。重いものを叩きつける前準備だ。
このまま振り下ろされたなら、私は死ぬだろう。潰れたミンチのようになって。
「試してみよう」
加速感が、私の体を襲う。
抗いがたい力で、私は地面に叩きつけられた。
◇◇◇
目を覚ますと、でっかい影に体をまさぐられていた。
頭がボーっとする。今まで何をしていたのか、まったく思い出せない。
これは、どういう状況だ?
「……なにごと」
「おや、起きたかい?」
私の呟きに応答したあたり、でっかい影は、どうやら人間らしい。
影に見えたのは、全身黒の服装で統一していたためか。
「悪いねぇ、気になったら止まらない
「……悪いと思っているなら、手を止めてほしい」
私の抗議を受けて、ようやく黒い人が手を離し立ち上がった。
大きい。声からして女性のようだが、二メートルはあるのではなかろうか。
傘に隠れてよく見えないが、髪の色は黒。ただし所々が白という、奇天烈な頭をしている。
頭がおかしい事を外見で示しているのだろう。親切なことだ。
なにごとか考えながらブツブツと呟くその姿は、まさしく変人と呼ぶにふさわしい。
いや。人の寝こみを襲う性質を考えると、変態の方が適切か?
万死に値する。
と、ズキリという頭痛と共に、とある言葉が頭の中に浮かび上がってきた。
変態から連想して出て来た言葉であるし、ろくな言葉ではあるまい。おそらくきっと、たぶん。
「……不動卿。動かざるオーゼン?」
「私の名を知っているのかい? その知識は、いったいどこから来たのかなァ」
この人の名前だった。
どうやら、ろくな人間ではないようだ。
そんな人間に寝込みを襲われた私は、実は大ピンチなのではなかろうか。
へるぷみー。
そんなことを心の中で叫んでみるも、助けが来る様子はない。
そもそも、誰が私を助けに来ると言うのだ。
この場所に、他に誰かいるか?
私は、左右を見渡した。
荒れ果てた室内。床も壁も、天上すらもぐちゃぐちゃだ。あちこちに裂け目が出来て、外に出なくても外の風景が一望できるというデンジャラスな構造をしている。荷物の類はほとんどなく、目立つものといったら、謎の存在感を放つ百五十センチメートル四方程度の白い直方体(家具?)、無数の計器が取り付けられた壁、あとは操舵輪のようなもの。
あと、なんか化け物っぽい奴の死体。
「……なんぞこれ」
「タマウガチ。この辺りでは、無敵に近い存在と言われているね」
無敵とな。
見た感じ、圧倒的な力に蹂躙なされたような雰囲気を感じるが。
潰れた体の半分ほどが無くなっている。これって捕食されたのでは? こんな凶悪な見た目の生き物を食べるなんて、そいつはとんでもない化け物に違いない。
ところで、不思議な事に胃もたれが酷い。
げっぷが出そうだ。
食いすぎでは?
加減という物を知れ。
私は、満腹感を通り越して気持ち悪さしかない腹を押さえつつ、目線を正面のオーゼンに戻した。
「無敵に近い存在だというのなら、なぜ死んでいる?」
「君が殺したのさ。びっくりしたよ、急に腕が生えてきてさァ」
私の疑問の声に、オーゼンが謎の回答をよこしてきた。
腕? こいつは何を言っているんだ。
腕が急に生えてくるわけないだろ、幻覚でも見たのか。お薬でもキメておられるのだろうか。
不思議そうに……正確には、頭がハイになった人種を見るような目でオーゼンを見つめていると、彼女は考え込むような仕草でブツブツと呟き始めた。
「覚えていないのか? その後の事も? 衝撃で記憶が飛んだか……あるいは、空腹で馬鹿になっていたか。まぁ、なんでも良いけどねぇ」
覚えていない?
はっはっは、何をおっしゃる。頭脳明晰、才色兼備たる私が物忘れなどありえない。
私は当然、全ての事を記憶している。
そう、私は……
「大変だオーゼン。どうやら私は、記憶喪失らしい。大ピンチだ」
「そうかい。そりゃ大変だ」
「全然大変そうに聞こえない。言葉で事態を伝えると言うのは、かくも難しきものか」
とりあえず、自分の体を確認してみる。
なぜか全裸である。オーゼンが脱がせたのだろうか。なんて奴だ、万死に値する。
体の方は、小さく華奢。まだ、子供だ。おそらく十歳前後。
鏡が無いので顔は見れないが、顔はきっと整っているに違いない。絶対。たぶん。希望的観測として。
視界の端に映る髪色は、随分と薄い。白? それとも青か? 青白い光に包まれているため判別不能だが、白っぽいのは間違いない。肌の色も薄いし、なんだか不健康そうに感じる。
手足の破損が酷いのは……なぜだ? 普通の怪我ではないような気がするのだが。
駄目だ、何も思い出せない。
なんたること。
「まぁいいや」
思い出せないのなら仕方がない。
私は気持ちを切り替えた。
私の言葉を聞いたオーゼンが「いいのか……」と呟いたような気がしたが、ボソボソしていてよく聞こえない。
ツッコミたいのなら、もっと大きな声ですると良いぞ。
記憶の方は、ひとまず置いておこう。
今すぐ対処しなければならない問題が二つあることに気づいてしまった。
謎の変人が目の前にいる事を含めればもっと多いのだが、どうやら彼女は私に危害を加えるつもりは無いようなので、スルーすることに決める。
まず一つ目の問題。
体が痛い。血を垂れ流している。
なんで手足が破裂したみたいになってるの。全然意味わかんない。
あと、床の状態を見るに、這い回ってたりしない? 血の跡がこびりついているのだが。
誰だ、こんな凹凸の激しいデンジャーな床を這いまわった奴は。正気か。馬鹿か。歩け。何のために足があると思っているのだ。
私は体を撫でまわしながら、肉体を操作した。
時間を巻き戻すように、体の適切な位置に適切な部品が来るように。
手足から肉がボコボコ生えてくるのには少々不快感があったが、やむをえまい。
私は、ものの十秒ほどで怪我を修復する。傷痕すら残さない。怪我の痕跡など、床に残った血痕ぐらいのものだ。さすがに、流れ出た血液まではどうにもできなかった。
「よし、完璧」
私の体を見たオーゼンが何事か言おうとしているように見受けられたが、口には出してこない。
でかい体をしていながら、案外シャイなのかもしれない。
「一つ目の問題は根絶された。ゆえに、二つ目の問題を解決せねばならない」
私は、オーゼンを見ながら言葉を続けた。
もう我慢できない。傷を治して気が抜けたのだろうか、急激に重量を増加させる瞼に、たまらず目を閉じてしまう。体がいうことを聞かない。まるで、どろどろの沼の中に落ちてしまったかのよう。
「……眠い。寝る」
それだけ言って、私はぶっ倒れた。
「……なんだいこの子は。結局また寝るのか。寝てばかりいるなァ」
まどろみの中、オーゼンの声が聞こえてくる。
なんだか人を不安にさせる謎の声色を持つオーゼンだが、今の私にとっては子守歌にも等しい。
「
そして、オーゼンは考え込むように声を潜めた。
「どうせ死ぬだろうし、放っておくつもりだったけれど。流血を止められるとしたら、登れなくもない、か?」
おい、オーゼン。聞こえているぞ。
登るの意味はわからんが、死ぬだの流血だの、人が不安になるような事を堂々と言うんじゃない。
大人として、あるべき立ち振る舞いというものを知らんのか。
「あの白い箱の事もあるし……六層からの生還者か。案外、拾いモノかもしれないねぇ」
そこまで聞いて。
私の意識は、闇へと落ちた。