■深界三層 一日目
イカの卵が大量に採れたので、今日のご飯は卵パーティだった。
とても生臭い。
二度と食わない。
■深界三層 二日目
あれは、オーゼンの下処理の仕方が悪いことが発覚した。
万死に値する。
■深界三層 三日目
火を通す前に、黄身(?)の部分だけ取り出しておかねばならぬのだ。
正確に言うと、殻の内側についているヌメりを取ればいい……のだが、白身との区別が付かない。
面倒なので、私は黄身だけを食べる。
それが最高に頭のいい食べ方だ。間違いない。
■深界三層 四日目
腐ってやがる。
(食べるのが)遅すぎたんだ……
たかが三日で腐るとか、軟弱すぎるのでは?
■深界三層 五日目
ネリタンタン、おいしい。
イカの卵とか、もうどうでもいい。
■深界三層 六日目
ネリタンタンは、とても可愛らしい。
しかも穴を掘ってくれるし、食べても美味しいのだ。
完璧超人か。
■深界三層 七日目
でっかい鳥に食われかけた。
あいつら、まじやべー。
怖い。万死に値する。
■深界三層 八日目
鳥に食われかけたと思っていたのだが、どうやらあれは幻覚だったらしい。
ずっと登り続けているからか、夢と現実の区別がつかなくなっている気がする。
■深界三層 九日目
目が覚めると、右腕が無かった。
はて。だれかに食われたのだろうか。
まぁいい。
腕ぐらい、新しく生やせば良いことである。
■深界三層 十日目
目が覚めると、右腕が二本に増えていた。
どういうことなの。
■深界三層 十一日目
オーゼンが三人いる。
■深界三層 十二日目
そのうちの一人は私だ。
■深界三層 十三日目
あとの一人は誰だ?
まぁいい。いつのまにか三人の旅になっていたが、料理がうまいので気にしないでおこう。
なんだか懐かしい味で、とても心が安らぐ。
■深界三層 十四日目
どうやら、右腕の封印が弱まりつつあるようだ。
我が腕に封印されている魔王。それが解放されてしまえば、世界は滅んでしまうことだろう。
くっ、静まれ我が右腕よ!
■深界三層 十五日目
今日は一日、休息に当てる事にした。
上昇負荷を受けていないので、幻覚も消え去る。
私の右腕がとんでもない事になっていたような記憶があるが、どうやら気のせいだったようだぜ。
■深界三層 十六日目
なんで魔王を右腕に封印するのだろうか。
いらないものに封印して、奈落の底にでも捨てた方がいいのでは。
私としては、使い古した便座カバーにでも封印して、アビスの底に放り投げる事を提案する。
■深界三層 十七日目
三層の上昇負荷にも慣れてきた。
もう、幻覚と日常会話すらできるレベルだ。
順調に頭がおかしくなっている。
■深界三層 十八日目
夢と幻覚の区別がつかない。
私の目の前にいるのは、あの金髪キラキラしたやつ。
たしか、ライザだったか?
せっかくなので、オーゼンに対しての愚痴をこぼしてみる。
ライザは、笑いながら聞いてくれた。
オーゼンの意味不明な行動を語るたびに、「わかるわかる!」と私の背中をバンバン叩きながら大爆笑である。
おい。おい。背中が痛いのだが。
しばらくオーゼンをこき下ろし留飲を下げた後、ついでとばかりに相談を持ち掛けてみた。
内容は、私に相応しい名前について。
ライザはしばらく考えた後、結構よさげな名前を提案してくれた。
やはりオーゼンより人としての格が上らしい。
提案してくれた名前は「レグ」だ。
ふむ、なかなかいい名前ではないか?
シンプルな中に、かっこよさが垣間見える。
「うちで飼ってる犬の名前なんだ。なんともお馬鹿で、可愛らしい名前だろう?」
「馬鹿はお前だ」
私は、ライザの背中をどついた。
■深界三層 十八日目 そのに
オーゼンの悪い所ばかり挙げていたからだろうか。
私の愚痴を聞いていたライザが、オーゼンの擁護を始めた。
正気か、ライザ。私のように冷静になると良いぞ。
そう言ってみるも、ライザは目を覚まさなかった
「オーゼンは……うん。まぁ、良い奴だぞ? ただ、
それが致命的なんだよなぁ。
■深界三層 十九日目
いくら登っても、穴の形が変わらない。
力場を中心に、円柱形の穴がずっと続いている。
どう考えても力場のせいでできた穴だと思うのだが、そうするとつまり、力場には堅い岩盤をも削り取る力があるということだろうか。
力場に触れると、どうなるのだろう。
■深界三層 二十日目
オーゼンに聞いてみた。
すると「落ちる」との回答。
なにそれ。どういう意味なの。
説明が下手すぎるのではないか、オーゼン。
■深界三層 二十一日目
休憩中。
力場の周囲を飛び回る鳥をぼーっと眺めていると、面白いものが見えた。
鳥が力場に触れた瞬間、あり得ない加速で下の方に落ちていったのだ。
ええ……どういうことなの。
■深界三層 二十二日目
ベニクチナワを下から見上げていると、顎になんか顔っぽいものがついているのに気づいた。
なにあれ。あいつ、顔が二つあるのか。生物として、どうかしているのでは。
よく見ると、穴が三つ空いているので顔に見えていただけで、実際に顔がついているわけでは無いのかも。
なんなの。なんで顎に穴を空けてるの。ぜんぜん意味わかんない。
◇◇◇
「ベニクチナワは、なぜこんな場所を住み家にしている?」
洞穴に籠っての休憩中。
外を漂っているベニクチナワの巨体を見て、ふと疑問に思った。
顎についている顔とか、どうでもいい。オーゼンの過去ぐらいどうでもいい。
それより奈落の食糧事情を気にする方が、いくらか建設的だ。
私のお腹に直結するしな!
ここは捕食者ばかりで、食料が豊富とは言い難い。
食料の豊富さは、基本的に植物の生育に影響される。
水があるから微生物や苔が繁殖し、土の栄養と太陽の光があるから植物が生い茂り、それらを食べる虫や小動物、草食性の生き物、そしてそれらを捕食する肉食獣が繁殖するのだ。
ここには、水も植物も、大地の養分も少ない。
なにしろ、あたり一面が岩肌の崖だ。
水は溜まらないし、角度のせいで光も当たりにくい。
だから、こんな所に豊富な食料があるはずがない。
そんな場所に、あの巨体である。
おまけに、空を飛ぶのだ。滑空がメインとはいえ、たまにフワリと浮き上がり、三層の上の方まで飛んでいく。
いくら力場から養分を得られるといっても、ベニクチナワが満足できる程の食料をここで得るのは、難しいのではないだろうか。
「こんな食料の少ない場所など捨ててアビスの外に出れば、ベニクチナワは楽に生きられるのでは? あの巨体に勝てる奴なんて、そうは居ないはず。悠々と空を飛び回って、獲物を探せばいい」
そう思ったのだが、オーゼンはあっさりと答えを返してきた。
「あいつはね。アビスの外じゃあ、飛べないのさァ」
「……え?」
どういうことだろう。
ここでは、ああやって滑空しているではないか。
言われてみると、たしかにどうやって飛んでいるのかは謎だが。
三層は上層気流が強いが、それでもあんな皮膜を広げた程度で飛べるはずが無い。
アビスの中でしか使えない手段? そんなものがあるのか?
「どういうカラクリかは知らないけどねぇ、そういう奴は多いよ。奈落に適応した者は、奈落の外では生きられない。良くも悪くも、ここに特化した進化を遂げないと、生き残れやしないからね。だから、ここで生きてきた奴は、外では生きていけない」
「なるほど。たしかにそうでもないと、地上は今頃アビスの生物に支配されている」
目を凝らすと、ベニクチナワが乗っかっている何かがうっすらと見えるような……いや、すまん。気のせいだったわ。
「以前、とある
「ほへぇ」
オーゼンの言葉に、私は間の抜けた返事を返す。
飛ぶどころか、衰弱するのかよ。
あれか。重度の引きこもりを外に連れ出すと、日光で溶けてしまうみたいな感じだろうか。
人は、引きこもりが過ぎるとヴァンパイアにクラスチェンジしてしまうのだ。アビスの生き物だって、引きこもりが高じて変態してしまったのかもしれない。
「さて、休憩は終わりだ。じゃあ、移動するよ」
そう言って、オーゼンは顎をくいっと穴の外に向けた。
穴の外には杭が撃ち込まれており、そこにロープが張られている。
身を乗り出してロープの先を見ると、十メートルほど先……私達が入っているのと同じような穴、その淵に撃ち込まれた杭に繋がっていた。
過去に探窟家が撃ち込んだ杭だ。そこにロープを引っ掻け、隣の穴まで移動するとの事。
つまり。
私はこれから、綱渡りをしなければならない。
地面は数千メートル下。覗き込むのも嫌になる距離だ。
馬鹿か。常軌を逸している。
「本当にやるのか。正気かオーゼン。頭がおかしいんじゃないか」
「正気さァ。君みたいに、幻覚で錯乱したわけじゃない」
「本当か。本当にそうか? 実は第六層あたりから戻ってきた所だったりしないかオーゼン」
「……? どういう意味だい」
「人間性を喪失している……あいたっ」
私に強烈なデコピンを喰らわせたオーゼンは、ロープの固定具合を確かめてニィっと笑った。怖い。
この人でなしめ。万死に値する。
ちなみに、行くのは私一人だ。
もちろんオーゼンに猛然と抗議したが、理路整然とした反論を受けると、たしかに私が一人でいくのが一番いい方法に思えてくる。
オーゼンと一緒に行って落下したとして、オーゼンはともかく私は耐えられない。平たく言うと、死ぬ。
オーゼンが一人で行って落下した場合、必然的に私とオーゼンは離れ離れになる。つまりは死ぬ。
一方、私が一人で行った場合、鳥に襲われてもオーゼンが石を投げて対処できるし、仮に落ちても命綱が切れない限り、オーゼンが引き上げてくれる。
無事に到着したら、杭を補強してオーゼンが確実に渡れる状態にしてやればいい。
なんてことだ。これが最善の選択だというのか。
それもこれも、オーゼンが重いのがいけない。
オーゼンが私に引き上げられる程度の体重しかなければ、こんな事にはならないのだ。
「私はか弱い存在なのに、扱いが酷いのでは」
「大丈夫さ。君は、なりふり構っていられない状況になれば、とても強い」
「本当にそうか? そんな記憶は無いのだが」
「さぁ、いくよ。命を掛けた綱渡りだ、集中しな。きっと腹をすかせた鳥共が、喜び勇んでやってくる」
オーゼンは、歯に衣を着せるという言葉を知らないのだろうか。
ううむ、行くしかないのか。
周囲を飛び回る鳥達が、みんな私を見ている気がする。
あいつら、私ばっかり狙うのだ。弱い者いじめである。
どうせならオーゼンを狙え、オーゼンを。
オーゼンよりプリティな私を狙いたい気持ちはわかるが、私が死んでしまったら、世界の損失ではないか?
「もしかして、私もオーゼンのような姿をすれば、狙われない?」
「うん? どうしてそう思うんだい?」
「なんか不味そう……あいたっ!?」
またもやデコピンだ。
私の頭がトマトだったとしたら、百回は破裂している。
私の頭が頑丈で、本当に良かった。
「むやみやたらに、体を大きくするのはお勧めしないよ。強さを伴わないのなら、ただ的を大きくするだけさ。一部の奴はお前を避けるようになるかもしれないが、今度はより大きな捕食者に狙われるだけだろうねぇ」
「そうか。なるほど」
「分相応。
「わかった。たしかに私には、今の可愛らしい姿が似合っている」
若干、変なテンションになってきた。
怖すぎる。ひぃ。
神に祈りたい気分だ。
おお、神よ。
どこにいるのか知らないが、神よ。
我が声が聞こえる所までやってきて、我が願いを聞き届けたまえ。
私は命綱を体にくくりつけ、移動を開始した。
神様? きっと仕事をほっぽり出して、焼肉でも食べに行ってるんじゃないかな。
私ならそうする。なぜ、他人の願いなど聞き届けてやらねばならんのだ。
私が穴から身を乗り出すと、下から吹き付けてくる強烈な上昇気流に晒された。思わず目を閉じてしまう。
恐る恐る目を開け、下を覗く。もう、四層の光すら見えない。眩暈がするほどの高さ。
当然だ。私達は三層に入ってから、二千メートル以上登っている。穴倉の中をずっと進んでいたので、高いところにいる実感は無かったけれど。
私は頬を叩き、ロープに足を掛けて進み始めた。
こういうのは、最初の一歩が肝心。一歩だけでいい、適当でもいい。思い切って進んでみることが大事なのだ。
や、気負いすぎると、足がすくんでしまいそうというのもあるが。
二歩目を進む。
ロープの伸びる角度は、真横に近い。やや登りか。本当は手で掴んでゆっくり移動したいが、悠長にしていたら凶暴な鳥さんに襲われてしまう。だから岩肌に手を添えてバランスを取り、綱渡りのようにして移動するしかない。
「……あっ、オーゼン、何か来たぞ。危ないから戻る……あっ」
鳥が近づいてきたが、オーゼンは石を投げて撃退した。撃退してしまった!
「ナイスコントロール、オーゼン。これで私は先に進むことが出来るな。地獄に落ちろオーゼン」
「……うん、休憩が不十分だったか? 上昇負荷は出ていないのに錯乱しているようだが」
「錯乱ぐらいする。普通の人間は、こんな高さで綱渡りなんてできないぞ」
「君は、普通の人間じゃなかろうに」
なんか、失礼なことを言われた気がする。
が、まぁいい。次の一歩だ。次の一歩を進む。
体重をかけると、ロープが少したわんだ。
怖い。死ぬ。
「ひっひっふぅー、ひっひっふぅー」
特殊な呼吸法で、精神を落ち着けさせる。
特殊な呼吸をしている時点で精神が錯乱しているような気もするが、もう何が何やらわからない。
次の一歩を踏み出した。
ロープを二本平行に張っているため、姿勢は安定している。
意外と大丈夫そうだ。
たかが十メートル程度なのだ。慎重に、小幅で進んでも四十歩。二分とかからず渡りきれるはず。
それ、いーち、にーい、さーん……
よし、到着だ。
長い道のりだった。
途中で下をチラっと見てしまい、小便を漏らしてしまうところだった。危ない。
しかしもう大丈夫だ。あとは杭を補強し、穴の中に隠れてオーゼンを待つだけ……
あれ、なんかおかしい。
この穴の中、思ったより広いぞ。
というか、岩の影になって気づかなかったけれど、この小さな穴とは別に、大きな入口があいてるような。
穴の中にあるのは──
目が合った。
でっかい目だ。目玉だけで、私の体と同じぐらいの大きさがあるのではないだろうか。
蛇を平べったくしたような姿に、牛や馬ですら一飲みにしてしまえるほど大きな口。
上半分はテカテカ光を放ち、下半分は白い毛に覆われている。
目玉が一つ。顎の下には、タマウガチと同じような三つの穴。
そいつが、大きな穴の中で、ふよふよと漂っていた。
「ベニクチナワだ」
呟く。
あまりの巨体。物理的な圧力。
まるで、徐々に近づいてきているような錯覚を覚える。
……あれ。これ、錯覚じゃないのでは?
私は、ベニクチナワが口を開くのを茫然と見つめていた。
行動が、やけに遅く感じる。ゆっくりと、大きな影が私に覆いかぶさってくる。
しかし、私の体は動かない。ゆっくりとは動かせるが、ベニクチナワの半分の速度も出ない。
そうして、私は──
「あ、食われた」
オーゼンの声が、妙に鮮明に届いた。