この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

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「愛が深いところには、希望が絶え間なく流れ込んでくる」

ウィラ・キャザー(1873-1947)


ある映画の中で主人公の母親が「黒は女を美しく見せる」と言ったらしいが、賢さについては触れていなかったと思う(その1)

 人類発祥の地とされる東アフリカのエチオピア連邦民主共和国には「コーヒーのあるところに平和と繁栄あり」という言い伝えがある。

 

 そもそもコーヒー豆を実らせるコーヒーの木は、被子植物のリンドウ目アカネ科「コーヒーノキ」属に属する植物の俗称である。

 

 まんまやねー

 

 このコーヒーノキ属の植物の実を採取して、その種だけを取り出して焙煎加工等、さまざまに人の手を加えたものが、コーヒー豆として出荷されるわけだが、このコーヒーノキ属は非常に寒さに弱い。そのため赤道を中心とした南北わずかの緯度に属する熱帯地域でしか栽培が出来ない。国民的お巡りさん漫画でも一時期やたらと取り上げられていた「コーヒーベルト」である。

 

 その地域は、大雑把にメキシコ以南から南米の山岳地域、アフリカ大陸の中央部、南インドに東南アジアと、見事に発展途上国と重なる。これらの国々にとっては国内産業育成を通じた雇用創出に繋がると同時に、貴重な外貨獲得手段でもある。

 

 前述の理由で競争相手は限られているし、麻薬などの危険な商品作物に比べると需要も供給も安定しており、かつ安全。麻薬を摂取する人間は限られているが、コーヒー愛好家は世界中に存在している。何より政府を敵に回す必要もない。まさにエチオピアの言い伝えにある通り「コーヒーのあるところに平和と繁栄あり」といったところか。

 

「また一段とガラクタが増えたな親父……何だこれは?」

「ガラクタとはなんだ!ガラクタとは!お、それか?これはこの間のブロカント(古物市)で見つけた掘り出し物でな!なんでも戦前のオランダの東インド会社総督府で使われていたという、水出しコーヒーの機械なのだ。ワシはダッチ・コーヒーには懐疑的だったのだが、これで入れると、ロブスタ種の苦味が緩和されて……」

「これ、裏に1983年と彫られてるんだが」

「……と、とにかく。お客様に満足するコーヒーを入れるためには日々努力と研鑽が必要なのだ!断じて無駄遣いではない!」

「努力は努力でも必要なのは経営努力なんじゃないか?また砂糖をこんなに買い込んで……」

「それは今は関係ないじゃろが!」

 

 ……平和?

 

 

「新しいバイトさんかい?」

「はい、確かについ最近入ったバイトですけど」

 

 「ラビット・ハウス」の勝手口に現れた迷彩服の男性は、どこかで見たような顔の造作をしおり、どこかで聞いたようなバリトンボイスをしていた。はて、初対面なのは間違いないのだが、どこかであった気がするのは何故なのか。既視感の正体がわからずに首をかしげる私に対して、男性は自己紹介を行った。

 

香風(かふう)タカヒロです」

「ああ、マスターの息子さんでしたか」

 

 「ラビット・ハウス」のマスターである香風老人の息子であり、出稼ぎ(?)に出ていたという智乃ちゃんの父親、それが男性の正体であった。初対面であるはずの私が男性に既視感を感じたのも道理というものである。何せ毎日のように、男性の親族と顔を付き合わせているのだ。

 

 勝手知ったる我が家と店内に入ったタカヒロさんに対して、マスターは開口一番「連絡ぐらい入れんか」と怒り出し、学校から帰ってきた智乃ちゃんは「おとうさん!」とその胸に飛び込んだ。それを見ていたマスターの機嫌が再び悪くなったのは、おそらく気のせいではあるまい。

 

 そのタカヒロさんは、白髪交じりの頭に、鼻筋の通った顔立ち。鼻の下とあご全体に薄い髭を生やしており、その目は優しさをたたえながら、同時に意志の強さを感じさせる。身長は男性の平均身長に近いが、その胸板は服の上からでもわかるほど引き締まっている。ボディビルダーのようなわかりやすい筋肉というよりも、無駄な肉がついていないのだろう。低く艶のある声に囁かれれば、男性経験のない女性はころっと参ってしまうかもしれない。

 

 父親である香風老人とは路線が異なるが、イケ面といってもよい。俳優で例えるなら竹野内豊をうまく老化させたというか。和製の竹野内、では日本語としておかしいな。

 

 ラビット・ハウスの竹野内豊。うん、これだな。

 

「ここはコーヒーを提供する喫茶店であって、男の魅力を売り込む筋肉執事喫茶ではないわ!」

 

 事務作業や経理処理、倉庫整理などの負担となっていた業務の多くを、息子であるタカヒロさん(漢字を聞きそびれた)に任せられるようになった香風老人であったが、むしろ以前より不機嫌そうにブツブツと文句を言続けている。それをまったく接客態度に反映させないのは、やはりたいしたものだが。

 

 倉庫整理をしていたタカヒロさんに、その理由を尋ねてみたところ「拗ねてるんだよ」という、思いもかけない回答が返ってきた。

 

「息子さんのタカヒロさんに、お孫さんの智乃ちゃんをとられたからですか?」

「ははは、それもあるだろうけどね」

 

 タカヒロさんは闊達に笑いながら額に流れる汗を、首に掛けたハンドタオルで拭いた。しかし何をしても絵になる人である。こちらはすでに上半身はシャツ一枚で、オーブンに突っ込まれた子豚の丸焼きのような汗と、締りのない腹をさらしているというのに、タカヒロさんは青春漫画の世界から飛び出してきたイケ面主人公のような非現実的な爽やかさを無駄に振りまいている。

 

 何故だ、どこで差がついた。

 

「身内の贔屓目じゃないが、うちの親父はバリスタとしても料理人としても優秀だからね」

 

 確かに優秀でなければ、タカヒロさんが留守の間、1人で店を切り盛りする事は出来なかっただろう。むしろ私がいない時はどうしていたのか、想像すらつかない。被雇用者でありながら雇用者をあれこれ評価するのは僭越であるが、たいしたものだと思う。

 

 私がそう口にすると、タカヒロさんは再び流れる自分の汗を拭いながら続けた。

 

「職人としての能力の高さは、プライドと比例するものだからね。悪く言えば器用貧乏ということになる」

「ああ、なるほど。完璧主義者というわけですか」

 

 タカヒロさんの父親評に、私は月末や締日に電卓を叩きながらパソコンとにらめっこをしていた香風老人の後ろ姿を思い出して得心する。

 

「プライドが高いだけなら、煽てて祭り上げてしまえば、人に任せるということも出来たんだろうけどね。だけど親父は、それ以上に責任感が強いんだ。自分の腕に自信があるし、実際に仕事は出来るんだよ。事務処理でも経理作業でも料理人としても、それを人並みに以上にやってしまえるんだな」

「二兎を追うものは、一兎も得ずといいますけどね」

「親父は二兎を捕まえたら三兎を探したくなる完璧主義者だからね。人に任せるぐらいなら、自分でやってしまいたい性質というのは、悪く言えば人を使うのが下手ということさ。山本五十六の『やらせてみせ』が出来ないんだな。それは完璧主義者の親父自身が、一番不満だったと思うよ」

 

 タカヒロさんは「困った親父だよ」と言いながら肩をすくめたが、その態度には父親に対する敬意が溢れていた。そうでなければ、母親を亡くして多感な時期の娘を預けて、長期間の出稼ぎ?には行けなかっただろう。そのあたりの事情は、私としても深く聞くつもりもないが。

 

 黙々と作業を続けていると、私に気をつかってかタカヒロさんが話題を振ってきた。

 

「……親父の相手は大変だっただろう?」

「ええ、それはもう大変でした」

 

 直球で答え返した私に、タカヒロさんも作業をする手を止めて「困ったものだ」と苦笑する。

 

「ははは、そうかい。でも私はあの親父が、よく人を雇って長続きしていると感心しているんだ。親父は自分にとことん厳しい人なんだが、他人の仕事にも自分と同じぐらいの責任感と姿勢を求めるからね」

 

 香風老人は事細かに指導するため、バイトが長続きしないのだという。聞けば1月以上バイトが続いたのは、私が初めてかもしれないとのことだ。その理由を私自身考えてみると、私はそもそもが無神経であるし、香風老人の仕事の段取りの説明と業務命令以外の説教や小言は基本的に聞き流しているので、その点では適任かもしれない。

 

 私がそう正直に答えると、タカヒロさんはまたもや白い歯を見せて笑った。

 

 その笑い方は香風老人と瓜二つであったと付け加えておく。

 

 

 全国高等学校硬式野球大会の地方予選も順調に日程をこなし、続々と代表が決まり始めた8月の初頭。私は砂糖の乗った台車を必死に押しながら、甘兎庵へと向かっていた。タカヒロさんの帰還により、一時中断していた上白糖と中双糖を配達するためだ。

 

 塩かけ婆-もとい甘兎庵の女主人である宇治松(うじまつ)夫人からは「このくそ忙しいときにジジイのところからお願いしてきた話なのに、爺の都合で一時中断とはどういうことだ!」という抗議の電話に、私としては電話の受話器をジジイ-もとい香風老人に渡すだけである。2人の間でどのようなやり取りがかわされたかは知らないが、私がこうして汗を流しながら炎天下の中を運んでいる以上、問題はなかったのだろう(と思いたい)。

 

「ちのーちゃんのためならー、地の果てまでー、爺さんのためなら、しったことかーっと!」

 

 替え歌を歌いながら台車を押す私に、観光客が奇異な視線を向ける。しかし私としてはそうでもしないと、こんな炎天下の中で仕事をする気になれないのだ。

 

 砂糖の袋に汗が落ちないようにカバーで覆いをかけ、それが崩れないように慎重に、かつ力をこめて台車を押し続ける。歩いていけば10分ほどの距離だというのに、この町は文字通りの「木組みと石畳の街」なので、台車を押して進むには向いていないのだ。

 

 さて木陰で3度目の休憩をしようかという私の視界に、ラビット・ハウスで見慣れた制服が飛び込んできた。

 

「先輩ー、どこですかー!早く出てきてくださーい!」

 

 私の記憶が正しければ、女神と同じお嬢様学校として有名な女子高等の制服であるはずである。しかしこんな炎天下の中、傘もささずにあんな大声で……って、足元がふらついてないか?

 

 おいおい、それ以上叫ぶな!とりあえず日陰に入れって……ええぃ、もう。世話の焼ける!

 

 私は急いで台車を道路の端に寄せてストッパーを止めると、その女学生に駆け寄って声をかけた。

 

「ちょっと君」

「はい、何ですか?ナンパですか?すいません、私、汗っかきの人は生理的に無理なんで」

 

 振り返った途端、そこにいた見覚えのない顔(つまり私だ)に怪訝な表情を浮かべていた女学生は、私の想像した通りの青白い顔のまま、いきなりのマシンガントークを繰り出した。それも初対面の相手に対して、ひどく威勢がいい内容である。

 

 これだけ言葉を捲し立てるだけの元気があることには安心したが、何でいきなりフラれなきゃいけないのだろうか。この自意識過剰のぺちゃぱいめ。こちらは仕事の手を止めてまで、わざわざ声を掛けてやったというのに。

 

 私はこの無礼な女学生を、正面から睨んでやった。

 

 黒のショートカットに化粧っ気のない顔。綺麗というよりも可愛いといった感じのタイプであり、制服はこの暑さの中でも着崩すことなく校則通りに着ている。青山女史もそうだが、彼女もどうにも今時の女子高生らしくない。浮世離れしていると評判のあの学校の生徒としては、きわめて標準なタイプなのかもしれないが。

 

「誰が仕事中にナンパするか」

「え?じゃあ仕事をサボってナンパですか?すいません、わたし不真面目な人はちょっと無理なんでごめんなさい」

 

 こいつぶん殴ってやろうかと思いつつ、私は相手が熱中症寸前の症状による暴言だと考えて、それをぐっとこらえた。

 

「夏場に汗を掻くのは当たり前だろうが。それよりも君だ。この炎天下の下を傘もささず帽子も被らずに出歩くなんて、無謀にもほどがある。見ている限りでは足元もふらついているし、熱中症の一歩手前だぞ。とにかくこれを上げるから飲みなさい。そして日陰で休むべきだ」

「え?私、貴方が口をつけたのはちょっと無理……」

「新品だよ!」

 

 いちいち失礼な貧乳だな!乳が貧しいと心まで貧しくなるのか!!

 

 この御時勢に口に出せばセクハラ認定は間違いないので、私は心の中だけに留めながらも、ともかく私は半ば強引に彼女を日陰に連れ込むと、ベンチに座らせた。女学生は口では文句を言いながらも、素直に従う。抵抗するだけの気力がないのか、やはり相当疲労がたまっていたらしい。私は彼女に、自分で飲むつもりで買ったばかりの、よく冷えたスポーツドリンクを渡した。

 

 彼女は小さな声で「ありがとうございます」とお礼を言うと、500mlもあるそれを一挙に飲み干した。やはり清涼飲料とは看板に偽りのないもので、生気と血の気のなかった女学生の顔に、たちまち色が戻り始める。そしてしばらく休憩してから、再び礼を口にした。

 

「……すいません。助かりました」

 

 彼女はバツが悪いのか、どこか気まずそうな表情でこちらを見ている。どこぞのラブコメなら、ここから名前なり連絡先を聞き出して出会いの端緒とするのだろうが、残念ながら私の甲斐性のなさは、あの「ラビット・ハウス」のマスターのお墨付きというヘタレである。精々が理解のある年長者として振舞い、彼女の行動を注意するぐらいのことしか出来ない。

 

「いや、いいんだ。目の前で倒れられたら寝覚めが悪いから。しかしこの炎天下に表を走るのは危ないよ」

「はいお手数をお掛けしました」

 

 それに私は、貧しい乳には興味はない。礼儀正しく頭を下げても、まるで微動だにしないそれに同情しつつ、私は彼女に尋ねた。

 

「ところで誰かを探していたみたいだけど」

「はい、そうなんです。お恥ずかしい話なのですが、締め切り前なのに逃げ出した学校の文芸部の青山先輩を探していまして……」

 

 ……あれれー、その名前どこかで聞いたことあるぞー?

 

 私の記憶が確かなら、同じ学校の制服を着た同じ苗字の女神が、私がラビットハウスを出る直前に来店して、アイスコーヒーを楽しんでいた記憶があるのだが。世間は広いようで狭いというが、これはいくらなんでも出来すぎではないか?

 

 コーヒーにミルクをいれてかき混ぜたように、疑念と興味が複雑に入り混じった私は、真偽を確かめるため、目の前の彼女に再び質問をした。

 

「……念のために聞くんだけど。その人は君の学校の2年で、青山翠っていう名前なんじゃない?」

「え?なんで翠先輩の名前を貴方が知っているんですか……っは!まさか」

 

 おい貧乳。お前、今いったいどんな想像をした?そして何故、自分の胸をかばうような格好をした?かばうほどの厚みもねえだろお前!

 

 私の暴言に対して、眉をひそめる紳士淑女の諸君も多いと思う。

 

 だが少し待って頂きたい。

 

「え?ちょっと何です?貴方、青山先輩のストーカーなんですか、いや、助けていただいたのは感謝していますけども、ちょっとそれは本当に無理です、生理的にも物理的にも社会的にも無理です。無理無理、無理です。何なんですか貴方。青山先輩と貴方が釣り合うと本気で思っているんですか。頭沸いてるんじゃないですか。今すぐ鏡見てきてください。そしてその罪深さと己の存在に対して後悔し、二度とそんな寝言を言わないように神様に懺悔してください。お願いします」

 

 これには温厚篤実な変態紳士と名高い私も、堪忍袋の緒が切れた。

 

「この貧しい乳め、何を勘違いしている。胸が貧しいと心まで貧しくなるんだな。いや、その逆か。このぺちゃぱいめ。そもそもお前は隠すようなものはないだろう。胸元に手を当てるんじゃない。服の上からでもないのはわかるからな。無駄な抵抗はやめて、その手を大人しく下ろせ」

「なっ、何なんですか貴方!失礼な人ですね!?」

「いきなり人をストーカー扱いする貧乳よりましだ!!」

 

 あとはもう子供の喧嘩である。炎天下の日陰の下、私も相手も、この生意気な男(あるいは女)をどうにか言い負かせてやろうと自分達の知識を存分に使い、より高度な論法でいかに相手を罵倒するかを競い合った。

 

 そして開始から2分も過ぎて互いに蓄えた語彙が尽きると、アホだのバカだのおたんこなすだの、小学生の口喧嘩レベルに成り下がった。

 

「信じられません、こんな下品な男がいるなんて!」

「おうそうか!俺もお前がスカートをはいてないと、とてもではないが女だとは気がつかなかったな!」

「むっきー!!このチンパンジーめ!」

「やるか、このまな板女ぁ!」

 

「納品作業をほったらかして、人の店先で何をしてるんだい!!!」

 

 妖怪・塩かけ婆の盛り塩を掴んだ攻撃が、私と彼女-真手(まて)(りん)の顔を直撃した。




千夜「すごいすごい!あのちわげんかをいちげきでしずめたわ!やっぱりおばあちゃんはオニババアなのよ!」
紗路「あれって、ちわげんかなのかなー、わたしはなにかちがうとおもうんだけど……」

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