老若男女を問わず、圧倒的な知名度と人気を、一過性のブームに終わらず維持し続けることを「国民的」という。この形容動詞に続くものは、団体でも個人でも作品でもかまわない。つまりアイドルでも俳優でも歌手でも、漫画でも小説でも楽曲でも、映画でもアニメでも舞台でもかまわない。そして「総理2年、歌手1年の使い捨て」という戯れ言にも語られるように、熱しやすく冷めやすい人心の
平成への改元とほぼ時を同じくして、国民的歌手の美空ひばりと、国民的俳優の石原裕次郎が死去したことは、一時代の終わりを象徴する
そして「国民的」というキャッチコピーが清新さを失いつつあることは、平成の美空ひばりと平成の石原裕次郎が、ついに現れなかったことに象徴されている。一億総アイドル時代の到来と言われた80年代後半を経て、平成を代表する国民的男性アイドルグループが平成の終わりに解散した後、人気や実力において十二分に匹敵するグループや個人は存在していたにも関わらず、彼ら(あるいは彼女たち)に、メディアは「国民的」という形容動詞をつけることを躊躇した。
青山ブルーマウンテンこと青山翠が「国民的作家」に相応しいのか否かは、彼女の作風も含めて評価の別れるところだろう。それでも、幅広い世代の知名度と人気を集め続けているという意味においては、この一風変わったペンネームの女流作家は条件を満たしていると言える。私小説から純文学にファンタジーとなんでもござれの作家にしてエッセイスト、ドラマや映画、作詞や舞台の脚本も手がけ、出版不況といわれて久しいご時勢に、新作小説を出せば重版確定という人気作家だ。
バラエティ番組や教育番組の司会もこなすマルチタレントとしての顔も併せ持ち、視聴率の女王ならぬ「視聴率の姫」との異名も。どこか幼さを残した容姿にも関わらず、確かに大人であることを証明する抜群のスタイル。芸能事務所から幾度となくモデルや女優業の打診をされたが、「恥ずかしい」を理由に、その申し入れを断っているそうだ。
出る杭は打たれる時世にあり、これだけ多方面で活躍しながら、同時にこれだけ多くの人間に好かれるというのも珍しい。ある雑誌特集が批判記事を書き始めたところ、何故か取材を経た編集会議では「青山ブルーマウンテンの魅力に迫る」になるという、わけのわからなさだ。タレント活動によって本業がおろそかになることもなく、月刊から週刊、小説にコラムにエッセイに台本と活躍を続けている。彼女の個人的な秘書を兼務している敏腕女性編集者の存在があるにしても、これは驚くべきことだ。
さて、うだつの上がらぬ社会人となって久しい私には、一つの自慢がある。
累計発行部数は200万部を突破し、今現在も重版を繰り返して記録更新中。
幾多の文学賞を総なめにして、ドラマに舞台、そして映画と大成功をおさめた化物コンテンツ。
青山ワールドと呼ばれる一連の作品の世界観の基盤となり、青山ブルーマウンテンの名前を世間に知らしめることになった伝説の始まり。
『うさぎになったバリスタ』の初期構想会議に、私は立ち会ったのだ。
*
バリスタとは何か。
英米法の法体系の国において、法廷での弁論や証拠取調べの職務を行う法廷弁護士のことをバリスタと呼ぶ。ドラマでよくある「異議あり!」を専門にしている弁護士と考えればわかりやすいか。うさぎになった法廷弁護士。なるほど、うさぎのように情報収集を行うのという暗喩にもなっている。耳の長いうさぎになれという比喩表現があったように、情報戦で検察側の立証を崩す。うん。悪くないのではないか。
「違いますよ?」
電子部品にはバリスタとよばれるものがある。これは一つの部品に2つの電極を持ち、一定以上に電圧が高くなると急激に電気抵抗が低くなる特性を生かして、電力機器を急激な異常高電圧である落雷から守る避雷器や、携帯電子機器を静電気から保護する、あるいは-
「違いますねー」
古代ローマから中世初期にかけて欧州で使用された据え置き式の大型弩砲、つまり弓である。これは「てこ」の原理によって人力ながら弦を極限まで絞り、矢だけではなく石や火炎瓶、大型の槍などを撃ちだした。白兵戦や攻城戦、軍船に載せて海戦に使用することもあり-
「……先輩、わかってやってるでしょう」
「てへ!」
「1インチも可愛くないです」
困ったように目じりを下げる青山女史に代わり、敬愛する青山先輩と反比例するかのように目じりがつりあがった
それにしても、実に奇妙な組み合わせである。風采の上がらない男子大学生と、受験が近づく高校2年生(女神)、その後輩の高校1年生。私としては両手に花と言えなくもないが、かたや型にはまらない自由奔放な女神。かたや暴言マシーンである。綺麗な花にはなんとやらだ。それを真手君に伝えようものなら「より好み出来る立場ですか。相手にするつもりはありませんけど」等と憎まれ口を叩くであろうから、口には出さないが。
そ真手君と私が「甘兎庵」の女主人に説教を受けている間、青山女史は焼き餅が2つ入った善哉を完食していた。「ご馳走様でした」と行儀よく手を合わせた姿は、いかにも育ちの良さと人柄の善良さを伺わせるものであり、私は大いに癒された。
「尊いです……」
このわけのわからぬ台詞を呟いたのは、サッカリンでもぶちまけられたような恍惚とした表情を浮かべた真手君である。「青山女神論」を公言してはばからない私が言うのものなんだが、この真手君も相当なものである。好いた惚れたの百合ではなく、作家としての青山翠に惚れ込んでいるだけだとは思うが。
店への謝罪の意味も含めて日本茶の追加注文をした私達は、席替えを行った。4人席で青山女史の正面に真手君、その斜め前、つまり真手君の左隣に私が座る格好である。これは断じて私が青山女史から嫌われたからではなく、彼女の希望で相談しやすいように席を移動しただけである。
さてバリスタだ。
スペインやイタリアなど南欧州でバール(英語圏のバー)は軽食喫茶店、あるいは酒場のことを指す。カクテルなど酒類関係を扱うのがバーマン(米国ではバーテンダー)、非アルコール飲料、主にコーヒー関連を中心に取り扱うのがバリスタと呼ばれる。前者のバーマンと対比して、バールマン(バール全体のプロ)と呼称されることもある。
「ラビット・ハウス」は、言うまでもなく軽食喫茶店、つまりバールである。そしてオーナー店主兼料理人の
これらの前提条件に青山女史の述べたタイトルを付き合わせて考えてみると、何が推察されるか?
「つまり香風の爺さんを、君の小説のモデルにすると」
「マスターを呼び捨てにしてもいいんですか?」
「いいんだよ、バイト中じゃないんだから」
そもそもそこじゃないだろう、そこじゃ。首をこてんと傾けるんじゃない。可愛いじゃないか……もとい。
「本人に許可はとったのか?」
「はい。マスターに直接お会いして、許可を頂きました」
何やってんだあの爺。
私の脳裏に散々もったいぶった挙句「仕方がないな」とか言いながら、まんざらでもなさそうな香風老人の顔が思い浮かんだ。
なんだか無性に腹が立った。
「ジャンルとしては……ノン・フィクションか」
フィクションはラテン語の「作られたもの」を語源とする。作り話や想像、事実ではない事などネガティブな意味合いが並ぶが、文学用語としてのフィクションは「架空の出来事を想像して書いた作品。詩や劇を除いた小説全般」という意味で使われるのだそうだ。
なお、ソースは横で得意げに解説してくれている真手君である。
これに否定のノン(non)がついたのが、ノン・フィクション。つまり作り話は駄目、想像もダメ、事実でないことは論外。史実や記録に基づいた作品全般を指すことになる。小説、映像作品、インタビュー、ドキュメンタリー等々。とはいえ想像がダメだとはいっても、どうしても作品には表現者の問題意識や主観が入るものである。このあたりの表現の問題は難しいのだそうだ。
なおソースは「えっへん」と得意気な真手。
「考えてみれば妙な話だよな。まずは想像上の創作ありきで、その非定を史実や記録を題材にした作品を指す単語にしてしまうのだから」
「普通は逆ですよね。いまさら定着した概念に文句をつけるのも非生産的だと思いますが、その概念を無批判に受け入れてしまったのも問題があったのかもしれません」
「語源はラテン語だったっけ?唯一絶対のキリスト教的な価値観が定着していく歴史の中での抵抗だと考えると面白いけど、実際にはどうなんだろうな」
「すいません。辞典の限界が私の限界なんです」
「あの、違うんです」
私と真手君が柄にもない知的な会話をしていると、この奇妙な会合の呼びかけ人である青山女史が、申し訳なさそうに口を挟んだ。
「すみません。作品の主人公のモデルとさせていただくだけで、実際にはフィクションにするつもりです」
さいですか。
さて、そうなると私としては青山女史の言わんとすることが理解できず、困ってしまう。そもそも私は彼女の作品を読んだことがなく、どのような作風や文体なのかも知らないのだ。相談相手としてはいささか不適格ではないかと考えていると、私の右隣の真手君がここぞとばかりに身を乗り出した。
「うさぎになったバリスタ。隠喩や暗喩ではなく、文字通りの意味なんですか?」
「そうなの。さすが凛ちゃん」
青山女史の言葉に、照れたように下を向く真手君。
なるほど、わからん。
私が阿呆面を晒しているのを見かねてか、真手君の解釈に青山女史が説明を付け加える。
「本格的な空想的な科学小説、つまりサイエンス・フィクションではなくて。強いて言うのなら少し不思議な・フィクションでSFといったところでしょうか」
「時をかける少女みたいなのですか?」
昭和42年(1967)初版の、今や古典といってもよいタイムトラベル学園青春群像小説の名前を上げる私に「あの作品ほど強いわけじゃないですね」と青山女史。そういえば作者の筒井康隆先生が、とある番組で「この娘はよー、金を稼いでくれる孝行娘」と語っていたことがあったなぁと、私はどうでもいいことを思い出していた。
「タイムトラベルのような強い、物語の革新的な部分でSFを、つまりサイエンスのほうのSF要素を使いたいわけではないんですけどね」
「どこで線引きするかという問題ですよね。よくある表現というと語弊がありますけど、漫画や小説の中のイベントとして一時的な神隠しや、肝試しでの謎の参加者というものがあったとします。するとその作品全体が自動的にファンタジーに分類されるのかと言われると、それは違うでしょうし」
慎重に言葉を選びながら発言する青山女史を補足するように、真手君が続ける。しかしまあ、私に対する悪口と同じで、この場に必要と思われる知識がポンポンと出てくる娘である。なるほど、青山女史はこれを期待して真手君を呼び出したわけか。
しかしそうすると、ますます青山女史の意図がわからない。私がここに招かれた理由、私に期待されている役割とは一体なんなのだ?
「私としては、そうですね。あくまで現実的な世界観の中に、少しだけファンタジー要素を入れたものを書いてみたいんです」
「夏目友人帳のにゃんこ先生だけが、現実世界に存在しているみたいなものかな?」
「うーん……にゃんこ先生は、夏目友人帳の世界観と切り離せない存在だと私は考えていますので」
青山女史が申し訳なさそうに首を傾け、その横で真手君が「余計なこと言わないでください」と言わんばかりに私を叱責する視線飛ばす。真手君に指摘されるのは癪だが、これは私が悪かった。無理やり会話に加わろうとして、知っている漫画の知識で無理やり解釈しようとしたからだ。夏目友人帳にも青山女史にも失礼だった。
こういう具合に私はサブカル趣味は一通り嗜んではいたが、完全に振り切れるほどハマっているわけでもない。かといって文学的な素養があるわけでもないから、話についていくのがやっとである。そんな私の質問にも、あだおろそかな対応をせず、真摯に回答してくれる青山女史はやはり女神であるといえる。真手君も見習え。さすれば人間としてひと回りもふた回りも大きくなれるぞ。どことは言わないが。
どうせ文学的な知識や教養を期待されているわけでもない。開き直った私は脱線し続ける会話を本題に戻すことを促した。
「その『うさぎになったバリスタ』のあらすじは?」
「主人公のバリスタのお爺さんが、うさぎになってしまうんです」
「なるほど」
全くもってわからん。
*
創作の契機になったというマスターとの会話について、青山女史から説明を受けた私は、後頭部で両手を組み合わせ、「甘兎庵」の見慣れぬ天井を仰いだ。
「……兎になりたいって、あの爺はい年して何を言ってるんだよ」
青山女史から話を聞くまで、私はてっきり魔女の呪いか何かで耳長にされたバリスタの老人が、元の体に戻るために悪戦苦闘する話なのかと考えていた。ところが実際にはバリスタの老人が望んで耳長に変身する話なのだとか。これではアベコベではないか。
「マスターの発言がヒントになったんです」
話だけを聞いていると何ともメルヘンであり微笑ましい?のだが、現実は非常である。いくら常連とはいえ、約半世紀近く年が離れている女学生に対して、息子も孫もいる老人が「うさぎになりてぇ」などと愚痴をこぼす姿など、想像したくもない。見れば真手君も軽く、いやかなり引いていた。
私達の何とも言えない表情を見て察したのか、青山女史は慌てて香風老人の名誉を守るように付け加える。
「いえいえ、マスターは私におっしゃったのではなく、たまたま私がマスターの独り言を聞いてしまったのです。そして理由をお尋ねしたら、なんでも借金が苦しいので、ついそう言ってしまったと」
「余計に悪いわ」
どうせまた、神出鬼没な青山女史に気がつかずに独り言を零してしまったとか、そんなことなのだろう。事務仕事や会計処理、あるいは支払期日や銀行への返済日毎にてんやわんやしている裏方の苦労を見てきただけに強く批判しないが、いくらなんでもそれはどうなのか。
そしてここからが青山翠-後に青山ブルーマウンテンとして世に名を知られる彼女の真骨頂である。私が同じ場面に居合わせたとしても「爺働け」で終わるところだが、青山女史の導き出したものは、凡人のそれとはかけ離れていた。
「ですからマスターがうさぎになってしまったという小説なら、面白いものが書けるのではないかなぁと思いまして」
……今の話のどこに、そんな要素があったというのだ?私にはファンタジーの世界観そのものである、この「木組みの家と石畳の街」の中にあって、世知辛い現実社会を生きる苦悩と苦闘を凝縮したような話にしか聞こえなかったのだが。
真手君と私は、期せずして顔を見合わせた。青山翠の世界観に惚れ込み、ファン第1号を公言する真手君をもってしても、青山女史の発想には完全には追いついていけてないらしい。私は少しだけ彼女に凡人としての共感を感じて、安堵した。
「具体的な内容についてはこれから検討するんですが、そこで店員さんです」
「……あ、俺のことか」
「はい。ぜひ店員さんにしか頼めないことがありまして」
青山女史は私の手を取らんばかりに身を乗り出して、私を誘った本題をようやく切り出した。
「私のスパイになって欲しいんです」
何を言っているのだろうか、この人は。
千夜「しゃろちゃん!あれが三角かんけーよ!につまった小豆みたいにどろどろね!」
紗路「よくわかんないよー」