英国の作家イアン・フレミング(1908-1964)は、政治家の息子としてロンドンに生まれた。陸軍士官学校を卒業後、都市銀行や貿易業経てロイター通信に勤務。革命政権の支配するモスクワ支局長となった。妻は連合王国の貴族出身……とまあ、お察しな経歴である。さすがはサー・フランシス・ウォルシンガムを生んだ、スパイと諜報の国というべきか。
第2次大戦(1939-45)が勃発すると、フレミングは
大戦後、退役したフレミングは、中南米のジャマイカに購入した自分の別荘に「ゴールデンアイ」と名づけ、スパイ小説の執筆を開始。女王陛下の
有名なスパイという矛盾した形容詞の是非は別にして、私がスパイと聞いて真っ先に思い出したのは、この英国人作家が生み出した紅茶嫌いの007である。まぁ、それ以外の名前を挙げろと言われても、少なくとも私には思いつかない。現役のスパイが主人公なのは、むしろ珍しい部類に入るのではないだろうか。私の読書歴、あるいは映画遍歴は偏っているので、断言は出来ないが。
たとえばランボーは帰還兵だし、ケイシー・ライバックはコックで、ジャック・ライアンはスパイというよりも工作員の印象が強い。インディアナ・ジョーンズは、大戦中に母国の諜報機関に協力したが、彼の本業は考古学者である。ジム・フェルプスは実在しない工作機関の諜報工作員だが、頭に「元」がつく。ジョン・マックレーンに至っては、NY市警の刑事だ。ジャック・バウアーは治安警察なのか公安警察なのか線引きが難しいが、あくまで捜査官でありスパイではないという具合である。
ところで007シリーズは、戦間期や世界大戦直後にイギリスやアメリカで数多く出版された執筆されたスパイ小説とは、大きく作風が異なっている。イアン・フレミングは、リアリズム路線のスパイ小説に躊躇なく見切りをつけ、40年代以降にアメリカで流行したハード・ボイルド路線を、作品の中に大胆に取り入れた(ソースは
ハードボイルドとは、いわゆる大都会のうらぶれた事務所を拠点とする私立探偵であり、愛車と酒、あるいは女にこだわり、「強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がない」と嘯き、喧嘩に強い。西村京太郎が生み出し、水谷豊が演じた左文字進のような、コテコテの探偵のイメージを想像していただければ、わかりやすいだろう。それでもスパイ小説としての一線を踏み外さなかったのは、フレミングの大戦中の経験があったからか。
ジェームス・ボンドは、スコットランド人の父親とスイス人の母親の間に生まれた。前述したように、女王陛下のスパイでありながら大のコーヒー党であり、紅茶が大の嫌いという設定である。「大英帝国衰退の原因は、毎日あんなものを、定刻同じ時間に飲んでいたからだ」と言い放ち、直属の上司であるMを呆れさせている。もっともそれは、体面ばかりを重んじて貴重な時間を浪費している祖国に対する愛国者ボンド(あるいは作者であるフレミングの)皮肉であったようだが。
ボンドが愛飲するコーヒーは、ブルーマウンテン。フレミングが居を構えたジャマイカが、世界に誇る高級豆である。ボンドのブルーマウンテンに対するこだわりは、自分の目で厳選した豆を、手挽きのコーヒーミルで挽き、砂時計のようなフォルムで知られるケメックス式のコーヒーメーカーを使い……という具合に、原作小説や映像作品においても確認出来る。確かに、この辺の意味があるのかないのかよくわからない設定の作りこみ具合も、私立探偵物にありがちではある。
「いいですよ」
『甘兎庵』における三者会合の席上、ボンドの愛するコーヒー豆と同じ名字を持つ青山女史からスパイの勧誘を受けた私は、迷うことなくYESと答えた。私は女神からの期待と重圧にうち震えていたが、その間、真手君はバカを見るような視線を私に向けながら、何も言わずに日本茶を啜っていた。
青山女史が初めて挑戦する長編小説「うさぎになったバリスタ(仮題)」は、マスターこと香風老人を主人公のモデルにすることについては、すでに述べた通りだ。仮題にもある忌々しい耳長が、どのような形で物語と関連してくるかは、私には想像も出来ないが。ともあれ、物語の舞台を喫茶店にしたいと続けた青山女史は、第三者としての客観的な視点を提供してほしいと私に対して依頼した。
「出来れば私がアルバイトをして取材したいのですが、この作品はノン・フィクションにしたいわけではありませんので。その点、店員さんはマスターとの関係性が近すぎず、かといって遠すぎない。程よい距離間と位置にいらっしゃいます」
2カ月程度の付き合いでありながら、青山女史は私とマスターとの関係性について明快に説明して見せた。それを聞いた私は、よく人を見ているなと感心した。確かに私はマスターに親しみを覚えているが、同時に一線を引いて付き合っていたからである。やはり物書きという人種は人よりも観察眼に優れているのだろうか。
ともあれ私は青山女史の「目」になることを引き受けた。引き受けてしまっていた。
その後、私と青山女史はボンド談義で大いに盛り上がり(真手君はあきれ返っていたが)、映画初代のショーン・コネリーと、5代目のピアース・ブロスナンの、どちらがよりボンドらしいかで、舌鋒鋭く論戦を交わした。なお真手君は抹茶オレをお代わりしていた。
なお私は断然、ブロスナン派である。95年の「ゴールデンアイ」でサンクトペテルブルク市内を戦車で暴れまわったシーンは、男の子としては燃え上がらずにはいられない。大洗の戦車女子アニメを見た時、私は真っ先にこれを思い出したものだ。そしてショーン・ビーン演じた敵役のアレックの両親が、イギリスの裏切りにより処刑されたという下りは涙なくしては語れないという点において、私と青山女史は大いに意気投合し、固い握手を交わした。なお真手君は抹茶パフェを注文していた。
「いっそのこと、ペンネームもボンドに因んでみるのもいいかもしれませんねー」
「それはいい。青山ゴールデンアイ、いや、いっそのこと揃えますか」
「ブルーマウンテン青山、いや青山ブルーマウンテンですか?」
「日本語にすると青山青山、苗字と名前が同じで何がなんだかわからないけど、インパクトはあるな」
「それ、頂きますね」
私が女王陛下に忠誠を誓う頃、真手君はアイス最中を食べていた。
*
『甘兎庵』の支払いは、私がまとめて支払った。炊きあがった小豆の甘い匂いが立ち込める中での会合ではあったが、少なくとも会話に甘いものは含まれていなかった。少なくともデートではない。それはそれとして、私は3人の中の最年長の男として、見栄をはりたかったのだ。支払いの際、私の財布から樋口一葉が旅立った時には、少しばかり後悔しなかったわけではないが。
「先輩、ご馳走様でした」
「……お前には次からは奢らない」
所用があるという青山女史と『甘兎庵』の玄関で別れた私は、ニコニコしながらこちらに向かって礼を言う真手君に顔を思いっきりしかめた。
「遠慮もなく飲み食いしやがって」
「流石は先輩。男の甲斐性ですね」
「調子のいいことを言うな」
大通りまでは方向が一緒だというので、真手君と揃って歩き出す。少し雲が出て太陽を覆い隠してくれたおかげで、日差しは大分ましだが、それでもじとっとした湿気は健在である。耳長を見かけないのは大いに結構なのだが。
それにしてもおしゃれのためかどうかは知らないが、よくこんな時期にスキニーフジーンズを履けるものだと、私は真手君に直接伝えた。すると真手君はやれやれと首を振り「本当に先輩は女心というものがわかっていませんね」と言い放つ。
「青山先輩と会うのに変な格好は出来ませんよ。たとえ服の下で滝のような汗を流してもです」
「比喩表現だとはわかっているが、健康に悪いからほどほどにしておけよ」
「はいはい」
「はいは1回」
「先生ですか!」
真手君のつっこみに、私はあははと笑った。
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如しという。べたべたとした付き合いよりも、淡い水のようなさっぱりとした付き合いのほうが長続きするという意味だ。彼女のさっぱりとした性格もあるのだろうが、後に残らない遠慮のない会話というものは、こちらとしても気持ちがいい。無論、相手がどう考えているかはわからないが。
「……先輩はどうして青山先輩のお誘いを請けたんですか?」
「美人のお誘いを断る奴がいるか?」
真手君の問いかけに、私は即座に答えた。
彼女はその答えがお気に召さなかったようであり、こちらを見上げるような視線でさらに尋ねる。
「まだお会いして2回目ですが、確かに先輩はスケベで失礼な人だというのはわかります」
「本当に失礼だね君は」
「でもその、なんといいますか……」
真手君は自分の感覚が正しいという確証がないのか、言葉を選びながら続けた。
「先輩は馬鹿で下品で失礼ですけど、どこか自分と他人の間で、厳格な線引きをしている気がするんです。近くて遠い、だから大学でも友人が少ないんじゃないですか?私はてっきり青山先輩のお願いも、断ると思いましたよ」
「……本当に失礼なやつだなお前は」
先ほどと同じく私はあははと、今度は顔をしかめながら笑ったが、心中穏やかではなかった。まだ2回目だというのに、本当に嫌なところをズバリと突いてくる女である。
確かに彼女が推察したように、普段の私ならば青山女史の申し出を断っていただろう。
私は以前、青山女史との関係に悩む真手君に「君の代わりに問題の当事者にはなれないし、君も青山さんの代わりにはなれない」と、先輩風を吹かせて忠告したことがある。これは私の本心だ。
青山女史が新しい小説を書きたいという考えに至ったのは、彼女が悩んで試行錯誤した末に辿りついた決意であるはずだ。
確かに私は青山女史を女神として信仰しているし、知人として付き合うには好ましいとも感じている。何より創作活動に懸ける熱意は掛け値なく尊敬していた。だからこそ普段の私なら、何事も中途半端で生半可な人生を送ってきた私なら、何だかんだと理由をつけて断っていたはずなのだ。
他人の人生に責任などもちたくはないし、その方が楽である。
それを何故、私はあの時「いいですよ」と答えてしまったのか。
私の葛藤を知る由もない真手君は「ま、いいですけどね」と関心なさげに話を打ち切った。あるいは深入りするのはよくないと彼女なりに感じたのかもしれない。
「あ、先輩。携帯出してください」
「何で?」
「何で?じゃないですよ。普通は可愛い後輩からこう言われたら、メールと番号の交換に決まってるじゃないですか。せっかくスパイに任命されたんですから、上司である私の番号を知らないと支障が出るでしょうし」
いつから君が上司になったんだ。私は女神に仕えるつもりはあってもその手下に仕えるつもりはないぞと不満を言いつつ、私は携帯を胸ポケットから取り出す。
真手君は「今時、ガラホーですか」と文句を言いながら、自身のリンゴ社製のスマートフォンを取り出して赤外線通信の段取りをする。5秒ほど通信機器を通じてお見合いをすると、チンチロリン♪と間抜けな音がして、画面に「真手凛」のプロフィールが映し出される。
さてこれは樋口一葉一枚のお代としては、高いのか安いのか。
別れ際、私は真手君に尋ねた。
「リンリンで登録してもいい?」
「消しますよ?」
登録を消すという意味だよね?何で天破の構えをしてるのかな?消えるのは私の命じゃないよね?
*
「というわけで、これ以降、私のことは007とお呼びください」
「なにが『というわけ』だ、この二重スパイめ」
人聞きの悪いことを言うマスターに、私は抗議の意味も含めて反論を試みた。最もすぐに「さっさと床を拭け」と命じられて断念したのだが。
定休日明けの『ラビット・ハウス』。昼休み明けの手の空いた時間を見計らって、私は青山女史や真手君との秘密会合の内容を香風老人にあっさりとバラしていた。
これは女神を裏切ったわけでも、私の口が軽いからでも、ましてや二重スパイで報酬の二重取りをしようというわけでもない。「マスターに確認を取っている」という発言を確認するためだ。
これは青山女史を信頼していないというわけではない。ひょっとすると両者の認識に行き違いがあるかもしれない。私としては円満なバイト生活のためにも、その可能性を潰しておきたかったのだ。
初代ジェームズ・ボンドの和風ショーン・コネリーこと香風老人は、こちらに背を向けながら愛用のベレッタの手入れ……ではなく、愛用の手動式臼型コーヒーミルで、ブルーマウンテンの豆を挽いていた。
もはやアンティークといってもよい旧式のミルは、幾度も補修を重ねているため癖が強く、マスターでなければ同じ速さで挽く事が出来ない代物だ。
「君はスパイには向いておらんな」
「無事これ名馬、事を省く『省事』が私のモットーですので」
「知ったような口をきくな。それと一つ忠告しておいてやる。人事を尽くした上での結果を受け入れる諦念と、怠惰で過ごした結果としての諦念は似て非なるものだからな」
マスターは私と会話しながらも、そのミルを挽く速度は一定で乱れがない。
たかが豆挽き、されど豆挽き。個々の豆の特性や品質、コーヒーメーカーや抽出方法、あるいはその日の湿度や気温にまで配慮した上で、もっとも望ましいサイズに均一にそろえる挽き方は、もはや職人芸である。
「知っているかね。このブルーマウンテンは、ジェームズ・ボンドも愛する高級ブランドなのだ」
私はそれを承知していたが、黙々と木目調の床を拭きながら「是非ともあやかりたいものです」とだけ応じた。すると香風老人は意地悪そうな声で、私の仕事の手を止めようとする。
「貴様が007というタイプか。精々、ジョニー・イングリッシュかオースティン・パワーズだろう」
「世界を救うという意味なら、大して差はありませんね」
「ワシとしたことが決定的なことを失念していた。君はそもそも女子とは無縁であったな」
二刀流のフランスパンで殴るぞ爺。
そういえばジョニーの邦題キャッチコピーは「アナログの逆襲」だったが、古いものに拘りながら意外と新しい物好きな香風老人は、その真逆のタイプである。
古き良き悪のプライドにこだわるドクター・イーブルと呼んだら、流石に激怒するだろうか?
「トルコにこのような諺がある。『コーヒーは地獄のごとく黒くあれ、死のごとく強くあれ、そして恋のごとく甘くあるべし』とな」
「つまりコーヒーを飲む時は、やたらと黒く煮出した、風味のかけらもない苦味の強いものに、砂糖を山盛り入れて呑めと?」
「馬鹿!例えだ、例え!」
そう言いながらマスターは専用の容器にブルーマウンテンの粉を入れていく。
この残暑厳しい時期では、冷暗所で保管しても3日もつかどうか。そのためどんなに忙しくても、マスターは夏場は必要最小限しか豆を挽かない。豆を無駄にしないのはよいことだが、商売っ気のないこと甚だしい。マスターのファンである常連さんは、豆から挽く場合であっても待ってくれるが。
もともとブルーマウンテンは希少品種だが、マスターはその中でも「本物」のブルーマウンテンしか仕入れない。そのためこの店では最も価格が高い。にもかかわらずブルーマウンテンを求める常連客は一定数は必ずいるというのだから、大したものである。
臼形ミルの上部を外して掃除を始めたマスターは、思いついたように口を開く。
「中東の苛酷な自然環境はまさに地獄のように厳しく、そして死が溢れている。そのような中で生きて行くには強くなければならない。時には大事なものを切り捨て地獄を見ても。ただコーヒーを楽しむ時ぐらいは、心を休め寛いでもよいだろう……大よそ、そのような意味だな」
「……本当ですか?」
「半分は諺を聞いた私の推察で、半分は私のでっち上げだ」
人が真面目に感心していればこれだ。
香風老人は手を止め、ミルの引き出しを引いて粉を確認していた。得心のいく出来上がりだったらしく満面の笑みである。
「なんだったか。以前君が教えてくれたが、君の好きな小説にも似たような台詞があるそうだな。『人生は苦いが、コーヒーぐらいは甘いほうがいい』だったか」
「その割りに君はブラックでしか飲まないな」とマスターはからかうように言う。
「マスターのコーヒーに砂糖を入れるぐらいでしたら、私は日本茶に塩を入れて飲みますよ」
「褒められているのか、けなされているのかわからんな」
そういえば、かの甘ったるい缶コーヒーを愛飲する先のセリフの主である主人公は、私以上のひねくれ者である。彼は七転八倒の間違った青春ラブコメの末に「本物」が欲しいという本音をヒロイン達に告白出来た。
私はモップで床を拭きながら、マスターの手元のブルーマウンテンの粉が入れられた容器に視線を向けた。
そこにあるものはマスターが独自のルートで仕入れた、間違いなく「本物」のブルーマウンテンの豆から挽かれたものである。
本来、ブルーマウンテンは希少種だ。ジャマイカのブルーマウンテン山脈の標高800mから1200mの特定地域で栽培された中から、農家や公社の厳選な検査を受けたものだけが「ブルーマウンテン」の名前を冠することが許される。
故に同じ品種であっても国外で栽培されたもの、あるいはジャマイカ国内でも800mより以下や、その他の地域、あるいはジャマイカ国外で栽培されたものはブルーマウンテンであって、ブルーマウンテンではないのだ。
日本国内でブルーマウンテンの名前で販売される量は、商社などを通じて正規のルートで輸入される豆の約3倍。ありていにいえば「まがい物」だ。
ジェームズ・ボンドなら、間違いなく偽物と切って捨てる類のものであろう。
しかし私にはそれらを偽物と切って捨てるのは、どうにも躊躇われた。ブルーマウンテンのブランドにただ乗りしているという批判はその通りかもしれないが、コーヒー農家や商社、メーカーの努力を一概に切り捨てるのは、何か違和感があったからだ。
ただ当時の私には、その漠然とした自身の考えを説明出来なかっただろうが。
「まぁ精々、観察させてもらいますよ」
本物か偽物か。私は特にそういう意識もなくつぶやいたのだが、香風老人にはそう聞こえたらしい。老人はテストの点数を親に見せるのを嫌がる小学生のような表情を浮かべた。
青山「店員さん。そういえば夏季休暇は……え?9月後半まで?」
真手「これだから大学生は……!」