ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソン(1850-1894)
北海道や東日本の山岳地帯において、伝統的な狩猟方法により集団で獲物を追う狩猟者はマタギと呼ばれる。彼らの最大の特徴は、狩猟期が冬季であることだろう。諸説あるものの、その起源は平安時代にまで遡る。銃が伝来するはるか以前から、マタギは槍や弓を携えて雪山を駆け、山小屋において集団生活を行い、長期の狩猟を行った。そのためマタギは連帯意識が強く、独自の言葉や文化が継承されてきた。
スカ料理もその一つである。出羽北部(現在の秋田県)のマタギの間において伝わる伝統料理であり、平たく言うと野ウサギの腸や、その内容物を使った内臓料理である。
語弊や誤解を恐れずに平たくいえば、耳長の糞を食べるのだ。
冬季の間、野ウサギは木の芽や竹の新芽など限られた食物のみを食べる。そのため腸の内容物はきわめて清潔なものであり、そのまま取出してからすり潰して料理の薬味に使用したり、あるいは肛門周辺のものを取り除いた上で、そのまま糸で縛って茹でて腸詰のようにしたりと様々だ。厳寒期の厳しい環境において、マタギ達は獲物を追って、何時間も山を駆け回る。動物の内臓や血液を食することで、不足しがちな塩分を補給する意味合いもあったという。これも全てマタギの知恵といえよう。
厳しい環境に身をおきながらも人間としての生き方を貫く。マタギの生きざまにこそ、現代人が忘れている最も大切なものを、私達に伝えてくれる存在ではあるまいか。「木組みの家と石畳の街」で怠惰な生活を営む耳長どもにも、野生の厳しさを思い知らせてやりたいものである。
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大学は未だに夏季休暇中である9月の初頭。名ばかりの秋の太陽が照りつける中、私は額に滲む汗を首にかけたタオルでぬぐいながら『ラビット・ハウス』の店前を箒で掃いていた。
スカ料理も食べていないのに、私が苦虫を噛み潰したような表情をしているのは、あの忌々しい耳長の糞を片付けていたからである。
文明化された人間が生物として惰弱になったといわれて久しいが、この「木組みの家と石畳の街」の野生であるはずの耳長も、それは同じである。白黒茶色、灰色にぶちと、体毛の模様こそ多種多様だが、揃いもそろってその体は丸々と肥え太っており、人間を見ても警戒心のかけらすら見せようとしない。むしろ「餌をよこせ」と王侯貴族のように傍若無人に振舞い、足元に体を擦り付けるばかり(そのくせ私には寄り付きもしない)。この街の堕落した耳長にとっては、彼らのご先祖様が野山や草原を駆け回り、マタギや狼、あるいは狐と死闘を繰り広げたのは遠い過去なのだろう。
まったく嘆かわしい限りである。
最も家畜化された豚も野山に放置すれば、1年もせずに猪へと先祖返りするという。
私は観光客が阿呆のように歓声を上げながら、街の売店で売りつけられた高い餌を手に耳長と戯れているのを見るにつけ、耳長共に「野生としてのプライドを取り戻せ!」と決起を煽ったものだ。
しかし残念ながら一度として成功したことはない。
耳の痛い言葉は耳長であろうと人間であろうと嫌がるというものだ。
つまり私が耳長から問答無用で拒否されているのは、彼らのあり方を憂えているからだろう。私は無駄となったウサギの餌セット(税込み400円)を手にしながら、自分自身をそうやって何度も慰めたものだ。
閑話休題
そんな家畜化された耳長様であっても、彼らがヌイグルミでもロボット家畜でも、ましてや電子の妖精でもないことを証明するものがある。
使えば減る、買ったら支払う、入れたら出る。これ自然の摂理である。
つまり糞尿だ。
この「木組みの家と石畳の街」では、街の住民が朝から晩まで、箒と塵取りを両手に掃除に片付けにと走り回っている。
耳長の糞は直径が1センチにも満たない丸いものだが、やはりモノがモノだけに放置をしていると、動物独特の匂いがする。増えすぎた耳長を「街の観光の名物として打ち出そう」という声が上がった時、反対論の中心になったのが「糞尿の処理をどうするのか」という衛生面での反論だったというのだから、根が深い。
結局、すったもんだの生々しいやり取りの末に、街の各所にウサギの糞専用のコンポストを設置し、街や商工会の有志が朝から晩まで、尿を洗い流すペットボトルの水と、糞を片付ける掃除用具を片手に走り回ることで折り合いがついたのだそうだ。
意外な話だが、臭いがきついはずの夏場の方が掃除しやすいという。耳長は日陰や涼しいところに隠れて動かないため、糞もまとまっているからだ。
つまりこうしてあちらこちらに散らばっているということは、季節が確実に夏から秋へと移り変わっていることを意味する。
もっと風情のあるもので季節を感じたいものである。
なおコンポストで出来た堆肥は街の花壇で使用される。この街で一年中、何かしらの花が栽培されているのは、花の香りにより臭いを打ち消す狙いがあるからだとか。
そういえば昔、ベルサイユ宮殿で香水文化が発達したのも、臭い(体臭)を香水で打ち消すためだという話を、何かの本で読んだ記憶がある。
本当にここは日本なのだろうか。
「あの、おじさん」
そのため私も『ラビット・ハウス』でのバイトの時には、こうして折を見て表通りの掃除に駆けずり回っているというわけだ。まったく人使いの荒い耳長である。
「おじさん、ちょっといいですか」
果たして耳長共は、人間がこれだけ自分達に尽くしていることを理解しているのだろうか。いや、おそらくそれはあるまい。畜生共にそれを期待するのは、あまりにも馬鹿馬鹿しいことだ。
「おじさん、ちょっといいですか!」
私はそのようなことを考えながら、腰を曲げて店の前の花壇の前を、一心不乱に掃いていた。
だから私の袖が引っ張られていようと、それは私ではない。だから断じて私はおじさんではない。
「ねー、おじさん!ちょっとおじさんってば!」
「誰がおじさんじゃい!」
瞬間、頭に血が上った私は、語気を荒くしながら背後を振り返り、そしてその過ちに気が付いた。
そこには何とも可愛い水兵さんが、驚いた顔をして立ち尽くしていた。
先ほどから私を「おじさん」と、事実誤認もはなはだしい呼びかけをしていた小学生の高学年と思わしき少女は、ツバのついた水兵さんのような帽子に、胸元の赤いリボンが目にも鮮やかな半袖のセーラー服。それに吊り紐付きの、かぼちゃパンツのように膨らんだ紺の半ズボンを穿いていた。しかし迷彩模様の紐靴だけが妙に不釣合いだ。
右手には羊皮紙のような古びた紙を丸めて持っており、反対側の手で私の袖を引いている……いや、引いていた。私が怖い顔で振り返ったものだから、その手を思わず放したと見える。
帽子の下の髪はアメジストのような深いすみれ色であり、肩の辺りまで伸びている。それをツインテールにしていた。小さな口元と通った目鼻立ちは、将来性を感じさせる。好奇心の強さを証明するかのような大きな目は、潤んで……
え?潤んで……
あ、これは駄目だ。
つい数ヶ月前も同じような経験を背後の喫茶店の中でした気がするが、私の頭の中で大きな警報音が鳴り響く。
客観的に見ても、主観的に考えても私が悪いとしか思えない。いや、実際に悪いんだけれども。
いくら私が20になる前におじさん扱いされたからといって、それが小学生を怒鳴りつけてよい理由にはなるはずがない。私は掃除道具をその場に投げ出して、陪審員に釈明をする被告人のように身振り手振りで少女を宥めようとした。
「いや、違うんだよ。怒ったわけじゃないんだよ!いや、急に袖を引っ張られたから、驚いて大きな声が出ただけでね。だから泣かないでね」
「ほ、本当ですか、おじさん」
「あのね、おじさんじゃないからね!お兄さんだからね、お兄さん!」
私にも譲れないものはある。そこだけは念を押そうとお兄さんに力をこめたのだが、これがよくなかったらしい。少女の両目が再び潤み始める。
えぇい、一体どうすればいいんだ!
「いや、だから怒っているわけじゃなくてだね…」
途方に暮れた私は、顔を上げて少女から視線を逸らした。『ラビット・ハウス』の表玄関前の通りは、ヴィンテージ式の2点式ガス燈のような街灯が、約3メートルごとに規則正しく並んでいる。
店の前にある街灯の陰に、私はどこぞの金融会社の社員のような不審者を見つけた。
黒いスーツ服が盛り上がるような筋肉質の男性が、無理やりガス燈の影にその巨躯を押し込むようにして立っている。サングラス越しにでもわかる強い視線が、明らかにこちらを、つまり私を睨んでいた。
ふむ。
私は空を仰いだ。日差しこそ夏の景色を色濃く残しているとはいえ、どこまでも続くかのような空の高さは、お盆前には感じられなかったものだ。
もうすぐ季節は秋。天高く兎肥ゆる秋。つまり美味しいものが沢山食べられる時期……私はいささかの現実逃避の末、自分自身を取り戻した。
よし、きっと先程私が見た光景は私の勘違いに違いない。
こんな可愛い水兵さんに、あんな絵に描いたようなSPなんて、そんなまさか……
私は首をちょうど90度近く縦に動かして、視線を再び奥の街灯に向けた。
先程の不審者「達」が懐に手を入れながら、サングラスを外してこちらを睨んでいた。
……何で増えてるの?
え?ここ日本だよね?まさかいきなり撃たれるとか、ないよね?
謎の少女「あ!モデルガン忘れた!」
謎の男性「お嬢が危ない!」