この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

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前回のあらすじ:わからん!


夢の中では何でも出来るというけれども、目覚めたら大抵は忘れている(その3)

 『甘兎庵』のカウンター近くのテーブル席で、私は恥も外聞もなく頭を下げていた。

 

「……それで私に泣き付いてきたというわけですか」

 

 紺色のジーンズに、白と黒のボーダーシャツ。薄手のひまわり色のブルゾンパーカー。いかにも室内着に適当に合わせたという真手君は、私の対面で不機嫌そうに抹茶オレをストローで啜りながら、呆れたような視線をこちらに寄越した。

 

 真手君は急いで駆け込んで来たため髪が乱れており、それを手櫛で後ろに流している。私は色々と反論したい事もあったが、とりあえず離れた席で白玉あんみつを堪能している理世ちゃんに視線を向けて、一層声を潜めた。

 

「人聞きの悪いことを言うなよ。アドバイスを求めたとか、助言を請うたとか、もっとほかの言い方があるだろう。それに理世ちゃんに聞こえたら外聞が悪い」

「この期に及んでも、その下らない見栄を張ろうとしますか……言い方を変えたところで、子供向けの宝探しゲームのやり方がわからないから、年下に助けを求めたという事実はかわりませんよ?」

「休日に呼び出したのは悪いと思っている。だからこそ、こうして誠意を見せているじゃないか」

「ずいぶんと私も安く見られたものですね」

 

 その割には一番値の張る飲み物を選んで美味しそうに飲んでいるな。私は喉まで出掛かったその言葉を飲み込んだ。

 

 子供向けの宝探しゲームと高をくくっていた私であったが、このシストは「木組みの家と石畳の街」の子供向けの地元密着の宝探しゲームである。地元民でない私には、その内容はさっぱり理解出来なかった。

 

 攻略本なしにゲームするというよりも、辞書なしに海外の原書を訳せというに等しい難易度である。

 

 やり方さえわかれば私にも解けたのかもしれないが、といって近くの子供を捕まえて話を聞くのも、外聞が憚られる。子供向けの宝探しゲームの攻略方法を大学生が聞きまわるなど、どう見ても不審者以外の何者でもない。

 

 ならば地元民の意見を聞くのが適切だろう。それもある程度は気心の知れた相手が望ましい。

 

 そう判断した私は、ガラホーの電話帳に登録された母親以外の唯一の女性の名前を選択すると、住所と名前、そして至急助けを請うという内容のメールを送ったという次第だ。

 

 一時間もしないうちに小走りで『甘兎庵』へと入ってきた真手君をカウンター近くの席へと呼び寄せた私は、これこれしかじかと事情を最初から説明した。

 

 真手君がまず最初に行った事は、私の脛を無言のまま思いっきり蹴り上げることであった事を付け加えておく。

 

 

「真手凛です。よろしくね?」

「ててざりぜです!おねーさん、こんにちは!」

 

 挨拶は人付き合いの基本であるが、やはりこういう所に育ちのよさが感じられる。ててざ(漢字不詳)理世ちゃんは、白玉餡蜜を食べる手を止め、座席から立ち上がってから元気よく挨拶をした。口を極めて私を罵ったことで眉間に皺がよっていた真手君も、これには相好を崩した。

 

 元気な水兵さんとしゃがんで視線を合わせてから握手を交わす真手君を見ながら、私は湧き上がる言いようのない感情との戦いに臨んでいた。

 

 私と3歳しか年齢の変わらない真手君が「お姉さん」で、どうして私が「おじさん」なのだ?!

 

「どうしたんだおじさん?すわらないの?」

 

 理世ちゃんが「おじさん」と私のことを呼んだ瞬間、真手君が噴出した。

 

 こいつ、後で覚えてろよ。

 

 私は『甘兎庵』の羊羹で買収した真手君を睨みながら彼女の右隣、理世ちゃんの対面の座席に座った。シストの地図を検討するためには、そのほうが都合がいいと判断したからである。

 

 私は右に手のひらを向けると、お宝を探す小さな水兵さんに助っ人を紹介した。

 

「理世ちゃん。これは私の助手だ」

「理世ちゃん。このおじさんの言うことを信じちゃ駄目よ」

 

「……おい、余計なことを言うな。香風の爺さんから俺はこの子のことを頼まれているんだ。大体、お前のさっき飲んだ抹茶オレの代金、誰が払うと思ってる」

「何ですか助手って。私は貴方の助手になった覚えはありませんよ。大体、いきなり休日に呼び出しておいて、それはないんじゃありませんか?」

「後輩を顎でこき使うのは、先輩の特権だよ」

「何を言ってるんですか。第一、この街に関することなら私のほうが先輩でしょう。だから私に泣きついてきたのに、今更先輩風を吹かさないで下さい」

「理屈を言うな、理屈を。素直に「はいわかりました」と言えないの?それとも今頃反抗期なの?そんなことだからお前は真手なんだよ」

「……私、帰りましょうか?」

「すいません真手様。それだけは勘弁して下さい」

 

「あ、あの!」

 

 あわあわと視線を向けていた理世ちゃんは、突如として大きな声を発した。掛け合いに熱中していた私達は、驚いて目の前の小さな水兵さんに視線と意識を向ける。

 

「えっと、それじゃあおねえちゃんが、わたしの宝さがしをたすけてくれるんですか?」

 

「えっと……はい。そうです」

「その通りですね、はい」

 

「……あんたら、小学生の女の子に気を遣わせて恥かしくないのかい」

 

 注文を聞きにきた宇治松夫人の冷ややかな視線に、私と真手君は顔を真っ赤にして黙り込んだ。

 

 ちくせう

 

 

 どうしてこうなった。

 

「つまりですね。この記号は個別では意味がないんです。それぞれを組み合わせて導き出されるものの意味を、考えなければいけないんですよ」

「なるほど!」

 

 真手君の説明を熱心に聞いていた理世ちゃんは、目を輝かせて大きく頷く。早々から蚊帳の外に置かれた私は、プラスチックストローでジンジャエールの入っていたガラスコップの底をつつくことで、時間を潰していた。

 

 さすがに真手君は地元民なだけあり、シストの地図を見るや否や「ああ、これはね」と、水兵さんへの説明を開始した。

 

 地図は薄汚れた羊皮紙のような質感だが、実際にはフィルムを張った合成紙か何かだろう。川沿いの地図に、いくつかの赤いバツ印。そして左隅には王冠と黒い耳長、そして看板のマークが書かれている。

 

 私はてっきり赤いバツ印のどこかに宝があるのかと考えたのだが、これはあくまで地図の隠し場所らしい。この街のシストは、まず目的地に到達するまでに回らなければならない場所が最初の地図に記されており、それぞれに次の場所へのヒントが隠されているのだという。そして左隅の記号を組み合わせた場所が、スタートラインなのだそうだ。

 

 ……そんなもの、地元民の経験者でなければわかるわけがない。

 

 不貞腐れる私に、真手君が小声で言う。

 

「だから言ったでしょう。このゲームは元々地元民向けなんですよ」

「君からそんな事を言われた記憶は俺にはないのだが」

「まっ、私に声を掛けた事だけは褒めてあげますけどね。こう見えても私は『シスト荒らしの凛ちゃん』との異名をもつシスト名人なんです」

 

 恥かしげもなく自らの異名(あだ名?)を名乗る真手君。おい馬鹿やめろ。理世ちゃんが憧憬の眼差しでお前を見ているぞ。馬鹿が移ったらどうするんだ。

 

 私の心配をよそに、真手君はシスト経験者として水兵さんへの解説を続ける。

 

「……というわけ。つまりこのシストだとバツ印は2箇所だから、2箇所で次の地図を探せばいい。じゃあ最初に探すのはどこかな?」

「えーっと、このみっつのかたちをくみあわせたところ!」

「正解!じゃあ、理世ちゃん。王冠と黒い兎の看板で有名なお店って?」

「えーっとね、えーっとね!」

 

 胸の前で腕を組み、うんうん唸る理世ちゃん。真手君は母親のような慈愛に満ちた視線を水兵さんに向けていたが、ふと机の上に手を伸ばすと、いくつものピンパッチがついた水兵さんの帽子を、その細い指でつと突いた。

 

「あ!わかった!」

 

 理世ちゃんの顔がぱっと明るくなり、3つの記号を組み合わせたという最初の地図が隠されている店の名前を答えた。

 

「あのぼうしやさんだ!」

 

 

「おねえさん、ありがとう!おじさんもね!」

「ばいばい、理世ちゃん」

「『も』ってなんだ。『も』って!」

「ほら、先輩。大人気ないですよ」

 

 日はすでに傾き始めていた。水兵さんは私達にお礼を元気よく言うと、交換したピンバッチの分だけ軽くなった軍帽をかぶり、長い影を後ろで結びながら駆けていった。嬉々とした足取りは軽く、今にもスキップを始めんばかりだ。

 

 その背後を黒服の集団が足音も立てずに駆け抜けた。すれ違いざまに責任者らしきサングラスをかけたスキンヘッドの人物が、こちらに向かって一礼する。その異様な光景に、真手君がびくりと肩を震わせた。

 

「あー、びっくりしました……あれが噂の天々座家親衛隊ですか」

「何?噂になるほど、この街では有名なの?」

「……聞きたいですか?」

「聞きたくない!」

 

 私と真手君が馬鹿なやり取りをしている間に、理世ちゃんの姿は見えなくなった。小さな水兵さんの手には、戦利品である小さな手のひらサイズのボトルシップが握り締められているのだろう。初めて参加したシストの商品としては、大戦果といったところか。

 

 ちなみに理世ちゃんがボトルシップと引き換えに宝箱の中に入れたのは、彼女の帽子についていた勲章ピンバッジだそうだ。宝の隠し場所から出てきた水兵さんの軍帽は、その言葉を裏付けるようにピンバッチの形に日焼けが残っていた。

 

 伝聞でしか語れないのは、ただの財布役でしかなかった私も、この水兵さんの参謀役として初めての冒険を見事成功に導いた真手君も、宝箱の置かれた場所には入れなかったからである。

 

 地図で指し示された目的地は、廃墟であった。それも崩れた外壁の壁の、地面と接する穴を通り抜けた奥にある通路の中。いかにも子供が喜びそうな、そして安全性はどうかと思わせる場所にあった。

 

 穴はレンガ数個分程度の高さしかなく、小柄な子供でしか通れそうにない。私や真手君では腰が引っかかってしまうだろう。さてどうしたものかと私が頭を悩ませていると、理世ちゃんが服が汚れるにもかかわらず、喜び勇んで壁の穴に匍匐前進で突入していく。

 

 これには私も驚いてとめようとしたが、真手君に指摘されて確認したところ、壁の穴は補強の鉄骨や透明なプラスチック板で補強がなされてあった。聞けば定期的な見回りもあり、見えない場所から入れる裏口もあるとか。なるほど、これならば安心だと安堵したものだ。

 

 理世ちゃんいわく、宝箱のある場所は、天井から光の差し込む「しんせいなくうかん」だったらしい。当然ながらそれを見たことのある真手君は、うんうんと頷き、またもや置いてきぼりにされた私は少しばかり共通の経験がある彼女達が羨ましくなった。

 

 戦利品を見せながら「おねーさんのおかげだよ」と喜ぶ理世ちゃんに、真手君は「理世ちゃんが頑張ったからだよ?」と褒めながらも、懇々とシストの攻略方法やヒントについて説明していた。それは母親というよりも、年齢の離れた姉妹を思わせた。

 

「随分と親身だったじゃないか」

 

 私の言葉に、真手君は「普段の私はそんなに冷たい女に見えますか?」と、白い視線を向けてきた。

 

「コメントは差し控える。ただ羊羹の代金以上に親身だと思ったのも事実だな。あの水兵さんに対する10分の1でも、私に対する態度を優しくして欲しいものだが」

「ははは、面白い冗談ですね」

 

 真顔でそういってのけた真手君は、自分が少女に対して親身に接した理由を語った。

 

「私も経験者ですからね。大人気ない先輩と違って、私は大人ですから」

「先輩風を吹かせたかっただけか?」

「それもあります。それに頂いた報酬の分だけはきちんと働いたつもりですしね。だけどそれだけじゃありませんよ。私は誰にも教わらずに、誰の助けも得ずに『シスト荒らしの凛ちゃん』になれたわけじゃありません」

 

 どうにもその二つ名をカッコいいと考えているらしい、少しばかり厨二病の後遺症を引きずる真手君曰く、彼女がシストの存在を教えられたのは小学校に入学した時だという。

 

 両親からシストの存在を教えられた真手君は、元々好奇心が旺盛だったこともあり、このゲームに夢中となった。友人達と話し合い、思考の壁にぶつかる度に街の人に教えてもらいながら手探りで自分の世界を広げていったのだと、真手君は懐かしそうにその経験談を語った。

 

「恩返しというほど、高尚な考えじゃありません。でも私がこの街と周囲の人に大切にされたように、彼女には接してあげたかっただけなんです」

 

 1人で大きくなったつもりの奴に、でかくなる資格がないとは、一体誰の言葉だったか。埼玉春日部の幼稚園児の父親の言葉だったか?それともどこかの誰かが、あの偉大な父親の名前を借りて持論を語らせただけなのか。

 

 とにかくそれに従えば、真手凛という人物には大きくなる資格があるといえる。「優しくされたから、優しくあげただけですよ」と照れくさそうに語る生意気な後輩のことを、私は率直に見直していた。

 

「男の子でも女の子でも、初めての体験は記憶に残りますからね」

 

 夕焼けの色で照らされていた真手君の横顔は、ひどく大人びて見えた。私は妙に落ち着かない感情になり、ふと視線を外した。

 

 黄昏色の空には、延々と続く朱色に染まったいわし雲が、家路を急ぐ子供達を見守るように広がっていた。

 

 

 翌日。大学からバイト先に向かう私は、地図を握り締めた水兵さんと水路の木橋ですれ違った。目を輝かせて宝探しに夢中になっている彼女は私に気がつかず、そのまま走り去っていった。

 

 『シスト荒らしの凛ちゃん』のバトンは、無事に彼女へと受け継がれたらしい。私は黒服の集団に目礼をすると、再び『ラビット・ハウス』へと歩き始めた。

 

 私が香風老人と領収書の清算をめぐり、壮絶なバトルを繰り広げる1時間前のことである。




香風老人「『甘兎庵』の持ち帰り羊羹セットが、どうして必要経費なのだ!」
主人公「いや、それは捜査協力の報酬といいますか、接待費といいますか……」

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