マルティン・ルター(1483-1546)
俳句の世界において、花火は夏ではなく初秋-つまり秋の初めの季語である。元々が花火は収穫を祝う秋祭りの奉納として打ち上げられることが多かったことが、その理由であるとされている。
最近でこそ年始からクリスマスに年明けのカウントダウンまで、年間を通してあらゆる名目で開催される花火大会が増加したことで、花火の持つ季節感は薄らいできている。単に祝い事で鳴らす大きな爆竹のような使い方をされることも多い。
それでも打ち上げた花火を見上げて歓声を上げる観客の熱気や、大会終了後の例えようのない郷愁と物悲しさは、やはり秋の初めに相応しい季語としての力なのだろう。
「木組みの家と石畳の街」の花火大会は、毎年8月の第4日曜日に開催される。天候の都合で中止になった場合の予備日も、あらかじめ9月後半の彼岸の中日。秋分の日と定められている。これは順延となった場合に他の行事と重ならないように、市当局や観光協会などが予め年間計画で定めているのだそうだ。
大会規模や打ち上げる花火玉の数こそ多摩川や長岡の大会には劣るが、観光都市での花火大会だけに、知名度は中々のものだ。この大会が終わると、この西欧風の街は本格的に秋の装いを始めるという。
まさに夏を締めくくり、秋の訪れを伝えるに相応しい花火大会といえよう。
残念なことにこの年は8月第4日曜日は台風により早々に順延が決定されていたため、秋分の日に開催されることとなった。
季節が移り変わるイベントがあるからといって、私の日常が変わるわけではない。
高校生とは違い、大学生の夏期休暇は長い。私は新聞代の節約と情報収集のために、毎日のように街の図書館に出かけて新聞各紙隅から隅まで眺め、手の空いた時間を『ラビット・ハウス』でのバイトにあてるという生活サイクルを繰り返していた。
たまに大学の数少ない友人と連絡を取る以外には、女王陛下であるところの青山女史からの特命に従って、偏屈な香風老人の観察日記をつけるぐらいだ。
初めての長期休暇がこれでよいのかという気はするが、他にやることもないので仕方がない。多くの同級生が自動車免許の取得に励む中、私は免許を取るのなら自腹で貯めろと親から通告されているため、せっせとバイトに励んでいた。
もっとも無駄遣いが多いので、一向に貯まらないのだが。
報告書の片隅に描いていた香風老人の似顔絵が、線と点と丸だけの幼稚園児のようなシンプルなものから、押しつぶされた饅頭の模写のようなものに近づけることに成功した頃。私は大学事務局を通じて、個人的に御世話になっている文学部の教授から呼び出しを受けた。
思い当たる節がないために首を傾げつつ、私は文学部関連の教室が入る第2会館の教授室を訪問した。
「……警備のアルバイトですか?」
「うん。例の花火大会は君も知っているだろう」
袖シャツに肩からタオルを下げるというラフな格好で、私を座ったまま出迎えた壮年の教授は、手にした団扇で自分の顔をパタパタと扇ぎながら頷いた。
男性でありながら貧血気味で低血圧で冷え性という三拍子揃い踏みの痩身の教授は、大のクーラー嫌いである。9月も10日を過ぎたというのに、日中は30度が超える日が続いているが、クーラーどころか扇風機すらつけないというのだから徹底している。
本人はそれでいいのかもしれないが、彼の家族や学生はたまったものではない。そのためか、この教授が担当する-特に夏期休暇前後の授業は、学生の間では大変不評であり、代返のバイト代や依頼料が跳ね上がるのだそうだ。
かくいう私も、小型の携帯扇風機を持ち込むなどして、暑さ対策には四苦八苦したものだ。
そして何の因果か、私はこの教授に良くも悪くも目をつけられた。
私としては1年の必修である授業を代弁してもらう、あるいは依頼出来るだけの親しい友人がいなかったために、毎週毎時間欠かすことなく、この教授の授業に出席していただけなのだが、その態度が逆に目立ったらしい。
以来、自分の研究課題以外の森羅万象の事柄-学生の授業態度はおろか、自分の健康や家族にすら関心も興味もなさそうな教授は、何かと私の世話を焼いてくれるようになったというわけだ。
その教授のスチール机の上には、山のように資料と参考文献が積み上がっており、非常に圧迫感を感じる。文房具は乱雑に散らばり、パソコンの画面やキーボードを含めたいたるところに付箋が貼りつけられていた。
部屋の窓枠に申し訳程度に吊るされた風鈴は、涼やかさを演出するでもなくだらだらと重力に任せてぶら下がっているだけであり、風一つない部屋の中を余計に蒸し暑く感じさせることに貢献している。
その圧迫観のある机越しに胡乱なまなざしを私に向けていた教授は、パタパタと団扇で自分を扇ぎながら自分の机の近くまで私を呼び寄せた。そして首にかけたタオルで顔の汗をぬぐうと、手にした書類に時折視線を落としながら、依頼の内容を説明した。
「毎年、大学から有志の人員を集めて大会事務局にスタッフを派遣しているんだが、今年は人手が足りなくてね。時間もないことだし、私が推薦した君に白羽の矢が立ったわけだ」
「……いろいろと言いたいことはありますが、つまりはタダ働きですか?」
「そこはボランティアと言ってもらいたいものだな」
枯木が妖怪に変化したかのような物憂げな口調と態度のまま、教授は形骸化して蜘蛛の巣が張り巡らされた廃墟のような建前を、いけしゃあしゃあと口にする。
確かに私はこの教授に借りがある。件の青山女史との話のタネとなった行友李風に関するレポートについて、参考文献から論文の書き方まで懇切丁寧に指導してくれたのが、この教授だ。これという目的意識のない私が同学年の中で完全に孤立せずに暢気な学生生活を送ることが出来ているのも、教授のお陰であろう。
そしてこの人物は私のような小才子気取りの、頭の毛が3本ほど足りない手合いの学生を効率的に動かすやり方を経験的に理解していた。
貸出申請代行やレポートの回収、授業に使うコピーの作業と製本等々。私はいつのまにやら、あれやこれやと教授から仕事を押し付けられるのが常であった。
そして今もその手腕を余すところなく発揮して、私をタダ働きさせようとしている。
それにしてもこの御時勢に学生をタダで働かせようとは、いささか虫が良すぎるのではないか。私は少しばかりの正義感と反骨心、そして大いなる怠け心から教授に反論した。
しかし教授は憮然としたまま、ぼつぼつと説明を続ける。
なんでも花火大会のボランティアは、元々は出席日数や単位取得が危ぶまれる学生への救済制度なのだそうだ。詳しいことははぐらかされたが、社会貢献という建前があれば外側にも内側にも、そしてお上にも言い訳が立つという理屈らしい。
ならば尚の事、私には関係ない話ではないか。人員が足りぬというのなら、それこそ成績の危ない生徒でも呼び出せば良いではないかと私が諦めずに反論すると、教授は「それでも足りないのだ」と私の質問に被せるように言う。
そして私を選んだ決定的な理由を説明した。
「君は事前連絡もなしにサボるだけの度胸はないだろう。友人も少ないし、親しい異性もいない。だから適任だと判断した」
教授のあんまりな物言いに、私はひどく閉口した。
*
花火大会の本番までは既に1週間を切っている。教授にまたもや言いくるめられた私は、慌ただしく用意を始めた。
幸いなことに香風老人は私が事情を説明すると、「なら休むか」とあっさりと臨時休業を決めた。お盆休みの閑古鳥がよほど応えたのかと思いきや、御彼岸のお墓参りにあわせて店を休むということだ。
タカヒロさんや智乃ちゃんとも一緒に日帰りで出かけるということなので、私は香風老人に「あの忌々しい毛玉耳長はどうするのか」と尋ねた。
私には前世からの親の敵のように毛を逆立てるが、動物に好かれない智乃ちゃんにとっては唯一親しく出来るペットである。私はてっきりペットショップの臨時ペットホテルか、知り合いの家にでも預けるのかと考えていたのだが、なんと2階の智乃ちゃんの部屋にゲージを置いて、餌とトイレ、クーラーと毛布と一緒に過ごさせるつもりだというのだから魂消た。
畜生の耳長家畜の分際で、クーラー付きの食事付の寝床である。
私はその事実に憮然としたが、元々、アンゴラウサギは毛を採取するために長毛に改良された品種だそうだ。冬はともかく、あの毛玉を湿度の高い部屋の中に放置するわけにもいかないだろうと、考えを改めた。
そして私に名案が浮かんだ。
いっその事、毛皮をカットして売り払ってしまえばよいのではないか?毛として売れないのならば毛糸に紡ぐなり枕の中につめるなりすればいい。あの耳長も短くなって過ごしやすくなる。まさに三方丸く収まる名案ではないか?
流石に私も、「ティッピー」なる紅茶に冠する名前をつけて可愛がっている智乃ちゃんに直接伝えるほど、空気が読めないわけではない。
お姫様がいつものように2階へと上っていくのを確認してから、私は「まずは外堀から埋めてしまえ」という東照大権現の大阪攻めの先例に従い、懇切かつ真剣に香風老人とタカヒロさんに自分の考えを伝えた。
祖父は呆れたように何も応えず、父親ははっはと闊達に笑うだけであった。
どうにも私には城攻めの才能はないようである。
っち。毛玉め。命拾い(?)したな……
*
ともあれ彼岸明けまでの休暇の許可を得た私は、翌日からさっそく商工会議所会館内の大会運営事務局へと出勤した。
私を含めて選ばれた(押し付けられた)12人の学生のうち、私以外の11人は同じ同好会のメンバーである。
いきなりの疎外感と腫れ物扱いに、私が言いようのない居たたまれなさを感じる間もなく、担当者から私達が担当することになる街頭警備に関する説明が始まった。
2人1組で6つのペアを組み、巡回警備(1組)と立ち番(1組)、そして臨時駐車場の番(1組)と休憩(2組)のローテーションを組む。業務内容が少々特殊とはいえ、コンビニエンスストアやスーパーのアルバイトの延長線上のようなものだろうと高を括っていた私達であったが、担当者が私を含めた12人の中に1人も警備の経験がないことを知ると、急に表情を曇らせた。
「あの、何か拙かったですか?経験がないと勤まらない仕事内容とか……」
同好会の部長が代表して尋ねるが、その解答は要領の得ないものであった、
「……いや、拙いというかなんと言うか……そういうことに張り切る人がいてね」
責任者である
*
翌日の朝5時。まだ空に夜の気配が残る第3公園の中央で、私を含めた12人は揃いの紺色のジャージに身を包み、指導役の男性による号令の下、横一列に並ばされていた。
竹刀で地面を突きながら、黒い眼帯をつけた男性は声を張り上げた。
「私が畏れ多くも大会運営事務局より貴様らの訓練担当を仰せつかった天々座である。貴様らズブの素人を、3日で1人前のプロに仕上げるのが私の仕事である。わかったらYESと言え。わからなくてもハイと応えろ。わかったか子豚共!?」
私を除く11人のミリタリー映画同好会の面子は、一斉に目を輝かせて答えた。
「「「Sir, yes, sir!!」」」
ほんと、バカばっか。
狩手さん「頼むからほどほどにしておいてくれよ……おい、何で竹刀を持っていく必要があるんだ。おいこら!」