この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

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前回のあらすじ:喫茶店に入ったら少女とエンカウントした。

つ 戦う or 逃げる?


セーブ・ポイントだとおもったら、ラスボスがいた件(その2)

 原文は忘れたが、桃の木の下で帽子をかぶりなおすな、瓜畑で靴を履き直すなという漢文の故事成語がある。要するに桃泥棒や瓜泥棒と疑われても仕方のない状況で、紛らわしい真似をするなということだが……

 

 つまり今の私のことである。

 

 よし。ここは落ち着いて、現在の状況を整理してみよう。

 

 今日引っ越して来たばかりで顔見知りの人間が誰もいない街の、初めて入った人気のない喫茶店で、おそらく留守番をしていた女子小学生が、今にも泣き出しそうな表情をしている。その前には身長170センチほどの成人男性らしき不審者が1人、これが私だ。

 

 どう考えてもアウトである。

 

 もはや頼れるのは自分しかいない。私は俄に放り込まれた危機的状況を打破するため、日頃は眠りこけて久しい脳細胞に蹴りをいれた。

 

 よし、こい!

 

『い、いらっしゃーしぇー!!』

 

 どうして今、それを思い出してしまうんだ!

 

 いかん、ここで突然笑ってしまえば、本当に不審者になってしまう!私は口腔内で舌を噛むことで、必死に笑いを押し殺した。

 

 テンパっていたのはわかるが、シェーはないだろう。かの怪獣王も真似したという昭和を代表する往年の伝説ギャグ。そんなことやってるからシリーズを一旦打ち切られたんだとか、怪獣映画を見に来る当時の子供にはバカウケだったんだよとか議論が尽きないところだが、今はそんなことはどうでもいい。

 

 これでは私も少女の動転っぷりを笑っていられない。冷静になれ。なるんだ私よ。やれば出来る子と両親からほめられて育った男の意地を見せてみろ(つまりやらないと出来ない子である)。

 

 状況を打開するためには、現状の問題について正しく認識しなければならない。そのためには自分が置かれた状況を客観視する必要がある。

 

 では、現状はどうか?

 

 どう見ても小学生か、あるいは入学前の女の子が、涙目でこちらを見上げている。

 

 この状況、第三者か親御さんが見ればどう思うか?

 

 冷静に説明すれば、私がむしろ被害者であることはわかってもらえ-

 

 ……るわけがない。

 

 この御時勢、今の光景を第三者が見たら問答無用で私の手が後ろに回ってしまうだろう。私の反論など聞いてはもらえまい。親御さんに見られようものなら、私が明日を塀の外で迎えられるかどうかも疑わしい。

 

 これはいかん。いかんでござるよ。

 

 混乱のあまり時代劇チックな思考になり始めた私は、古典いわく三十六計逃げるにしかずを実行に移すため、この場から即座に退出することを決意した。

 

「間違えた。また来るね」

「ち、ちがいますせん!まちがえていません!ここはきっちゃ、きっさ店、ラビット・ハウスです!!」

 

 だからどうしてそこで噛むんだ。君は私の腹筋を殺しに来ているのか。

 

 このままだと本格的に噴出して変質者になってしまう。そうなる前に退出しようと私は表通りへと振り返ったが、その私のジャケットの左袖を小さな手が掴んだ気配がした。

 

 いかん。これはヤバイでござる。

 

 もう時代考証もなにもあったものではない思考が、私の危機管理室にエマージェンシーコール。24時間365日、おはようからお休みまで、あなたの右心房と左心室をお守りします……何を言っているのだ私は。

 

 いかん、冷静に、冷静になるんだ。考えろ私。

 

 例えば、少女の手を強引に振り払って表に出ていくことは可能だろう。しかし、仮に少女が転倒して怪我をしたらどうなる?不審者案件から傷害事件の被疑者に目出度くレベルアップ。大学生活どころではないし、何より少女に顔をガッツり見られている。

 

 どうしてこうなった。オレッチは休憩に来ただけなのに。

 

 あ、いかん。混乱のあまり一人称がおかしくなったよ?

 

「……あ」

 

 私が扉に向けて百面相をしていると、『open』の看板を見たサラリーマンらしき風袋の人がドアを開けて入ろうとして、そのまま何故か足早に走り去っていった。さもありなん。入口で若い男が変な顔をして立ちすくんでいるのを見れば、誰だって入るのを躊躇うだろう。

 

 これは不味い。今のままでは、さらに状況を悪化させるだけだ。おぼつかない混乱した思考でそのように判断した私は、しぶしぶ振り返ると、私の左袖を掴んだままの少女を宥めるべく視線を合わせた。

 

 私も身長はさして高い方ではないが、その少女とは頭4つほども違うため、どうしても見下ろすような格好になってしまう。そして涙目で上目遣いの少女の存在が、さらに私の警鐘を鳴らす。空襲警報を通り越して、最前線にいきなり放り込まれたようなものだ。

 

 なんでこうなった。セーブ・ポイントだと思ったらラスボスのエリアだなんて、聞いてないよ。攻略本はどこにある。

 

「あ、あの、その……」

「うん、わかったから。とりあえず落ち着いて、話して欲しいな」

「は、はい。あのですね……」

 

 ……頼むから、その泣き顔はやめてほしいなあと、私はどこか現実逃避じみた考えに耽った。私にそのような趣味はないが、加虐趣味のある人物が見ればいかにも……いや、こんなことを考える時点で、私もかなりアウトかもしれない。

 

 とにかく顔ごと視線を強制的にそらしてしまいたいのだが、少しでも外そうすると、今にも少女の表情が崩れ落ちそうになるので、それすら出来ない。

 

 私は仕方なく、それとなく少女を観察しながら喫茶店の中を見渡した。

 

 この店はテーブル席やカウンターを含めて満席になれば20人から30人程度は入れるキャパがあるようだが、あいにく今は自分と少女以外、誰もいない。

 

 つまり事態の経緯を見ていた証人が誰もいない。

 

 やばい。

 

 念の為にカウンターの背後を再度覗き込んで見るが、相変わらず誰も出てくる気配がない。何だかわからないコーヒーの機器が整然と並んでいるだけだ。

 

 やばい+やばい。

 

 リアクション芸で知られる大御所芸人のような反応が脳内で発生するが、今度は目の前の少女に意識を集中させる。断じてやましい気持ちからではなく、この状況を打開するヒントがないかと考えたからだ。

 

 少女は青色掛かった銀髪のロングヘアーの持ち主であり、見た目や体格に似つかわしい幼い顔つきをしている。大きな瞳は髪の色よりも強いアクアマリン。おそらく小学校の低学年か?学生服の上からエプロンをつけている。まるでおままごとの途中で切り上げてきたかのようだ。先ほどの「お爺ちゃん」という言葉を合わせて考えると、おそらくここは少女の家か、あるいは学校からの帰りに祖父の経営する喫茶店に寄ったというところだろう。

 

 よし、考察終了。俺の灰色の脳細胞、よく働いた。気分はシャーロキアン気取りのコナン・フリーク。もうめちゃくちゃだが、今更なりふり構っていられない。

 

「あっと、その、えっと……」

「ちょっといいかな」

「ひゃい!」

 

 ……なんでこう、この子は一々、反応が小動物っぽいかなあ。

 

 ため息が漏れそうになるのを必死に堪えながら、私は出来る限りの静かな声で話し始めた。

 

「ここは君の、お爺さんの喫茶店なの?」

「えっ……?ど、どうしてそれを……」

 

 うえーい。ちょっとまって。少女よ、なんで距離取るの。マジてやめてその反応。どうしても私を社会的に抹殺したいの?思わず恥も外聞もなく土下座しそうになったが、私はむしろ状況を悪化させるだけだと必死に思いとどまった。よし、よく我慢した。頑張ったぞ私!

 

「……ここに入ってきた僕のことを、お爺さんと勘違いしてたよね。だからここは、君のお爺さんの喫茶店じゃないかと考えたんだよ」

「あ、なるほど!」

 

 この頃の私は一人称が僕であった。特に深い意味はなかったけれども。

 

 とにかく私の言葉で少女は安心したらしく、むしろ瞳をキラキラと輝かせて「すごいですね」と、実にわかりやすい敬意と驚きを見せてくれた。

 

 やだこの子。チョロすぎない?今時こんな天然記念物チックな反応する少女がいるの?環境省か文化庁に登録申請しないといけないね。

 

 どうにも私も、この奇妙な状況に感覚が麻痺したためか、思考が脱線しまくりである。ともかく、なんとか掴んだ突破口を逃すまいと、私は少女に優しく畳み掛けた。

 

「じゃあ、僕がお客さんだというのはわかる?」

「わ、わかります!わかりますです!」

「うん。で、店長さんのお爺さんはいないと」

「は、はい。さっきしょうてんがいのかいごうによばれて、ちょっとでてくるからと」

「なるほど。で、お父さんかお母さんはいないの?」

「……おかさんは、わたしが、小さいころに…」

 

 目の前で先程まで輝いていた少女の表情が急速に強張り、再び私の危機が到来した。

 

 あかん(真顔)

 

 瞬間冷凍フリーズドライ……いや、ごめんなさい。うん。これは私が悪いわ。でもだってさ、そんなところに地雷あるとは思わないじゃないか。つい先程まで我慢していた最終手段の土下座をすぐさま繰り出したいところだが、よく考えたらそれはそれで、誰かに見られたらアウトな気がする。

 

 どうする?○ーグル先生か質問箱に聞けば、誰か状況の打開策を教えてくれないかな。

 

「お父さんは?」

「しごとです。ザンジバーランドというくにに、でかせぎにいってます」

「そ、そう」

 

 ……ジョークなのか本気なのかわからないのが、一番反応に困るんだよなぁ。いや、何の職業をやってるの、この子のお父さん。お父さんは冗談のつもりだったのかもしれないけど、この子は多分本気でそれ信じてるよ?

 

 かくいう私も、父親の「俺の仕事は敏腕諜報員」とかいう話を小学生まで本気で信じていたけど。ペラペラ口が軽い時点で論外だけど、なんでスパイが百貫デブなんだよ……いかん。またもや思考が脱線した。

 

 ともかく、これまでの観察と質問で得られた情報を、一度整理してみよう。

 

 ここは少女の祖父の喫茶店であり、少女の母は死去していて、父親も直ぐに連絡が取れる状況にない。

 

 つまり今、この喫茶店には少女が一人っきりであり、営業が出来る状況にない。そして、経営者である少女の祖父はいつ帰ってくるかわからない。

 

 つまり当初の私の目的であった食事休憩は出来ないということになる。

 

 ならば私の取りうる選択肢は一つしかない。

 

「じゃあ帰るよ」

「え?!」

 

 いや、驚くことはないはずだ。私は少女に対して、その理由を伝えた。

 

「店長さんがいないんじゃ、待っていてもコーヒーは出ないだろうからね」

 

 この時、私はあくまで少女に助け舟をするつもりで、そう告げたつもりだった。しかし、この純粋無垢で極めて穢れ無き心の少女-、香風(かふう)智乃(ちの)という名前であると後に知った-は「もっとお客が来ればいいのになぁ」という彼女の祖父の独白を聞いており、それを真に受けていた。

 

 つまり客が来ない=倒産=お爺ちゃんとお別れという、とんでもない三段方程式が少女の中で成立していたらしい。

 

 人見知りで家族以外とはほとんど会話もしないという少女が、初対面の不審者である私の袖をつかんだり、話しかけてきたのもこれが理由であったらしい(後で彼女の祖父から聞かされた)。

 

 なんとも涙ぐましい家族愛であり、とてつもない勇気を振り絞った愛情表現ではないかと涙がちょちょ切れたものだが、当時の私にとってはなんとも都合の悪いことに、全てが負の方向に作用したわけだ。

 

「こ、だ、ダメです!」

「いや、ダメって言われても……」

 

 今にも涙腺が決壊しそうになる少女-当時の私はまだ名前を知らなかったが、面倒なので智乃ちゃんと呼ぶ-には悪いが、私としてはさっさとこの場から解放されたい一心で、突き放したような態度をとることにした。

 

 少し強めに発言すればこの年頃の少女は怯んで放してくれるだろうという、なんとも自分勝手な考えからだったが、その時の私にはそれが最も簡単な解決手段に思えたのだ。少女のトラウマになったらどうしよう、という考えがなかったわけではないが、私でなくても積極的に拘置所に入りたい人はいないだろう。

 

「おじいちゃんも、もうすぐかえってきますから!」

「……いや、でも君は何も出来ないんでしょ。僕はすぐにコーヒーが飲みたいんだよ」

 

 気がおかしくなりそうな罪悪感と、塩を入れた氷水に手を突っ込んだかのような後ろめたさの連合軍による集中砲火を浴びながら、それでも私は最後に残った自己保身の一心を振り絞り、意図的に声を低くして威圧するように智乃ちゃんを強い視線で見据えた。

 

 そして智乃ちゃんは目にいっぱい涙を浮かべると、掴んでいた私のジャケットの左袖を離す。ここまでは私の予想通り。

 

 さて帰ろうとした私は、次に智乃ちゃんの発した言葉に、立ち止まらざるを得なくなった。

 

「な、ならわたしがいれます!」

「……君が?」

 

 図らずも思いもがけずに怪訝な表情を浮かべてしまった私の言葉が、どこか小馬鹿にしたように聞こえたのだろう。智乃ちゃんはキッと私を睨むと、溢れる涙を拭おうともせず、腰に手を当て、私に向かって言い放った。

 

「わ、わたしだって、おじいちゃんのまごです!おじいちゃんのお店は、おとうさんとおかあさんのおもいでのばしょは、わたしがまもるんです!」

 

 あの時に受けた衝撃は、今でもありありと思い出せる。

 

 幼いながらも純粋で、それゆえに決意と覚悟に満ちた智乃ちゃんの言葉は、惰性のまま生きてきた私の胸を激しく揺さぶり、私の状況を打開するための小手先の解決策を、ことごとく吹き飛ばしてしまっていた。だが当時の私は、何故自分よりはるかに体の小さい、それも年下の少女に気圧されているのか、理由が理解出来ずに棒立ちになってしまった。

 

 こうして私が少女の軍門に降ろうとしていたまさにその時、私の両肩を「誰か」が優しく叩いた。

 

 ……誰か?

 

「お客様、私の孫娘が泣いている理由をご存知なら、この爺に教えていだだけませんでしょうか?」

 

 あ、これ(生物学的に)死んだ。

 

 私は自分の血の気が引く音を聞いた。




香風祖父「もしもしポリスメン?」
香風智乃「ち、ちがうんですー!」

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