この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

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前回のあらすじ:馬鹿ばっか(本人含む)。


褒められもせず、苦にもされない。そういう人に私はなりたくない(その2)

 戦争を題材にした映画は掃いて捨てて排水溝が根詰まりを起こすほどに数多くあるが、その中でも1987年製作の『フルメタル・ジャケット』は知名度の点でも内容においても欠かす事が出来ない存在だろう。

 

 インターネット・ミームの格好の材料として有名となったハートマン軍曹ばかりが取り上げられることが多いが、かの完全主義者こと名監督スタンリー・キューブリックが「戦争そのものをありのままに表現したい」という意図を持って取り組んだ意欲作である。ベトナム戦争を題材としていたため反戦映画として取り扱われることもあったが、キューブリック監督はそれすら嫌がったというから徹底していた。

 

 監督の意図がどこにあったのかはともかく、やはり強烈なのは新兵訓練教官であるハートマン軍曹の、画面から飛び出さんばかりの強烈なキャラクターであろう。

 

 映画の中盤で退場させられるにもかかわらず、その印象と存在感は群を抜いている。彼を演じたロナルド・リー・アーメイは退役軍人であり、海兵隊において指導教官を務めていた経歴の持ち主であることも、作中における異様な説得力を与える事となった。

 

 ハートマン軍曹はすざましいスラングと罵倒で新兵の心とプライドをへし折り、一人前の海兵隊員に育て上げるという名目の下、体罰や修正、仲間内のリンチの黙認すら厭わない。その振る舞いのどこまでが冷徹な計算によるもので、どこからが彼自身の嗜虐趣味によるものなのかは、誰にもわからない。自らの差別意識ですら目的のためには正当化されるとし、「貴様らには平等に価値がない」と喝破する強烈なキャラクターは、視聴者の度肝を抜いた。

 

 ミームとして取り扱われたことは、キューブリック監督としては不本意だったかもしれない。それでもこの強烈なキャラクターは、ベトナム戦争を終えて戦争というものを意図的に忘却しようとしていたアメリカ国民に衝撃を与えたという。

 

 同じく戦争というものを意図的に忘却しようとしてた日本においても、それは同様である。『フルメタル・ジャケット』は知らなくても、ハートマン軍曹を知らない日本のネット住民はいないのではないか等々……ミリタリー映画同好会の面々は、準備運動をしながら作品の魅力を私にたっぷりと語っていたが、集合のホイッスルが鳴らされると共に、指導役の近くに目を輝かせて集まった。

 

「よし、初めてにしては上出来だ子豚共!よく聞け、これからランニングを行う。公園外縁を10周した後、さらに10週だ!うれしいか子豚共!?」

 

「「「Sir, yes, sir!!」」」

 

 根っからのインドア気質であったはずのミリタリー同好会の11人は、教育担当である教官役の男性に、腹の底からわきあがるような返答をする。

 

 その大声に早朝の公園を散策していた老人は何事かと眼を剥き、犬の散歩に来ていた飼い主は、あわててルートを変更した。

 

 居たたまれなくなった私を尻目に、11人の新人隊員と1人の教官はボルテージを上げていく。

 

「サー!ランニングの道中は、あの歌を歌うのでありますか?サー!」

「無論だ!さぁ子豚共、ランニング・マーチソングだ!」

「「「Sir, yes, Sir!」」」

 

 おい馬鹿やめろ。

 

 

 自らを天々座と名乗ったちょいわるおやじ風ファッションの男性は、どう見ても堅気の雰囲気ではなかった。

 

 少なくとも私は二次元以外で眼帯をつけた男性を見たのは初めてである。しいて言うのならダヤン将軍の写真と伊達政宗の騎馬像ぐらいか……あと父親がものもらいに罹患した時。

 

 ファッション眼帯かと思いきや、これがガチであるというのだから私は二度驚かされた。顔に合わせて特注したという布製のアイパッチを左部分にあてて、頭の後ろに伸ばした紐を結んでいる。

 

 緩やかな癖毛の豊かな黒髪は襟首回りまで伸ばされており、鼻の下にハの字の口髭がある。顎先の髭は乱雑に伸ばされているように見えて、実際には丁寧に整えられているようだ。

 

 服装は白のカッターシャツに、同じく白のメンズズボン。どこかのブランドのマークの入った皮のバックルベルトでとめ、薄い茶色と黒のギンガムチェックのジャケットを羽織っている。竹刀を振り回しても支障がないところをみると、おそらく吊るしの既製品ではないのだろう。

 

 この手のファッションというものは、往々にして着崩しとだらしなさを混同した結果、軟弱かつ締りのない印象を他人に与えることが多い。

 

 だがこの壮年にさし掛かったと思わしき男性は、そうしたものとは無縁であった。胸元を肌けつつも隙がなく、痩せ型だが一切の無駄がなく引き締まった肉体からは、名工が鍛錬した日本刀のような鋭さと激しさをただよわせている。

 

 そんな天々座氏は、瞬く間に私を除く11人のハートをがっちりと掌握した。

 

 程よい緊張感と軍隊形式の激しい訓練。時折ユーモアを交えつつ、抑えておくべき心構え、あるいは修正するべき点は論理的に指摘する。わずか3日で「素人の子豚」を「後はオーブンに入れて完成を待つだけ」までに仕上げて見せた。

 

 食われちゃうのかよ。

 

 好き嫌いとは関係なしに、性格的に合う合わないというものはどうしても存在するものだ。私とミリタリー映画同好会の関係がそれであり、私は映画鑑賞に熱中するあまり卒業と進級が危うくなったという愛すべき馬鹿者である彼らを好ましく感じてはいたが、どうにも彼らのノリについていけないことが多かった。

 

 天々座氏は流石に事務局から新人教育をまかされるだけのことはあり、現地における実際を想定した訓練は大変参考になった。

 

 やはり実際に経験しなければわからないことは多い。

 

 その天々座氏だが、私はその雰囲気から警察OBか、あるいは自衛隊関係の人物なのかと考えていた。

 

 ところが大会運営本部では警察関係者だけではなく、事務局に出向していた市や商工会のお偉方からも積極的に話しかけられるというVIP待遇であった。

 

 たしかに氏は良くも悪くも目立つ風貌をしているが、私が関係者ならば積極的に話しかけたい人物ではない。ましてやそれがイケメンならば尚更だ。

 

 ひょっとするとミリタリーオタクなだけかとも考えたが、喧嘩や迷子などのトラブル発生時の対応方法や、警察との折衝など、その訓練はあくまで実際の経験に即した実践的なものものが多かった。そのちぐはぐさが私にとっては不可解であった。

 

「対処不可能な問題に、独力で対処しようとするな。むしろそれは害悪である」

「出来ないことは専門家に任せろ。彼らはそれで給料をもらっている」

「期待にこたえようとしなくていい。元々君たちにそれほど多くは期待していない」

「与えられた仕事だけを確実にこなせばいい。君達は君達が求められたことを全力でやれ。それ以上は望まない」

 

 天々座氏の正体が何であれ、氏の考え方や仕事に対する姿勢は私にとっても頷けるものが多かった。未成年の大学生が責任を取ろうということ自体がおこがましいのだ。

 

 努力義務を放棄しろとは言わないがないが、必要以上にプレッシャーを抱え込む必要もない。そう私達に語る天々座氏は、何やら悪童の大将といった雰囲気があった。

 

 めまぐるしく日々が過ぎ去り、本番である秋分の日がやってきた。ついに天々座式教育訓練を受けた私達の真価が試される日が来たのだ。私は柄にもなく高揚した気分のまま目を醒ました。

 

 当日。朝一番で警備本部を訪問した私達に、最初に内容について説明した狩手(かれで)さんが渡したのは、警備員の制服ではなく「警備巡回」の刺繍が入った腕章であった。

 

 ミリタリー映画同好会の10人はそろって不満げな声を上げたが、私などは「なるほど、本当に期待されていないのだな」と知って、返って気持ちが楽になったものだ。

 

「……10人?」

 

 何度数えても同好会メンバーは10人しかいない。

 

 よく見れば私とペアを組むはずだった人物がどこにも見当たらないではないか。

 

 どうしたことかと私が同好会の会長に尋ねたところ、なんと急性胃腸炎のために病院に運ばれたという衝撃の事実を伝えられた。季節はずれの生牡蠣でも食べたのかと考えたが、振り返ってみれば彼は天々座氏の訓練を楽しみながらも、胃の辺りを押さえていた記憶がある。

 

 関係性に乏しい私と組まされたことが、彼にとってはストレスの原因だったのかもしれないが、そうなると私がまるで無神経極まりないようで、どうにも釈然としない。

 

 それはともかく、さしあたりの問題は、誰が私とペアを組むかだ。

 

 同好会の会長は持ち回りで休憩役の会員と臨時のペアを組むことを提案したが、居合わせた天々座氏から「君達にとってはこれが始めての本番だ。精神的な疲労は予想以上に大きいだろう。休息をきちんと取らなければ支障をきたす」という至極もっともな理由で却下された。

 

 私個人としても、いまさらよく知らない相手とペアを組むのはどうにも居心地が悪い。むしろ1人で気楽かもしれないと前向きに考えた私だったが、天々座氏は私の甘い考えを見透かしたかのように続けた。

 

「2人で予定していた仕事を1人で出来るかい?喧嘩や迷子が発生した時、君1人で万全の対処が出来ると?」

「……すいません。無理とはいいたくありませんが、自信がありません」

「結構、君は私の講義をちゃんと聞いてくれていたようだな」

 

 天々座氏は右目をきらりと光らせ、不敵に笑う。

 

 そこに私の必死の制止にもかかわらず、ランニング・マーチソングの替え歌を大声で歌わせた時と同じ気配を感じた私は、背筋に冷たいものが流れた。

 

「今から補充の人員を探すのも難しい。よって私が君のペアとなろう……うちの娘が以前お世話になったお礼もしたいしね」

 

 あ、これ死んだわ(半年振り2回目)。




智乃「ティッピー、ちゃんとおるすばん出来てるかな?」

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