この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

21 / 21
前回のあらすじ:半年振り2回目。


褒められもせず、苦にもされない。そういう人に私はなりたくない(その3)

 天高く馬肥ゆる秋-秋の空は高く澄んでおり、家畜である馬も肥える季節を迎えたという意味である。

 

 読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋と、秋を感じる対象や事象は人それぞれだが、空気の重さが軽くなったかのような感覚を的確に表現したこの言葉は、多くの人の共感を得て、時候の挨拶の定型文として広く使われてきた。

 

 花火大会当日である秋分の日当日。「木組みの家と石畳の街」は、朝から快晴に恵まれた。日中、体感気温と湿度はぐんぐんと上昇したが、午後になると、どんよりとした鉛のような熱気は幾分和らぎ、涼やかさを感じる風も吹き始めた。

 

 暑くもなければ、夜風に首をすくめるほどの寒さには程遠い。澄んだ空気と適度な熱気に満ちた夜空は、まさに絶好の花火会場といえよう。

 

 大学から大会事務局にボランティアという名前のただ働きとして差し出された私は、天々座氏と共に駐車場から会場に通じる通路の警備と誘導に従事していた。通路といっても、朱色の三角カラーコーンと黄色と黒のバーを組み合わせた簡素なものだ。

 

 この街を訪問する観光客は、もっぱら鉄道を利用する事が多い。交通アクセスの利便性に加え、放し飼いになっている耳長のために、一般車両の交通は難しい。そのため観光パンフレットや旅行案内でも、「わざわざ自家用車で苦労するより、ゆっくりと鉄道のたびを楽しむのも、旅の余情のひとつである」と記載されていた。

 

 不便を余情と言い換え、むしろ観光の長所であると開き直る。言葉とは便利なものである。

 

 そのお陰か、この花火大会でも臨時駐車場を利用する観光客は多くはない。事務局が、学生ボランティアでも警備と管理が務まると判断した理由でもある。

 

「はい、止まらず焦らず、ゆっくりと2列のまま、そのまま前にお進み下さい」

 

 私はビールケースをひっくり返した台の上に上り、小型拡声器を通じて開始時刻と注意事項をひたすら壊れた機械のように繰り返していた。天々座氏は赤色LEDの誘導棒を振りながら、私と言葉が重ならないように交互に同じように注意事項を繰り返す。

 

「小さいお子様からは、手を話さないようにお願い致します」

 

 天々座氏の声量はそれほど大きくはないが、不思議と混雑の中でも聞き取りやすく、人々の耳目を集めるものがあった。人の上に立ち、他人に命令することに慣れているとでも言えばよいのだろうか。拡声器を使わなければどうにもならない私とは、それこそ雲泥の差だ。ビールケースのぶんだけ私は高い場所にいたが、どちらが社会的にも生物学的にも優位なのかは、一目瞭然だっただろう。

 

「そのまま前にお願いします……香風の親父さんのところで働いているそうだね」

 

 私が困ったのは、人の流れが途切れる毎に天々座氏が私に質問を繰り返す事だ。黙っているわけにもいかず、私はその度に拡声器のスイッチを切り替えて答えなければならなかった。

 

「……繰り返し申し上げます。次の花火打ち上げは午後6時半からです。こちらは第3会場への連絡経路となっております。どうか止まらず、そのまま前にお進み下さい……バイトですけどね……はい、止まらずに、ゆっくりとお願いします」

「あの頑固親父のところで、よく続くものだ……はい、そのまま前にお願いします……おや、どうかしたのかい。御嬢ちゃん?」

 

 おそらく小学生低学年と思わしき黄色の浴衣を着た少女が、天々座氏を見上げながら首を傾げている。迷子事案かと私と同氏が顔を見合わせていると、緩いウェーブの掛かった濃い赤茶色の髪を頭の後ろで結わえている少女は、成長期特有の甲高い声を上げた。

 

「ねぇおじちゃん。どうしておじちゃんはおめめをかくしてるの?」

 

 少女の口から発せられた何の屈託もない素直な疑問に、同氏と少女を中心とした半径数メートルの周囲の空気が、液体窒素をぶちまけられた薔薇の花の如くに凍りつく。

 

 私も一瞬思考が停止してしまったが、自分の役割をなんとか思い出して、そのまま誘導を続けた。

 

「どうか止まらず、おしゅしゅみくだしゃい」

 

 ……3回も噛んでしまった。

 

 周囲の予想に反し、天々座氏は困ったように笑うと、キングコングが美女を見定めるかのように、その場にしゃがみこんだ。そして自分の腰の辺りをかろうじて越える程度の身長しかない少女と、視線を合わせた。

 

「うん?これかい?まあ色々あってね。ところで御嬢ちゃん。お名前は?」

「めぐみ!」

「めぐみちゃんか。いい名前だね。ところでお母さんかお父さんはいるかな?」

 

 氏の質問が終わるよりも前に、少女の背後数メートルの場所から、人を掻き分けるように、妙齢の御婦人が出てきた。服装や髪の色、そして風貌から判断して、少女の母親だろう。少女と天々座のやり取りを見ていたらしく、その顔から血の気が引いている。

 

「あ、お母さんですか?」

「は、ひゃい!」

 

 天々座氏は立ち上がると、自分に近づく母親の顔を見ながら、口の両端を吊り上げた。相手の緊張を和らげるつもりだったのだろうが、母親の反応を見ていると、その思惑が成功したようには見えない。

 

 私は天々座氏の「笑顔」と思われる凶相に、昔に漫画で読んだ「獲物を前に牙を向く猛獣が笑顔の本質」云々という、長ったらしい説明文を思い出していた。

 

「……すいませんうちの子が大変失礼なことを申し上げまして」

「いやいや、お母さん。悪気があったわけではないことはわかっていますので、どうかお気になさらず……御嬢ちゃん。花火を楽しんでね」

「うん!わかった!」

 

 バイバイと手を振る天々座氏に、少女は屈託なく手を振り、母親はもう一度、深々と頭を下げる。それに見とれていた私は、「いつからだね?」という同氏の質問に対する反応が遅れてしまった。

 

「えーっと……」

「そのまま前に、ゆっくりとお願いします……いつからタカヒロの親父さんのところでバイトをしているのかという質問だよ」

……駐車場に戻られる方は、こちらの連絡経路はご利用出来ません。係員が案内いたしますので、ご希望の方は申し出てください……えーと、確か梅雨の中頃だったから、今年の6月だったと思います」

「それは新記録だな……何か問題が御座いましたら、お近くの係員に気軽に声をかけて下さい」

 

 「お気軽に」という単語に、私は知らず顔が引きつってしまう。

 

 眼帯のイケメンという胡散臭い事この上ない同氏の周りには、不自然なまでの空間がぽっかりと出来ていた。私だって何も知らずに同氏と街中で出会っていたのなら、道を避けるか脇道に逸れていただろう。

 

「交代です」

「よく来てくれた!ありがとう!」

「……お、おう?」

 

 直後、交代で来たミリタリー映画同好会の2人と、私は手が千切れんばかりに握手を交わした。

 

 

 警備詰所に戻る道中、私は天々座氏から様々な話を聞かされた。

 

 もっともその9割は同氏の娘自慢であった。シストに同行した際の理世ちゃんの礼儀正しい対応を私が賞賛したことが、余計なスイッチを入れてしまったらしい。

 

 地雷原を走り抜けたと喜んでいたら、トラバサミに引っかかったようなものである。

 

 誕生日はバレンタインであり、母親譲りの美しい髪の持ち主で、利発で聡明。誰に対しても人見知りせず、学業優秀でスポーツ万能等々……とまあ、天々座理世ちゃんに関する事柄を事細かに、情緒とリズムある浪曲のように聴かされ続けた。

 

 産まれた時の体重に初めて話した言葉、お気に入りの人形の名前に直近の通信簿まで。今なら暗唱出来る自信がある。

 

 その娘自慢は詰所に戻った後も続いた。同じく休憩時間であったメンバーは、天々座氏の相手を私に押し付けて、どこかに出かけてしまった。

 

 あの映画オタクども、どうしてくれよう。

 

「……えー、つまり天々座さんはタカヒロさんとは」

「古い付き合いだな」

 

 ようやく娘自慢が終わった同氏に、私は共通の知人であるという香風タカヒロさんのことを尋ねた。天々座さんは「腐れ縁だよ」と簡単に自分達の関係を評した。香風老人とも古い付き合いらしい。またタカヒロさんとは音楽や酒の好みが共通しており、今でも時折会う関係なのだとか。

 

「帰ってきたのなら、俺のところに顔を出せばいいとは思わないか?」

「何か用事があったのではないですか?」

「だとしてもだ。あいつは昔からスカしたところがあるやつだったからな。どうにも水臭いやつだよ」

 

 天々座氏は古い友人に対する不満を口にしたが、その表情は険相に似合わず柔らいものであった。聞いている限りでは、幼馴染というよりも、戦友とか悪友とか言う表現がシックリ来る。

 

 私はもう少し具体的な関係性についても尋ねてみたが、そのあたりは上手くはぐらかされてしまった。

 

 

 遠くから花火の音と観客の歓声が、交互に秋の風に乗って流れてくる。時折草陰からは思い出したように虫が求愛の声を立て始めるが、花火の音がする度に、それは途切れた。

 

 私と天々座氏は、詰所から駐車場へと向かって、並んで歩いていた。街頭以外に明かりはなく、ほんの数キロ先の祭りの喧騒が別世界のようだ。隣に歩くのが中年の子持ちの男性ではなく、妙齢の美女であればこれほど嬉しいことはないのだが。

 

 それを正直に伝えると、天々座氏は「贅沢を言うな」と、見た目にふさわしい豪快な笑い声を上げた。

 

「さて、どこまで話したか」

「音楽の趣味についてでした」

「そうそう。俺とタカヒロはジャズバンドを組んでいたこともあるんだ」

「あー、あー……あー…………はい」

「……なんだ、その反応は」

「いや、その」

 

 いかにも似合いそうだなと思っただけです。他意はありません。はい。

 

 この見た目でジャズが趣味だとは、そのまんまというかなんというか……日本人なのに日本人らしからぬ趣味が似合うというと、語弊があるか。ジャズに限らず洋楽趣味の人間は、どうにもスカした人間が多いのではないかという、何の根拠もない大いなる偏見の持ち主である私からしても、タカヒロさんや天々座氏の場合は、妙に似合っていた。

 

 天々座氏曰く、一口にジャズを演奏することを目的としたバンドといっても多種多様であり、少人数の編成によるバンドをジャズ・コンボと呼ぶという。天々座氏とタカヒロさんが参加していたのがこれにあたる。

 

 タカヒロさんはバンドの中でアルトサックス、天々座氏はテナーサックスを担当していたそうだ。

 

 サックスといえばアルトであり、テナーはどちらかというと2番手という印象が根強い。天々座氏はそれが酷く不満であり、たびたび演奏中に張り合ったということだ。

 

「曲の演奏中に張り合うんですか?それは何といいますか」

「若気の至りとはいえ、他のメンバーには悪いことをしたと思っている……もっとも、あいつの嫁さんは、そういう罪のない競争を単純に喜ぶタイプだったが」

「どなたの奥さんですか?」

「君はタカヒロの細君について、何か聞かされているかね?」

 

 天々座氏は親友の家庭の事情に関することだけに、自分の一存で話すことには慎重であった。私はタカヒロさんの奥さんが死去していることについて香風老人から聞き及んでいること、そして今日は香風家が揃って墓参りに出かけていることを伝えた。

 

 それを聞いた天々座氏は「ならば話しても問題ないだろう」とつぶやくと、言葉を選びながら話し始めた。

 

 香風サキ。それが亡くなったタカヒロさんの奥さんであり、智乃ちゃんのお母さんであった女性の名前だという。

 

 天々座氏曰く、サキさんは娘の智乃ちゃんと同じく、綺麗な青色掛かった銀髪の持ち主だったそうだ。かなりの美人だったというが、それは智乃ちゃんをみれば想像がつく。一般的に娘は父親に、息子は母親に風貌が似るというが、智乃ちゃんの場合は母親似なのだろう。

 

「歌が上手でな。それも半端な上手さじゃないぞ。下手なジャズバンドは演奏で発音の危うさを誤魔化したりするが、あの娘の場合は伴奏もなしに、独唱だけで観客の拍手喝采を掻っ攫うことが出来たんだ」

「それはすごいですね」

「たしか喉自慢大会に出場した時の演奏を記録したテープがあったと思うが……とにかく闊達な性格をしていてな。その場にいるだけで周囲の心を楽しくさせ、湧き立たせることが出来る人だった。タカヒロの奴、いつも彼女の横で取り済ました顔をしていたが、実際にはベタ惚れでね。その癖かっこつけだから……」

 

 周囲はやきもきさせられたものだと、天々座氏は懐かしそうに右目を細めて語った。今でも当時の時間と記憶を大切にしていることは、その表情だけではなく声からも伝わった。私は先ほどの女子に対する対応も含めて、目の前の人物に対する評価を改めた。

 

 天々座氏にあえて反論するわけではないが、私には疑問が残った。智乃ちゃんの大人びた佇まいや雰囲気はタカヒロさん似だとしても、天々座氏の語る活発でいたずら好きな香風サキさんと、人見知りな智乃ちゃんのイメージが、どうにも結びつかなかったからだ。

 

 今から考えれば、酷く失礼な質問だったかもしれない。私はそのつもりはなかったのだが、それは子が親に似てないのではないかという意味にも聞こえるものであった。

 

 しかし天々座氏は苦笑しながらも、それを咎めもせずに応えた。

 

「君も子供が出来たらわかるさ。子供は親の映し鏡だ。良い所も嫌な所も、これでもかという位に似てくるものだからな」

「理世ちゃんもですか?」

「そうだな。あの娘もだんだんと俺に似てきた……今はそう見えないかもしれないが、智乃ちゃんは間違いなくサキちゃんの娘で、あのタカヒロの娘だ。だから君があれこれと心配しなくても大丈夫だよ」

「いや、別に心配していたわけでは」

「そうかな?私には君が智乃ちゃんの兄貴を気取っているのが可笑しくてね」

 

 口に手を当ててクスクスと笑う天々座氏に私は閉口した。思いつくままに何か反論しようとしたが、その前に私の胸ポケットに入れた携帯が震えていることに気が付いた。

 

 私は天々座氏に断ってから、それを取り出して開いた。

 

「今時、ガラケーか」

「ガラホーですよ。中身的にはかわりませんし、どうにもタッチパネルは操作が慣れなくて」

 

 私は早口で言い訳をすると、新着受信メールの受信ボタンを押した。

 

 携帯ショップからのお知らせに続いて「送信者:リンリン」の文字。真手君からのメールである。subには「注目!」の文字。

 

 そういえば花火大会に行くと言っていたな……

 

「……パンダの友達でもいるのかね」

「覗かないで下さいよ」

 

 私は悪態をつきながら、画面を開いた。

 

 その瞬間、色あせて灰色だった世界が、突如として極彩色の曼荼羅を取り戻した。

 

 手のひらサイズの携帯の画面が、一枚の自撮り写真により、崇高にして聖なるイコンへと変貌していた。

 

 私は拝み臥したくなるのを必死に我慢して、画面に見入った。

 

 それはどこかの休憩所で撮影したと思わしき、1枚の何の変哲もない、そして撮影されるまでは、この地上のどこにも存在していなかった自撮り写真であった。

 

 在り来たりの淡い水色や白をベースにした浴衣を想像していたのだが、青山女史が着用していた浴衣は漆黒の生地に、蔦から伸びた一輪の赤い朝顔が胸元にあしらわれていた。帯は向日葵のごとき黄色の明彩色。その絹糸のような豊かで輝く髪は、見事に結い上げられていた。

 

 唯一残念だったのは、正面からだとうなじが見えないことだが、それですら私には、意図的に完璧さを欠くことで、対象の人物伸びを引き立てんとする神の采配のように感じた。

 

 気恥ずかしそうに、それでいてしっかりとこちらを見ている青山女史の横で、真手君はピンク色のアッパラパーな、いかにも在り来たりの平凡な浴衣を着て、ピースサインをしている。鼻の穴がわずかに膨らみ、頬が高揚していることからも、興奮していることが伺える。

 

 どこまでも色気というものと無縁な娘である。

 

 この残念な娘が写真を送りつけてきたのは、私に対する優越感を誇示するためだろう。底の浅い思惑と無神経なドヤ顔が鼻についたが、この写真を前にすれば、そのようなことは些細なことである。

 

「……尊い」

「何を言っているんだ君は」

 

 天々座氏は私に真顔でツッコミを入れた。




主人公「尊いな」
真手凜「尊いですね」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。