この街の名前は何ですか?   作:神山甚六

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前回のあらすじ:オニジジイVS塩かけ婆。


勇敢な兵士と勇敢な将軍の素質は異なるし、優秀な選手が名監督になるとも限らない(その3)

 私が「ラビット・ハウス」でのアルバイトを始めて、まもなく1ヶ月になろうとしている。働き始めた当初は梅雨の真っ只中であったが、今年の梅雨前線は北上が早かったようで、この街を含んだ地域の梅雨晴れが発表されたのが2週間ほど前のことだ。蝉の鳴き声こそまだ数えるほどしか聞こえないが、街はすでに来るべき夏への備えを始めていた。

 

 この店のマスターである香風老人も、夏季限定のアイス・コーヒーを提供するための用意に着手していた。最も当人は「そもそもコーヒーの本来の楽しみ方とは」だとかなんとか、ぶつくさ文句を言っていたが。

 

 気候変動による異常気象や年々早くなる季節商戦の影響で、日本古来の四季の風情が乱れていると言われて久しい。それでも街を行きかう人々の装いが次第に薄着に変わりつつあるのは、初夏の始まりを告げる風物詩の一つである。古来から三寒四温と言われてきたように、一挙に季節が切り替わることはない。それこそ一斉切り替えの衣替えのように季節が移行すれば、風情もなにもあったものではない。

 

 つまるところ合法的に女性が薄着になっていくのを楽めるようでなければ、男として生まれてきた甲斐がないではないか。

 

 私は店の裏口からぼんやりと外を行き交う人を眺めながら、そのようなことを考えた。

 

 いくらこの店が暇とはいえ、ラビット・ハウスも昼食時にはそれなりに混雑する。賄い飯を胃袋に掻きこんだ私は、少し遅い昼休みを潰す為に、自分の指定席となりつつある裏の勝手口へと向かった。

 

 店の中ではあの忌々しい毬栗耳長と出くわす可能性がある。その点、勝手口であれば運送業者や営業にも対応しやすいし、内線電話での呼び出しにも対応可能。それにお客の目を気にすることもない。私は胸元の蝶ネクタイを緩めると、日毎に熱を強める太陽光を避けるように裏口の屋根の下に陣取り、椅子として愛用している木箱を逆さにして腰掛けた。

 

 この木箱は在庫調べの時に私が見つけたもので、側面の絵や文字を見る限りおそらく海外産のワインが入っていたらしい。中にいくつもの仕切りがあり、作りも丈夫なところをみると、相当高級品だったようだ。どうして喫茶店にワインの空き箱があるのかとも思ったが、私はマスターの了承を得て、この木箱を自分専用の椅子として使用する許可を得ていた。

 

 選挙権が引き下げられたというのに、酒と煙草の年齢はなぜそのままなのか。此処で煙草でも吸えば、絵になるかもしれない。私は一瞬そのようなことを考えたが、嗜好品で自分を飾るという考え方が、いかにも中二病めいたものではないかと考え、自分の頭をブルブルと、あの忌々しいアンゴラウサギの水切りの如く振った。

 

 この「木組みの家と石畳の街」は学生には優しくない街であると以前に述べたが、学生向けの短期のアルバイトでも同じ傾向にある。

 

 ただでさえ大手のチェーン店が極端に少ないため、これらのアルバイトは大学生の間で奪い合いになる。地元資本の飲食店や小売業は、滅多に求人を募集していないし、出来れば身元の確かめやすい地元出身の学生を雇用したいというのが人情というもの。ただでさえ厳しい前提条件の中、私は後述する理由からとにかく手っ取り早く金を稼ごうと、短期の割のいいものを選んで、あらゆる職種を渡り歩いたものだ。

 

 そう考えると、地元資本のラビット・ハウスにアルバイトとして潜り込めたのは、私は運が良かったのかもしれない。私としても当初は「次」が見つかるまでの繋ぎのつもりであった。ところが労働条件の緩さもあり、私としては異例の長期勤務となっている。

 

 その間に私は倉庫整理をしたり在庫調べをしたり、商品の納品作業に従事して倉庫の片付けをしたり、店のマスコットであるアンゴラウサギに威嚇されたり、塩かけ婆とバトルをしたり……あれ?掃除しかしてない?

 

 ともかく忙しく働いているうちに、大学の夏期休暇が始まった。

 

 私が蓄財に励んでいた理由は、大学の同級生との遊興費にあてるつもりだったからである。ところが私は肝心の計画の段階で、季節外れの流感によって乗り遅れてしまた。おまけにオリエンテーションにおける「奉仕活動」発言により女子にそっぽを向かれる状況が続いていた事もあり「お前が来ると女の子が逃げる」として、丁重なお断りをくらってしまったわけだ。

 

 ちくせう

 

 ともあれ遊びに行くつもりで貯めていた資金を生活費に回せるとあって、懐にいささかの余裕が出来た今となっては、新しいバイトを探すにしても熱が入らない。また香風老人は、私の扱いこそ極めてぞんざいであったが、シフトに関しては「手が空いている時に入ってくれればいい」と労働時間は申告制で、希望すれば賄いも出してくれるという破格の条件である。

 

 神様・仏様・香風様である。

 

 ところが実際に働いてみると、中々どうして難しい職場であるということも見えてきた。

 

 確かに働いた分は必ず給与を渡してくれたし、賄い付きなのはありがたい。

 

 問題は肝心の業務内容にある。裏の倉庫を例に上げると、ひとつ納品業者を片付ければ2箇所整理したいところが見つかり、2箇所の整理が終われば3つの在庫が気になるといった具合だ。

 

 マスターからは「そんなに給料も払えないんだから適当でいい」と、これまたありがたいお言葉を頂いている。そんなことだからいつまでたっても倉庫が片付かないのだと思いつつ、私はふと考えた。

 

 実家にいる時、私はよく母親に「あんたは自分のお気に入りのところしか片付けない!」と、私の散らかった部屋と、きれいに整理された本棚を見比べて怒られたものだ。

 

 実際、これまでお世話になったバイト先では、これほど熱心に働いたことはない。

 

 では私は「ラビット・ハウス」を、今の職場を気に入っているという事なのだろうか?

 

 

 あの忌々しいアンゴラウサギの毛玉の故郷とされるトルコには「一杯のコーヒーにも40年の思い出」という諺がある。

 

 トルコにおいて40という数字は、日本でいう八百八町とか八百八橋等で使われる「八百八」と同じ「とにかくたくさん」「数え切れないほど多くの」という意味である。すなわち「1杯のコーヒーを馳走すれば、それだけで40年分の長い思い出に匹敵する。コーヒーを飲むたびに、その思い出が蘇る」ということらしい。

 

 日本の「情けは人の為ならず」という意味に近いとされるが、正確なニュアンスはもう少し複雑なものらしい。民族的、あるいは文化的な差異を考慮せずにこの手の諺を使うと、しばしばすれ違いが起こりやすい。同じ文化圏で育った男女ですら結婚生活が破綻するのだから、むべなるかなである。

 

 さてラビット・ハウスには今日も40年の思い出を求めて、千客万来商売繁盛……

 

 というわけではない。

 

 店のオーナー兼マスターである香風老人は、隠れ家的な静かな雰囲気の喫茶店を理想としている。忙しい日常の中の一服の清涼剤として、厳しい現実に追われる現代人にひと時の安らぎとコーヒーを。第2の我が家としてくつろいで欲しいそうだ。

 

 なるほど、結構なことである。その理想が実現しているとあれば、別に私があれこれ言う筋合いではない。香風老人がバックヤードの事務所で、返済が苦しいだの金がないだのと栄養ドリンク片手に電卓を叩いていなければ、実に説得力があっただろう。

 

「嫌味か貴様!」

 

 請求書の山を片付けながらも、決して私の質問を「つまらない事」とは切り捨てないのは流石である。

 

 私がマスターを尊敬している点があるとすれは、そうした裏方の苦労があったとしても、一旦店頭に立てば微塵もそれを感じさせないところにある。アヒルの水かきというか、見栄っ張りというか。痩せ我慢もここまで徹底すれば大したものだと思う。

 

 自分の仕事に対する良い意味でのプライドと責任感。それを見ていると、生来のなまけものである私ですら、おなざりな仕事はしないでおこうという気にさせられる。最も本人にそんなことを言えば、またいつものドヤ顔をするに決まっているので、絶対に言ってはやらないが。

 

 隠れ家がどうだのといいながらも、この店には意外と若い女性客が来店する。女三人で姦しいとはよく言ったもので、彼女達が来店されると、店の雰囲気は一挙に賑やかなものとなる。大学生や高校生、あるいは中学生と年代は様々だが、彼女達のお目当てはマスターだというのだから、世の中は理不尽だ。

 

 そんな彼女達は決まってカウンター席に地蔵のように並んで座ると、異口同音にトルコ・コーヒーを注文する。いま来店された私服の御客様方-おそらく大学生の集団も、そうした例に漏れない。

 

「少々お時間を頂戴いたしますが、よろしいでしょうか」

 

 そう言うと、マスターはトルコ・コーヒーの用意を始める。

 

 このトルコ・コーヒーだが、コーヒー豆の種類のことではない。コーヒーの淹れ方のことだ。400年以上の歴史を持ち、ユネスコの世界文化遺産にも登録されているというのだから、日本人としてはコーヒーにかける情熱に驚くしかない。

 

 トルコ・コーヒーの起源は、オスマン帝国のイエメン太守がコーヒー豆をスルタンに献上した際に一緒に伝わったとされ、オスマン帝国の影響を受けた欧州側の地中海諸国や小アジア、中東アラブ諸国に広まった。現在ではそれぞれの地域の名前で呼ばれている。特にムスリム諸国は飲酒が禁止されているため、煙草と並んだ貴重な嗜好品として広く伝わったようだ。

 

 トルコ・コーヒーを簡単に説明すれば、水から煮立たせたコーヒーの上澄みを飲むという、極めてシンプルなものだ。

 

 具体的には、まずスプーン1杯づつの粉にしたコーヒー豆と砂糖を用意する、カップ1杯(約100mL)の水を小鍋で沸騰させる。この際、専用の道具があれば良いが、なくても構わない。そして沸騰させた水を弱火にして、あるいは沸騰する前の水、もしくは水を入れる前の鍋に粉と砂糖を入れ、沸騰寸前まで沸き立たせる。吹きこぼれる寸前、泡が全体を覆うように幕を貼れば、火を止める。スプーンで泡をすくい、カップに入れる。残った中身の上積みだけを、慎重にカップに注げば完成だ。

 

 濃さや甘さを調整したければ、スプーンの大きさを変えたり、粉と砂糖の投入のタイミング、大鍋を使うやり方など地域によって、あるいは個人の好みによって入れ方は多種多様。注意すべきは鍋の中身を全部、カップの中に入れてはいけないという点であろう。溶けきれなかったコーヒーの粉が溜まっているため、飲めたものではなくなるからだという。

 

 閑話休題

 

 小鍋をいくつもガス台に並べて、マスターが用意をしている間、彼女達はピーチクパーチク、きゃいきゃいわいわい騒ぎながらコーヒーを待つ。私なんぞは大鍋で一挙に入れてしまえば楽なのにと思うが、さすがにマスターの逆鱗に触れそうなので進言したことはない。

 

 手際よくスプーンを駆使し、カップに注ぐと、マスターは待ちかねた彼女達に何やら気障ったらしい言葉を添えて渡す。尻の痒くなりそうな台詞は、ここでは紹介しない。

 

 自らのコーヒーを楽しむ女性たちを見守るマスターの柔らかい視線は、私に対する邪険なものとは同一人物とは思えない。おそらくジキル博士とハイド氏を胸中に飼っているのだろう。

 

 彼女達は飲み終えると、空になったコーヒーカップをソーサーごとマスターに渡す。するとマスターはカップを天地逆さにひっくり返し、しばらくしてから元に戻す。カップの底をしげしげと覗き込むマスターに、女性達は興味津々だ。

 

「そうだね。君の探しているものはおそらく君の部屋のお風呂場か、彼氏の部屋にあるよ。それと誕生日は来週かな?」

 

「え、嘘、あんた彼氏いたの?!」

「いや、え、ちょ、マスター!なんでわかったの?!」

「やだもー!何で隠してたのよー!」

 

 やだもー!マスターったら、適当なことばっかり言って、女の子の気を引こうなんてー!

 

「何か変なものでも食べられたのですか?」

 

 ……女神に聞かれた。死にたい。

 

 

 カフェ・ド・マンシー、直訳すると「コーヒー占い」である。

 

 その発祥は中東欧とも欧州とも。種類や占い方に解釈と、こちらもトルコ・コーヒーのように多種多様であるが、共通しているのは飲み終わったコーヒーカップの底に残った文様で運勢を占うという点だ。

 

 先の女性達が揃ってトルコ・コーヒーを注文していたのは、この入れ方だと底に粉が残りやすいので、より多様な分析が可能になるからである。マスターはトルコ・コーヒー注文後のサービスとして、この占いを無償で提供していた。

 

 文明人の私は「そんな物で何がわかるのか」ときわめて懐疑的であるが、そんな事よりも私が理解に苦しむのは、この店のマスターがその占いの名人と呼ばれ、若い女性にひそかな人気があるという点である。あんなパチもん臭い和製ショーン・コネリーの言うことをまともに受けて一喜一憂するとは、日本の将来を担うお母様方は大丈夫なのか。

 

 もっとも私としてはカウンター対応に追われるマスターに代わり、青山女史にブルーマウンテン・コーヒーを献上する名誉ある役割を賜ったので文句はないが。

 

 しかし青山女史という人は、実に神出鬼没である。先ほども、いつの間にか私の背後に佇んでいた。ドアが開けばベルが鳴るはずなのに、今回もそうした気配はなかった。私としてはそれほど鈍感ではないと考えているので、不思議で仕方がない。

 

 ひょっとすると青山女史は忍者なのだろうか?しかし女性は秘密の多いほうが魅力的ともいう。つまり女神なので何の問題がない。私はそう結論付け、彼女の机にコーヒーを置いた。

 

「ありがとうございます」

「騒がしくて申し訳ありません」

 

 私としては気を使ったつもりで添えた言葉であったが、青山女史は口元に手を当てて笑う。

 

「占いの嫌いな女の子はいませんからね」

「貴女もですか?」

「私は、そうですねー」

 

 そう言ってこてんと首を傾げて見せる我が女神。

 

 可愛い。

 

 衣替えの移行期間ということもあり、青山女史は冬服と夏服の中間のような格好をしていた。私服も素敵だったが、期間限定の制服も実に尊い。女神は私のような下賎の人間の問いかけにも真摯に考慮し、自らの神託を告げた。

 

「当たったら面白いですし、当たらなくても面白いと思います」

 

 なるほどその通りである。当たるも八卦当たらぬも八卦。古代のシャーマニズムではあるまいし、占いを信じるか信じないかではなく娯楽として消費する。実に合理的かつ茶目っ気のある回答だ。さすが女神。略してさすめが。

 

「店員さんはどうなんですか?」

「大きな声では言えませんがね、泡だの粉だので何がわかるというのです。ただのサービスだからいいようなものの、金を取れば詐欺ですよ、詐欺」

 

 私のあけすけな回答に、女神はころころと鈴を転がすように笑う。

 

「でもマスターの占いはよく当たると評判ですよ?」

「それは長年の接客業で培われた、無意識の観察眼によるものでしょう」

 

 私はひとつ種明かし-というよりも、自分の考察を披露する。

 

 例えば先ほどの女性ならば、探し物があるという点は、左手薬指の指輪の跡でわかる。左手の薬指は願いや愛を深めたい時に指輪を通すもの。あれほど強い跡が残るというのは長期間つけていたのだろうし、外したのはごく最近ということになる。つい最近まで彼氏かそれに類する大事な人がいたのだろうが、顔に暗い色がなかったので別れたわけではない。そして大事な指輪を外すなら自宅か、あるいはその大事な人の部屋……とまあ、このようになる。

 

 もっとも私はしばらく観察して考えてから、しかもマスターの占いという結論と反応を見てから結論に至ったのだが、これを無意識で即座にやってしまうのがマスターの「占い師」としての腕を証明しているのだろう。

 

 私の解説を聞いていた青山女史は、当初こそあっけにとられたような顔をしていたが、最後まで聞き終えると「お見事です」とパチパチと手を叩いた。女神に褒められた。私の人生、今死んでも悔いはない。

 

「推理物、お好きなんですか?」

「まぁ、人並みには……」

 

 西村京太郎、内田康夫、東野圭吾……いざ自分の中で名前を挙げてみると、いかにもそれらしい作家の名前しか出てこないのが悲しいところである。氷菓の作者の名前は何だったかな。漫画も含めるのなら青山剛昌は……あれは推理物というより、コナンというジャンルと考えたほうがいいかもしれない。

 

「別に占いに意味がないとか、そういう身もふたもないことを主張するつもりはありませんけどね」

 

 私は頭を掻きながら、マスターのカフェ・ド・マンシーを擁護する意味合いも込めて続けた。

 

「占いを信じるのも自由なら、信じないのも自由です。でも私は自分の将来が、自分のどうにもならないところで全て決められているかもしれないという、生悟り坊主のような諦観染みた運命論は、あまり好きじゃありません」

「自分の意思とは関係なく決まることもありますよ?」

「確かにそれは否定しません。極端な話、生まれる時代も場所も選べませんからね」

 

 今から考えると、当時の私は青山女史に良い格好がしたいばかりに、聞きかじりの知識や人生観を継ぎはぎにしたものを臆面もなく話していただけである。自らの血と汗による体験の伴わない知識ほど、薄っぺらいものもない。

 

「自分の選択と決断だけで世界が変えられると信じているわけでもありません。だけど限られた環境の中でも、自分の決断によって選択肢を増やしたのなら、必然的に占いの結果も代わってくるとは思いませんか?」

 

 過去も当時も、そして今も周囲の環境に流されるまま、これという努力もしてこなかった自分の言葉であることを思うと、今でも顔から火が出そうだ。

 

「……そうですね。きっとそうだと思います」

 

 薄っぺらい私の言葉に感銘を受けたためではないだろう。青山女史は一瞬だけ驚嘆したように、その目をくるりと見開いて私の顔を凝視する。そしてすぐさま考え込むように、視線を机に伏せてしまった。

 

 何か気に障るようなことを言ってしまったかと慌てたものの、ちょうどその時、カウンターのマスターが視線で時計を指す。見れば『甘兎庵』に砂糖袋を運搬する予定時刻が迫っていた。

 

 私は青山女史に一言断りを入れてから、急いで裏の倉庫へと向かった。

 

 

 引越し作業や八百屋でのバイトの経験から言わせてもらうと、人間その気になれば20キロの袋は流れ作業(バケツリレー方式)でも何とか持てるが、30キロとなると途端に難しくなる。たかが10キロ、されど10キロだ。

 

 香風老人が二重発注を行った上白糖や中双糖は、スーパーで販売されている1キロの袋が、ペーパーバックに20個入ったものである。しかしこれを油断して手だけで持ち上げようとすれば、たちまち腰をおかしくしてしまう悪魔の荷物だ。私は慎重にしゃがみこむと、腰から持ち上げるようにして上白糖の紙袋をひとつずつ運び上げ、表に置いた折りたたみ式のスチール台車に5袋を積載した。

 

 まだ台車の重量的には5袋ほどつめるが、あまり積載しすぎると、路上で何か問題発生した時に身動きが取れなくなるし、一度にたくさん運んでも、相手が荷受け出来ないだろう。

 

 私は電話越しの塩かけ婆の怒声と剣幕を思い出して辟易としながら、ボールペンで仮伝票を書くと、それを手に甘兎庵へと向かおうとした。

 

「ちょっと君」

「はい、なんで……」

 

 私が振り返ると、そこにはえらくダンディな迷彩服の男性が大量の荷物を背負いながら立っていた。

 

 ここ、本当に日本なのかなぁ……

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