高校生という新たな生活が始まるのを機に、俺は田舎を出て都会暮らしをする事にした。
理由は色々とある。その一つは、単純な都会への憧れや好奇心だ。なので俺は後先考えず、都会の高校を受験し、中学卒業後すぐさま東の都へと出発した。
が、現実とはそう簡単には行かないものである。都会進出早々、俺はある問題に直面した。
それはそう。住む場所――いわゆる家探しだ。
もちろん家探し自体は、去年の段階から進めていた。しかし俺が通う学校がある
それでもどうにかギリギリの段階で要望に合うアパートが見つかった。なので俺は安心して上京した訳なのだが……予想だにしないトラブルが発生した。
なんと、俺が東京に着く前日――入居予定だったアパートが火事で全焼。俺は上京当日に、炭と化した新居と向き合う事にしまった。
という事で、上京初日から家無き子になってしまった俺は、今まさに全力で新居を探している。
正直もう詰んだとも思った。だって今から新しい家探すなんて無理ゲーにも程がある。高校生活が始まるまではまだ時間があるし、一回実家に帰ってゆっくり考えようか。ていうかもう上京止めた方がいいんじゃないだろうか。いや、実際そうした方がいいだろう。
だが、突然のトラブルに俺の脳内はかつてないほど混乱していて、冷静な判断が出来なくなっていた。帰るという選択肢すら浮かび上がる事も無く、とにかく雨風凌げる場所探さなきゃ、という焦りから一直線に近くの不動産に向かっていた。
当然一日二日で見つかる訳無い。だがもしかしたら奇跡が起こるかもしれない。とりあえずしばらくはネットカフェで凌いで、金が尽きる前にどうにかする!
判断力の無くなった思考をフル回転させながら、ひたすらに住宅街を早足で突き進む俺の目の前に――奇跡は、突然現れた。
視界に入ったのは、公園の近くにポツンと立っていた掲示板に貼られた、ある一枚のチラシ。そこに書かれたある一文が目から脳みそへ伝わり、理解と同時に足が止まる。
それはここの近くにある寮の入寮者募集のチラシだった。そしてそこには、衝撃的な言葉が刻まれていた。
『管理人補佐募集! ~管理人の仕事を手伝ってくれれば、家賃タダにします~』
家賃タダにします――恐らく一生に一度目にするかどうか分からない今の俺にとっては有り難すぎる、というか都合の良すぎる言葉に、俺は思わず目を疑った。
タダって、あのタダだよな? プライスレスと同義語のあれだよな? ……いや、プライスレスはそういう意味じゃなかったな。つまりこれはあれか? お金払わず暮らして良いって事か? いやいや、流石にそれは無いだろう。寮っていうといわゆる共同生活になるんだろうが、それでもタダは無いだろう。
ていうか、ここら辺って寮あったの? 前に家探ししてた時はそんな情報無かったんですけど。知ってたら迷わず選んでたわ。それを含めて、怪しすぎる。それにこの管理人補佐ってなんだ? 管理人の仕事を手伝うって……どういう事?
衝撃と疑問がごちゃ混ぜになり、ただでさえ混乱状態にあった脳がさらに掻き乱れる。もういっそ見なかった事にして、ここから立ち去ろうかと、チラシから目を逸らす。
……だが、これがもし本当だとしたら? 家賃無しでこの街に暮らせるのなら、これ以上ない幸運なのでは?
小さな欲が、再び視線をチラシに移す。そして目に入る電話番号と、先着一名限定の文字。
「…………あの、すみません。チラシ見てお電話させてもらったんですけど」
次の瞬間、気が付いたら俺はスマホを手に例の寮に電話を掛けていた。
◆◆◆
翌日。ネットカフェでどうにか一夜を乗り越え、俺は早速例の寮に足を運んだ。
「ここか……なんつーか、趣のあるところだな」
目の前に広がる寮は、ハッキリと言ってしまうのなら、ボロッちい建物だった。
寮の名前は『ツクバネ荘』と言うらしい。築五十年以上経ったであろう木造建築。外観だけだとそれなりの大きさがあって立派に見えるが、よく見るとやはりボロい。昨日見た俺の住むはずだったアパート(消し炭)よりは全然マシだが、それでも不安を抱かずにはいられなかった。
どうしてこんな行動を取ってしまったのだろうと、今更ながら後悔している。人間、危機的状況に陥ると、冷静な判断が出来ないらしい。もっと他に取るべき行動があったろうに。
だが、もういくら後悔しても遅い。ここまで来たら後戻りは出来ない。覚悟を決め、俺は玄関にあるインターホンを押した。
待つ事数十秒。木とガラスで出来た引き戸がやかましい音を立てながら開かれ、奥から一人の女性が姿を見せた。
「はいはい……どちらさんですかー?」
欠伸交じりの声を発し、髪を掻きむしりながら女性は俺を一瞥する。
美人、スタイルが良い。様々な印象を与える、女性としてはかなり上位の容姿を持つ人だったが、俺が彼女に対して抱いた第一印象は――だらしない、だった。
まず服装。下は色あせたジーパンに、オシャレの欠片も無い地味なスリッパ。上はヨレヨレの無地の白いワイシャツで、裾の右半分だけがジーパンの中からはみ出ている。そして何より、腰まで伸びた黒髪は手入れしていないのが丸分かりなボサボサ具合。とても女性がお客さんの前に出てくる風貌では無い。
だが、それでも顔は化粧をしていないのにめちゃくちゃ綺麗で、スタイルもモデル並みに良い。絶対しっかりオシャレをしてれば完全無欠な美人になるだろう。
そんな色々勿体無い女性の登場に、何とも言えない不安を覚えていると、女性が大きな欠伸を挟んでから声を発する。
「誰?」
「え? あ、えっと、昨日電話させてもらった者ですけど……」
「昨日? ……ああー、あったあった。そういえば今日来てって言ったけな。えっと……名前なんだっけ?」
「あ、
「あー、そうそう、伊勢海老君だっけ」
「伊瀬界人です」
小学校低学年の頃に付けられていた、あまり良い思い出の無いあだ名を口にされ、若干イラつき気味の言葉が漏れる。
この人……まだ会って一分も経ってないが、凄い不安要素しか感じない。この寮、本当に大丈夫か?
もう帰ってしまおうかと、そんな考えが頭を過ぎった矢先、女性は踵を返しながら、俺を招くように人差し指をクイクイっと動かす。
「まあ立ち話はかったるいし、中入って」
「あ、はい」
流石にこのタイミングでやっぱ帰りますとは言い出す勇気は無かったので、言われるままに寮の中に入る。
「あ、ここ土足禁止だから。これ履いて」
と、どこからともなく出した茶色いスリッパを地面に放る。
どっから出したよそれ……つーか俺、一応客だよね? 何この雑な対応。本当に大丈夫なの? ここ。
再度不安を増大させながら、スリッパに履き替えて彼女について行く。
連れられたのは、恐らく客間と思われる部屋。女性は部屋にある黒革のソファーに腰を下ろし、俺もテーブルを挟んで向かい側の同じソファーに座る。
「まずは何から話したもんか……ああ、自己紹介まだだっけ? 私はここの管理人やらせてもらってます、
「……伊瀬界人です」
「あー、はいはい、伊勢神宮君ね」
「わざとやってますよね?」
小学校高学年の頃に付けられていた、やはり良い思い出の無いあだ名で呼ばれ、若干頬が引き攣る。
「まあまあそう怒んなさんな。で、あんた、ここに住みたい訳でしょ?」
突然の本題に少し動揺したが、慌てて頷く。
「そうですけど……あの、本当に家賃タダなんですか?」
「あ? あー……そういやそんな事書いたっけな……うん、タダタダ。ノープライス」
「全然信用出来ない返答っすね……」
適当すぎるな……こんな人が管理人とか、この寮本当に本当に大丈夫なの?
もう何度目か分からない不安の再発に、もうこの話を無かった事にしようかと思い掛けた寸前、衝羽根さんは背もたれに寄り掛かりながら話し出す。
「まー、難しい事考えなくていいよ。家賃タダは間違えないから。やる事やってくれればね」
「……それって、管理人の手伝いってやつですか? それって、具体的に何するんですか?」
「あー、そうだなー。色々あるけど、一番は――」
どこを見ているのか、視線をゆらゆら動かしながら彼女が説明を始めようとした、その時だった。
「――死ねやぁ! この馬鹿女がぁ!!」
という、喉が枯れそうな怒号と共に、巨大な爆発音と衝撃が俺達の居る部屋に届いた。
「えっ!? 何!? テロ!? 今のなんすか!?」
「はぁ……まーたあの馬鹿共が……まあ、ちょうどいいや」
そう言うと衝羽根さんは落ち着いた様子で立ち上がり、部屋の外に向かって歩き出す。
「ゼロから口で説明するのは面倒だし、実際見てもらった方が早いだろ。ほら、行くぞ」
「行くってどこに!? 見るって何を!? 説明ってなんの説明ですか!?」
「あー、うっせうっせ。いいから早よ来い。帰りたいなら帰って結構。ただその場合は今回の話は無かったって事で。めんどくせーし」
「色々横暴過ぎません!? 少しぐらい説明を――」
「さあレッツゴー」
「話聞いてます!?」
が、どうやら話を聞いていないようで、衝羽根さんはそのまま廊下に出る。
「何がなんだっていうんだよ……」
まだ爆発音聞こえてるし、建物揺れてるし……どういう状況なのこれ!
流石にこのまま何もなかった、知らぬふりで帰るのは逆に怖い。こうなったら、このまま彼女について行くしか無さそうだ。
まるで爆撃を受けているような震動を堪えながら、急いで衝羽根さんを追い掛ける。
廊下を進むと、衝羽根さんはある扉の前に立っていた。そこからは一際大きな爆発音が聞こえる。恐らく、ここが発生源だろう。
「こ、ここって……?」
「いわゆるリビングだ。さあ伊瀬界人君、扉を開きたまえ」
「だから伊瀬……あ、合ってた。な、何が待ってるんですか……?」
「それは君自身の目で確かめたまえ」
「どこの攻略本ですか……」
ごくりと唾を飲みながら、玄関のと似た引き戸を見据える。
この先に何が待っているのか……いや、絶対いいものでは無いのは確かだ。正直怖い。けど、何が待っているのかも気になる。
「……ええい! ままよ!」
意を決して、手を掛けて勢いよく扉を開く。
――瞬間。目の前に真っ赤に燃え盛る球体が現れ、俺の頬を掠めた。
「…………え?」
何が起こったが理解出来ず、先ほど通り過ぎた物体を追い掛けるように、首をゆっくり回すと――視界に映ったのは、粉々に砕けた壁でした。
「……どういう事?」
やっぱり状況が理解出来ず、俺はその場に呆然と立ち尽くす。
「逃げんじゃねぇ! このクソ女ぁ!!」
しかし、そんな俺の目を覚まさせるような、さっきも聞こえてきた怒号が鼓膜に響き渡る。ハッと我に返り、慌ててリビングの中に目を向ける。
次の瞬間、信じられない光景が俺の脳裏に焼き付けられた。俺の今までの人生観を変える、非現実的な光景がそこには広がっていた。
「そんなカンカンしないで、笑顔笑顔!」
「るっせー! テメェがオレをイライラさせてんだろうがぁ!!」
「アッハハー! 当たんない当たんなーい!」
ニコニコ笑いながらリビングを、まるで猿のように縦横無尽に動き回る少女。その少女に向かって、先刻俺の頬を掠めた炎の球を次々と投げつける少年。
「あらあら、本当に二人は仲良しねー」
「はぁ……落ち着いて昼寝も出来ない」
「お二人とも、何を呑気に! 早く止めないと!」
そんな二人を微笑ましく見守る、背中に透明な羽が生えていて、空を飛ぶ大人びた女性に、鬱陶しそうに顔をしかめる黒髪の少女。そして訴えかけるように二人に話し掛ける金髪の少女。
「全く……誰が被害を抑えると思ってるんですか。勘弁してほしいです」
「ハハッ、大変だなー。頑張れよー」
その向かい側で本を片手に、右手から光る魔法陣っぽいものを出す小柄の少年と、隣で呑気に笑う茶髪の少年。
ボロボロになったリビングに集まる所々おかしい人物達と、色々と現実離れした状況。この十六年近い人生で一度も目にした事の無い景色に、完全に思考が停止する。
「…………なんですか、これ」
やっと出た言葉に、後ろに立つ衝羽根さんが口を開く。
「なんて言えばいいかねー。つまりだな――」
「大人しく死ねゴラァ!!」
「あれがああいう事で、あれが――」
「うわっと危ない! そんな怒んなくてもいいじゃーん!」
「だから――」
「るっせんだアホ女ぁ!!」
衝羽根さんが何か言ってるみたいだが、怒号と爆発音で何も聞こえない。
すると不意に、衝羽根さんが前に出る。履いたスリッパを脱いで両手に持って、振りかぶり――
「うっせんだよ黙れクソガキ共ぉ!!」
怒りの叫びをぶちまけながら全速力で放り投げた。二足のスリッパは、騒ぎを起こす二人の頭に見事直撃する。
「イッタァー!? 何ぃ!?」
「グッ……何すんだいきなりぃ!」
「こっちのセリフじゃボケェ! 毎度毎度好き勝手に暴れ回ってくれちゃってさぁ……喧嘩すんなら外でやれやぁ! 客が来とんのじゃアホ共がぁ!」
「えっ、お客さん?」
リビングに居る全員が俺の方に目を向ける。
「あー! ホントだぁ! もしかして昨日言ってた例の!?」
と、今し方衝羽根さんの豪速スリッパを受けた少女は、元気いっぱいな声を出しながら俺を指差す。そのまま素早い動きで立ち上がり、飼い主に駆け寄る犬のように俺の目の前まで迫る。
「初めましてー! 君、ここに新しく入るんだよね? 新しい友達が増えて嬉しいなー!」
「えっ、あ、いや、その……」
「あらあら、可愛らしい子ね。お名前、なんて言うの?」
可愛らしい笑顔で、可愛らしい可愛い子に話し掛けられた事に動揺していると、今度は羽を生やした美人の女性が声を掛けてくる。
なんで羽生えてるの? そんで飛んでるし。それによく見ると耳が少し尖っている。そして何より……胸デカッ!
もっと驚くべき箇所がいっぱいあるのに、バストサイズに一番の衝撃を覚えた事に男の性とは悲しいものだなぁ、と思いつつ、緊張で強張る声帯をどうにか開いて彼女の問いに答える。
「い、伊瀬界人……です」
「界人君ね。素敵な名前ね。私は――」
「ちょっと待って下さいお二人とも! いきなり話し掛けて、彼困っていますよ!」
続いて来たのは、やはり美人な金髪の少女。彼女は他の二人を引き留めるように割って入り、俺を真っ直ぐな瞳で見る。
「いきなり申し訳ありません。もし困っているのなら、私に何でもお申しつけ下さい! お力になりますよ!」
「え? いや、あの……」
「はぁ……いきなりそんな事言われても、余計に困惑するだけでしょうが」
と、遠くで凛とした黒髪の少女が呟く。
「はぁい、テメェらちょっと黙ってろ収拾つかん」
パンパンと手を鳴らしながら、残念美人衝羽根さんが大声を上げる。
「さてと……どうだ、分かったか?」
「……なんも分かんないっす」
「だろうな。分かった方が怖いわ」
「これ、一体どういう事ですか? この人達、なんなんですか……?」
「何かか……まあ、一言で言うなら……」
人差し指をピッと立てながら、衝羽根さんは口にした。俺の現実を一瞬でひっくり返すような、信じがたい一言を。
「――異世界人」