「――あら、界人君。丁度いいところに」
ある日の昼下がり。廊下の掃除をしていると、上の階からシルフィさんが降りてきて、声を掛けてきた。
「何か用ですか?」
「ええ、ちょっとね。ねぇ、この後暇かしら?」
「この後、ですか? まあ……廊下の掃除終わったら、しばらく時間はありますけど」
そう答えると、シルフィさんは艶やかに微笑みながら、両手を合わせて小さく首を傾げる。
「なら丁度いいわ。もしよかったら、この後付き合ってもらえないかしら?」
「いいですけど……何ですか?」
「ウフフ……デート、かしら」
「はぁ、デートですか…………はぁ!?」
思わぬ返答に、喉の奥から絶叫が迸る。
デートって、あのデートか!? 男女が二人っ切りで出掛けて、あんな事やこんな事をして過ごすあの甘いひと時の事ですか!?
いや、落ち着け伊瀬界人。シルフィさんの事だ、きっとからかってるに違いない。この短い期間で、少しは彼女の性格も理解している。絶対そうだ。クールに本意を聞き出すんだ。
一旦深呼吸をしてから心を落ち着かせて、改めてシルフィさんに問い質す。
「で、本当は何なんですか?」
「あら、信じてないの?」
「そこまでお気楽な性格はしてませんから」
「そう。ノリノリで乗ってくれるかと期待してたのに」
肩を竦めながらも、シルフィさんはどこか楽しそうに微笑む。
「と言っても、デートって言うのはあながち嘘ではないのよ。実はこの後、街に買い物に出るから、界人君に付き合ってほしくて」
「買い物ですか? なんで俺が……荷物持ちかなんかですか?」
「それもちょっとは考えてるけど、本当の目的は別よ」
「はぁ……」
よく分からないけど、要は買い物に付き合ってって事か……まあ、その程度ならいいか。
「それぐらいなら、お供しますよ」
「ありがとう、助かるわ。じゃあ今から三十分後に玄関前で集合ね。デート、楽しみにしてるわね」
ひらひらと手を振りながら、シルフィさんは再び上の階に戻る。
シルフィさんと一緒に買い物か……確かに、これじゃあデートとあんまり変わらないな。
まあ、俺とシルフィさんはそんな関係じゃないし、期待しても無駄だろうがな。でも、あんな美人と買い物出来るのは、ちょっと役得かも。
「うっし。じゃあ、さっさと掃除終わらすか」
◆◆◆
それから約一時間後。俺とシルフィさんは二人で、田野関駅近くの繫華街にやって来た。
辺りは都会らしく多くの人で賑わい、巨大な建物が多く連なっている。田舎暮らしの俺にとってはあまりこういった場所に馴染みが無いので、少し緊張する。
「さて、それじゃあ目的地に向かいましょうか」
「はい。って、そういえばこれからどこに、何しに行くんですか?」
「あ、そういえば言ってなかったわね」
忘れてたわ、と笑いを混ぜながらシルフィさんが今日の目的を説明する。
「実は少し前にとあるお店である商品を注文していてね。今からそれを取りに行くの」
「なんかモヤっとした説明ですね……でも、それなら俺が付き合う必要あるんですか? その注文した商品が重いとか?」
その質問に、シルフィさんは「いいえ違うわ」と首を振る。
「じゃあ、ますますなんで……?」
「そうねぇ、界人君に同行をお願いしたのは、なんというか……ボディーガードというか、カモフラージュというか……」
「カモフラージュ?」
「だってほら」
と、シルフィさんは辺りに視線を回す。それに釣られて俺も辺りを見回す。
するとどうした事か、周囲に居る大半の男性の視線がこちら――というより、シルフィさんに集まっているのが確認出来た。中には顔を赤くしたり、鼻の下を伸ばしたりする者も少なくない。
「街に出ると、いつもこうやって注目されちゃうのよねぇ。中には声を掛けてきて、しつこくお誘いしてくる人も多くって」
「それは、まあ……そうでしょうね」
シルフィさんはとにかく目立つ。綺麗な黄緑の髪に、筋の通った鼻に色っぽい眦と唇で形成された顔立ち。そして何より、ボンキュッボンという言葉が似つかわしい完璧なボディ。こんなの、男としてその目に焼き付けない訳にはいかない。
それに、今日の彼女は服装も大胆というか……言ってしまえば、エロい。
上はノースリーブの白いワイシャツに、下はデニムのショートパンツと露出大のファッション。
少し伸びでもすれば、色気全開の脇が姿を現すし、尻と胸のラインがはっきりと浮き出る。
まさに色気の化身。子連れのお母さんなら、すぐさま見ては駄目だと息子さんの両目を覆い隠すであろう。
視線を集めてしまうのも、お近付きになろうと言い寄られるのも無理は無い。現に、俺もつい意味も無く視線を向けてしまう。
「あれ? シルフィさん、耳が……」
ふと、シルフィさんの耳がいつもみたいに尖っておらず、普通の人間の耳のようになっている事に気が付く。
「ああ、これを使ってるのよ」
そう言って、シルフィさんは右手を見せる。中指に、紫色の水晶が嵌め込まれた指輪が付けられていた。
「なんですか、これ」
「これはね、
「偽る……つまり、その石のお陰でシルフィさんの耳が、普通の人間と同じに見えてると?」
「そういう事。私みたいな異種族にとっては必須のアイテム。留学の際に渡されるのよ」
「へぇ……流石異世界。魔法のアイテムみたいのがあるんですね」
衝羽根さんが異世界人はこっちにもいっぱい居ると言っていたが、確かにこんな物があれば普通に紛れ込めるな。
もしかしたら、この場にも異種族の人が居るのかもしれんな……そう考えると、ちょっと怖いな。
「フフッ、こっちにとっては電話とかテレビとかの方が、よっぽど不思議だけど。さて、話を戻しましょうか。えっと……界人君に同行をお願いした理由だったかしら?」
「あ、はい。えっと……ボディーガードでしたっけ?」
「ええ。さっき言った通り、声を掛けて来る人が多くってね。場合によってはまともに買い物も出来ないの。そこで……」
シルフィさんは俺を指差し、艶笑を浮かべる。
「界人君に付き合ってもらおうと思ってね。連れが居れば、そこまでしつこく誘って来る人も減るかと思って」
「はぁ……つまり、俺にいわゆる彼氏の振りをしてほしいと?」
「そういう事。悪いけど、お願い出来る?」
「まあ、それぐらい構いませんよ。俺なんかがシルフィさんの彼氏役が務まるか分かりませんけど」
「あら、そんな事無いわよ。界人君、十分魅力的な男の子だと思うわよ?」
そう言いながら、シルフィさんは俺を覗き込むように顔を近付ける。甘い香りが鼻を擽り、思わず顔を背ける。
「からかわないで下さいよ……」
「あら、冗談のつもりは無いのよ? まあいいわ。そろそろ行きましょう?」
クルリと踵を返し、シルフィさんは歩き出す。
「はい……って、結局目的地はどこなんですか? 注文した品っていうのも、結局教えてもらってないですし」
「うーん、そうねぇ……まあ、前もって教えていた方が良いかしらね。界人君も心の準備したいだろうし」
と、シルフィさんは唇に人差し指を添えて、悪戯な笑みを浮かべながら答えた。
「し・た・ぎ」
「…………はい?」