その言葉を最後に、少女の視線は出久から外れ意識も絶え絶えにうずくまっている二人の男に向けられた。ナイフで切り開かれ、中に詰まった赤い組織が身体の破損を訴える熱のような痛みが、その幻覚が、急速に遠のいていく。
「クッソガキども……なめ腐りやがって……」
地獄の底から響くような声で眼帯男が呻き、出久は目をむいた。あんな馬鹿でかい狼に猛スピードでタックルされたのだ、普通なら即気絶していてもおかしくはない。しかし男たちはビルの壁を背にし、よろつきながらも何とか立ち上がってみせたのだ。
「こっちはプロだぞ、こんな……なめやがって……殺してやる!!」
一度途切れたはずの殺意が何倍にも膨れ上がって路地裏を圧迫し、思わず喉からひゅうと悲鳴のような音が漏れた。その殺意は出久に向けられたものではないのに、それでも全身の骨が電撃でも受けたようにびりびりと震えおののいている。手指など末端から体温が失われ、額や背中に冷たい汗が滲んでいく。それは紛れもない、出久がこの男たちに恐怖しているという証だった。
これが悪意。これが敵。出久もヘドロ事件で敵と対峙したことがあると言えばあるが、あの時はほとんど我を失っていた。正気でこんな、絶対的な殺意と向き合うことはきっと、今の自分の精神力ではできない。だがそんな膨大な殺意を一身に受けてなお、少女の顔には不安も恐怖も怯えも掠めることはなかった。それどころか、男たちの途切れない殺意を嘲り、嗤い、哀れむような表情すら浮かべてみせた。
「なめる? なめてたのはそっちでしょ。子供相手だから楽な仕事だと思ってたんだろうけど、お生憎様」
少女が一拍開けて言う。罪を告白するような、何かを侮蔑するような、複雑な声色で。
「私たち、ふつうの子供じゃないから」
その言葉が二人の男に届いたかどうかは分からない。少女の言葉が終わらぬ間に、彼らは自らの殺意に突き動かされるままそれぞれ攻撃態勢をとり始めたからだ。
まず鳥男が素早く眼帯男と入れ替わって前に出ると、白い羽に覆われた両腕を大きく広げ前方に思い切り振るった。瞬間、男の腕から放たれた無数の羽が小さな鳥へと変じ、少女と大狼へ一斉に襲いかかった。あれが彼の個性か。
「死ねぇぇぇ!!」
鳥男の雄叫びに応えるように、濁った目をした無数の鳥たちがピイピイとけたたましい鳴き声をあげた。凶悪なほどに鋭く尖ったくちばしを携え、狼に迫る。しかし狼は寸分の焦りも見せず、むしろゆったりと余裕のある動作で斜め上方に跳躍した。自身の真横にあった建物の壁に垂直に着地し、間髪入れず再び跳躍。向かい側の建物の壁に足をつけ、さらに跳躍。そうして路地の両側の建物を交互に跳び上がり、瞬く間に建物群のてっぺんへと到達した。鳥たちも狼の動きを追いかけて垂直の軌跡を描き、上へ上へと伸び上がっていく。その間に地上にいる少女は鳥たちが襲ってこない射程外へと飛びすさった。
ひときわ高い建物の屋上に前足がかかると、狼はさらに勢いをつけて跳び上がり、中空へと身を躍らせた。筋肉に覆われたしなやかな肢体が、白金色の体毛が、沈みかけの太陽の光を受けて星のようにきらきらと輝く。
狼はそのまま上空で身を捻り、同じく上空へ飛び上がってきた無数の鳥たちと正面から対峙する格好になった。瞬間、出久は背筋をぞくりとさせる。今気づいた。狼の金の瞳が一瞬、燃えるような憎悪と粘ついた愉悦をはらんでぎらりと光ったからだ。
殺意。圧倒的な。男たちが放ったのとはまた異質の、獰猛な、血に飢える獣が発する生々しい殺意が、暗い路地裏に電撃のように迸る。
ヴォオオオオオオオオ!!!!
空気を突き震わすような凄まじい雄叫びを発しながら、狼は右足を高々と振り上げた。真っ赤な夕日にその太く巨大な爪を鈍く光らせ、体にかかる重力のままに襲い来る鳥たちと激突する。生き物の皮膚や肉など簡単に引き裂いてしまいそうな、凶悪な鋭さの嘴を一身に突き出し襲いかかった鳥たちは――しかし、一匹たりとも狼に一矢報いることはできなかった。
狼の身体をびっしりと覆う、鋼を細くしてよりあわせたような硬質の体毛と、振り下ろされた右足が起こす凄まじい風圧。断崖のような圧倒的な力の差を前に、鳥たちの数の暴力はまったく無力と言うほかなかった。嘴をねじ折られるか方向を見失いてんでに飛ばされるか、もしくは彼の振り下ろした暴悪な爪に八つ裂きにされるなどして、鳥男の羽から生まれた無数の鳥の筵は呆気なく破られた。
鳥たちの猛襲をその肉体ひとつで退けた巨狼は、手近な建物の壁に斜めに着地、後ろ足で思い切り壁を蹴り、その勢いのまま直線上にいた鳥男に真っ向から襲いかかった。ターゲットになった鳥男は指に挟んだ羽を構え、慌てて何事かしようとしたが、遅すぎた。いや、間に合ったとしてもこの猛悪の権化と化した狼に、一矢報いることはできなかったかも知れない。
ドォォォォン!!
「ぐげぇッ!!」
再び狼の、今度はかなり高い角度から猛烈な体当たりを食らい、鳥男の上半身が背後の地面に冗談でなくめり込んだ。轟音が響き、大量の砂埃が舞う。それが晴れた後には、へこんだ地面に仰向けに倒れ伏し、額やら目尻やら口やらから血を噴きだしている、ぼろぼろの哀れな男の姿があった。手にはおそらく体当たりをされる直前に生成したのだろう、先が鋭く尖った大きな羽ペンのような武器が握られている。
「すごい……」
出久は思わず呟いた。圧倒的な力とはこういうことを言うのだと、まざまざと見せつけられたような心地だった。おそらくはそれなりの手練れであろう敵を前に、怖じ気付くこともなく立ち向かい、鮮やかに叩きのめしてみせる――その姿はどことなく、対人戦闘訓練の際に見た、あの翔の佇まいと似ていた。
前回からすでに1ヶ月ぶりの更新かぁ…時間が経つのは早いですね(遠い目
ここら辺の戦闘シーンは書いていてすごく楽しかったです。戦闘シーンを書きたくてこの作品を書いていると言っても過言じゃない。
明日も多分更新できると思うので、お楽しみに~♪