怖くなかったわけじゃない。むしろ実際に人に危害を加える姿を、その圧倒的な力を目の当たりにして、胸に抱える不安や恐怖は一回り大きくなった。それでも付いてきてしまったのは、きっとそれ以上に知りたかったからだ。それが期待していたものにしろそうでないにしろ、真実はもうすぐそこにある。今さら怖じ気づいて逃げるという選択肢は出久の中にはなかった。
少なくとも、こうして翔が自分と真摯に向き合ってくれている間は。たとえそれが自分を騙す演技なのかも知れなくても。
信じなければ、扉に手をかけることもできない。怖くても信じるのだ。翔を追ってくる前に、そう覚悟を決めたのだから。出久は気持ちも新たに、叩きのめした敵たちを交番の前に置きにいった翔を待って、彼と彼の奇妙な仲間と共に路地裏を抜けた。
「自己紹介が遅れたね。私は南野桜。桜って呼んで」
路地裏を抜ける道中、金髪の少女が出久の前を歩きながら自己紹介してきた。鞭を華麗に操ったあの魔法のような指を自身に差し向け、にこりと笑う。
「個性は物体操作。ものにふれると浮かせたり、自由に動かすことができる。ただあまり複雑な動作をするものとなると難しいかな。さっきの羽とか鞭みたいな、簡単な構造のものは操作が楽だし、たくさん動かせる。人間や動物は操作できないけど、髪の毛、爪、もげた腕とか足とかは、本体から離れて時間が経っていれば操れる。植物も枯れていれば使える」
少女――もとい桜は、淀みない調子で自分の個性の説明をした。まるで今まで何度も同じ説明を繰り返しているかのような、実に要領を得た説明だった。
「で、こっちは南野翼。恥ずかしながら、私の双子の兄だよ。個性は動物変化」
桜の指がひらりと動き、今度は左斜め前方に差し向けられる。彼女の指にならって視線を動かすと、路地の端に立ち並ぶ塀を出久たちと同じ方向に歩く一匹の猫が目に止まった。金色の毛並みが見事な茶トラの猫だ。猫はちらりと出久たちの方を振り返ると、またすましたように前に向き直った。
この猫が個性により動物に変化した少年――翼であるとは、傍目からはとても見抜けないだろう。蛙や鳥など、動物と同じ身体的特徴の個性を持つ者は少なからずいるが、完全な動物に姿を変えられる個性は出久も聞いたことがないし、初めて見た。とても希少な個性だと言えるだろう。
「地球上に実在する動物なら何にでもなれる。虫とか魚でもね。さっきのを見たから分かると思うけど、サイズもある程度は調節可能。ただあまり人間とかけ離れた動物に長時間なってると、人間であることを忘れて戻れなくなることがある」
求めてもいないのにつらつらと説明を続ける桜。あいつが戻れなくなると一苦労なんだよねえ、と顎に手を当ててため息をついている。ここまで細かに個性に関する情報を話してくれるということは、信頼されているのか。いや、それとも、知られたところでお前など一捻りにできる、という脅迫めいた意図が込められているのか。信頼されるようなことをした記憶はまったくないし、後者の方が濃厚そうだ。
それにしても、と出久は考えた。動物に変化できる個性。物体を操作できる個性。前者は間諜や情報収集の面にはこれ以上ないほど長けているし、戦闘力も申し分ない。後者は言わずもがなだ。敵が持っている武器を触れるだけで無効化し、それどころか自由に操り自らの得物とすることもできる。それでなくとも世の中には数え切れないほどの物体が存在していて、彼女はそのすべてを味方につけることができるのだ。強力で戦闘の幅も広い、素晴らしい個性だ。あくまで彼らをヒーローという視点から見れば、の話だが。
「すごい……どっちも強力な個性だ」
思わず口に出してしまった。出久の言葉を聞いた桜が後ろを振り返り、笑う。
「それを言ったら君の個性もすごいでしょ。ワン・フォー・オール。あれほどのパワーを発揮できる個性なんて他にないよ」
そうか。そりゃそうだ。パワーやスピードでワン・フォー・オールの右にでる者はいない。何と言ってもNo.1ヒーローの個性なのだ。自分のことを褒められたわけでもないのに何だか気恥ずかしくなり、出久ははははと渇いた笑いを漏らした。
「そ、そうだね! でも、君たちの個性も十分すごいよ! 今まで見たことのない個性だし、ヒーローでも他の職業でも活躍しそうだよね。色んな使い方ができそうだよ」
出久の言葉に、桜は貼り付けたような笑顔を浮かべた。
「君は個性が好きなんだね。でも、」
桜が笑んだまま前を向く。その寸前、彼女の猫のような美しい顔から、みるみるうちに笑みが失われていくのを出久は見た。鏡のような、まるで色のない冷たい表情がぬるりと彼女の顔を覆う。
「個性なんてそんないいもんじゃないよ」
妙に抑揚のない声で放たれたその言葉の真意を、この時の出久は知る由もなかった。ただその言葉に先を歩いていた翔が少しだけ振り返り、静かに長い睫毛を伏せたのがーーその光景だけが何故か、鉤針のように痛みを伴って胸の内側にぶら下がっていた。
はい、ようやく新章スタートです~。今回は少し文量多めにしました。
それにしても文量に比してこのストーリーの進まなさ…どうかしてるぜ(嗚咽
とりあえずストック分は定期的に更新できるようにしていきますので、楽しみに待っていていただけると嬉しいです!