相澤は静かにそう告げると、片手をあげて試合の終了を宣言した。しかし、声を上げる者はいない。転校生の闘いぶりに圧倒され、声を出すのすらはばかられたからだ。
当の転校生はというと、汗すらない涼しい顔で息をひとつつき、勝己を縫い止めていた十本の爪をずるりと引き抜いた。支えを失った勝己の体はめり込んでいたビルの壁から剥がれ、べしゃりと膝から地に落ちる。爪についた砂埃を息で吹き飛ばしながら転校生は、驚きと怒りと悔しさで全身を小刻みに震わせる勝己を横目で見やり、柔らかく微笑みながら言った。
「やりすぎた? でも、俺は忠告したからな」
それは揶揄っているのでも、嘲っているのでもない、ただ厳然と事実を突きつけるある意味もっとも冷酷な言葉だった。自分はお前より強い。だから忠告してやったのだ、と。
勝己はいよいよ憤りと悔しさとを劣等感とを抑えきれず爆発してしまいそうだったが、それでも対戦中のように怒鳴り散らすようなことはしなかった。負けは負け、どれだけ悔しかろうと感情をさらけ出せば、尚更惨めさが増すということが分かっていたからだ。その代わりとばかりに、下唇を皮が破けて血が滲みそうなほどに噛みしめ、ぎらぎらと光る橙色の目で転校生をねめつける。だが、それでも転校生がその涼やかな表情を崩すことはなかった。
へたり込んでいる勝己に向かってぺこりと一礼し、クラスメイト達の方に視線を向ける。その赤色の目が優しく緩み、年相応の照れているようなあどけない笑顔が形作られると、声も出せずにいた1ーAの生徒達の緊張が一気に解けた。顔を見合わせ苦笑いをしながら、転校生の闘いぶりについて口々に感想を交わし始める。
「や、やっべ~……」
「何……何つーかもう……やべーな」
「あの爆豪が手も足も出ないなんて……」
「え、まじで何者? 滅茶苦茶強ェじゃんよ」
「またチートが一人増えた……」
とにかく言葉が出てこない者、戦闘に長けた勝己があっさり負けたことに恐怖を感じる者、更なる実力者が現れたことに絶望する者。その反応は様々だが、皆転校生の闘いぶりを畏れているという点では一致していた。先ほどと同じように転校生に声をかけたり質問したりしているが、向ける視線が試合の前と後ではまったく違っている。好奇に晒され、どこかお客様扱いを受けていた転校生は、勝己との闘いで完全に1ーAのクラスメイトとして迎え入れられたようだった。
転校生を囲むクラスメイトの輪をすり抜け、出久はビルの壁の前でへたり込んでいる勝己の元に向かう。怪我をしているのか、それとも悔しさを噛み殺しているのかは判断がつかないが、どちらにしろ出久には勝己を放っておくことができなかった。おそるおそる顔をのぞき込み、手を差し出す。
「か、かっちゃん。だいじょ……」
「触んなクソが!!」
しかしその差し伸べた手は、勝己の手によってこれでもかと乱暴に振り払われてしまった。ぞんざいに立ち上がると、憤怒のオーラを全身に纏いながらずかずかと立ち去っていく。出久は払われた行き場のない手を持て余しながら、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。講評を始める、という相澤の声がどこか遠くに聞こえる。
……転校生の闘いには、見る者の感情の琴線にふれるような何かがあった。でもその「何か」の正体が掴めず、出久は相澤の授業の講評を聞きながら、先の試合をできるだけ克明に回想してみた。でもやはりその正体は分からずに、ただ転校生の背負う真黒い翼を見た時の、寒気にも似た違和感が名残のように肩口に張り付くだけだった。
これにて第2章終了です!
登場編がようやく終わったという感じですが、翔はいったい何者なのか、どんな過去があるのか……色々楽しみにしていただければ幸いです。