五月。つい先日まで満開だった桜はすっかりと散ってしまい。緑の木々が街並みのアクセントとなっていた。
ある日の夕方。優人は自身が通う学校の教室に居た。今日の授業は終わり、残っている生徒もまばらだが、彼はジッとスマートフォンの画面を見つめていた。
――――渡したいものあるから、学校まで顔出して
「参ったなぁ……」
メッセージの送り主は美咲。渡したいもの、とは言っているが具体的に何なのかは教えてくれなかった。それもあって、彼は躊躇う。
美咲が通う花咲川女子学園は、文字通り女子校だ。校舎も立派で、それこそ男子が近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
――――嫌だ。近付きづらいし
――――正門前で待ってればいいから
――――無理。帰ります
教室には優人の携帯から鳴る着信音がよく響く。残っているわずかな生徒が彼に視線を送る。それに気付いた彼は、急いでマナーモードに設定し直した。
美咲とイタチごっこを続けていたが、それに終止符を打とうとするように彼女は次の手段に出る。
優人が持つスマートフォンの画面に奥沢美咲の文字が浮かび上がる。痺れを切らした彼女は、文句を言う勢いで電話をかける。電話越しの美咲の表情が思い浮かんでいた優人は出るのを躊躇った。しかし、出なかったら後々面倒なことになりかねない。
「……はい」
優人はカバンを持って教室を出る。歩きながら話せば、少しは気が紛れると考えた。自分でも浅はかな考えだと自覚してはいたものの、なんとなく心の拠り所が必要だった。
「言いたいこと、わかるよね」
「早くお家に帰りなさい、でしょ?」
「早く来てね」
彼の冗談は見事にスルーされる。いつものことだが、美咲は優人が都合の悪い時に使う冗談をマトモに受け止めたことはない。一つ拾ってしまえば、話が逸れてしまうことを分かっていた。そしてそれは、元の話に戻せないことも。
「だったら家に取りに行くから」
「ダメだよ。今日この後予定あるから」
彼の提案は、一瞬で却下される。しかし、そこで引かないのが奥澤優人。根本的な疑問を彼女にぶつけた。
「そもそも今日じゃないとダメなの?」
「……そういうわけじゃないんだけど」
形勢逆転。
今日でなくても良いのであれば、話は大きく変わってくる。それこそ、明日自宅まで取り行くこともできるし、美咲が持ってくることだって可能なわけで。わざわざ花咲川女子学園まで足を運ぶ必要はなくなる。
「なら明日、朝一緒に登校すればいいだろ。そこで受け取るから」
途端に饒舌になる。スラスラと言葉が出てくる感覚に、優人は自分でも恥ずかしさを覚えた。
一方の美咲。言葉を発しようとするがいい言葉が出てこない。このままだと彼の提案が採用されてしまう。その一念で言葉を探し出す。
「い、今じゃないとダメだから」
「なんで?」
「気分……的に?」
「はい、また明日な」
気分で俺の一日を左右しないでほしい。優人は呆れながら耳からスマートフォンを離す。しかし、美咲も諦めない。
「……私、ずっと待ってるから」
そこで通話は終わった。優人が切ったのだ。よりにもよって、最後の最後に言葉が耳に届いたことを後悔している。
ずっと待っている――――。咄嗟に出てきた言葉とは言え、彼女は本気だった。彼が来るまで本気で待つつもりなのだ。だが、優人もそれを分かっている。
「……めんどくさ」
美咲はこう言えば彼は来てくれると全て想定の範囲内だった。意固地になっていれば、彼は見かねて要求を飲んでくれる。それが分かっているからこそ、最後のその言葉を呟いた。恐ろしい女である。
優人自身も、彼女が本気で待つような人間だということは知っていた。だからこそ、
廊下で話していたのもあって、電話を聞いていた何人かの女子が楽しそうにしている。顔が合うと互いに話す言葉も見つからず、優人はそのまま階段を駆け下りた。
一階に降りてみると、学校にはまだ多くの生徒が残っていた。部活だったり、生徒ごとに用は違う。そのせいで、下駄箱前もまだまだ賑わっていた。しかし、優人の心は正反対。憂鬱な気分を抱えたまま学校を出た。
それからは一気に人通りも減った。花咲川女子学園が近づくにつれ、それは無くなるのだろう。しかし、やはり寂しさを感じても仕方なかった。
耳にイヤホンを差し込み、スマートフォンから音楽を流す優人。いつかの雨の日とは違い、しっかりと歌詞やメロディーを頭の中で噛み砕きながら音を身体に染み込ませた。
彼は楽器をやっているわけではない。そのためギターのリフがカッコいいとかそんな細かい話は分からなかった。ただ単にギターの音、ピアノの音、ドラムの音。そんな認識で音楽を聴いているだけだった。
それが三曲目に差し掛かると、花咲川女子学園の制服を着た学生とすれ違うようになった。目的地は近い――――。彼は心の準備を整える。正門近くで待っているだけでいい話なのだが。
優人は女子校の雰囲気に未だに慣れなかった。小学校・中学校は共学で、高校もそう。周りの男子生徒は女子校への憧れをよく口にしている。優人もその気持ちは理解できたが、近寄るとなると話は別。雰囲気に飲み込まれるのが嫌だった。
いよいよ待ち合わせの場所が目に入る。優人はそこから少し離れた木陰で待っていることにした。ここなら生徒たちと会うこともないし、話しかけられることもないだろう。
そう思っていた矢先――――。
「あら! 男の人が居るわ!」
風に揺れる木々の音にも負けないほど、その声は高く優人の耳に届いた。少し幼さすら感じるソレは、果たして高校生なのだろうか。よくわからないまま、彼は声のする方に視線を送る。
正門前でハッキリと彼を見つめていたのは、金色の綺麗に伸びた髪が特徴的な一人の少女。花咲川女子学園の制服を着ていて、彼女もここの生徒なのだろうと優人は理解する。
それにしては雰囲気も幼く、発言した言葉にも賢さは感じられなかった。少しだけ嫌な予感を感じた優人は、一方後ずさる。
しかし、時すでに遅し。その彼女はものすごい勢いで彼の元に駆け寄って来ると、興味津々な様子で彼の身体を眺めた。
「あ、あのー……?」
優人の言葉は残念ながら彼女には届いていなかった。目の前にいる
「ねぇ、男の人がどうしてここに?」
自身のことを
「えっと……待ち合わせしてて」
「待ち合わせ? 誰と?」
「と、友達です」
彼女の年齢すらわからない。万が一を考え、恐る恐る敬語で答えた。いやその見た目で優人より年上ということもないだろうが。
「友達って?」
「花咲川に通ってる生徒ですよ」
「違うよ。お名前だよ。あなたの友達のお名前」
どうしてそんなことを聞いてくるのか。彼には理解することが出来なかった。まるで久々の友人と再会したように話しかけてくる彼女。記憶を辿っても、会った記憶は一切無い。馴れ馴れしいその態度に彼はイラつきを覚えた。
答えようか迷っていると、彼女が「あっ!」と何かを思い出したかのような声を出した。
「これから
「あ、はい……」
そう言い残し、彼女は猛ダッシュで立ち去った。
まるで嵐が過ぎ去ったように、優人の周辺は荒んでいるようにも見える。気分的な問題だろうが。
「なんだったんだ……」
そう呟いて、木にもたれかかった。女子生徒の視線とか、もうどうでもいい。疲れ切った彼は、盛大なため息をついた。
彼の人生の中で、一・二を争うぐらいに意味の分からない人だった。話が噛み合っていないのはもちろん、まるで昔から知っているように話しかけてくる彼女の性格。人見知りという言葉を知らない人種なのだ。
それからしばらくして。周辺の安全が確保されたことを確認した美咲が彼の元にやって来た。
「お疲れ様。災難だったね」
苦笑いしながら、優人を慰める美咲。その言葉を聞いた彼は、あからさまに表情を歪ませた。
「――――見てた?」
「うん。バッチリ」
「だったら助けてくれよー…ほんと意味分かんなかったんだから」
肩の力を抜いた彼の言葉に、美咲は思わず笑みがこぼれた。「ごめんってば」と謝ってはみたものの、疲れ切った優人にその言葉は届いていない。
「見殺しにするなんてな。見損なったよ」
「私も嫌なの。彼女と絡むの」
「知ってたの? さっきの子」
「まぁ……知ってるもなにも――――」
喉まで出かかった言葉を急いで飲み込む。咳き込んで誤魔化すが、彼はその様子をしっかり見ていた。
「知ってるもなにも……なに?」
「く、クラスメイトだから。あの子」
咄嗟に考えとは違う言葉を放った。我ながら上手く誤魔化せたと独りでに感心する。クラスメイトであることは事実なのだから、嘘を吐いたわけではない。美咲は開き直った。
「え。てことは……同級生?」
美咲はコクリと頷いた。その表情は苦笑いそのもの。明らかに迷惑していると言わんばかりの表情をしていた。
かつて二人で話した時、あまり得意じゃない人がいると言っていた。頭の片隅に残っていた記憶を、優人は彼女に問いかける。
「じゃあ、あの子が精肉店の?」
「あー…いや。それとは別。そんなことも言ってたっけ」
優人の記憶力に彼女は驚いた様子を見せた。しかし優人本人は特に気にした様子もない。だが、彼女以外にも
「それなら、さっきの子は何なの?」
「あれは……花咲川の
「い、異空間…?」
「そ。学校中で噂になってる」
なるほど――――。優人は申し訳なさを覚えながら口に出さずに納得する。彼が会話したのはほんの数分だったが、そのたった数分の間にも異空間に連れていかれたような。
木々が二人を急かすように揺れる。美咲と合流して五分ほど経つが、二人とも本来の目的を忘れているように見えた。そう、異空間のせいで。
「でもその異空間、バンドやってるんでしょ?」
「……え」
深い意味があったわけではない。優人にとっては。
しかし、それで焦ったのは美咲。口を少し開けて言葉を失っている。こんな時に限って、風は一切吹いていない。風の音で誤魔化すことも考えていた彼女にとっては不運。しかし、その様子に気づいていない彼は言葉を続ける。
「知ってた? バンドやってたってこと」
「ま、まぁ……聞いたことはある……かな」
若干震えた声で、なおかつ濁りきった回答。そこで彼は察する。
「ぎ、逆になんで知ってるの?」
「いや、あの子が自分で言ってたから」
「へ、へぇ……」
まるで脅されてでもいるかと思うほど、彼女の声は震えていた。
結局、二人の会話はそこで途切れてしまう。互いに何を言えばいいかわからないある意味カオスな状況。無論、それぞれの抱く感情は正反対のものだが。
「――――そういえばさ、渡したい物って何?」
「へっ!? え、えっと……」
本題、ようやく。
思い出したかのように、彼は問いかける。しかし、それはそれで困ったのは美咲の方で。彼の機転が余計に彼女の首を絞めることになるとは、優人も思っていなかっただろう。 きゅっ、と小さな握りこぶしを作っている。
「や、やっぱりまた今度でいい? いろいろと都合悪くなっちゃって」
「はぁ? 何のためにここまで――――」
「まぁ、異空間に会えたんだからいいじゃん」
「いや良くないから」
開き直った美咲。ここまでくれば清々しい。ただそれを良しとしないのは優人の方。ここまで折れて折れてこの仕打ちなのだ。文句の一つくらい言いたくなるのも理解できた。
「いいじゃない。女子校の雰囲気少し味わえて」
「まぁ、貴重な体験ではあったけどさ」
「そこは否定してよ。気持ち悪い」
「美咲が言い出したんだろうが」
お互い口調は穏やかだが、言動には棘があった。表情も嫌悪感を示しているわけでもなく、鉛のボールでキャッチボールしているような末恐ろしさ。
同じ場所に十分近く居ると、思春期の女子の目を引くのは必然で。正門のすぐ側で二人の様子を伺っていた三人組の女子生徒が駆け寄ってきた。
「奥沢さんっ」
「あぁ…みんなどうしたの?」
美咲は気怠そうに答える。三人組は彼女のクラスメイトだった。かと言って、特段仲が良いというわけでもない。興味本位で話しかけてきているだけだと自覚していたため、彼女は少しだけ不快な気分になる。が、それを表に出すことはしなかった。
「ねぇねぇ、その人って……」
「あぁ、彼は――――」
「彼氏さんとか?」
幼馴染――――その一言を言う前に、三人組の一人が核心を突く。それを聞いた他の二人はキャッキャと騒いでいる。要はそれが気になっていただけ。美咲と優人は二人一緒にため息を吐いた。
「いやいや。幼馴染だから」
「男の子の幼馴染かぁ。憧れるー」
「あはは…」
思っていた答えが返ってこなかったせいか、騒ぐだけ騒いだ三人組はすぐに立ち去った。明らかに表情を歪ませる美咲と、愛想笑いを浮かべる優人。表情は対照的でも、感情は同じだった。
スマートフォンの時間を確認して、思いのほか長居していたことに気づく。二人は顔を見合わせる。
「……帰るわ」
「なんか……ごめんね」
「いいよ。ま、無理すんなよ」
彼の中では、紛れもなく無駄な時間を過ごしていた。
別れを告げて二人正反対の方向に歩き出す。二人の距離感が二十メートルほど開いた時、美咲はとある人物に電話をかけた。
不思議とさっきよりも辺りを通る生徒の数は減っている。しかし、美咲はそれに気がつかなかった。
「もしもし、花音さん? ごめんなさい、今から向かいます」
そのせいで、彼女の話し声はしっかりと彼の耳に届いた。
テニス? バイト? それとも他の何か?
彼は考えを巡らせるが、結論は出ないまま。ひたすら前を見て歩みを進める。先ほどは無かった強風。伸びてしまった髪の毛が乱れる。
(女子校の近くだし)
さりげなく髪の毛を整える。誰も見ていないのに、一人虚しくなったまま帰路についた。
ありがとうございました。
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また、高評価していただいたカルシウムナベさん、ありがとうございます。
一話と二話は、書き溜め分の更新です。
明日は更新難しいと思いますので、日曜日辺りにはアップしたいと考えております。
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