日差しは大きく傾き、薄っすらと夜の帳が降り始めていた。整った身なりの伝令が馬に勢いよく乗ると、すぐに5人の集団から離れていく。その姿が見えなくなったと同時に、渡された手紙をリーダーらしき黒人が読み始めた。カーボーイハットのつばを指で上げる。覗いた表情は冴えない。渋そうな声を漏らす。
「おいおいおい。アービン達、逃げ出したってよ。やられたヤツも結構いるらしい」
「やっぱか」
「やっぱって……。つれないねぇ。レオも。知らない連中じゃないだろうに」
「ラッジだって、こうなるって分かってたろ?」
「俺は一応、忠告したぜ。やめとけってな」
手続きは踏んだから自分は善人枠とでも言いたげな黒人に、レオは軽く肩を竦める。もっとも彼は、本音ではこの状況を悪くないと思っていた。それはラッジも同じ。なんと言っても、これでアービン達に大物を先取りされる心配をしなくて済んだのだから。
レオ・トリュフォー。これが今の男の名前だ。以前は似ても似つかない名前だった。正確には、ここに生まれる前の話だが。しかし当のレオは、前の名前など少しも執着していない。顔付きも身体付も、まるで違う。そもそも前の面白くもない自分など、思い出したくもないからだ。
あの胡散臭いハワイ親父の言っていた話は、本当だった。かつて日本にいた彼は生まれ変わった。モンスターが跋扈する、中世ヨーロッパ風ファンタジーな世界に。ただ文字通り人生のやり直しになったのは、想像とは違っていたが。なんと言っても、赤ん坊から始まったのだから。
かつての記憶が蘇ったのは、5歳か6歳くらいの頃。それからのレオは神童あつかい。無理もない。こんな中世から近世程度の文明度の世界で、現代科学の知識を持ったままなのだから。しかもハワイ親父の言っていたサービスは、これだけではない。レオは、ある種の魔法の才が抜きんでていた。この世界では魔法が使えるというだけでも、一目置かれる。それが抜きんでているとなると、有利なんてものではなかった。
今の彼は、魔導士としてこのパーティに加わっている。ただいま仕事の真っ最中。
羽織ったマントから手を伸ばすと、ラッジの手から手紙を受け取った。書かれている内容はあっさりしたもの。黒人カーボーイが口にした通り。レオは身体に立てかけていた杖を手にすると、隣の大男に手紙を差し出した。
そこには、フルメイルに身を固め、見るからに騎士といった出で立ちの上背のある男がいた。ジェロム。それがこの偉丈夫のファーストネームだった。見た目通りの筋肉の塊。筋トレフェチではないかという程。もっともこのバカ力が、これまでも何度も役に立った。仲間としてはありがたい、とレオは思っていた。
ジェロムが、野球グラブのような手で小さな手紙を手に取る。綴られている文字を目にすると、いかつい顔が余計に険しくなった。
「これは……なんという事だ。アービン達は20人近いパーティだぞ。それがまるで歯が立たなかったとは。さすがはアークデーモンと言った所か」
「おい、読んだんなら、俺によこせ」
「ん?ああ」
大男の隣にいるチンピラ風の男が、奪うように手紙を手にする。立てた銀髪に一筋だけメッシュが入っていた。もっとも、この世界には毛染めはない。薄めた漆でも塗っているのか、などとレオは思っていたが。当人はファッションのつもりなのだろうが、センスがいいと思っている仲間はいなかった。
彼のファーストネームはクロード。見た目も言動もガラが悪い。だが、その動きは、サーカスにでもいたのかというほど軽快。動きは軽く、技も鋭い、手先も器用。確かに、能力だけは卓越したものがある。
クロードは斜に構えた態度で、さっと手紙の内容に目を通すと、鼻で笑った。その型に嵌ったような仕草に、レオはキャラを作っているのかもとすら思ってしまう。
「ハッ!大口叩いて、これかよ。ザマァねぇぜ」
「クロード。そういう言い方はないでしょ」
クロードの隣から、女性の厳しい声が飛んできた。声の主はエヴァ。本職はなんと神官。さらに結構な美人。長いライトブラウンの髪をシニョンでまとめている。もっともそのシニョンは神官帽の中に納まって見えないが。
その身なりは神官という職の割には飾り付けたような仰々しさはなく、逆に軽装。これも動きやすさを優先させたためだ。ただその簡素な神官姿は、彼女のスタイルの良さをアピールしているかのよう。なまめかしさすら漂わせている。実際、町の男達の口端に上る事が何度もある。相手は神官にも関わらず。聖職者でなければ、貴族や王族ですら言い寄ってきただろう。その整った顔立ちといい、見た目に限っては本当に文句のつけようのないのだから。
彼女は、クロードからこれまた奪うように手紙を取る。視線を手紙に流すと、手にしたメイスを地面に置き、祈りを上げた。整った顔が、厳かさに染まる。
だがそれもほんのわずかな間。直後に見せた表情には、厳かさなど綺麗サッパリ消え失せていた。そこにあるのは気合い。そして、愛用のメイスを勢いよく肩に乗せた。あっさりと切り替わった彼女に、ラッジは感心と呆れが入り混じったような態度を見せる。
「一応、神官様だろ?エヴァは。もう少し祈ってやったらどうよ」
「もちろん、葬式の時にしっかりやるわ。それより、次相手するの私達よ。下手したら、葬式挙げられる側になるわ」
「だよな。死人の相手は、仕事が終わった後がいい」
レオは木に寄りかかったまま、雑談のように言う。
するとエヴァの脇から、おずおずと近づく影が一つ。まさしく影のように、真っ黒いローブに身を包んだ女性が。黒髪なのでよけいに黒い。ローブから覗いた白い手には、長い杖が握られていた。さも魔導士ですと言いたげな外見。遠目には、森の奥にでも住んでいる童話の魔法使いのよう。違う所と言えば、老婆ではなく若い女性という点だ。もう一つ上げれば、この黒ずくめのせいで分かりにくいが、結構顔付きは可愛い。彼女もレオと同じ魔導士。ファースネームをサラという。
サラにエヴァが気づく。
「ん?サラも見る?」
「え……、あ、じゃ、ちょっとだけ」
そう言うとエヴァの手にある手紙を覗き込むサラ。ただし受け取ろうとはしない。
「あ、ありがとうございます。もう読みました……」
「そ」
そして手紙はラッジに戻る。懐に収めると、カーボーイハットの黒人は演説するかのように腰に手をやった。自然と全員の気持ちが切り替わる。顔付きが一斉に引き締まった。
「てな訳で、いよいよ俺たちの順番だ」
ここでエヴァが愚痴を零すように質問を一つ。
「そもそもなんで、アークデーモンなんてものがいるのよ?」
「なんか無資格の隠れ魔導士が、悪魔召喚に成功したのはいいが、契約に失敗したんだと。で、当人はエサになっちまったそうだ」
「悪魔が悪人を処分してくれたのね。そのまま魔界に帰ってくれれば、余計に良かったのに」
「帰りがてら、つまみ食いしたくなったんだろ」
クロードの不機嫌そうな声が挟まれる。
「獲物の事情なんて、知ったことかよ。んなもんは、どうでもいいぜ」
「確かにな。相手の力の程が分かれば十分だ。しかもこの度は大物。腕の試し甲斐があるというもの」
ジェロムは手にした大ぶりなハルバートを、勢いよく地面に突き立てた。その演技かのような仕草に、小バカにしたような視線を送るクロード。ラッジはカウボーイハットを被り直すと、溜息を一つこぼしていた。彼等のこんな態度は、いつもの事。だが纏めるラッジにとっては、気苦労の一つには違いない。
黒人カーボーイは、仕切り直すかのように手を広げた。
「とにかくだ。作戦は考えたし。準備も終わってる。上手くいきゃぁ、大金手にして、しばらくは上手い酒が飲めるって手筈だ。で、今回のキモはレオなんだが。俺は未だにお前の言ってたの、よく分かってねぇんだけど」
「結果だけ理解してれば十分だよ。効果は保証する。だよな、サラ」
「え、あ、はい……」
黒ローブの女性は手にした杖を小さくなりながら強く握りしめ、わずかにうなずいた。だが不思議と自信のようなものが、ローブの隙間から見える瞳に窺える。担当は完璧にこなしたと言いたげなものが。レオは彼女へ、励ますかのように一つうなずいた。するとサラも、はにかんだような笑みを返す。覗く頬を染めながら。その仕草に、レオの胸の内も騒めきだす。こんな感覚を、彼はずっと楽しんでいたい気分だった。
その時、無粋な声が飛び込んで来る。ずっと不機嫌そうだったクロードが、楽しげな声を上げていた。レオは思わず舌打ちしそうになるのを我慢。
「ヘッ、どうやら獲物が来たようだぜ」
クロードの言葉に、一同の頭は戦闘モード。彼の視線の先、そこにいかにも悪魔と言いたげな人型が見えた。アークデーモン。上位の悪魔だ。並の悪魔より一回り大きい体躯。背にある蝙蝠羽。そして頭部にある巨大な角。放つ魔性の気で、陽炎のように姿が揺らいでいる。エヴァ以外は、初めて目にする悪魔だ。彼女の話通り、これまでの悪魔とは格が違うと肌で感じていた。
悪魔を目にしたラッジの眉間が、少しばかり狭まる。だが声には、いつもと変わらない落ちつきがあった。
「んじゃ、始めるか」
全員が黙ってうなずいた。
最初に動き出したのはジェロム。地面に突き刺していたハルバートを勢いよくエヴァの前に差し出す。すると彼女がメイスを手に詠唱を始めた。このメイス。彼女の魔法の杖だった。だが何故それが杖でなくメイスなのかというと、この女神官は結構腕力があり武芸も嗜んでいた。杖兼、鈍器という訳だ。
「エヴァ・モアブルが願い奉る。大いなる御手をこの刃に下し、纏いて穢れを打ち払わん。オラサクレ!」
ハルバートが淡い光に包まれる。聖なる加護が刃に宿る。対悪魔用の魔法だ。
ジェロムは全身に力を込めると、大声で叫んだ。
「では、推して参る!」
騎士は悪魔に向かって走り出した。次にクロードが左右の腰の鞘から、ショートソードを抜く。
「さっさとやれ」
「人にもの頼むんだから、言い方ってもんがあるでしょ」
「いいから早くしろって」
「全く……」
エヴァは渋々、詠唱を開始。ジェロムと同じ魔法を二刀にかけた。魔法が完了すると、両手に剣を構え滑るように走り出すクロード。レオはその背に、楽しげなものを感じていた。アークデーモン相手だというのに、チンピラとの喧嘩にでも行くかのよう。
次はラッジ。矢筒を差し出す。
「エヴァ。こいつも頼むわ」
「ええ」
また同じ魔法を唱える女神官。矢に魔法がかかる。
作戦の第一段階が終わり、次の作業に移ろうとするエヴァの脇から、黒い影がぬっと出てくる。サラだ。
「わ、私も、な、何かした方がいいんじゃないでしょうか!?」
「わっ!?」
不意に現れた真っ黒な塊に、思わず一歩下がってしまう女神官。レオが彼女の肩を叩く。
「サラ、力抜けって。だいたい、お前の闇魔法は今出番ないだろ。相手は悪魔だぜ。俺の汎魔法も今は使えないし。俺等はトドメ役。それまで連中に任せとけばいいんだよ」
「そ、そうですね……」
申し訳なさそうに小さくなる、黒ローブの女魔導士。
この世界の魔法は三つに大別される。汎魔法と闇魔法。そしてエヴァが使っていた聖魔法。聖性の魔法、聖魔法。魔性の魔法、闇魔法。その他の魔法、汎魔法だ。しかもこれは魔法だけではない。全てのもの、生物も、物質も、モンスターも、それぞれがどれかの属性に分類される。そのため相性というものがあった。魔性の存在に、聖魔法は効果が強く。闇魔法は弱い。汎魔法は、それなり効果があるとなっている。今回相手にするのはアークデーモン。魔性の存在だ。闇魔法が全く効かない訳ではないが、割に合わない。
あらためて気合いを入れなおすエヴァ。メイスを強く握り、厳しい視線を悪魔の方へ向けた。
「二人の支援に行くわ」
「うま~く、二人誘導してくれよ。特にジェロム。あいつ、戦いに夢中になりがちだしよ。あくまで罠にハメんのが目的だかんな」
「分かってるわ」
ラッジに言葉を返すと同時に、力強く足を進める女神官。黙っていれば清楚に見えるが、今はカチコミに向かうマフィアの女ボスかのよう。そもそも普通のパーティなら、神官は後衛。だが、このパーティに限っては前衛の一人だった。
突撃した三人を見送ると、ラッジも準備に入る。近くの木に登ると弓を構えた。
アークデーモンは丘の上で辺りを見回していた。警戒するというより、獲物を探すかのよう。そしてその対象をすぐに見つけた。歓喜に染まった視線がパーティへと向いている。悪魔の口元がいびつに歪む。獲物の方から来たとでも言いたげに。
巨躯に生えた蝙蝠の翼が、大きく羽ばたこうする。だが羽を伸ばした矢先、アークデーモンの動きが止まった。何本もの矢が突き刺さっていた。この上位の悪魔は魔性の気で全身を守っている。普通なら矢などはじき返される。それがいとも簡単に通っていた。ラッジの矢だ。エヴァの魔法の効果だった。
矢に気を取られていたアークデーモンの右側から、ジェロムのハルバートが打ち下ろされる。
「我が名はジェロム・ド・ロメール!お前を我が武勲に加えてやろう!」
アークデーモンに並ぶほどの大柄の騎士の刃を前にしても、動揺を見せない悪魔。すぐに対応。魔力障壁を張る。しかし、ハルバートを包む光が障壁を無効化、そのまま悪魔の腕に刃が刺さる。だが、腕の途中で止まってしまう。さすがはアークデーモン。単純な身体の強さも並ではなかった。ジェロムの剛腕をもってしても、腕を切り落とす事ができない。
続いてクロードが素早い動きで、左から二刀を繰り出す。同じく障壁を突破するが、彼の剣では切り傷を付けるのが精いっぱい。
「チッ!硬ぇヤツだな!」
一旦下がるクロード。しかしそのため、左右に意識が散っていたアークデーモンがジェロムに集中しだす。魔法を唱えだした。
「面白い!アークデーモンの名に相応しいヤツ。だからこそ戦う意味もあるというもの!」
気炎を上げる偉丈夫。しかし突然、悪魔の詠唱が止まった。
「ゴアッ!?」
叫びと共に、アークデーモンの顔面中央にメイスがめり込んでいた。エヴァのメイスだ。顔を押さえもがく悪魔。鼻頭に直撃。誰もが、その痛みを想像できた。
クロードが呆れた声を漏らす。
「相変わらず、陰険な所狙うよな。お前はよ」
「あんたに言われたくないわ!それより!二人で挟み込む手筈でしょ!何、下がってんのよ!」
「一旦間合い取っただけだろうが!うるせぇな!」
敵の眼前で、口喧嘩を始める二人。彼等を遠目に見ている黒人カーボーイが、ため息と共にぼやく。
「全く……仕様がねぇな。うまく誘導しろって言ったのによ」
エヴァが喧嘩に乗っては、なんのための誘導役なのか。ラッジは気を取り直し、特殊な矢を手にすると放つ。ひゅーっと言う奇妙な音が響き渡る。鏑矢だ。その音に、落ち着きを取り戻す三人。鏑矢を合図に、計画通りに動きはじめた。三人はアークデーモンから離れ一か所に固まる。
アークデーモンは、顔を歪ませ、歯ぎしりをし、怒りを全身で表現するように気を放った。そして一か所に集まる三人に、雄叫びを上げ突撃。魔力を纏った拳を振り下ろす。
爆発したかのような激突音が響く。三人は力を合わせ、アークデーモンの拳を受け止めていた。
「大したものだな!悪魔よ!」
「俺に力仕事させやがって」
「さすがにキツイわ……ね」
三人はなんとか堪え、悪魔を押しとどめる。
しばらくはつばぜり合いのような硬直状態が続いたが。それでもずるずると三人は下がっていた。勝利を確信したのか、アークデーモンの口から牙が覗いていた。三人を見下すような笑みが浮かぶ。
その時、悪魔の角にラッジの矢が当たった。さすがに硬い角には刺さらず弾き返される。しかし、これで一瞬気が逸れる悪魔。この矢と同時に、三人が大きく後ろへ飛び退く。
突然支えがなくなり、アークデーモンは前のめりに倒れた。倒れた先の地面が簡単に崩れる。その下にあったのは底の深い大きな穴。この大柄の悪魔が収まるほどの。これこそが彼等が仕込んだ罠だった。
予定通りの展開に、ラッジがガッツポーズ。それと同時に叫ぶ。この罠には、まだ続きがあった。
「よっしゃ!レオ!」
「ああ」
レオは後衛から飛び出すと、落とし穴のすぐ側まで駆け寄った。そして杖を地面に付ける。
「ドロルンムーレ!」
すでに詠唱を終えていたレオの魔法が発動。すると悪魔が嵌った穴の上に、コーヒーメーカーのような複雑で巨大なものが形作られた。科学の実験道具にも見えなくもないものが。それが、穴に蓋をするように現れた。
ラッジがさらに叫ぶ。
「エヴァ!サラ!」
「分かってるわ!」
「は、はい!」
二人が同時に魔法を唱えた。出現したのは火と風。それが科学実験道具へ放たれる。落とし穴の底に敷き詰めていた燃料に火がつき、炎が上がった。しかも、凄まじい勢いで火力を上げていく。落とし穴を覆う科学実験道具に空いているいくつかの穴から光が漏れる。まともに直視できない程に輝きを増していく。ここにいる誰もが理解していた。中はとてつもない温度だと。
レオはこの光景を眺めながら、自然と口元が緩みだしていた。想定通りになったと。長年の研究の成果が一つ確認できたと。
悪魔退治だと言うのに、あたかもキャンプファイヤーを囲むかのような一同。しばらくして、エヴァがポツリと言う。
「死んだわ」
「本当か?」
「ええ。魔力を感じない。レオ、火消して」
すでにエヴァとサラは魔法を止めていた。それでも、まだ漏れる光は輝きを失っていない。そういう温度だ。簡単には消えない。するとレオは、再び杖を地面に付ける。入気口を魔法で塞いだ。酸素の供給口を失い、徐々に熱が収まり始める。加えてサラの冷却魔法で冷やす。やがて完全に素焼きの陶器のようになった。レオがさらに魔法をかけ、この科学実験道具を分解していった。中はまだくすぶり、結構強い放射熱を放っている。しかしそれだけ、他には何もいない。覗きこんだラッジは、渋そうな表情を浮かべていた。
「おいおい、どうなってんだよ。いねぇじゃねぇか。逃げられたのか?」
「完全に溶けたのさ。鉄だって水みたいになる温度だ」
レオの自信あり気な言葉。満足感すらある響き。一方のラッジは、顎を抱え考え込むだけ。
「なんだそりゃ?ドラゴンのブレスかよ。どうやったんだよ」
「こいつは、炭にバイオコークス加えた熱風炉。いくらアークデーモンでも、欠片も残らないさ」
「ばいおこーくす?いつもの事だが、お前の言う事はやっぱ分かんねぇわ」
レオは何も返さない。熱風炉の作り主は、まだ光を残している穴の底に見入っていた。
この仕掛けはレオとサラの共同作業。熱風炉はレオの魔法だが、バイオコークスの方は、長年の研究の末、レオとサラで作り上げた。アークデーモンですらあっさり溶かしたこの技術は、別に悪魔退治のために考えた訳ではない。全く別の目的のため。むしろ今日の仕事は、その立証のためでもあった。アークデーモンですら実験材料だ。そして結果は満点。レオは確信していた。これならスケジュールを先に進められると。
ふと彼の脇から、ジェロムの不満そうな声が届く。腕を組んで物足らなそうな顔をしていた。
「それにしても、もう少しばかり戦いたかったものだ」
一方、クロードは二刀を鞘に納め、もう帰り支度。
「この戦闘バカが。仕事は早く終わった方がいいに決まってんだろ」
「お前とは戦いへの心がけが違う」
「さすが貴族様だぜ。いや、肩書きだけだったか」
「お、おのれ……!元盗賊風情が何を言うか!」
「ああっ!?」
ジェロムへ、因縁つける見本のような顔を向けるクロード。険悪な様子の二人。エヴァが呆れ顔で、止めに入った。悪さをした子供を叱る母親の様に。結果、火に油。後ろではサラがオロオロするばかり。レオはというと、いつもの事と分かっているので、遠目に眺めるだけ。うんざりしながら。
彼等の力は確かに頼りにはなる。だがこの光景を度々見せられると、正直疲れる。やはり潮時かと、この魔導士は考え始めていた。
すると手を叩く音が突然響いた。ラッジだ。険悪な空気が収まっていく。
「ほらほら、そこまでにしろ。まだ仕事は終わっちゃないぜ。監査役に報告しねぇと。ただ働きになっちまう」
黒人カーボーイは特殊な矢を取り出すと、空に向かって放った。さっきとは違う奇妙な音が辺りに響く。合図の音が。
しばらくして、馬に乗った数人の役人が現れた。彼等はこの辺りの領主の配下だ。つまり仕事の依頼人。ラッジが代表として、交渉を開始。彼は胸を張って成果を見せていた。だが、死体の痕跡が全くないので一悶着起こる。それにジェロムとクロード、エヴァも参戦。
レオはというと、全部ラッジに任せておけば大丈夫と、今後の事を考えはじめていた。しばらくして声がかかる。
「レオ!行くぞ!」
いつのまにか交渉は終わったらしい。仲間の様子を見ると、丸く収まったようだ。
「分かった!すぐ行く!」
返事を聞いた一同は馬に乗り、寝床の町へと進み始めた。レオは最後に、まだ熱を帯びている落とし穴の底を見る。また満足げに一つうなずいた。すぐに踵を返すと、自分の馬の元へと向かう。
それは、木の枝に結び付けた手綱を解こうとした時だった。
「やあ!久しぶりだね」
聞き覚えのない声が、耳に飛び込んで来る。違う。そうではない。覚えがあった。ずいぶんと昔に。弾かれたように、声の方へと身を翻す。そこいたのは、馬に乗った恰幅のいい親父。口元の髭にキャップにサングラス。南国のリゾートにいるような薄着。あの時と同じ姿のハワイ親父が、そこにいた。
レオの体は、骨が鉄と化したかのように動けなくなった。頬すら、石膏で固めたように強張っている。そんな彼に構わず話しかけるハワイ親父。あの時と同じ笑顔で。
「今日来たのは、一言伝えたい事があってね」
「あ、あんた……何で……」
「一発だよ、君。グッジョブ!」
サムズアップと共に出てくる言葉に、レオの頭は引っ掻き回されていた。なんの話をしているのか分からない。アークデーモンを倒した話をしているのか。だいたい今回の悪魔退治も、数あるこなした仕事の一つだ。特別苦戦した訳でもない。にも拘らず、何故ワザワザ会いに来たのか。だいたい一発とは、何を指して言っているのか。それ以前に、この親父は、神様とか仏様とかその類の存在ではなかったのか。そんなものが、何故ここにいるのか。
いくつもの考えが頭の中で浮かんでは消えていく。まとまる気配のない思考の堂々巡り。ただただ茫然とハワイ親父を眺めるだけの、ファンタジー世界に転生した魔導士。
親父の方は、変わらぬマイペース。
「いやねぇ、さすがと感心するよ、僕は。それじゃ君、これからもその調子で頼むよ」
ハワイ親父は、バスケットボールすら掴めそうな手で軽くレオの肩を二度叩くと、またあの言葉を口にした。
「グッドラック!」
そして馬首を返し、元来た道へ戻って行く。転生魔導士は、その背に視線を釘づけにされたまま棒立ち。
「レオさん」
「わっ!」
思わず飛び退いてしまうレオ。振り返った先には、同じく驚いた顔のサラがいた。急に力が抜け落ち、安堵感が身を包む。
「サラか……」
「ど、どうしたんですか?」
「あ……えっと……」
一拍黙り込むと、おもむろに口を開くレオ。
「サラ……。その……変な親父見なかった?」
「変な親父?」
「えっと……バミューダパンツに半袖シャツ姿で、キャップにサングラスして、髭が……」
そこまで言いかけて、レオは言葉を止める。この世界で、バミューダパンツもキャップもサングラスも通じる訳がない。
「あ……いや……。とにかく、変な恰好した太った親父だよ」
「いえ……。見ませんでしたけど……」
「そうか……」
「その人が、どうかしたんです?」
「いや……見間違いかな。何でもない。帰ろう」
「え……ええ……」
腑に落ちないという具合に眉根を寄せるサラを、誤魔化すように急かすレオ。仲間の元へと急ぐ。背に張り付いた、形容しがたい嫌な予感を無視しながら。