星々が輝く夜の清空を、一人の少年が見上げている。
少年は、暗闇に包まれた大地を照らす月を、睨み付けながら呟いた。
「創られた神の価値等、無きに均しい」
その眼に憎しみを宿し、少年は自らの掌を月へと向ける。
「母よ…」
その瞳から、一滴の涙を溢しながら。
ーー紅魔館・碧生の部屋、21時10分ーー
紅魔館を襲撃した妖怪達を撃退した後、碧生は一人自室に籠って睡眠を取っていた。
咲夜が作った甘いお菓子も、レミリアが提案した混浴も断り、クイーンサイズのベッドで一人、ひたすら眠っている。
そんな中、幾度かノックされた扉が、再びノックされる。
一度目は咲夜、二度目はレミリア、そして今回は…
「碧生君?入るよ?」
そう言いながら、碧生の部屋へと侵入する青年。
アベル・フォン・バッハマンである。
アベルの声を聴いた碧生が、ベッドの中をモゾモゾと動く。
「ん~…アベルさん…?」
蝸牛の様に、毛布から顔だけを出す碧生。
寝惚け眼のまま、アベルを見上げ、その主の名を呼ぶ。
「おはよう碧生君、そろそろ起きないとみんなが心配してるよ?」
事実、ほぼ丸一日何も飲み食いせず、雨に濡れた身体のまま、風呂にも入らずに碧生は眠り続けていたのだ。
「ハハ、少し疲れてねぇ…。で?話はそれだけじゃないんでしょ?」
碧生が、ベッドから身を起こす。
しかし、アベルが碧生の周りを良く見ると、ベッドの端にシャツが脱ぎ捨てられていた。
「…碧生君、上だけとは言え先に服を着て貰えると嬉しいんだけど」
「……なんでぇ?」
「流石に目の遣り場に困るんだよ…」
「男同士なのに?」
「男同士なのに」
「……………」
碧生の頬がプクリと膨れる。
どうやらアベルの発言が気に食わなかったらしい。
そして渋々シャツを纏い、ボタンを閉じなから碧生は再び問い掛けた。
「で、話ってなに?アベルさん?」
「ああ、うん、実はーー」
ーー魔法の森から人里への道中、21時20分ーー
舗装も何もされていない、ただ拓けただけの田舎道を、三台のカーゴトラックが隊列を組んで走っている。
第二次世界大戦中、ドイツ軍が正式に採用していた旧式の野戦トラック、「フォードG917T」である。
そんなトラックに乗車しているのは、皆が銃を持ち、軍人の様な格好をした妖怪達だ。
妖怪達を乗せたトラックは、少し前に自分達が占拠した人里へと向かっていた。
「チッ、コイツもう駄目だ」
荷台の上、7人の妖怪達が、一人の少女らしき人物を取り囲んでいた。
「ならその辺に捨てとけ」
少女に覆い被さっていた一人の妖怪が、少女の上から退き、少女の姿が現れる。
身に纏う布は微塵も無く、背中の特徴的な羽を含め、全身を白濁液にまみれさせた薄緑色の髪の少女。
大妖精と呼ばれる少女は、その瞳に闇を宿し、雨が降り頻る曇天をただ見詰めていた。
「折角良い玩具、見付けたのにな」
「そう言うな、また新しい玩具を見付ければ済む話だろ?」
そう言いながら妖怪は、大妖精の細首を掴む。
気道と動脈を、太く長い指で塞ぎながら、大妖精の小さな身体を持ち上げた。
「……かハ…ッ!ゲホォ…!」
「じゃ、バイバイ」
妖怪が大妖精を投げ捨てようとした、その時。
ドンッ!!ギュルルル…ギュルルル…
「うおっ!?な、なんだ!?」
最前列のトラックが、何かに衝突したのだ。
大きく揺れ、停まったトラックの荷台に乗った妖怪が、予想外の出来事に大きく叫ぶ。
「おい、どうした?」
大妖精を投げようとしていた妖怪も、大妖精を荷台上に放り捨てて運転手に問う。
だが運転手は前を向いたまま、固まってしまっていた。
「何だって…ん…だ……!?」
目の前に居たのは、黒いジャージを身に纏った若い男。
その男が、重さ数tのトラックの前輪を持ち上げているのだ。
男の表情は怒りに歪み、トラックの車体がゆっくりと傾いて行く。
「オラァァァァ!!」
ガシャーンッ!!
雄叫びと共に、トラックを横転させる男。
横転したトラックから妖怪達が投げ出され、何とか脱出しようと試みた二人の妖怪はトラックの下敷きにされた。
「…畜生、何なんだよ…」
大妖精を一番多く犯し、そして投げ飛ばそうとしていた妖怪も、投げ出された妖怪達の中にいた。
特に飛ばされ、雑木林へと落ちた妖怪は、頭を木でしこたま強打したのか、額から血を流しながら悪態を吐く。
「…殺してやる」
傍らに落ちていたスリングを引っ張り、「H&KMP5A5」を手繰り寄せる。
そしてスリングを肩に掛け、痛む頭を手で押さえながらゆっくりと立ち上がった。
ーー三分前、魔法の森ーー
くだらないかも知れない。
間違っているかも知れない。
だけど俺はジッとしていられなかった。
「止めろってんだろ!お前一人で行っても無駄死にするだけだ!」
「離してくれ…アイツらなら…魔理沙の居場所を知ってるかも知れない」
カールさんは、俺の腕を離してくれない。
そりゃそうだろう。目の前に自殺志願者がいて自殺を試みていれば、俺だってその自殺を止める。
だが俺はどうしても行かなければならないんだ。
「いい加減にしやがれ…生きてるかもわかんねェヤツの為に…!俺はテメェの身を案じてやってんだぞッ!!」
カールさんが俺の胸ぐらを掴む。
「…頼むカールさん、ここは黙って見送ってくれ」
だが俺は引かない。
例え殴られても、銃で足を撃ち抜かれたとしても俺は引かないだろう。
カールさんが俺を止める方法は一つ。俺の頭を腰にぶら下がった銃で撃ち抜く以外に無い。
「ああそうか……勝手に死ね、クソヤロウ。俺はもう行く」
カールさんの手が、俺の服を離す。
そしてカールさんはそのまま暗い森に消えて行った。
何処か悲しそうな表情をしながら。
「…ごめん、カールさん」
俺は小さく呟き、踵を返す。
全力で森を駆けながら、さっき見たトラックの列を目指すのだった。
ーー21時23分ーー
トラックから投げ出された妖怪は、思わずその目を疑う。
何故なら自分以外の妖怪は皆”死んでいた”からだ。
イヤ、良く見ると一人だけ生き残っている。
「……バケモンが…ッ」
呪詛を唱えながら不自然に折れ曲がった脚を引き摺り、地べたを舐めるように這いずる生き残りの妖怪を見下ろすのは、先程トラックを引っくり返した男。
男の周辺には、三台分の同じトラックの残骸と、引き千切られた手足、頭、胴体や臓物が散乱している。
男は足元に転がる、瀕死の妖怪に問い掛ける。
「…魔理沙は…何処だ?」
返り血に塗れた全身からは怒気が溢れ、深紅に染められた顔面から覗く眼は、今から死に往く妖怪を捉えて離さない。
「クソ…クソクソクソッ!だから知らないって言ってるだろ!?」
最早泣き出しそうな程に訴える妖怪。
だが事実は違う。
彼は魔理沙の居場所を知っていたのだ。
だが相手は既に正気を失った、言わば狂人。
此処さえ乗り切れば、彼にはこの狂った男をどうにか出来る自信があった。
「そうか…なら死ね」
「ま、待っ!!」
グシャアァ!
待つよう懇願する妖怪の頭を男、改め浅木は簡単に踏み潰した。
砕けた頭蓋は四方に飛び散り、その中身は泥と混ざり、地面の一部になる。
結局彼は、現状を乗り切る事が出来なかったのだ。
「…………」
未だ降り続く雨は、浅木の身体に付着した血を、少しずつ洗い流す。
例え強い力を持つ妖怪が相手だとしても、能力を解放した浅木の前では脆い人形その物だった。
皆殺しにされた仲間達、その唯一の生き残りを目の前で殺された妖怪は、無表情のまま短機関銃を浅木に向ける。
(…殺るなら、今しかねぇ!!)
物陰から覗かせた銃口は、真っ直ぐ浅木の頭を捉えている。
後はこの引き金を引き絞れば浅木の頭に風穴が空くだろう。
少なくとも妖怪はそう思っている。
(…死ねッ)
ーータァーンッ!
発射された一発の弾丸は、浅木の頭へと吸い込まれる様に飛来する。
だがその弾丸が、浅木を殺める事は無かった。
弾丸が浅木の頭に吸い込まれる直前に、浅木が屈んだのだ。
「なッ!?」
屈んだ浅木の視線は、背後の木陰に隠れる妖怪へと向けられていた。
そう、彼が隠れていたのを最初から知っていたのだ。
「ク…ソ…ッ!!」
「………」
ーーブンッ!
妖怪が再び引き金を引こうとする、だが既に遅かった。
浅木は妖怪が引き金を引くよりも速く、足元に転がる妖怪の死体の脚を掴み、その死体を投げたのだ。
「ッ!?ウッ…!」
目の前を死体で隠され、銃を撃てないままその死体をぶつけられた妖怪は、軽く吹き飛び大木に背中から衝突した。
「な、何だってんだよ畜生!!」
自分の上にのし掛かる死体を蹴り飛ばし、素早く立ち上がろうとする妖怪。
だが彼は気付く。
先程まで居なかった何かが、目の前に居るのを。
「……魔理沙は、何処だ?」
死神の様な、冷淡な表情で自分に問い掛ける男。
自分の仲間を皆殺しにした男。
そして、自分達が拐った霧雨魔理沙を捜す男。
「…し、知ら…」
男は咄嗟に嘘を吐こうとした。
だがどうだ?もし此処で嘘を吐けば、間違いなく目の前の男に殺されるだろう。
だが本当の事を言えば……あの名無しの剣士に殺される。
どちらも完全な死を約束してくれる。言わば八方塞がりだ。
行くも地獄、退くも地獄。
短時間の葛藤の末、妖怪の男が導いた答えは…
「……知ら………ない……」
目の前の死神に殺される。だった。
「…そうかーー
ーー…残念だ。」
妖怪の男が最期に見たのは、自らの顔面に襲い掛かる紅い拳だった。
ーー21時32分ーー
「…なにが…おきたの…?」
燃え盛るトラックの残骸から少し離れた場所。
先程まで彼女を犯していた妖怪達の衣服を、硬い地面に敷いた上に、彼女は寝かされていた。
そう、彼女の名は大妖精。
浅木が一番最初に横転させたトラックに乗っていた「玩具」である。
「…私は……あれ?なにこれ…」
彼女が身を起こそうと、地面に手を突く。
だが自らの掌が感じた感触は、雨が混じって柔らかくなった冷たい泥ではない。
温かい、滑りのある水溜まりに手を入れた様な感触だった。
彼女は自らの掌を、その顔に近付け、そして掌を見た。
「…紅い……」
初めに出た言葉がソレだった。
だが何かに気付く。
おかしい、まるでこれは……
「…みんな、死んでるの?」
血生臭い匂い。
眼前に広がる火の海、血肉の海。
死屍累々、まるで地獄……
「あはは…あはっ…あははははははは!アハハハハハハハハハハッ!!」
大妖精は笑いを堪えられなかった。
自分をあんな目に合わせた妖怪が、皆、
おかしくて、おかしくて、おかしくて、仕方がない。
大妖精は笑って笑って笑った、その瞳から大粒の涙を流しながらゲラゲラと笑って、そしてワンワン泣いた。。
自分の上に掛けられた大きなジャージをその胸に抱きながら。