ーー白玉楼ーー
強く握り締めたナイフが、指と指の間に食い込んで血が滴り落ちる。
剣士に向かって飛び掛かるトレバー、勢い良く振り下ろしたナイフを、剣士は意図も簡単に捌いた。
頭に血が上ったトレバーは、噛み付かんばかりに口を大きく開き、剣士に向かって吼える。
「ヤロウッ!!俺は…アンタのその澄ました面ァ……ダイッキライなんだよォ……!!」
大地を蹴り、再び剣士に飛び掛かるトレバー。
だが、それを剣士は再び捌き、こう言い放つ。
「…私は…君を気に入っている。故に、君を傷付けたくは無いのだが」
剣士の黄金に輝く眼が、トレバーの血走った瞳を見据える。それがトレバーは気に食わなかった。
「余裕……かましてんじゃネェ!!ブッ殺すぞテメェ…ッ!!」
低く、足元を掬う様にタックルを繰り出すトレバー。だが剣士はトレバーの頭を踏み付け、それを防いだ。
「グゥ…ッッ!!」
柔らかな腐葉土の臭いが、鼻腔を擽る。
頭部に掛かる確かな重量感、骨の軋む音と頭が砕けそうな激痛がトレバーを襲う。
「こうして居ると、君が
「ウガアアアッ!!」
「落ち着け」
ナイフを振り、剣士の足を狙う。
寸前で剣士の足が持ち上がり、そのままトレバーの顔面を蹴り上げる。
奥歯が砕け散る。その破片が口内に突き刺さり、脳を激しく揺さぶられたトレバーは天を仰ぎながら吹き飛んだ。
「深呼吸だ、トレバー君」
丸腰、それも寝間着姿の優男。
普段は結わいている髪さえ流したままの男に、元軍人の大男が、手も足も出せずに居た。
それがトレバーは悔しくて、腹立たしくて、そして情けない。
「…アンタに…迷惑は掛けない…だから……退けッ!!」
そんな気持ちを押さえ込み、再び立ち上がるトレバー。既に脳震盪により膝は笑っている。立っているのさえやっとだ。
「…グレン…だったかな。彼を…君が殺せるのか?」
「……もういい、もう黙れ……ッ」
剣士が何を言っているのか、トレバーの耳には届いていない。
ただ、剣士に向かって走る。足が縺れ、転びそうになっても走り続けた。
構わない。退かないのなら、お前から先に殺してやる。鬼気迫る表情、トレバーは構えたナイフを突き刺した。
「…愛に狂うのは構わ無い。だが、愛で狂うのは愚者のする事だ」
ナイフの刃を、剣士の手が掴む。
白い肌に血が伝い、寝間着の袖口を紅く染めてゆく。
「目を覚ませ、愚か者ッ!」
けたたましい音と共に、ナイフの刃がへし折れる。
重力に倣い、地に落下した切っ先が地面に突き刺さった。
「……もう、失いたくねぇんだよ…」
トレバーの口から、小さく言葉が漏れる。
それと同時に、瞳からは涙が滲み出た。
「失ってばっかじゃねぇか……!もう、うんざりだッ!!クソッタレェ…!!」
鈍い音、トレバーの拳が剣士の頬を捉えていた。
だが剣士は何もしない。何もせず、殴られ続けた。
「俺のせいだッ!!また俺のせいで……ッッ!!!」
渾身の一撃、顔面の中心を捉えた。確かな手応えと、何かが砕けた様な嫌な音。
拳に伝わる、生暖かくて、ぬるぬるとした液体の感触。遅れて感じるのは、拳にじんわりと広がる鈍痛だ。
「……自身の浅はかさに後悔するよりも」
剣士の言葉にトレバーが思わず耳を傾ける。その隙、一瞬の間に、剣士はトレバーの首を掴んだ。
そして一点、頸動脈に力を込める。
「後悔し無い選択をしろ」
そこでトレバーの意識は途絶えた。
鼻から垂れる血を、手の甲で拭いながら、倒れたトレバーを見下ろす剣士。誰にも聞こえない様な声で小さく呟いた。
「……私も、人の事は謂え無い…か。兎に角、君に死なれては困るんだ」
ーー地名、不明ーー
大きな爆発音、鉄の破片が降り注いだ。
柔らかい肉を引き裂き、隣人に赤いシャワーを浴びさせる。
谺する悲鳴。懇願の言葉に最早、意味などありはしない。
それに続く様に、連続する破裂音。
空気を切り裂き、肉を穿つ。
抉られた臓物の臭気に顔が強張り、無意識に頬が紅潮した。
腕に伝わる振動、衝撃。
振動が止まる。銃を捨てる。目の前の髪を掴み、壁に叩き付けた。
頭が砕け散り、中身が四散する。目眩がしたような気がした。
愉しい、愉快だ。
殺戮とはこんなにも素晴らしい物か。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。
銃を持つ腕が痺れる。
振るい続けた拳が痛む。
全身を濡らす血は、最早、自分の物かすら判らなくなっていた。
「……何を、やってんだ…?」
ふと気が付くと、そこは地獄だった。
吐き気を催す臭いと光景、全身にはベットリと血が付着し、オマケに少しも動けない程の筋肉痛、それと痣が…
「…何だコレ…キモチワリィ…」
全く状況が飲み込めねぇ。全部、俺が殺ったのか…?
ああ、チクショウ、またかよ…
「………中途半端な所で…」
「動くなッ!!化物が…ッ!」
銃を向け、此方に近付いて来るクソ妖怪共。一匹だけなら何とでもなるが、六人にもなると……流石に分がワリィ。
「ハッ、俺からすりゃ…テメェらの方がバケモンだが…ッ!」
「五月蝿い!四の五の言うじゃねぇ!生きて連れて行くぞ!お前ら、抑えろ!!」
「イテェ!!このヤロウ!殴りやがったな!ちょっ、止めろ!袋を被せるんじゃ………イテェ!!テメェらブッ殺すッ!!このブタ以下の糞共……が………」
「……何て奴だ、人間の癖に……畜生、割に合わないぜ……」
全身をワイヤーで縛られ、黒い麻袋を頭に被せられたグレンが、妖怪達に捕らえられた。
これは…夢か?
「姉貴、今日さーー」
「え?あんたこの前もーー」
「はは、でもーー」
「お母さんには言ったの?ちゃんと言わなきゃーー」
「ああ、三人で楽しんで来てーー」
「今度はちゃんと四人でーー」
「分かってるよ、じゃあ気を付けてな」
「ええ、戸締まりとお留守番、宜しくね」
「ああ、楽しんで来てくれ」
「じゃあ、行ってくる。浅木」
ーー無縁塚付近ーー
…シャンプーの匂い。暖かくて、柔らかい感触。
重い思考を必死に冴えさせ、瞼を開く。
視界に飛び込んで来たのは、金髪の女性。顔付きを見る限り外国、それも白人で若い。
だが、その顔色は青く、具合は良く無さそうだ。
「…おい、おい…大丈夫…」
言い掛けて、言葉に詰まる。
彼女の顔色が悪い原因は、一目瞭然だ。
腹部を貫く、木片。夥しい程に流れ出た血液は彼女の意識を刈り取るのに充分な量だろう。
「…揺らさない様に、慎重に…」
脈はまだある、息もしている。
だが彼女の呼吸が止まるまでは時間の問題だろう。今は彼女を救う事が先決だ、急いで人里に戻ろう。
どうか間に合います様に。
今日は、色々あり過ぎた。
命を失う瞬間を見るのは、もう嫌だ。
短めですみませんすみませんすみません!
リハビリ期間ゆえ、ご了承ください!