広大なホールで、マリア・カデンツァヴナ・イヴがくるくると回りながらステップを踏んだ。
日頃から鍛えに鍛えたしなやかな身体から繰り出される足さばきは見事の一言に尽きる。
髪を翻して優雅に踊るその姿は、場の雰囲気も相まって、まるで中世の姫君のようにさえ見えたことだろう。
―――ただし、彼女がS.O.N.G.職員の制服をまとっていなければ。
「…こんなとこで勝手に踊りまわっていいのかよ? ユネスコの職員に怒られても知らねえぞ?」
拍手ではなく、そうぼやいて見せたのは雪音クリスだ。彼女もマリアと同様の制服姿である。
「残念ながら世界遺産には登録されてないけれどね。理由は分かる?」
「そんなん知ってるよ。普通の古城にあるべき聖堂と墓地がないからだろ?」
「さすがに優等生だけのことはあるわね。まあ、登録のための条件はそれだけではないのでしょうけれど…」
笑いながらマリアは無人のホールを振り返り、芝居がかった仕草で一礼。
いま二人がいるのはオーストリアとドイツの国境に存在する古の城。かの有名なノイシュヴァンシュタイン城である。
ことの始まりはあのバルベルデドキュメントだ。
ギャラルホルンへの対処もひと段落がつき、エルフナインの尽力もあって、最近は比較的重要度の低い記述への解析も進んでいる。
旧ドイツ帝国アーネンエルベ機関は聖遺物を確保する上で、とにかく様々なデータの蒐集を行っていた。
それこそ極小地域の民間伝承、巷間の噂話、果ては出所不明の伝聞風聞といったものまで集めていたらしい。
重要度が低いというのは、それら雑多な情報群に全くの裏付けや根拠がないことを意味する。
そんな膨大なデータの中に、ノイシュヴァンシュタイン城に聖遺物が秘蔵されている
いくら噂程度のレベルであれ、S.O.N.G.としては調査しないわけにはいかない。
万が一のイレギュラーな事態への対処として、調査部と一緒にマリアとクリスも派遣された次第だった。
「まあ、実際に聖遺物があったら、とっくにドイツが接収しているはずだわな」
「同感だわ。でも、この城は狂王ルートヴィヒ2世が趣味で建築したものよ? どこに隠し部屋があるか分からないわね」
「狂王ってのは少しばかり可哀想な評価じゃないか?」
「自分の趣味に狂った王って意味よ。別に揶揄しているわけじゃないわ。それに…」
マリアは、広い室内を見渡してから、大きく両腕を広げて見せた。
「このお城自体はとても素晴らしいと思うわ」
本来、ノイシュヴァンシュタイン城は世界有数の観光名所である。場内の見学はツアーの引率付きで、全てを好き勝手に見て回れるわけではない。
マリアとクリスが見回りと称して自由に歩き回れるのは、ある意味贅沢な話なのだ。
『調査部の人たちは地下の捜索に入って、何もなければ明日で撤収だから』
基本的に装者は麓のホーエンシュヴァンガウの町のホテルで待機中。暇を持て余していたクリスをマリアが誘ったのが今朝の話である。
『城めぐりはあたしの趣味じゃないんだけどなあ…』
などとブツブツ言っていたクリスだったが、さすがに観光名所になるだけのことはある外観の美しさと、内装の調度の豪華さに圧倒されていた。
だからといってマリアほど「役得役得♪」とノリノリで楽しめないのは、仕事に関しては生真面目な日本人の血が半分流れている証左だろうか。
「ま、部屋でネット配信の映画見たり、ボードゲームにも飽きたからちょうどいいか」
「あら? わたしは好きよ、ボードゲーム」
「あんたと対戦すると。ずっと『マイターン!』とかいってあたしに手番回ってこなくてツマラねーんだよ!」
「実際のところ、まだ未完成の部屋が多数あるというのだから驚きよね」
鼻歌を唄いながら、ずかずかと奥へ向かって進むマリア。
その後に続くクリスは平静を装っているが、内心はおっかなびっくりである。
普段は観光客で賑わう城内も、今は国連肝煎りの調査であるから閉鎖中。
人気のない中世の城など、それだけで薄気味悪いものがある。
おまけに観光ルートを逸脱しているのだから照明も満足に配置されていない。
そんな薄暗い環境の中では、豪奢な装飾や美術品も、かなり不気味に見えた。
不安を押し殺すように、クリスは先を行くマリアへと質問を投げかける。
「なあ、なんで今回はあたしをパートナーに指名したんだ?」
今回の調査に先立ち、暁切歌と月読調の両名は、ギャラルホルンなどへの対応要員として日本で留守番中。
風鳴翼とマリアはイギリスに駐留していたため、まずそちらへ立花響とクリスが合流していた。
一旦イギリスはロンドンに集められた四人の装者のうち、二名をノイシュヴァンシュタイン城へと派遣。残った二名はロンドンでパヴァリア光明結社の残党や錬金術師への備えを担当する。
響とクリスの二人は基本的に外国生活に慣れていない。
ゆえに、経験豊富な翼とマリアをそれぞれのチームの主軸に据えた
ペアの編成に関しては装者たちに一任されていたので、マリアはクリスではなく響をパートナーに指名する選択肢があった。
にも関わらず、どうしてあたしを指名したのか?
クリスの質問に、マリアは顎の先端に細い指を当てて考え込む。
「そうね。理由は色々あるけれど、強いていえば相性かな?」
「相性?」
「まず、翼と響は結構いい相性でしょう?」
「確かにあたしが二課に参入する前から、二人でよろしくやっていたらしいな」
「そして貴女はわたしと同じお姉さんキャラ。ほら相性バッチリじゃない」
「なッ…!? ゴホッ、ゴホゴホッ!」
埃を吸い込んでしまい盛大に咳き込むクリス。
涙目でマリアを睨みつけるようにして、
「あたしのどこがお姉さんキャラなんだよッ!?」
「あら、違ったかしら? でなければあれだけ調と切歌も懐くわけないと思うのだけど」
答えるマリアの声音と表情はやや意地が悪い。
「なんだよ、意趣返しのつもりか?」
唸るクリス。
―――最近、日本から来る切歌と調のメールにはクリスクリスとばかり書いてあるとマリアが愚痴っていたぞ。
先日、風鳴翼とロンドンで顔を合わせたとき、こっそり耳打ちされていたことを思い出す。
「滅相もないわ。あの子たちの面倒を見てくれたことに関しては、貴女には心から感謝してるわよ?」
「ふん、それならいいけどよ。…だったらあたしも愛されキャラの面目躍如できたってわけだ」
束の間睨み会う二人。が、間もなくどちらともなく吹きだす。
お姉さんキャラはともかくとして、なんだかんだで根ッ子の部分では似ているところがあると、お互いに気づいたからも知れない。
散々城内に笑い声を木霊させながら、二人の表情にもはや確執も
「で? 他に色々ある理由ってのは?」
目尻の笑い涙を拭いながらクリスは言う。
「ここだけの話よ? あの子のテンションの高さに付き合うのは、わたしには少しばかりハードルが高いわ」
「ああ、それは分かる」
この時、二人の脳裏に浮かんだ立花響の像は完全に一致していた。
今回のイギリスにおける任務は、積極的な介入ではなく完全な予備待機である。
加えてリディアンもちょうど試験休みであることから、響にとっては半ば海外旅行というわけだ。
さすがに小日向未来は同行させていなかったが、やれ彼女のための写真だお土産だと、初日からウキウキ気分を隠そうともしない。
「おまけに、料理をあそこまで美味しそうに食べられるとなるとね…」
「ああ…」
あくまで一般にイギリス料理は不味いと評価されているが、全てではない。美味しいところには本当に素晴らしい料理がある。
が、市井の屋台売りとかのものとなると、やはり日本人の舌には合わないものが多いようで、それらの分母が圧倒的に大きいのだ。
露店で響が買ってきたウナギのゼリー寄せとかいう代物は、さすがのクリスも一口で食べるのを断念している。にも関わらず、響は美味しい美味しいと平らげ、他にも露店の商品を買い食いしまくっていた。
「確かにロンドンの水があってるなら、無理にこっちに連れてくる必要はないわな」
「ま、そういうことね」
イギリス料理に閉口していたのはマリアも同様らしい。
ドイツに入国するなり本場のソーセージやアイスバインを堪能したことは他のみんなには内緒にしておこう。
二人は目線だけで暗黙の協定を交わし合う。
そんなこんなで城内を歩きまわった先に、マリアは突き当りの部屋を見つけた。
強いて偽装されているわけではないが、注意を払わなければ気づかないほどに目立たない扉。
「ねえ、これって隠し部屋かしら? お宝の匂いがしない?」
「別にカビ臭いだけだよ。それよか、あんまり勝手に開けたりしなほうが…」
クリスの止める間もあれば、マリアは一気に扉を開け放つ。
「あ…」
感嘆の声はどちらが漏らしたものか。
その部屋は決して広くはない。にも関わらず、たっぷり取られた天井から、窓越しに緩やかな陽光が降り注いでいる。
部屋の中心には古びた絨毯が敷かれており、四方は完全な壁。
なのに息苦しさを覚えないのは、壁に掛けられたタペストリーのせいだろう。
決して精緻とはいえないが、何が描かれているかは一目で理解できる年代物のタペストリー。
入ってすぐ右手には赤ん坊。
正面には両親らしい大人に手を引かれた少女の姿。
最後に左手には花嫁が描かれてたものが掛けられている。
そんなタペストリーの風景も相まって、不思議に温かみを感じさせる部屋。
「…こんな場所もあるなんてね」
呻くようなマリアに、クリスは言葉もなくタペストリーに見入っている。
この一連のタペストリーは一人の女の子の成長を綴ったもの。
部屋に入った瞬間、そんなことは理解している。
ただ、真ん中の絵。
親子三人が揃って描かれたタペストリーに、切なくなるほど郷愁を掻きたてられている。
自然と涙が溢れてきた。だけど、泣きじゃくれるほど、もう自分は子供じゃない。
そのような自戒も働いた結果、胸の奥の記憶の残滓は、旋律となって唇から溢れ出す。
穏やかで、素朴で、郷愁を誘う歌。幼いころ、母親が唄い聞かせてくれた歌。
「アニー・ローリー…」
マリアはそう呟き、クリスの口ずさむ歌に思わず唱和しかけたが、自重。静かに相棒の歌に耳を傾ける。
古の城の隠された部屋。
その中心で陽光を浴びながら、ただ無心に歌うクリス。
やがて唇から旋律が途切れると、惜しみない拍手が送られた。
「やっぱり貴女も相当な歌い手よね」
「な、なんだよ…」
マリアの忌憚ない賛辞に、頬を染めて身体ごと顔を逸らすクリスがいる。
逸らした目線の先には親子の描かれた例のタペストリー。
それを見つめ、彼女はふと思った。
―――もう一度会いたいな、パパ、ママ―――。
次の瞬間、タペストリーが俄かに光を帯びる。
だけではない。絨毯も発光していた。
「な、なんだッ!?」
クリスとマリアが身構えるなか、部屋は光で満たされていく。
そして―――。