戦姫絶唱シンフォギアCW   作:とりなんこつ

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EPISODE 14 近くて遠い世界の君に贈る歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

並行世界から来たクリスの突然の帰還宣言に、S.O.N.G.本部は一方ならぬ喧騒に包まれることになる。

 

「取りあえず、こちらからの親書を準備せねばな…」

 

弦十郎が無骨な手でタイピングしながら言う。

 

「その件ですが…無為になるかも知れません」

 

おずおずと進言するエルフナイン。

 

「というのも、実のところ、クリスさんに付与されていた向こうの世界のギャラルホルンの機能は、全て消失してしまったのです」

 

エルフナインの語るところに拠れば、消失した原因ははっきりしないらしい。

 

おそらくヘイルダムことジョン・ディーを消失させる際に、その特異点ゆえの何かしらの反作用、もしくは因果の修正に巻き込まれた結果ではないかという。

 

「つまり向こうの世界のギャラルホルンが無くなっちまったってことだろ? なら…どうなるんだ?」

 

とクリス。

 

「クリスさんは元の世界に戻れますので、そこは心配しないでください。他にこちらの世界の誰かも向こうの世界に行くことが出来ます。ただしそれは、観測するという因果を成立させるための一度きり。その後は、双方の世界での往来は不可能になることでしょう」

 

ギャラルホルンによって繋げられる並行世界。双方にギャラルホルンが存在してこそゲートが生じる。なくなればその道は閉ざされるは道理。

 

エルフナインの説明は明快だったが、皆に少なからぬ衝撃を与えていた。並行世界の往来が出来なくなるとなれば、あちらの世界のクリスとは今生の別れとなるからである。それに、なぜ親書が無為になるかの答えにはなっていない。

 

「なぜ無駄になるというのだ、エルフナインくん?」

 

弦十郎の問いかけに、エルフナインは気まずそうに並行世界から来たクリスを見る。

 

「…あちらの世界では、元々ギャラルホルンが存在しなかったことになるからです」

 

「つまり?」

 

「その結果、あちらの世界の人々の認識も因果律に修正され遡り、ギャラルホルンにまつわる記憶は失われるでしょう…」

 

「なあッ!?」

 

「ですが、そんな急速な修復はなされないはずです。こちらの世界から観測がなされ、クリスさんが元の世界に戻るというファクターが流入して初めて修復が開始されます。世界規模の調律になるため、矛盾で破綻をきたさないよう、非情に緩やかにギャラルホルンに纏わる記憶や事象の修正がなされると思われます」

 

慌てて言い添えるエルフナインだったが、並行世界からきたクリスは神妙な面持ちで沈黙したままだ。

 

ギャラルホルンに纏わる記憶が無くなるという世界規模の調律から、元の世界へ戻ったクリスも免れまい。つまり、あちらの世界に戻ってしまえば、こちらの世界での出来事も覚えていられないということ。

 

互いに命をかけた激戦も束の間の交流も、全てを忘れてしまう?

 

惜しいとか悔しいとか、そういったレベルを超越している。

 

到底受け入れがたく、理不尽に憤るしかない。

 

しかし、いくら納得できないからといって元の世界に戻らないわけにも行かない。

 

「エルフナインくんの言うところの意味は、送った親書も忘れ去られてしまうということかな?」

 

悩むクリスを見兼ねたのだろう。弦十郎が口を挟んでくる。

 

「…ええ」

 

頷くエルフナインの顔の曇りを吹き飛ばすように弦十郎は破顔した。

 

「なるほどな。しかし、礼儀というものも大事だろう。それに、いずれ失われるからといってその瞬間の価値まで無為になるわけではない」

 

大人らしい含蓄のある言葉に、エルフナインだけでなく、居合わせた装者の全員も頷く。

 

全くその通りだ。いずれ人は必ず死ぬ。だからといってそのことに絶望して今すぐ死ぬものなどいない。

 

たとえどれだけの時間であろうと、生きている瞬間にこそ人間の価値は存在する。

 

そんな極端な例を思い浮かべたからは分からねど、弦十郎の言葉に並行世界から来たクリスに強い示唆を受けたようだ。

 

「決めた! あたしは潔く戻るよ。そして…」

 

顔を上げ、その場にいる全員を見回す。

 

一人一人じっくりと見つめてくる様は、まるで脳裏に焼き付けるようで、事実その通りだっただろう。

 

「あたしは、忘れない。因果とか世界の調律なんて知ったことか。みんなのことを、あたしは絶対に忘れない…ッ!」

 

並行世界から来たクリスは笑った。笑顔を浮かべたままその頬をぽろぽろと涙が伝う。肩も震えだす。

 

「…クリスさんッ!」

 

響がすがりつく。調と切歌も続いて抱きついた。

 

こちらの世界のクリスは涙を流しながら怒鳴りつける。

 

「バカ野郎! なに愁嘆場になってんだよッ! 元の世界に戻るんだろッ! 胸を張って帰りやがれッ…!」

 

嗚咽が室内に溢れる中、涙声を隠すように翼がエルフナインに尋ねている。

 

「雪音をあちらの世界へ送る際、こちらから誰か一人が行けるという話だったが、人選は…?」

 

「ああ、それですけど…」

 

「クリスくんに一任しようと思っている」

 

目尻の涙を拭うエルフナインの替わりに弦十郎が答えた。

 

さすがに涙ぐんでこそいなかったが、挙動にいつものキレがない。

 

一方、寝耳に水の話に涙を引っ込めたのは当のクリス本人だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! あたしでいいのか!?」

 

「むしろクリスさんしか務まりません。もっとも強い因果で結ばれてしまっているのですから」

 

エルフナインの言葉に、二人のクリスは顔を見合わせる。

 

少し考えてみれば、それはあまりにも明白。

 

同じ魂の持ち主が同一の世界線に存在できることこそ、言い換えれば特異点そのものだ。

 

「それと、結婚式ということだけど、一体誰の結婚式なのかしら?」

 

ずびーっと鼻を噛んでからマリアが尋ねてくる。

 

「ああ、それは…」

 

クリスは指をさす。

 

その先にいるのは。

 

「…オレだとッ!?」

 

驚きも露わにする弦十郎を後目に、涙を一瞬で蒸発させた響が好奇心丸出しで尋ねてきた。

 

「それで! それで相手はッ!?」

 

もはや響だけではない、室内の誰もが興味津々の視線を注いでくる中、並行世界から来たクリスはとびっきりの笑顔で言った。

 

「おっと、そいつは個人情報ってヤツだぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらのメモリースティックに詳細な報告が記録されている。そしてこれは親書だ」

 

弦十郎が差し出してくる封筒をクリスは受け取る。

 

普段は小揺るぎもしない巨体が、心なしか揺れていた。それはおそらくそのまま動揺の現れだろう。

 

…まあ、それは無理もないかもな。なんせ向こうの世界のおっさんが結婚式を挙げるんだ。

 

「くれぐれも、向こうの世界のオレによろしく…」

 

まだ何か言いたげだが、それだけ告げて弦十郎が引いたあと。

 

ギャラルホルンを格納した室内には、二人のクリスだけが残される。

 

本来、ギャラルホルンは自発的に起動する聖遺物だ。

 

しかし、クリスが二人存在するという特異点により、その能力が励起されている。

 

「おいッ! そういや飛ぶのはともかく、戻るときはどうするんだ?」

 

クリスは大声で叫ぶ。向こうの世界にギャラルホルンが存在しなければ、戻る手段が思いつかない。

 

『そのことに関しては、因果の調律が開始された時点で、クリスさんは向こうの世界から弾きだされる格好で戻って来られるはずです』

 

スピーカーからエルフナインの声。

 

「具体的に、向こうの世界にあたしはどれくらいいられる?」

 

『推定ですが、数時間は大丈夫かと』

 

ふむ、とクリスは頷く。

 

向こうの世界のおっさんに親書を渡し、かるく事情を説明。

 

ついでにチラリと結婚式とやらを眺めるにしても十分だろう。

 

「…準備はいいか?」

 

並行世界から来たもう一人の自分が尋ねてくる。

 

「ああ、いいぜ。行こう」

 

言うが早いがギャラルホルンが起動する。

 

無限に続く回廊を、丸い球に包まれて移動するような感覚。

 

…ヘイルダムもこんな感じだったのかな。

 

そんなことを考えて目を開ければ、そこは見慣れた格納室。

 

なるほど、確かにこっちの世界とそっくりだ。だけどやっぱりギャラルホルンは存在しない。

 

「おい、大丈夫か?」

 

並行世界からきたもう一人の自分―――いや、この場合、こちらの世界の自分、か。

 

「いや、大丈夫。なんでもない」

 

「そうか、なら行こうぜ」

 

「悪い、その前にちょっと聞きたいんだが」

 

「なんだ?」

 

「その…おっさんの結婚相手って…もしかしてあた…おまえなのか?」

 

クリスが尋ねると、こちらの世界のクリスは鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに目を見開いている。

 

「冗談だろ? んなわけあるか。齢の差を考えろよ」

 

「あ、ははははは、そうだな、そーだよなッ!」

 

「…ひょっとして、おまえ」

 

「よし行こう! さっさと行こうぜッ!」

 

言い置いてクリスは小走りで部屋を飛び出す。

 

全く同じ構造のS.O.N.G.本部内で迷うはずもない。

 

「…しっかし不用心だな。保安も誰もいないじゃねーか」

 

ぼやきながら勝手知ったるなんとやらで廊下をつっきり、甲板へと上がる。

 

眩しい日差しが目を射る。どうやら本部である潜水艦は停泊しているらしい。

 

そこから見える光景に、クリスはしばし絶句した。

 

盛大に崩落したビル。ひび割れ、えぐれた幹線道路。

 

修復作業が進んでいる様子だが、その大きな被害の爪痕は痛々しい。

 

「…アルカ・ノイズに盛大にやられたからなあ」

 

少し遅れてやってきたこちらの世界のクリスがぼやく。

 

「だけど、因果の修復が起きたら、あの被害もなくなるのかな? なあ?」

 

「わっかんねえよ」

 

クリスは首を振り、そのついでにそれを見つけた。

 

更地の中に綺麗に焼け残った公園がある。

 

そこには多くの人が集まっていた。

 

「もしかしてあそこか?」

 

「ああ、結婚式会場だ。どうやら間に合ったみたいだぜ」

 

そういったこちらの世界の自分から肩の力が抜けるのを感じる。

 

街がこれだけの被害を受けても結婚式が執り行われるということは、それだけ人的な被害は少ないということだろう。

 

互いに手を取り合い、クリスはタラップを駆け下りた。

 

会場になる公園まで、停泊所の近くに止めてあったジープを無断拝借する。

 

運転するこちらの世界の自分の免許の有無は、この際知らなかったことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして結婚式会場である公園に到着したクリスたち。

 

屋外式のチャペルの前で白いタキシードを着た弦十郎も見物だったが、その隣でウエディングドレスを着て立つ人物に、クリスは目を剥くことになる。

 

「…フィーネ、いや、櫻井了子!? 生きてたのかよッ!」

 

「ああ、そっちの世界では、櫻井女史はネフシュタンの鎧と融合して赤い竜になったんだっけな」

 

こちらの世界のクリスはそう説明してくれたが、そういう話ではない。

 

そもそもフィーネの憑代として覚醒した櫻井了子は、その後十数年の時をかけてその人格を喰い尽くされたのではないか?

 

「いや、なんでもネフシュタンの鎧との融合が完全に進んでなかったらしくてな。霊的に引っぺがして物理でSEKKYOしたんだと」

 

「なに言ってんだかビタ一わかんねぇ!?」

 

「言っているあたしだって良くわかんねーよ。弦十郎おじさんと響の二人がかりでやったってことだけどさ」

 

そういってこちらの世界のクリスは頭の後ろで腕を組み、

 

「だけど、そのショックのせいか霊的経絡(チャクラ)までズタズタになったらしくてさ。しばらくは絶対安静面会謝絶で、公的には死亡扱いになってたんだ。それがようやく最近になって動けるようになったらしくて…」

 

なんせ、あたしもつい最近にまで知らされてなかったんだぜ? と笑う。

 

そして大安吉日の今日、長年の想いを実らせ結婚式を挙げることになったという。

 

なんとも幸せそうな二人を眺め、クリスはこちらの世界の自分へと言った。

 

「悪い。このメモリースティックと親書は、おまえから届けてくれねえか?」

 

「なんだ、顔を合わせなくていいのか?」

 

「いや、せっかくの式に水を差すのも、な」

 

「…そっか」

 

差し出されたメモリースティックと封筒をこちらの世界のクリスは受け取って、

 

「じゃ、帰還報告がてら、ちょっと行ってくらあ」

 

軽い口調はこちらを気遣ってくれているのかも知れないな。

 

そんな風に考えつつ、クリスの内心は複雑だ。

 

櫻井了子ことフィーネとの自分の世界での因縁は、正直あまり楽しいものではない。

 

こちらの世界では違うとは理解しつつも、面向かって話をし、普通に振る舞える自信はなかった。

 

そんな彼女が弦十郎の結婚相手ということも、クリスの心を大きくかき回している。

 

どうしてそんなことを思ってしまうのか。

 

しかしクリスはそれ以上深く考えないようにしながら、会場から後ずさり。

 

この祝福の席にS.O.N.G.の関係者が集まっているのなら、装者たちも参列しているはず。

 

こっちの世界のバカたちに見つかったら、それはそれでややこしくなること請け合いだ。

 

まあ、あいつらの顔を見たくないと言えば嘘になるけれど…。

 

公園の隅のベンチにクリスは腰を降ろす。本音を言えば、まだ身体は本調子ではないので、立っちっぱなしは辛い。

 

身体を休めながら空を見上げる。どこまでも澄んだ蒼穹がある。

 

―――平和だ。

 

こちらの世界のこの空を守れたなら、向こうの世界での奮闘も報われたってもんだ。

 

なにより、こっちにはあたしのパパとママがいるわけだし…。

 

ふと視線を下げると、すぐ近くで、小柄な顔がこちらを覗き込んでくる。

 

「おい、なにやってんだ…!」

 

見慣れた顔に声を投げかけ―――相手の小ささにクリスは違和感を抱く。

 

こちらの世界のあたしはずっと背が高いはず。だとしたら、いつの間に縮んだんだ…? おまけになんともコケティッシュなドレスまで着てやがる…ッ!

 

「いやあ遅れた悪い悪い」

 

「!!」

 

声の方を向けば、そこに立つのは長身の自分。

 

おいおい、あたしがもう一人増えただと?

 

その背後に、小さなもう一人の自分が走り込んだ。腰のあたりにすがりつきながら、じっとこちらを見てくる。

 

「おっと、先に来てたか。ほら、挨拶しなさい」

 

こちらの世界のクリスに促され、背後に隠れていた小さなクリスがおずおずと前に出てくる。

 

自分とそっくりだ、と思ったのは先入観で、その顔をよくよく見ればかなり幼い。

 

そんな少女は、勢いよく頭を下げると言った。

 

「ゆ、雪音アリスです! 初めましてッ!」

 

「紹介するぜ。妹だ」

 

「最後の最後にぶっこんできたなおいッ!?」

 

驚愕しつつ、同時に色々と納得がいくクリス。

 

こちらの世界の自分が異常に世話焼きな上に、家事全般に通じていることも全て説明がつく。

 

「…そうか、あたしに妹がいるのか…」

 

感嘆しつつ、その実どうリアクションをとっていいか分からないクリスの前で、こちらの世界のクリスはにやりと笑う。

 

「一人だけじゃないぜ?」

 

「…え?」

 

「おーい、二人とも、こっちへおいで!」

 

その声に手を繋いで駆け寄ってくる二人の子供がいる。その顔は、それほど自分に似ているわけではないが、二人の顔は鏡合わせのようにそっくりだ。

 

「あーれー、だいねーさまにそっくりな人がいるー!」

 

「そうだねー、でもちぃねーさまよりちょっと大きいよー!」

 

「じゃー、ちゅーねーさまだねー」

 

「ねー」

 

鏡合わせの二人は無邪気な声で笑いあう。

 

「こら、まずは挨拶だろ?」

 

だいねーさまと呼ばれたクリスの声に二人は頷きあって自己紹介。

 

「エリスだよ!」

 

「ソリスだよ!」

 

結婚式に呼ばれたからだろう。お揃いの格好でお召かしした二人はそう挨拶すると、姉であるこちらの世界のクリスの周りをくるくると回る。

 

「双子なんだ」

 

「驚いたぜ。若草姉妹かよ…」

 

「うんにゃ。もう一人いるんだな、これが」

 

「…はい?」

 

こちらの世界のクリスが手を振る。

 

すると、一組の男女が歩いてくるのが見えた。

 

男性らしき方の腕に、小さな女の子が抱かれている。

 

「あれが末娘のセリスだぜ」

 

その台詞を、クリスは聞いていなかった。

 

こちらへ向かってくる一組の男女―――おそらく中年の夫婦だろう――に目を奪われていた。

 

そして二人が目の前に立った瞬間、確信的な言葉が口から零れ落ちる。

 

「…パパ、ママ…」

 

そう呼ばれ、雪音雅律は微かに首を捻る。

 

「おや? 僕の知らないところで娘がもう一人増えてるように見えるんだが…?」

 

「そうですね。私にもそう見えますけれど」

 

夫から娘を受け取りつつソネット・M・ユキネ。

 

すかさず実の娘であるクリスは割って入る。

 

「細かい説明は出来ないけれど、こいつはあたしだ。別の世界のあたし本人なんだ」

 

雪音夫妻は揃って顔を見合わせる。

 

「…嘘でも冗談でもないぜ?」

 

「わかっている。こんなときにおまえは嘘を言う子じゃあない」

 

そういって、雅津はマジマジとクリスを見る。

 

それから何とも楽しげな声で言う。

 

「母さん、どうやら僕たちの知らないところで娘がもう一人増えていたみたいだね」

 

「あらあら、大変。でも娘が増えるのは嬉しいわ」

 

応じるソネットも、全く大変そうに見えない。

 

…そうだ、そういえばこんな感じだった。

 

クリスの心に何とも言えない懐かしさが込み上げる。

 

仲が良く、それでいてどこか茫洋とし、とらえどころのない夫婦だった。

 

どんな環境でも常に楽しそう、嬉しそうで―――でなければ歌で世界を救うなどといった活動に従事すまい。

 

自分が涙を流していることにも気づかず、ただクリスは立ち尽くす。

 

「こいつは、滅茶苦茶苦労してきてるんだよ。だから」

 

こちらの世界の自分が、よく分からないフォローを入れてくれた。

 

その台詞が言い終わらないうちに、クリスは雅津から抱きしめられている。

 

「とっても大変な思いをしてきたんだね。なんて小さな身体なんだ。ちゃんと食べてるのかい?」

 

「…パパッ、パパッ、パパッ…………!!」

 

懐かしい匂いと感触に、涙腺なんてとっくに崩壊している。

 

少しだけ太って、少しだけ頭に白髪が混じっているけど、間違いない。パパだ。あたしのパパだ!

 

「あらあら、あなただけ、ずるいわ」

 

そういってソネットは末娘を長女へと預け、雅津から解放されたクリスへと抱きついてくる。

 

懐かしい母の香りに包まれて、クリスは恍惚の表情を浮かべた。

 

「少しだけ見た目は違うけれど、貴女はクリスね? クリスなのね?」

 

その台詞がまたクリスを泣かせた。

 

ママ、ママと頷きながら、その胸元へ顔を埋めるしか出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、そろそろお別れかな」

 

雪音一家との短い交流を終え、クリスはこちらの世界の自分へとそう告げた。

 

こちらの世界のクリスはというと、何か言いたげな表情で口ごもっていたが、結局言った。

 

「…あのさ。おまえさえ良ければ、ずっとこっちの世界にいれば」

 

それは物理的に無理なことかも知れない。

 

だが、心底からの申し出であることが理解できたクリスは、その言葉だけで嬉しかった。

 

「ありがとよ。…いや、本当にありがとう。でも、あたしの生きる世界は、あっちなんだ」

 

未練がないといえば嘘になる。しかし、感謝の言葉に万感の思いを込めて。

 

「だいたいな、あたしが居ないとあっちの連中も困るだろうし、なによりあっちのパパとママのお墓も守らないとな」

 

「…そっか。そうだよな。うん、そうだったな」

 

深く頷く自分。

 

「それじゃ、元気でな」

 

「おう、おまえもな」

 

最後に固く互いの手を握る。

 

まったく同一存在である自分の手を握るという経験は貴重だろうけど、照れくささが先に立つ。

 

こちらの世界のクリスは言う。

 

「…あたしは、おまえたちのこと絶対に忘れないよ」

 

「ああ」

 

「そしていつか、また会える日が来ることを願っている」

 

「あたしもさ」

 

それは果たされることのない約束か?

 

否。果たすと信じ続けるかぎり、その約束は永遠だ。

 

もう一度手を強く握り合い、クリスは背伸びをして首を巡らす。

 

雪音一家が少し離れた場所からこちらに向かい手を振っている。

 

おそらく事情など良くわかっていないのだろう。

 

その上で心を開き、あたしを受け入れてくれた。

 

こちらの世界が自分の居場所でなくても、それだけでもう十分すぎる。

 

最後とばかりに、クリスはもう一度声を張り上げた。

 

「パパッ! ママッ!」

 

その瞬間、視界は切り替わった。

 

気づけば格納室の固い床の上。すぐ傍らでギャラルホルンは七色に発光している。

 

 

 

 

 

ふとクリスは思う。

 

遥か欧州はノイシュヴァンシュタイン城での願い。

 

それは叶ってしまったのではないか?

 

並行世界とはいえど、パパとママとの再会。

 

暖かく迎え入れ、理解し包んでくれた。

 

なのに、もはやあちらの世界へと赴く術はない。

 

そしてあちらの家族は、自分との交流も忘れ去ってしまうだろう。

 

垣間見た希望と表裏一体の永遠の別れ。

 

ったく、余韻もなにもあったもんじゃない。

 

それに、ちくしょう、対価にしては高すぎるぜ…。

 

 

 

 

 

 

『おかえりなさい、クリスさん』

 

スピーカーからエルフナインの声。

 

「おっかえりクリスちゃん!」

 

続いて響を筆頭に仲間たちがなだれ込んでくる。

 

「あれ? クリスちゃん、泣いてる?」

 

「ばっか、泣いてなんかねーよ。ちょっと埃が目に染みただけだ!」

 

乱暴に眼元を擦るクリスに弦十郎も近づいてきた。

 

「クリスくん、ご苦労だった」

 

「おう。…色々とありがとうな、おっさん」

 

そう応じたあと、小声で付け足した声は感謝の証し。

 

今回の人選は、向こうの世界に自分の両親が健在であること知った上での配慮もあったことだろう。

 

ところが、いつもなら、うむ、と一言頷いて颯爽と身を引く弦十郎なのに、ぐずぐずとクリスの前から動こうとはしない。

 

「…おっさん、どうした?」

 

「う、うむ。その、オレの結婚相手というのは…?」

 

なるほど、そういうことかよ。

 

納得するクリスだったが、周囲の視線を残らず集めていることにも気づく。

 

「それは…」

 

「それは?」

 

皆が固唾を呑んで見守っている。

 

結局、散々じらした挙句、クリスは言う。

 

 

 

 

 

 

 

「ナイショだッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そ、そんな殺生な…」

 

珍しく泣き言に近いものを漏らす弦十郎を押しのけて、切歌と響が突進してきた。

 

「クリス先輩! バイキングと食べ放題の約束デース!」

 

「あ、あたしは手作りフルコースだったよねッ!」

 

「おいおい、約束したのはあたしじゃねーし、フルコースだってつくれねーよ!」

 

「そんなこといってもクリスさん先輩はクリス先輩なのデース!」

 

「そうだよ! クリスさんの責任はクリスちゃんが取るべきッ!」

 

「ちょっ、待てよ、無理だって勘弁してくれッ!」

 

クリスは逃げ出す。切歌、調、響が追ってくる。

 

走りながら、クリスはその実楽しくて仕方がなかった。

 

この世界には、自分を慕ってくれる仲間がいる。認めてくれる大人がいる。

 

たとえあたしが許されない罪を抱えていたとしても、絶望なんてさせてくれない大切な連中ばかりだ。

 

だから、あたしはこちらの世界で生きていける。生きて行くんだ。

 

 

 

 

さあ――――早く帰ってパパとママのお墓参りに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







これにて完結です。
クリスちゃんが二人だからクリス・ダブルでCWでいいや、と案外適当につけたタイトルですが、クロス・ウエーブ、チェンジ・ワールドなどなど色々と解釈を含んだタイトルになったことに自分を少し褒めて、筆をおきたいと思います。




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