「確かにアウフヴァッヘン波形が観測されています」
S.O.N.G.本部のミーティングルームに集められた装者の前で、エルフナインの説明は続く。
投影式のディスプレイの上では、古びたタペストリーと絨毯が三次元で表示され、幾つものデータの注釈がついていた。
過日、ノイシュヴァンシュタイン城でマリアとクリスが隠し部屋で目にした例の代物である。
「つまり、うっかりクリスちゃんが聖遺物を起動させちゃったってこと?」
立花響がそう訊ねる。本人に全く悪意はないのだが、クリスとしてはその指摘は結構応えた。
「調査部も発見できていなかったんだ。その点でクリスくんを責めるのは酷というものだろう」
マリアが口を挟むより早く、風鳴弦十郎司令が擁護を展開する。
「司令の意見にボクも同感です。かなりの限定条件下での起動でしたので、事前に察知するのはかなり困難―――いえ、不可能だったと考えられます」
エルフナインは三次元ディスプレイの端末を操作する。
絨毯とタペストリーがそれぞれ大写しになり、さらに拡大。
画面いっぱいに表示されたのは古びた糸が数本と、切手の大きさほどの繊維が一欠片。
「結論から言えば、これらは聖遺物の欠片であることは間違いありません」
「…こんなちっぽけなものが?」
クリスが呻く。
「タペストリーに編みこまれた絹糸は、おそらく聖人の衣服をほぐしたものと推測されます。絨毯に含まれた繊維は、いわゆるマジカルカーペットの一部である可能性が高いかと」
「あのアラビアン・ナイトに出てくる魔法の絨毯ってことデスか?」
目を白黒させ、切歌は隣にいる調と顔を見合わせる。
「みなさん誤解しないでください。この聖遺物自体は欠片にすぎませんし、オリジナルのレプリカの更にレプリカといえるほど霊格は低いものですから」
慌てて付け足してくるエルフナインだったが、腕組みをしたままマリアの表情は厳しい。
「その本来の力を失っていたはずの聖遺物が起動した。それはなぜ?」
マリアの視線を真っ向から受け止めたが、エルフナインの表情は冴えない。
それでも彼女は端末を操作し、ディスプレイに新たな映像を投影する。
それは、マリアとクリスにとって、つい最近じかに目にしたものだった。
「…ノイシュヴァンシュタイン城……!?」
二人が異口同音に呟く中、エルフナインは説明を始める。
「本来ならこの二つの聖遺物に起動するほどの力はありません。なのに起動したのには、この城の存在そのものが影響したものと考えられます」
「それは城自体が聖遺物だったということかしら?」
「その答えは正しく、同時に正しくもありません。つまり…」
更に続けられるかと思ったマリアとエルフナインの問答は、おずおずとクリスが手を上げたことによって中断される。
「悪いが原因は後回しにしてくれないか? あたしがどんな聖遺物を起動しちまったのか教えて欲しい」
隠し部屋が謎の光で満たされたあと。
クリス自身には何も変化は見られなかった。
異常を察して駆けつけてきた調査部により、徹底的な捜索がなされ、例のタペストリーと絨毯より聖遺物の欠片は回収されている。
だが、それだけだ。
聖遺物は間違いなく起動した。
にも関わらず、目に見える結果が観測されていないのである。
調査部は未だドイツに残留し、日本へと急いで帰国したクリスは、本部で考えられる限りの様々な検査を受けていたが、こちらにも異常は見られていない。
表情にこそ出さないが、クリスの内心は焦燥感と不安で埋め尽くされていた。
かつてのソロモンの杖のように、ノイズや人類にとっての厄災を産むような聖遺物を自分が起動してしまったとしたら―――。
クリスの言葉に、エルフナインは司令席を顧みる。
弦十郎が小さく頷くのを見て、エルフナインは口を開いた。
「…クリスさんが起動した聖遺物は、おそらく〝願望器〟です」
「願望器、だあ…ッ!?」
クリスを始め、装者たちは揃って困惑の表情を浮かべる。
どのような効果を持つかは字面で理解できるが、果たしてそのようなものが本当に存在するのか?
「20世紀末、日本で流行したアクセサリーがありました」
エルフナインがディスプレイに表示させたのは、糸で編み込まれた簡素な腕輪だ。
「これはミサンガと呼ばれ、特に若者に爆発的な支持を受けます。この腕輪が自然に切れたとき、願い事が叶うという触れ込みで」
唐突な話題の転換に戸惑う装者たちをよそに、次にエルフナインがディスプレイに映したのは南米らしい場所を指し示す地図だ。
「そして、ミサンガの源流は、ここブラジルのサルバドール市にあるボンフィン教会が始めたという説が有力とされています。聖人の衣服を解し、リボンとして売り出したのが始まりだと。18世紀の話です」
ノイシュヴァンシュタイン城が建設されたのは1869年。19世紀になってからだ。
年代的に、遠く南米で作られた何かが、ドイツまで渡ってきていてもおかしくない。
「す、すると、魔法の絨毯は、あれデスか、魔法のランプだったってことデスか!?」
興奮の声を上げる切歌を、エルフナインは微笑で受けとめる。
「絨毯の繊維の方には多少の力の残留が認められた程度ですが…。でも、切歌さんの言うとおり、千夜一夜物語に基づいた何かしらの因果が生じたのは否定できませんね」
「聖遺物の欠片の『因果』に関しては理解できたわ。すると、ノイシュヴァンシュタイン城は『概念』を担当したということかしら?」
マリアがそう指摘すると、エルフナインは深く頷いた。
「御明察です。あの城はルートヴィヒ2世の全くの趣味で建築されました。自分の願望だけで作られた城。いわばあの城というフィールドは、主の全ての望みを叶える場所と言い換えることが可能であり、その歴史的事実は、もはや伝説の域まで巷間に膾炙しているのです」
タペストリーと絨毯に仕込まれていた聖遺物の欠片は、本来的に起動する力すらない。度重なる調査でも無視されてしまうほど霊威も因果も喪失していた。
ノイシュヴァンシュタイン城という巨大な歴史的概念を持つ城にあっても、それは意味を持たない。
しかし、あの場でクリスが歌を唄ったことにより聖遺物としての励起を受け、因果と概念が結びつき補強された。
加えて、彼女が何かしらを願ったその瞬間、あの城に出そろった条件が〝願望器〟という一個の聖遺物として融合、起動した―――。
…未だ理解の覚束ない年少組の装者のため、エルフナインが改めて噛み砕いて行った説明は上記のようになる。
だが、この説明をしたことにより、逆説的にクリスが何かを願ってしまったことが周知されてしまった。
エルフナインの冴えない顔つきに加え、弦十郎と顔を見合わせていた意味もクリスは悟らざるを得ない。
「願いごとなど、プライバシーの吐露のようなものだからな。言いづらいなら、あとでレポートででも提出してくれれば…」
弦十郎がそう配慮してくれるが、しかしクリスは一蹴。
「別に隠すほどのもんじゃないさ。あたしはただ、パパとママにもう一度会いたい、なんて思っただけだよ」
口にするのは少しばかり恥ずかしかったが、すっぱりと言ってしまったほうが気も楽になる。
「端から無理なお願いだってのはこちとら承知しているからな。いくらなんでも、死んだ人を甦らせてはくれないだろ?」
起動した聖遺物が〝願望器〟だと聞いた時点で、微かにでも期待していなかったと言えば嘘になる。
同時に、あんな寄せ集めの偶然で起動した聖遺物にそこまでの力がないだろうとも推測していた。
帰国してからしばらく経つが、未だに何も変化が起きていないのが何よりの証拠だ。
「ま、せめて夢枕にでも立ってくれることは期待するさ」
クリスがそういうと、ようやく周囲からも笑いが漏れた。
皆が皆、彼女の過酷な半生に思いを馳せ、口を挟むのを憚っていたのだろう。
しかし、そんな中で、なおエルフナインの表情に陰りがあるのをクリスは見逃さなかった。
「願いが叶わないのであれば問題はないと思いますが、でもしばらくは気をつけてください」
「は? どういうこった?」
「古今東西、願望器に対する伝説は数多いのですが…大抵、願い事を叶える替わりに対価を要求されているのです」
アラジンの魔法のランプでは、願い事を三つ叶える替わりに、ジンが解放される。
村を洪水から救うために娘は湖に住む竜神へとその身を捧げ、天狗の高下駄を履いて転べば小判を一枚得るがそのたびに背丈が縮む。
時空を旅したファウスト博士は悪魔に魂を要求された。
「ボクはこれを一種の因果の調律、または運の均等化だと考えています」
運定量説も昔からまことしやかに囁かれている。
つまるところ人の運の数値は定められており、生涯の幸運と不運は差引でゼロになるという考え方だ。
これを願望器に当て嵌めれば、巨大な幸運を願い叶えれば、同量の不運に見舞われることを意味する。
「ははっ、叶わない願いに対価を求められちゃあ、それこそバランスが崩れちまうぜ?」
笑い飛ばすクリスだったが、その語尾が微かに震えている。
「お邪魔しま~す」
「おッ、二人とも良く来たな!」
自宅を訪ねてきた響と未来を快く迎えるクリスがいる。
「でも、急にクリスちゃんから泊りに来てって珍しくない?」
着換えなどの諸々が入ったバックを置きながら響は言う。
「なあに、土産代わりに本場もののボードゲームをしこたま買ってきたからな。今夜は寝かさないぜ?」
卓上に所せましと並べられたゲームとお菓子の山を指し示してクリスは胸を張る。
「あら? クリスも外国の小説なんて読むんだ」
目敏く椅子の上に置かれた文庫本を小日向未来は手に取った。
「小説を読めば語彙も読解力も身につくからな。テスト対策にもバッチリさ」
思えば妙なテンションで饒舌なクリスに対し、違和感を抱くべきだったろう。
しかし未来は文庫本のタイトルを一瞥しただけで、そこに明確な解答があったにも関わらず興味を示さなかった。もっとも今日びの女子高生は、海外の怪奇小説短編集などに興味は示さないかも知れないが。
実は、クリスなりにエルフナインが言うところの〝願望器〟に対する逸話を収集していた。
その中で最も有名かつ不気味な話が、W・W・ジェイコブズの著作である『猿の手』である。
読了するなりクリスは両親の仏壇を拝み倒し、かつ立花響、小日向未来を召喚するに至った次第であった。
「クリスちゃんが良いならいくらでも泊まっちゃうよ♪」
「おう、しばらくは家から学校に通っていいぞ?」
「もうクリスったら」
この時の未来は、クリスの発言は全くの冗談と受け止めていた。
しかし実際に一週間以上泊り込む羽目になろうとは、人としての原罪を浄化された彼女をしても見通せない