「そうか。あちらの世界ではクリスくんの両親は健在なのか」
並行世界からやってきたクリスの渡してきたメモリースティックには、まず三人の装者の情報が記されていた。
風鳴翼、立花響の情報に関しては、こちらの世界となんら遜色はない。
ただ、雪音クリスのデータのみ明確な違いが記されている。
父、雪音雅律。母、ソネット・M・ユキネ。都内在住。
あちらの世界の雪音クリスは、両親の愛情をたっぷりと注がれて成長したに違いない。
なればこそ、あれほどしなやかで闊達な言動の並行世界の彼女にも得心が行く。
こちらの世界のクリスを知る風鳴弦十郎としては、多少なりとも心が和む情報だった。
過日の錬金術師たちによる同時多発テロ事件、通称 <
その成果として、向こうの並行世界でも、こちらと同様にルナアタックが勃発したところまでの情報を取得するに至る。
クリスがフィーネの傀儡となる展開こそなかったが、大筋の流れに変化は見られていない。
広木防衛相の暗殺も防がれることはなく、その他の人的被害もこちらの世界に準じている。
櫻井了子もフィーネとして覚醒し黙示録の赤き竜と化している。
…やはり彼女は救えないのか。
並行世界に接触するたびに、半ば無意識で櫻井了子の生存を確認してしまうことに、多分に私的な感情が介在することを弦十郎は否定できない。
だが同時にそれは、渇き果てて海水を飲むことと同義であることも承知していた。
一時は渇きが癒え、束の間の幸福を得られるかも知れないが、直後に塩辛い現実を味わう。
彼女が生きているのは、遠くて近い別世界だということを思い知る。
やれやれ、この歳になっても感情の処理もままならないとは。
「遠くで祈ろう幸せを……か」
「え? 司令、いま何か言いましたか?」
友里あおいが激しくタイピングを繰り返しながら剣呑な眼差しで見てくる。
「い、いや、なんでもない、続けてくれ」
いかんいかん、大概オレも疲弊しているのかも知れん。
弦十郎は頬を撫でる。ざらつく髭の感触。
「ちくしょうっ、やっぱりダメか!」
半ばそう絶叫し、コンソールに突っ伏すのは藤尭朔也。
メモリースティック内のデータは、新たな階層を表示するために、いちいち詳細な―――もっと言ってしまえば偏執的なほどの設問への回答が要求されていた。
こちらの取得している情報と突き合わせ、正しい回答を入力しなければ、おそらくデータが自動的に消去されるプロテクトが組まれている。
データの取得は喫緊の問題である。緊急処置として、プロテクトそのものを解除しようと藤尭が一人奮闘していた。
だが、データ処理に関してはS.O.N.G.で随一、いや、おそらく世界でも五指に入るほどのエキスパートでもある彼を持ってしても、匙を投げるしかないものらしい。
「ってゆーか! このコードのクセ! 絶対にこのプロテクト作ったのは向こうの世界のオレですよッ!」
「だったら、尚更なんとか出来るじゃないの?」
「自分だから良くわかるんだよ! 司令、これは起動しちまったら解除不能なプロテクトですわ」
友里にそう応じてから、藤尭は半ば投げやりな声を司令席へと飛ばす。
「ならば地道に行くしかないな。なあに、何も収穫はなかったわけじゃあない」
データの羅列される巨大ディスプレイへ視線を注ぎ、弦十郎はニヤリと笑う。
同じ方向を見ながら、エルフナインも強く頷いた。
「はい。おそらく、向こうの世界でも、ギャラルホルンによって並行世界へ干渉したことがあるはずです」
並行世界から来た雪音クリスは、ギャラルホルンの初起動と言っていたが、おそらくそれは欺瞞だ。
初めての異世界の来訪に当たり、事前にこれほど周到なデータを準備できるとはとても考えられない。
同時に彼女は「
むこうの世界にもエルフナインは存在するなら、魔法少女事変も勃発し、同様の結末を迎えていなければ無理だろう。
こちら側の装者、マリア、切歌、調の三人もむこうの世界と変わりない、との発言も、フロンティア事変が起こり、その上で仲間となったことを裏付けているのではないか。
つまり、向こうの並行世界は、こちらの世界とかなり似通った世界である可能性が高い。
「…だったらなんでこんな勿体ぶった手管を用いるんですかね?」
似た世界であるなら、わざわざ回りくどい情報を確認する必要があるのか? さっさと情報を共有してしまった方が益があるのではないか―――。
藤尭のぼやきも十分に理解できる話ではある。
だが、弦十郎は首を振った。
「どう考えても二つの世界が完全に一致するはずはなかろう。手間はかかるが、やはり微細な変化は見逃さず、精査せねばならん。それに――」
弦十郎は、そこで発令所の面々を見回す。
「オレたちが考えつくようなことを、向こうのオレたちが考えないとでも思うか?」
「あ…」
呆気にとられた声を出す友里を横目に、藤尭がやさぐれ気味に噛みついてくる。
「なら、なおさらですよ。そんなにこっちの俺たちが信用ならないんですかね!?」
「そりゃあ信用ならんだろうよ。疑心暗鬼なのは向こうも同じだ」
「………」
今のおまえと同じだろう――と暗に指摘されて沈黙する藤尭に、弦十郎は自分自身に言い聞かせるように口を開く。
「ゆえに、オレたちは意味を考えなければならない。向こうの世界のオレたちが送ってきたデータの内容と、このデータを送って寄越したその意味を」
「まるで時間稼ぎの意地悪みたいにも見えますけどね」
疲れた表情で呟く友里。
「それが答えの一つかも知れません」
エルフナインが頷く。
「…どういう意味なの?」
「現在のギャラルホルンの情報はあくまで秘匿されています。報告しているのは関係者の極一部だけですよね?」
友里の質問に、エルフナインは弦十郎を仰ぎ見るように尋ねる。
「その通りだ」
弦十郎は力強くうなずく。
実際のところ、ギャラルホルンに関して知る人物は限られている。
その中にはもちろん鎌倉の首魁、風鳴赴堂も含まれているが、今のところ沈黙を守っている。
というのも、あくまでギャラルホルンはこちらの世界から無数の並行世界に干渉するだけの力に留まるからだ。
しかも世界を渡れるのは装者ら適合者たちだけとあらば、いよいよの際に並行世界へ集団疎開という手段も使えない。
それが、今回の並行世界よりの来訪で事情は変わった。
もし、弦十郎が危惧する予想が当たっていれば、あの攘夷主義者が黙っているわけはない。
「…なるほど。そう考えれば、データの完全解析をしないうちに詳細な報告は出来ませんからね」
「そういうことだ」
おそらく、政治も含めたそのへんの周辺事情はむこうの世界も同じはず。
この厳重極まりないプロテクトは、対処するためにかかる時間という口実作りと、その間によくよく熟慮してくれとのメッセージが込められているのではないか。
もっとも希望的観測は厳禁だ。むこうが大きな差異を抱いている世界であることも否定は出来ない。
そうして取得できた情報を鵜呑みにするのも迂闊だろう。
だが、今日のところはとりあえず―――。
「現時刻で、一旦作業を中断する!」
弦十郎は発令所の一人一人の顔をゆっくりと見回す。
「作業再開は24時間後としよう。各人、どう過ごすかは自由だが、8時間以上の睡眠をとることを厳命するッ!」
今は休息の時だ。
「雪音さん、今日はお弁当なんだ? 珍しいね」
「あ、ああ…」
私立リディアン音学院の昼休み。
自席で弁当箱を引っ張り出したクリスの机の上を、級友たちが覗きこんでくる。
「ひょっとして手作り?」
「…まあ、そんなもんかな」
嘘ではない。作ったのは間違いなくもう一人の自分だ。
あの日の夜遅くにやってきた並行世界のクリスは、そのままこの世界のクリスの自宅へ宿泊している。
一宿一飯の恩義だぜッ、などと言いながら、朝食を作ってくれただけにとどまらず、出がけに持たせてくれたのがこの弁当である。
さっそく蓋を開けかけて―――クリスは慌てて閉じると言った。
「あ、やべえ、後輩たちと一緒に食べる約束だったわ」
興味津々で見てくる級友たちの前で席を立つと、あとは弁当を抱え一目散に中庭を目指す。
誰もいない中庭の奥まった場所を見回して一安心、とはいかなかった。
好事魔多しという格言が実証されたかは定かではないが、ご丁寧にシートを敷いてのんびりとしている二人組の片割れが大声を出す。
「あっ、クリスちゃんだ! こっちこっち~!」
「おまえらがいたのか…」
げんなりしつつも、大人しく立花響と小日向未来のもとへと近づくクリスがいる。
普段ならたとえ呼ばれても二人の世界を邪魔する気はないが、今回に限っては別だ。
多少なりとも事情を知っていて話が出来る相手の存在はありがたい。
「うっわ、クリスちゃん今日はお弁当? 珍しいね~」
級友たちと全く同じ反応にクリスは苦笑するしかない。
「ああ、もう一人のあたしが作ってくれたんだ」
「え? クリスさん、いまクリスちゃんの家にいるの?」
言っているほうも聞いているほうもややこしいが、クリスは素直に首肯する。
「昨日の夜だったかな? いきなりやってきて、そのままあたしん家に泊まっていったよ」
「へえ~、いいなあ。今日にでも会いにいっていい?」
「だからまだ家にいるかは分かんねーってば」
「それよりクリス、お弁当、食べなくていいの?」
優しい声音だが全く笑ってない目で未来が言う。
「そ、そうだな、腹も減ったしな」
背中にうすら寒いものを意識しながら、クリスは弁当箱の蓋を開けた。
弁当箱の中身は特筆するべきものはなかった。
卵焼き、鮭の切り身の照り焼き、ヒジキの煮物。敷かれたレタスの上の一口ハンバーグは、さすがに冷凍ものだろう。
メニュー的にはコンビニやスーパーで売っている弁当と大差はない。
しかし。
「…美味いな」
一口食べて思わずクリスは呟く。
普段食べている惣菜物と比べ、なんとなく優しい味がする。
「一口も~らい♪」
止める間もあれば、響が卵焼きを口の中へと放り込む。
「あ、甘い卵焼きだ、美味しい~」
確かにご飯と一緒に頬張る感じではなく、箸休め的な卵焼きだった。
梅干しの乗せられたご飯は冷めてもモチモチしていて美味しい。
「クリスさんって料理も上手なんだねー」
「お、おう」
響の感想に、自分のことながら胸を張っていいのやら。
もっとも現在のクリスに、こんな家庭的な弁当を作るスキルはない。なのに級友に弁当の中身を見られたらややこしいことになる。
そそくさとクリスが教室より避難した理由だ。
「ところでクリスさんはどこで何やってんの?」
「さあてね。適当にブラつくって出ていったみたいだけど…」
急いで弁当を掻き込み、パック牛乳を飲みながらクリスは答える。
用が済んだなら元の世界へ戻ればいいのにと言ったら、任務で当面は帰れないとのこと。
別に家に泊めるのはやぶさかじゃあない。
だが、どうにも気後れしてしまうクリスがいる。
まあ、単純に身長が高くて見た目からして違うからな…。
などと考えながら軽く視線を巡らせたクリスは、直後口より牛乳を盛大に逆噴射。
彼女の視線の先。
もう一人の自分が軽く手を挙げて「よッ!」と挨拶をしながら歩いてくるではないか。
「ど、どうしてここに来たッ!?」
「そりゃ少しばかり暇を持て余したからな」
「関係者以外侵入禁止だぞッ!」
「あたしも一応関係者だろ?」
「そりゃそうかも知れないけれど…あたしが二人もいたらパニックになるだろーがッ!」
「変装しているから大丈夫だぜ」
そう言ってのけた彼女は、上下のジーンズにデニムの帽子を目深に被っている。
加えて伊達眼鏡もかけていれば、なるほど、別人に見える……ものか?
「でもなあ…ッ!」
それでもとクリスが激昂しかけたときだった。
「ビッキー、やっほ~」
どう考えても事態をややこしくしかねない三人組、安藤創世、寺島詩織、板場弓美の面々がやってきた。
「あれ? 誰、この人? ひょっとしてモデルさん?」
と弓美が首を傾げれば、
「雪音先輩、こちらの方は?」
不審そうに尋ねてくる詩織。
「ん? きねクリ先輩に似てるっていうか……ヤバい、似すぎてない?」
これは創世。
すると響はなぜかえへんと胸を張って、
「そりゃ似ているよ! なぜなら…」
「わーッ、わーッ!」
その口を無理やり塞ぐクリスがいる。
「おまえバカかッ?! いくらこの三人でも、おいそれと並行世界の秘密を漏らすつもりかよッ!?」
小声で鋭く耳打ちをしている間に、渦中の並行世界から来たクリスは三人娘に向かって微笑む。
「初めまして。私は雪音クリスの従姉にあたる雪音雪姫と言います」
軽く長身を折って頭を下げる。完璧に如才のない挨拶。
「なるほど、従姉だったら似ていても当たり前かー」
「雪姫さんは今日はリディアンの見学ですか?」
創世と詩織は素直に納得。
「歌ずきんの雪姫ちゃんと同じ名前? それって本当なの!? だとしたらまるでアニメみたいだね!」
一人はしゃぐ弓美だけが真実を言い当てていたが、本人は知る由もない。
「そ、そーなんだよ! それで、あたしはこれから従姉のねーちゃんを案内しなきゃなんないから、ほら、みんな、散った散った」
クリスは、自称従姉の手を引いて歩き出す。
そしてその反対の手を、小走りで駆け寄ってきて掴む未来がいる。
「あ、あの、わたしも案内しますッ!」
「はあッ!?」
クリスが顔を顰めると、遅れて響もやってきた。
「えーと、未来?」
「…はっ! わたしは一体なにを…? ご、ごめんなさい響! これは決して浮気とかじゃなくて…ああ、何いってんだろ、わたし!」
混乱する未来。普段と逆の役割を振られ、響としてはオロオロするしかない。
そんな二人を後目に、そそくさとその場を離れようとする雪姫=クリス。
「なんだよ、あの子のことは苦手か?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…。こっちの世界も同じなんだなって思ってな」
「うん? どういうこった?」
「いやな、あっちの世界の小日向未来も、ときどきあたしをドロッとした眼差しで見てくるときがあって怖いんだよ」
「…マジか」