実のところ、ここしばらく小日向未来は機嫌が悪かった。
何よりも大切な人、立花響がシンフォギア装者として戦う運命にあることは承知している。
日本や世界を守るための大事なお仕事。
そう理解しているからこそ、S.O.N.G.の任務で不在の夜も、一人で乗り越えて来れた。
過日の錬金術師による集団テロも終息し、ようやく帰ってこれた響。
ところが、やさしく出迎えたにも関わらず、開口一番愛しの響から出た台詞は「クリスさん、クリスさん」ばかり。
詳しく聞けば、並行世界から来たクリスが今回の危機を救ってくれたとのこと。
そのこと自体はもちろん感謝しているし、こちらの世界のクリスだって好き。
だけど異世界から来たクリスとなれば、どうにも眉根を寄せてしまう未来がいる。
響が心を奪われたみたいになっているのも気に食わない。
―――だけど、そんな惚れっぽいところも含めて、響のことが…。
自分の赤くなった頬に両手を当て、クネクネと上半身をくねらせる未来は、見る人が見ればだいぶ
ともあれ、隙あれば苦言の一つも言ってやろう。そんな覚悟を決めて、そのクリスさんに相対した未来だったが。
…すらっと背が高くてかっこよくて、なのに顔がクリスって反則でしょうッ!?
で、でも、わたしにとっては響が一番なのッ!
だけど、素敵すぎ…。う、ううん、響の方が素敵よ…ッ。
…あれ? 引き分け?
ミイラ取りがミイラになったわけではないが、響ではなく自分が半ば心を奪われかけている。
必死でその感情の否定を繰り返す未来だったが、緩んだ気とともにネバっとした声が零れ落ちた。
「…ねえ、響。重婚ってどう思う?」
「何それ? なんかのコンニャク料理のこと?」
「ううん、なんでもないわ」
クリス邸で催されている並行世界から来たクリスさんの歓迎会は非常に盛り上がっていた。
ソファーに並んで座る響と未来の前には、レセプターチルドレンの三人に囲まれたクリスさんがいる。
「そ、それでそれでッ!? マムはどうしたんですかッ!?」
「ああ、あれはすごかったわ。パワードスーツを着たナスターシャ教授が、こうウェル博士の首根っこを押さえてさ、ソロモンの杖を奪取したんだ。そして、そのままの勢いで、射出された制御ユニットを追って月へ…」
「…信じられない」
「信じられないも何も、しっかり動画に残ってるからなあ。向こうの世界の動画サイトじゃ、不動の再生回数一位だぜ」
「と、ということは、マムはあっちでは何て呼ばれているのッ…!?」
「こっちの世界じゃどうか知らないけれど、向こうでは掛け値なしの英雄だぜ? それこそ『教授VS博士』って映画が作られるくらいに」
「す、すごいデースッ!」
喝采を上げ、乾杯を交わしあう切歌、調、マリアら三人を、翼が優しい眼差しで見守っている。
「よく別の世界のことであれだけ盛り上がれるぜ…」
そう苦言らしきものを呈したクリスは明らかに拗ねていた。
「そういうな、雪音。異世界とはいえ、知り合いが報われているのだ。水を差すのは野暮というものだぞ」
「ま、そりゃそうだろうけどよ…」
応えるクリスの声音は渋い。
なにせ
先日の夜。
当の本人の半生を既に聞き及んでいる。
NGO活動で、雪音夫妻が娘を伴い南米を訪れていたところまでは同じだ。
ところが、娘であるクリスが原因不明の腹痛を患ったところで、夫妻はNGOと一旦離れ、ブラジルの病院へ。
その直後、NGO本隊はバルベルデで戦火に巻き込まれ、雪音夫妻は娘とともに帰国を余儀なくされている。
帰国したクリスは二課に適合者としての素質を見出され、正規登録を受け、前任の適合者である天羽奏と風鳴翼を先輩と仰ぎ、日々訓練に励んでいたとのこと。
もう少しでトライウィングになるかも知れなかったんだぜ?
そう語った彼女は、スタジアムの惨劇の時、日本にいなかった。
アメリカで秘密裏に発見されたイチイバル接収の任務に就いていたのだが、F.I.Sの先鋭派の暴走と米政府の暗躍により、予定にないトラブルに巻き込まれてしまう。
ようやく日本へ帰りついた頃には、天羽奏の死に関する事件は全て終息していた―――。
「もっとも、全部信用したわけじゃないけどな…」
そう一人ごちるクリスの表情は翳っている。
なぜなら、どうしても考えが及んでしまうのだ。
向こうの世界のあたしは、どんな風にパパに頭を撫でられているのだろう? ママにどんな料理を教わっているのだろう? と。
あくまで並行世界のことであり、こちらの世界の現実ではないことは百も承知している。
しかし、理性は納得するのだが、どうにも感情が納得してくれない。
ゆえに、奔放な笑顔で喋り続けるもう一人の自分を見る瞳は、複雑な色を帯びることになる。
「ク、クリスさん? 今度わたしと一緒にビーフストロガノフを作りませんかッ!?」
「お、いいぜ。向こうの世界のおまえが作ったヤツは美味かったなあ」
「やった~! わたしも手伝うよ、未来!」
「ごめん、響、わたしはクリスさんと二人で作ってみたいの」
「え゛!? な、なんで!? どうして!?」
「それはその……わたしにも別腹があったみたいで…」
「????」
混乱する響と未来から逃げるように、クリスさんがクリスの元へとやってきた。
「いやあ、こっちのも愉快で気のいい連中だな!」
と、ジュースの入ったグラスをカチ合わせてくる。
「愉快って部分だけは同意しとく」
そっけなくクリスは答える。
「なんだよ、あたし? 拗ねてるのか?」
「別に拗ねちゃあいないよ」
バレバレの嘘を溜息と一緒に吐き捨てて、クリスは別世界の自分へと尋ねた。
「なあ? 向こうの世界のあたしは幸せか?」
その問いかけは、思いもがけない効果を発揮した。
明らかに虚を突かれたような表情になるもう一人のクリス。
それからあからさまに
「ああ、幸せさ。幸せだった」
―――
おい、それってどういう―――と、クリスが疑問を唇に載せるより早く、もう一人の自分が質問をかぶせてくる。
「そういうおまえは幸せなのか?」
決しておちゃらけではない、真剣な質問。
その声音と表情に、今度はクリスが目を白黒させる。
思い返すのが辛いほどの過去がある。
一生抱えていかなければいけない後悔も山ほど。
でも、その果てに手に入れた
「…うん、悪くはない、かな」
「幸せかよ? どうなんだ?」
「ああ、幸せっちゃあ幸せかもなッ」
半ばやけっぱちで言い返すと、もう一人の自分は破顔した。
顔を寄せてくると、耳元に囁くように言う。
「あたしは、あたしのその幸せを守りに来たんだ―――」
仲間も全員帰ったその日の深夜。
寝室でむくりとクリスは起き上がる。
歓迎会の喧騒が身体に染み込んで眠れないわけではない。
もう一人の自分の囁き。
あれが気になって仕方ないのだ。
…仕方ねえ。直接もう一回訊いてみるか。
並行世界から来たクリスは先日に引き続き泊り込んでいる。
リビングで眠る彼女に元へ行こうと寝室を出たクリスだったが、直後に身体を強張らせた。
微かに聞こえてくるのは…嗚咽?
その音を辿り、クリスはリビングのソファーで眠り込むもう一人の自分の姿を見出す。
寝顔に光る二筋の涙のあと。
そして唇から零れ落ちた寝言に、事情を尋ねることを断念した。
「…パパ…ママ…」
クリスは静かにリビングを後にする。
再度ベッドにもぐりこみ、毛布をかぶる。
妙に可笑しい気分のまま瞼を閉じながら、思う。
あんだけ大人っぽくてお姉さんぶっているクセに。
なんだよ、ホームシックになってんのかよ。
やっぱ、あたしはあたしなんだな…
眠りに落ちる寸前に抱いたその思いが大きな誤解であることに気づくのは、もう少し後のことになる。