雪男は一度深く俯き、意識して息を強く吐き出した。まだ春になったばかりの冷たい外気に、こぼれ出た息はひどく熱く感じられた。
「……問題は兄です。炎を抑えられなくなってしまった」
「そうだね。あのままじゃあ正直どうにもなんないだろうなぁ。日本支部で匿っていられるのも時間の問題、ちょっとでもヘマをすればバレて殺される。今のところはあのいけ好かないクソ悪魔に頼るしかないね」
昴は傘の柄を握ったまま器用に腕組みをして言った。その顔には隠しきれずにじみ出る嫌悪の表情。――と言うのも、彼女は聖十字騎士團の日本支部長、メフィスト・フェレス卿をやけに嫌っている。理由は雪男も知らないが、あの常に人を馬鹿にする食えない悪魔を嫌う気持ちはよく理解できる。
しかし、どうにもならない。確かにそうだ。燐のサタンの炎は、もはや降魔剣では完全には抑えきれなくなってしまった。剣が折れれば燐はその肉体に宿った青い炎にたちまちにして意識を呑まれ、人も悪魔も関係なく灼き殺してしまうだろう。フェレス卿の気まぐれがなければ、今すぐこの場で殺されていてもおかしくはなかった。まあ、今生き延びられたとしてもその場しのぎでしかないわけだが。
本当に馬鹿だ。サタンの息子が祓魔師だなんて。笑い話にもならない。そんなことをして生き長らえて何になる? 炎を扱えるようになったところで、父が帰ってくるわけでもないのに。
雪男のこわばった表情を見て、昴はそのほっそりとした手を雪男の肩の上に置いた。骨の髄まで凍っているかのような冷たい冷たい手。幼い頃、高熱を出すたびに昴が添い寝してくれたことを思い出す。体温の低い彼女が傍にいると、熱にうなされる身体がひんやりとして気持ちよく、とても楽になったものだ。
「大丈夫だよ雪男。燐も、雪男も、殺させたりなんかしない。絶対に」
そしてその冷たさと裏腹に、深い森の色の目は強い決意をはらんで燃えていた。瞳孔の奥の方からは微かに、稲穂のような金と緑の光がちろちろと揺らめいている。昴はいつも、何か覚悟を決めるときにこういう目をするのだ。
殺させたりなんかしない。彼女も雪男と同じように、燐を守る覚悟があるのだ。誰を敵に回しても、どんな犠牲を払っても、きっと彼女はそばにいてくれる。そうやって疑いもなく信じられることが、雪男は何より嬉しかった。
「祓魔師の資格も取り直すし、そうしたら、また私が二人を守る。だから安心して。ね?」
「……はい」
母親のような優しい声で言う昴に、雪男は神妙にうなずいた。
雨足も強まってきたので、そろそろ行こうか、と二人して踵を返す。
「おぉわっ」
昴が間抜けな声を上げた。この長雨でできたぬかるみに足を取られたのだ。バランスを崩した彼女の身体を支えたのは、すっかり男らしい体つきになった雪男の腕だった。
驚いたように振り返る昴の視線を受け止めて、雪男は不敵な笑みを浮かべる。
「守られるのも吝かではありませんが、少なくとも僕は守られっぱなしでもいられません。最年少で祓魔師の資格を手に入れたプライドがありますから」
鼻でも鳴らしそうな態度の雪男に、昴はやられた、とばかりに片目を歪めて微笑んだ。雪男の一番好きな彼女の表情だった。
「ふふ、頼もしいねえ。さすが私の弟といったところかな」
「当然ですよ、『姉さん』」
昴は雪男の精神的支柱です。が、果たしてこの先どうなるか。
色々展開を考えているのでお披露目する日が楽しみです。乞うご期待!