アストラル   作:赤錆はがね

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第1章・葬式⑤

 

「ばかはお前だ」

 

 

 顔の左半分を隠す長い前髪に、何かが触れた。燐の指。骨の太さをありありと感じる、無骨な指だ。

 

 

「女がカオに傷つくって、大丈夫なわけあるか」

 

 

 昴は目を見開いた。深緑の瞳の奥で、いくつもの金緑色の星がぱらぱらと散った。それと同時に、嬉しいような、泣きたいような、胸がきゅうと締め付けられるような気持ちが襲ってきた。父と慕っていた人間を失ってなお、彼が人に分け与えようとする優しさが、その痛々しさが、どうしようもなく切ない感情を彼女の心臓から引きずり出してきた。

 

 

(こういうところだよねぇ。まったく嫌になる)

 

 

 燐は自分を家族のように慕ってくれる。嬉しいことがあれば自分以上に喜んでくれるし、悪いことをすれば叱ってくれる。傷ついたら寄り添って、どんなにはねのけても見限らずに、黙って遠くから見守ってくれる。そのことが、燐にとっては当たり前であろうそれらのことが、昴にはずっと涙が出るほど嬉しかったし、同時にとても申し訳なかったのだ。

 

 

 ――この教会に来たときから、昴が幾重にも嘘を塗り重ね守っている「真実」を知ったら。

 燐は、雪男は、それでも自分を姉と慕ってくれるだろうか。

 

 

 すべてが明るみになる時。いつか必ずやってくるそれは想像するだに恐ろしく、昴は恐怖を振り払うように勢いよく立ち上がった。燐が驚いたように昴を見上げている。

 

 

「燐。生きなよ」

「……は?」

 

 

 今度は燐が聞き返す番だった。昴は燐の方を見ない。霧雨に白くけぶる教会の裏庭で、まっすぐ前を見つめた瞳が煌々と金緑色にひかっている。

 

 

「悲しくて悔しくて、押しつぶされそうだって思うかも知れないけどさ。どんなことがあっても、生きることだけは諦めちゃいけないよ。死ぬことは逃げだよ。本当に藤本神父を悼む気持ちがあるなら、生きるんだ。何があっても、どんな手を使っても」

 

 

 昴はとりつかれたように言葉を並べ立てた。彼女がしゃべるたびに熱い吐息が白く立ち現れて、霧雨の中に溶け消えていく。

 

 

「支えられてるんだ。私たちが何も知らずのうのうと生きている、その裏で。どれだけの人がどれだけの犠牲を払って自分を守ってくれてるのか、私たちは思い知らなくちゃならない。この身に刻みつけなくちゃならない。それができないなら――……」

「昴……?」

 

 

 昴の、静かに忍び寄るような独特の剣幕に気圧され、燐はおののくように彼女の名を呼んだ。その声に昴は夢から醒めたようにはっとして、燐を見た。その隻眼に宿っていた金緑色が、夕陽が山の端に落ちていくように、すうっと深緑の奥に消えていく。

 

 

「……ごめん。何でもない」

 

 

 昴は笑った。今にも泣き出してしまいそうな微笑み。燐はそれが彼女が何かを誤魔化そうとしている時の表情だと知っていたが、とてもそれを指摘する気持ちにはなれなかった。昴も彼女なりに藤本神父の死を悲しみ、苦しんでいるのだと、痛いほどに感じ取れたから。

 

 

 ぱしゃり、と雨飛沫を立てて、昴の足が水たまりを踏みつける。屋根の外側に出た彼女の身体を、霧雨が優しく包み込むようにして迎え入れた。

 

 

「まあ何はともあれさっ、あんまくよくよするなって! 生きてりゃそのうち良いことあるでしょってこと! 藤本神父も、燐が笑って生きてくれるようにって願ってるだろうからさ!」

 

 

 両腕を広げて振り返った昴は、そう言って笑った。もう泣きそうな顔はしていない、明るくにこやかないつもの彼女だ。

 

 

「……ああ」

 

 

 燐は顔を歪めるようにして微笑み、頷いた。早々に感情を隠してしまった昴に、それくらいしかしてやれることがなかった。

 

 

 雪男も、昴も。もっと感情をさらけ出してもいいんじゃないのか。泣いて、怒って、当たり散らしてもいいんじゃないのか。父と慕っていた人間がいなくなったのに、彼らは泣くこともなく、少なくとも表面上はとても穏やかだ。

 

 

 誰も燐に藤本神父が死んだ経緯を聞かない。聞かれたところで真実を教えてやれるわけではないけれど、それにしたってどうしてあんなふうに誤魔化したりして、うまく本心を隠してしまうのか燐には分からなかった。

 

 

 ……家族なのに。

 

 

「雨、まだ降るね。そろそろ行こうよ」

 

 

 鈍色の空に向けて手をかざし、霧雨を全身で受け止める昴に、燐は曖昧に頷いた。

 

 

 それだけじゃない。疑問は他にもあった。彼女に対する長年の疑問が。

 教会で娘のように育てられ、燐と雪男と姉弟のように育ってきたのに。

 

 

 ――どうして昴は、藤本神父のことを「父さん」と呼ばないのだろう。

 

 

 その理由を、隠された彼女の秘密を、彼が知るのはもう少し先の話。

 




はい!実はもうストックありません!この先書いてません!(涙
物語の始まりというところで止まってしまいすみません……プロフや小説説明にある通り私はかなり遅筆なので次更新するのはかなり時間がかかると思います。
更新楽しみにしてくださっている方には非常に申し訳ない……。

みんなすごいよなー!!すごい更新頻度じゃん!?それでそんな面白い話書いてんの!?ずるくない!!!????(嫉妬)
……文句は程々にして。書きます。頑張ります。幸いお気に入りしてくださっている方もいて、とても励みになっております。色々考えているネタはたくさんあるので、少しずつでも形にしていきたいです。


昴の物語はまだまだこれから!
年内には必ず!更新しますので待っていてくださると嬉しいです!

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