そんな清光の心中など知らず、緋雨はあろうことか幼子をなだめるかのような優しい手つきで敵の頭を撫でた。
「よしよし、今まで苦しかったろう。迎えが遅れてすまなかったな、もう眠れ」
慈悲深いその言葉が終わるや否や、敵の太い首に一筋の銀光が走った。次の瞬間にはそこから夥しい血泉が噴き出し、敵の巨体が傾ぐ。地響きを上げて敵がくずおれると、緋雨は首だけで腰が抜けて座り込んでいる清光を振り向いた。
「平気か、清光。怪我はないか」
「あるじ、」
かけられた声は思った通り、限りなく穏やかで優しいものだった。責めることも怒ることもしない静かな瞳に安堵し、抜けていた腰にようやく力が入る。立ち上がり、まだ身体が完全に修復しきっておらず立ったまま動けない緋雨に近づいていく。
彼の身体は絶えず傷口から煙を吐いていた。そこからみるみる内に引きちぎられた肉が、滅茶苦茶にかき混ぜられた臓腑が、傷つけられた皮膚が、時を遡るように元の形に戻っていく。何度目にしても慣れない不思議な光景だ。
そう、彼は刀よりも長い悠久の時を生きる者。撃ち抜かれても挽き潰されても、たちどころに蘇る肉体を持つ不死身の者なのだ。名は緋雨(ひさめ)。日照雨が降る夕時に生まれたのでそのような名前が付けられたのだと、そんな江戸刀である自分では想像もつかないほど遠い昔の話を、いつだったか教えてくれたのを覚えている。
不死身という奇異な特質に、刀剣たちをはるかに凌ぐ強さを併せ持つ男。それが加洲清光の現在の主だ。人間離れした武力を誇る彼がいれば、今出陣しているこの戦場よりも一回り厳しい戦況の場所でも十二分に戦える。けれど彼は刀剣たちを慮り、傷つかぬようにと易しい戦場をわざわざ選んでくれているのだ。
そう、自分は戦に勝利する上で必要ない。敵を一息に薙ぎ払える大太刀などと違って、打刀の中でも特別秀でたところのない自分は間違いなく足手まといでしかないわけだ。
それでも彼は自分を愛していると言ってくれる。必要だと言って、こうして戦場にも連れて行き、傷を負えば丁寧に手入れをしてくれる。今日のこの爪だって、彼が時間をかけて塗ってくれたものだ。
主は優しい。ただの刀である自分を宝物のように大事にしてくれる。
けれどその愛は平等だ。果てしなく。安定も和泉守も堀川も燭台切も鶴丸も長谷部も誰も彼も関係ない。ひとたびこのひとの刀になれば、皆同じ分だけの愛をその身に受けることになるのだ。出る杭は打たれると言うより、そもそも出てくることはない。けれどその量って分けたような愛情に、これしかないとばかりに縋りつきながらどこか空しさを感じてしまう自分もいる。
(嬉しいけど、苦しいんだよなあ。主の隣で戦うのは、)
戦う刀らを気遣うように、守るように、立ち回るその白い姿に。
こたえたいと思うのに、もっと強く、ただれるような愛が欲しくなってしまう。
(胸が締め付けられそうで、)
弱いのも、守られなければならないのも、すべて自分のせいなのに。
補足ですが、清光はいちおう緋雨の初期刀です。
夢主の母性(父性?)が天元突破しているので、この本丸の刀剣男士は古参であればあるほど精神的に退行していく傾向にあります。