咲-Saki- 至高を目指す魔神   作:神田瑞樹

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第十話

        Ⅰ

 始まる、始まってしまう南三局一本場。

 この局、親である咲の配牌は非常に良かった。

 暗刻と対子が重なり高目を狙えつつも早めの和了を狙える良配牌。

 一方でそれとは対照的に、青山の手はそれまで続いていた好配牌がまるで嘘であるかのように悪かった。一つとして面子がないてんでバラバラ。

 その分幺九牌が手牌の半数近くを占めていたが、それとて五種六牌。

 国士は愚か九種九牌にさえも届かぬ悪手、ゴミ。

 けれどそんなゴミ手を見つめる青山の眼には何の感情も乗ってはいなかった。

 怒りも悲しみも呆れも諦めもない、ただただ無機質。

 まるで幾度となく見返した映画を見ている様などこまでもつまらなげな瞳で迎えた一巡目、青山の手番。青山は山からツモった牌を自分の手牌に加えると、そっと十四枚ある手牌の内の半分を伏せた。意味の解らぬその動作に同席していた者達が少なからず困惑の色を浮かべる中、青山は伏せていない七枚の内の一枚を河へと置いて呟いた。

 

「7」

 

 平坦な声で紡がれたのは数字。

 勿論、その段階で意味を理解できた人間は清澄高校麻雀部には誰一人としていなかった。

 翌巡以降、青山は山から牌を引く度にそのツモッた牌を伏せると、伏せていない手牌から牌を一枚ずつ切りだし一巡目と同じく数を呟いていく。

 一巡目は7、二巡目は6、三巡目は5と。巡を追うごとに青山の伏せられた手牌は多くなり、逆に口から告げられる数字は小さくなっていく。

「あっ」と最初に声が上がったのは4巡目、対面に座る竹井久からだった。

 青山の打牌を正面から見ていた彼女が何かに気が付いたかのように口元に手を当てると、それに呼応するかのように外野からも声が漏れた。

 

……会長と眼鏡の先輩は気付いたか。

 

 流石は上級生と内心で小さく称賛する。

 けれど気付いたからと言って何かできるわけではないのもまた事実。

 青山は無表情のまま引いた牌を伏せると、また一つ数字を減らした。

 

「3」

 

 淀みなく続くカウントダウン。 

 そしてその数字が2へと変わる時には、室内にいる誰もが(一名の例外を除き)その意味を察しつつあった。彼女らに与えられた情報は毎ターン一枚ずつ伏せられていく手牌、小さくなっていく数字、そして幺九牌が一枚として存在しない河の三つ。

 

―――牌を伏せるということは、もう変える必要がないということ。

 順子や刻子といった麻雀の基本的な構成要素である筈の三枚同時ではなく、一枚ずつ伏せていく意味。

―――数字が小さくなっていくということは、いずれ終わり(0)が来るということ。

 麻雀が指し示す終焉とは何か。

―――幺九牌が一枚として河に存在しないということは、それを手牌に抱えている可能性が大きいということ。

 幺九牌を使った手役で可能性があるもの。

 

 導き出される答えは、たったの一つだった。

 緊張が室内に走る。

 答えに至った者は誰一人としてそれをブラフだとは考えなかった。

 確率が低いだとか、常識的に有り得ないだとか、そんな“当たり前”は一切合財みなの脳裏から消えていた。

 彼なら、青山茂喜なら、魔神ならなしてしまう。

 それがこの場における共通認識。そして南三局が始まってから7巡目。青山は引いた牌を伏せると、手牌の中で唯一真っ直ぐに立っている牌を河へと置いた。

 

「リーチ」

 

 曲げられる{六筒}、投げられた千点棒。

 そして伏せられた十三枚の手牌。

 

「ポン!」

 

 起家である咲が動いた。

 どことなく焦っているようにも見えたその鳴きはもしかしたらツモ順を変えるためのものだったのかもしれないし、あるいは次順で和了するための布石だったのかもしれない。

 いずれにせよ今の青山にはわからないことだった。

 

……まぁ、わかったところで意味はないんだが。

 

 何度ツモ順を変えられようが、どれほど流れが逆行していようが、どれだけ強力な場の支配を受けていようが関係ない。

 誰も和了れずに再びツモが回ってきた時点で勝負は決している。

 青山は淡々と山から牌を引くと、その図柄を確認することなくマットへと置いた。

 

「ツモ」

 

 宣言するその声には何の感情も乗ってはいなかった。

 ぐるりと、裏返っていた手牌が一般的な回転とは逆向きでひっくり返る。

 

「国士無双 16100・8100」

 

 他者も、能力も、流れも関係ない。

 天上天下唯我独尊、傍若無人。

 何者も顧みず、いかなる物にも束縛されず、ただただ定められた天道を歩く。

 それが王。

 それが魔神。

 それが青山茂喜本来の麻雀であった。

 

 

 

         Ⅱ

 

宮永咲 68200

青山茂喜 281200

原村和 37200

竹井久 13400

 

 南三局が終了してすぐのこと。

 手牌を倒した青山は小さく息を吐くと、卓中央のスイッチに手を伸ばすことなく席を立った。えっと誰かが声を出す暇もなく椅子の脚に立てかけていた鞄を手に取ると、なんとそのまま出口へと向かっていくではないか。

 いち早く我に帰った久が咄嗟に声をあげた。

 

「ちょ、ちょっと青山君!」

 

 慌てた久の呼びかけに、青山は足を止めると顔だけを声へと向けた。

 

「なにか?」

「なにかって……」

「もう勝負はつきました。続けるなら勝手にやってください」

 

 南三局が終了したことで事実上完全に勝負は決した。

 例え次のオーラスがいかなる結果になろうとも、青山のトップが揺るぐことはない。

 無論、マナーという観点から見れば途中退出は褒められたことではないが、

 

「気分が乗らなくなればその場で帰ってもいい……昼休み、会長はそう言いましたよね?」

「えぇ」

「だったらもういいでしょ? 結果が出た以上、俺はこれ以上打つ気はない。それに」

 

 青山はそれまで一緒に打っていた同級生二人を一瞥し、

 

「会長の目的も果たせたようですし」

「あら。やっぱり気付いてたの?」

「むしろ気が付かない方がどうかしてます」

「そう。なら、今私が考えていることもわかるのかしら?」

 

 久の問いかけに青山は答えなかった。無言のままゆっくりと身体を反転させ、凛とした眼差しと向かい合う。

 

「青山君。あなた、麻雀部に入らない?」

 

 ざわりと空気が震える。

 青山の眉間に皺が寄ったが、久は目を離さなかった。

 

「あなたが何で弱小校ですらなかったウチに来たのか、麻雀部に入らなかったのかを聞く気はないわ。でも麻雀を辞めたわけじゃないんでしょ? なら今度の県予選はどうするつもり?」

「……勝手に個人で出場するつもりですけど」

「そう。でも麻雀部が比較的少なかった中学の時とは違って、高校の大会では部を通さないエントリーは中々大変よ? 麻雀部があるのに部外から出場しようとする場合は特にね。少しだけどお金もかかるし、保証人としての先生も見つけないといけない」

「部に入ればそんな手間はかからない。だから麻雀部に入れと?」

「えぇ。それに入ったからって何も毎日来なさいとはいわないわ。流石に大会前ならそれなりに来てほしいけど、そうじゃなかったら気が向いた時だけで構わない。問題さえ起こさなければいつ来て、いつ帰るかも青山君の自由。もしも何か別に希望があるのなら、出来る限り応えるつもりよ」

 

 何だったらこれまでの素行不良を見逃すよう生徒指導の先生に口添えして構わないと久は付け足す。それはたかだか一部員を勧誘するとしては余りにも破格な条件、明確な贔屓に他ならなかった。聞いていたのどかは我慢ならないといった風に顔を赤らめ、雀卓を叩いた。

 

「部長っ! それはいくらなんでもっ!?」

「黙っていてのどか」

 

 いつになく鋭い声で久は後輩の言葉を遮った。

 

「あなたもわかったでしょ? 青山君の実力は間違いなく全国でも最上位よ。唯でさえウチは伝手がなくて全国クラスの相手と打つ経験が不足している。県予選にあの龍門渕がいる以上、自分よりも強い相手と戦う経験は何より貴重よ」

「だからと言って贔屓していいわけではっ!」

「そうね。確かにあまり褒められたことじゃないわ。多分、もし私に後があるんだったらこんな提案はしてなかったでしょうね」

 

 でもと、麻雀部唯一の最上級生はその右手で己の学年色の青いスカーフの先をつまんだ。

 

「私は三年、もう後のない三年なの。これまでの二年間は夢を持つことすらできなかったけど、最後の年になってあなたや優希、須賀君、宮永さんっていう有望な新人が四人も入ってきて念願の団体戦に―――全国優勝っていう夢を本当に見られるようになった」

「部長……」

「その夢を叶える為なら私は何だってするわ。だからのどか、今だけは私のわがままを見過ごしてちょうだい」

 

 最後は優しく諭した久の言葉にのどかは何かを言いかけつつも、それを実際に口にすることはなかった。不承不承極まりと言った様子で、無言のまま腰を下ろす。

 どこまでも生真面目な後輩に苦笑を浮かべ、久は改めて青山と向かい合った。

 

「話を中断してごめんなさい。それでどうかしら?」

「悪くはない話ですね」

 

 そう、本当に悪くない。

 基本的に参加は自由で大会に出場するための細かな手続きも必要ない。授業をサボる時の寝床も確保できる上、可能な限り希望は叶えるとまで言っている。

 けれど、

 

「あまり乗り気じゃないみたいね?」

 

 無言こそがその答えだった。久は肩を竦めると、スカートのポケットから綺麗に折りたたまれたコピー用紙を青山へと差し出した。

 

「明日からの二日間、この場所で合宿をするわ」

「……何でそれを俺に?」

「例え気が乗らなくてもハッキリ断らなかったってことは、どこか迷う部分があるっていうことでしょ? だから家に戻ってもう一度考えてみて。宿舎がある場所はここからそんなに遠くないし、あなたも泊まれるようにしておくから入る気になったら来て頂戴」

「無駄になるかもしれませんよ?」

「その時はその時よ」

 

 そう言って胸を張る久の姿はどこまでも潔かった。

 一瞬の逡巡の後、青山は差し出された紙を受け取る。

 そして小さく頭を下げると、麻雀部を後にした。

 

 

 

           Ⅲ

 麻雀部の部室がある旧校舎を出ると、青山茂喜は特にどこかに寄ることもなく真っ直ぐ帰路へとついていた。校門から伸びる坂道を道なりに下り、日に二十本と出ないレトロな電車の通る高架下をくぐる。駅前の繁華街を抜けて人気の少ないあぜ道を歩くころには、既に空は茜色から黒へと変わっていた。

 そうして学校を出ておよそ三十分弱。

 青山が足を止めたのは、今にも崩れ落ちそうなアパートの前だった。

 来訪者を出迎えるためのプレートは風化して文字が削り取られ、二階へと続く階段は赤く錆びつき、壁面にはこれでもかと言わんばかりにびっしりと蔦やコケが張り付いている。

 見るからに年季の入っていそうなその建物はアパートというよりも廃墟という表現の方がしっくりくるが、その廃墟こそが今の青山の宿だった。

 ギシギシと音を鳴らす階段を上がり、一歩足を出す度に嫌な音のする金属の廊下を無遠慮に歩く。住人のいない扉を四つばかり横切った先にある突き当りの部屋が青山に割り当てられていた場所だった。

 ガチャリと、立てつけの悪い薄い金属の扉を開ける。

 鍵はかかっていない。というより、鍵穴自体が錆びているためにかけたくてもかけられないというのが正解だった。

 靴を脱ぎ、畳へと上がって電気をつける。

 LEDなどと洒落たものではない、裸電球の刺々しい光が殺風景な部屋を照らし出す。

 安っぽい布団と元から備え付けであったらしい洋服棚。置いてあるのはたったそれだけで、僅か8畳のワンルームだというのに室内には随分とスペースが残っていた。

 青山は持っていた鞄を適当に放ると、敷布団へと倒れ込んだ。

 

……麻雀部か。

 

 懐かしい響きだった。

 体を転がして仰向けになると、強すぎる光が目に入った。

 

……しがらみを断つためにこっちに来たつもりだったんだがな。

 

 だが昨晩、宮永咲と出会った時に―――いや、そもそもこの長野という地を選んだ段階でこうなることは最初から決まっていたのかもしれなかった。

 首を動かし、洋服棚の上へと目を向ける。

 そこに置かれたのは二つの写真立て。

 一つは、今から一年ほど前に撮った時の物。

 デジカメで撮った写真の中には、そっぽを向きながらもどことなく穏やかな表情をした青山とそれに寄り添う二人の少女の姿がクッキリと映っていた。

 

……向き合えってことか。

 

 かつての絆と。

 平凡ながらも温かかった記憶と。

 捨てようとしても捨てきれなかった過去と。

 青山は視線をもう一つの写真立てへと移す。

 そこに入っていた写真はもう一枚とは違って随分と古びていた。

 粗い画面の中にはトラ柄のシャツを着た白髪の老人と、その傍で満面の笑顔を浮かべる幼き日の青山がいた。

 

……アカギさん。

 

            ◇

 

 清澄高校は公立校にしては珍しく、私有の合宿施設がある。

 もともとは旅館だったものを閉館する際に市が安く買い取ったもので、いささか学校から距離があるもの元は旅館だけあって施設はしっかりとし、天然の温泉まで付いていた。

 学生には過ぎたるその施設に清澄高校麻雀部が着いたのは、ちょうどお昼を回った頃だった。合宿所の一階にある大食堂にて部員全員で食事をとった後、食後すぐに練習を始めるのもなんだしという久の一言で一時間ばかりの自由時間が設けられることとなった。

 初めて合宿所を訪れた一年生達は興味津々とばかりに合宿所を探検する一方、上級生組二人は部屋に備え付であった浴衣に着替えてまったりとロビーのソファーで寛いでいた。

 

「しっかし、本当にくるのかのぉ?」

 

 近隣の名産である梅茶の入った湯呑みから口を離し、染谷まこが呟く。

 それが独り言ではなく自分に向けられたものだと気付いた久は、読んでいた雑誌から顔を上げた。

 

「あら? まこは来ないと思ってるの?」

「どうも乗り気やなかったようじゃからの。そういうあんたはどう思っとるんじゃ?」

「来るわよ、青山君は。必ずここにね」

「それは勘かの?」

「勘よ」

「何でそう自信満々なのか一度知りたいものじゃ」

 

 まこが呆れを含ませた息を吐いた時だった。

 外へと続く自動ドアが開いたのは。ロビーへと入ってきた来訪者の顔を確認すると、久は目を見開くまこへ悪戯っぽい笑みを投げかけた。

 

「ほらね?」

「……もうなにも言わん」

 

 コツコツと床を鳴らし、来訪者は久の元へと歩み寄る。

 泊まりだというのに小さな鞄一つしか持たないその身軽な姿に苦笑しつつ、久は立ち上がって後輩と目を合わせた。

 

「ここに来たってことは“そういう”ことでいいのよね?」

「まぁ、気が向いている間だけですけど」

 

 今はそれで構わないわと、久は腕を差し出した。

 

「ようこそ麻雀部へ。青山茂喜君」

「……お世話になります」

 

 差し出された手を、青山茂喜は確かに握った。

 


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