【完結】IS 〈インフィニット・ストラトス〉〜ここから、そしてこれから〜   作:シート

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第三十六話 簪へと伝わる……

 簪と二人俺の部屋へと来たものの、これで何かが変るというわけでもない。

 テーブルを挟んだ向こう側。簪は出したお茶を見つめ口を閉ざしたまま。

 この状態が続いてかれこれ五分ほど経つ。

 

「……」

 

 また何か考えているみたいだが、談話スペースにいた頃と比べて顔色はよくなっている。

 だから、後は何か話し出してくれるのを待つだけ。最悪、話してくれなくても構わない。

 気分転換できたのならそれだけで。

 

 そう思いはするが、結局俺ができるのは待つことぐらい。

 今思い悩んでいる彼女にこそ救いの手を差し伸べるべきで、そうできたらどれほどいいことなのかは分かっている。

 だが、俺に誰かをヒーロー的に救い上げるなんて力はない。そんなことできるのは物語のヒーロー、それこそ一夏ぐらいなもの。

 それでも簪の力になりたい。救い上げられないとしても辛い時苦しい時隣にいて、共に同じ道を前へと歩くことはできるから。

 俺はこうして今傍で簪を待つ。

 

「……」

 

 簪は相変わらず口を閉ざしたまま。

 待つと決めたが、現実問題としていつまでも沈黙のままというわけにもいかないだろう。

 どうしても時間は過ぎていく。俺達には自室からの外出禁止時刻という門限がある。

 そろそろ声を大丈夫なはず。少しは気も紛れただろう。

 

「うん……ありがとう。楽になった」

 

 ぎこちなさはあるものの簪は笑みを見せてくれた。

 なら、よかった。

 

「それから、その……――」

 

 次に簪が何を言うのか容易に想像がついて、言われる前に遮った。

 それはこちらの言葉だ。

 理由がなんであれ、突然部屋につれてきてしまった訳だし。

 

「行きたいって言ったのは私だから気にしないで。来てよかった」

 

 充分だ。

 そうしてまた沈黙が生まれる。

 だがしかし、先ほどと比べて重苦しさみたいなものはない。

 ただ静かに時間が流れていく。

 

「……――っ、……」

 

 簪が何かを言いたそうにしていることに気づいた。

 何かを言いかけて躊躇らってはやめる。

 遠慮しているみたいだが、待つからゆっくり言えばいい。

 

「うん……本当、聞かないんだなぁって思って。気になるでしょ? ……整備科の先輩達とのこと」

 

 そのことか。

 気にならないと言えば、嘘になるが簪は口にしたくもないだろうし、知られたくもないんだろ。

 だから、あの時本音を止めた。

 

「それは、そう……だけ、ど……」

 

 なら、聞かない。

 どんなものだったのは大体想像がつく。それで充分なはずだ。

 誰だって悪口なんか聞きたくなんかない。

 

「はっきり言うね」

 

 嘘ついても仕方ない。こんなのは。

 簪に真実を抱えさせてしまうことにはなる。ちゃんと知って、分かち合うべきなのかもしれない。

 それでも言いたくないものは言いたくない。聞きたくないものは聞きたくない。

 だったら、これでいい。

 すぐにとはいかないが、忘れていく方向性でもういいだろう。

 

「忘れる……それが一番、か……」

 

 もちろん場合によるが、覚えていてもいいことはないだろ。

 何かしていれば、自然と忘れていけるはずだ。

 

「でも、もう少し上手くやれてたらなぁ……と思ってしまう。忘れてしまうべき、今更仕方ないって分かってるんだけどね」

 

 何処か自虐気味な笑みを浮かべながら簪はそう言う。

 今まで悲観的なことを言うことはあったが、こういった自虐地味なのは初めて見る。

 思った以上にショックは大きいみたいだ。

 

 上手くやれてたらという後悔は俺にもある。

 今回のことだってただ間を取り持つだけでなく、事前にもっといろいろなことを確認できていたら少しは……と。

 それも結局は結果論。仕方ないこと。でも、仕方ないで片付けてしまいたくはない。

 

 だって、今目の前で簪が悲しんでいることは仕方ないことになってしまう。

 それはあんまりだ。

 

「……」

 

 何度目かの沈黙が訪れる。

 再び沈んだ顔をする簪に対して、俺は何ができるんだろうか。

 待ちの姿勢のままではダメだ。だから、何かしてあげたい。

 

 何か……大したことは出来なくても、せめて声をかけて励ますぐらいはできる。

 けれど、どう声を。どんな言葉をかければいい。

 考えを巡らすが、浮かんではすぐ否定的な意見とぶつかり打ち消しあうばかり。

 

 いや、もうあれこれ考えるのはやめだ。

 心のままに。最初に思い浮かんだ言葉を言おう。

 まずは名前を読んで。

 

「?」

 

 そして、伝える。

 頑張ったねと。

 

「……」

 

 呆気取られたような顔をする簪。

 流石に急すぎた。突然こんなこと言われても困るだけか。

 そう思っていると。

 

「……っ」

 

 ぽろぽろと涙をこぼしながら簪は泣いていた。

 俺は慌てふためく。

 泣くほど嫌だったんだろうか。やっぱり、余計なお世話だったんだろうか。

 罪悪感が沸きあがってくるのを感じる。

 

「ちがっ、違うのっ……嬉しくて。こんなこと言ってもらえるなんて思ってなかったから嬉しくて涙が勝手に」

 

 簪のそれは嬉し涙だった。

 笑みを浮かべながら簪は小さく泣く。

 嬉しさから来る涙だと分かってひとまずホッとした。

 

「ごっ、ごめんなさいっ。待……っ、待ってっ、今すぐ泣き止むからっ」

 

 眼鏡を取り、手の平で両目を覆っては泣き止もうとする簪。

 堪えようとしても涙は一向に止まってくれない。

 隙間から涙が零れだしている。

 

 どうしようもなく溢れてくるのなら我慢はやめたほうがいい。

 返って毒だ。

 

「でも……どうしたら、いいのか……分からな……っ」

 

 泣けばいい。

 泣いていいんだ。我慢なんてしなくていい。

 だって、その涙は嬉し涙なんだから。

 我慢しないでいてくれるほうが俺は嬉しい。幻滅したりなんかしない。

 

 とは言うが、言葉ではいくらでも言えてしまう。

 言葉だけではダメだ。足りない。言葉だけでなく、身をもっても示さなけばならないと思う 

 その為に俺は簪の両肩を掴んで優しく抱き寄せた。

 

「……」

 

 簪が小さく驚いているのが分かる。

 いくら泣いてもいいと言われても、泣いている姿なんて真面真面と見られたくはないだろう。

 だから、こうしていれば泣いている姿を見られることもなく少しは安心できるだろう。ただそれだけの安易な発想だが、泣いている彼女をただ見守るのも嫌だった果ての行動。

 

「……っ」

 

 突き放されるかもしれないとも思っていた。だが、そんなことはなかった。

 むしろ、簪の方からこちらへと身を預けてくれた。

 そして、簪は俺の肩でもう我慢することもなく嬉し涙を流し、静かに泣いた。

 

 

 

「……よし。そろそろ私……」

 

 気づけば、もう時間。別れの時。

 ドア前まで行き、俺は帰ろうとする簪を見送る。

 

 泣いた後で簪の目元は赤くなっているが、泣いて気が晴れたようで簪はすっきりとした顔をしている。

 

「おかげさまで。……それでその、肩……」

 

 申し訳なさそうに視線を簪は肩へと向ける。

 そこは簪の涙でほんの少し濡れた場所だった。

 見てると思わず、思い出してしまう。簪が泣いていたこと。そして、肩とは言え抱きしめてしまったことを。

 

「~っッ!」

 

 簪も思い出したのか、お互い顔を真っ赤にして照れあう。

 事情があったからとは言え、恥ずかしいものがある。時間を置いたから余計に。

 

「き、気持ち悪かったら洗濯していいからっ。む、むしろっ、私のほうで洗濯するけどっ」

 

 そこまでする必要はない。

 気になるみたいなので、後でちゃんと新しい寝巻きに替えておく。

 このままは気が引けるんだろう。

 

「そ、そうしてくれると嬉しい。汚しちゃったのは確かだし……恥ずかしいから、いろいろと……」

 

 ここは分かったと頷くしかなかった。

 いろいろについて聞くのは野暮。想像がつく。

 俺だって同じだ。

 

「じゃあ、本当に帰る。今日はいろいろありがとう。嬉しかった……凄く」

 

 胸の前で抱きしめるように両手をぎゅっと握る簪を見ているとこちらまで嬉しくなった。

 礼を言うならこちらもだ。

 たくさんたくさん頑張って今の簪がこうして目の前にいてくれるのが嬉しい。

 ああして素直になってくれたのは信頼してくれているからなんだと伝わってきて嬉しい。

 

 また何かあったら頼ってほしい。

 何かできるわけでもないが、それでも簪の力になりたい。

 少しぐらいは支えられると思うから。

 

「……どうして……」

 

 簪がぽつりと何かを言った。

 

「どうしてあなたはそこまで私にしてくれるの? 同情してくれてたから? 哀れんでくれた?」

 

 一瞬、何で聞かれてるのか分からなかった。

 俺は簪にそんな風に見られ、思われていたのか。

 それとも試されているのか。

 

 どれだっていい。

 こういう問いは今まで聞かれてきた。答えは変わらない。

 俺は簪のことが――。

 

「――! あ、あの! へ、変なこと聞いちゃったね。えっとっ! お、おやすみなさいっ!」

 

 止める暇もなく簪は足早に帰っていった。

 

 俺は一人その場に取り残される。

 拒絶された? 逃げられたしまった?

 俺は気持ちを伝えられなかった? 言葉を口にできなかった?

 

 いや、違う。

 俺は確かに見た。見間違えない。

 ちゃんと気持ちを言葉にして伝えた瞬間、嬉しそうに輝いた簪の目を。

 耳まで真っ赤にして帰る照れた簪の後姿を。

 

 俺の気持ちは簪に伝わってしまった。

 


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