【完結】IS 〈インフィニット・ストラトス〉〜ここから、そしてこれから〜   作:シート

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第五十六話 簪は進んでいく

 簪が更識会長と再戦することになり、それに向けての訓練は早朝から始まろうとしていた。

 

「……おはよう……」

 

 ストレッチしながら体をほぐしていると後ろから声が聞こえ振り向く。

 そこには恥ずかしそうに両肩を狭めるジャージ姿の簪がいた。

 とりあえず朝の挨拶を返す。

 

「……うん……」

 

 小さく頷くだけの簪。

 後に続く言葉はない。そして当然のごとく訪れる重い沈黙。

 

「……」

 

 まあ、無理もない。

 昨日の今日だからな。昨日はあの約束の後、今朝の早朝ランニングの話をして別れたきりで、面と向かっては勿論、メッセですら話してないまま今になる。

 というか、簪とこういう感じになるのも何度目か。既視感が強い。

 いつもまでもこうはしてられないし、昨日のことは喜ばしいことなんだ。このままではいたくない。

 ここは男の自分から話を切り出す。最初は今日のコースについてからだ。

 

「今日はそんなに走るんだ」

 

 ストレッチしながら簪は意外そうに言う。

 今日はいつもより長めの距離を走る。今は約束した時間よりも少し早い。長く走っても時間が押すということはない。

 これだけ走れば朝食の後から行う実機訓練に向けて体を慣らせるだろうし、多少なりと体力づくりにもなる。

 何より、走っていれば頭もすっきりする。先のことは俺達にとって大事なことだが、あれのせいで足が止まるようなのはよくない。今はいったん頭の片隅に置いておく。

 その為に長く走る。まあ、その分疲れもそれ相応にはなるだろうが。

 

「大丈夫。いつもより長く走った程度でへこたれない。知ってるでしょ」

 

 笑みを浮かべて言う簪に俺は頷いて同意した。

 そして、まずは共にいつもの道を走り出した。

 慣れ親しんだ道。だけど、こうして簪と走るのは二日ぶりになる。たった二日空いただけだというのに何だか懐かしい気分だ。

 

「……はぁ、はぁ……っ、ん……? ふふっ」

 

 言葉を交わすことなく同じペースで走っているとふいに目が合い、簪が笑いかけてくれた。それだけで胸が弾む。我ながら単純だ。

 走り続けていると折り返し地点が見えてきた。

 

「はぁ……っ、はぁ……」

 

 たどり着くと一旦休憩となり、立ちながら両膝に手をつき簪は休みながら呼吸を整える。

 

「ありがとう……長い距離走らせてもらちゃって」

 

 言い出したのはこちらなのだから気にする必要もない。

 走ってスッキリしたおかげで頭の中はクリアだ。

 

「おかげさまで私も」

 

 簪の顔には笑みが浮かんでいる。

 なら長く走った意味もあるというものだ。

 訓練……前回と同じ日数しかないが、試合までの時間は前回以上に大事なものになってくる。一体どんな訓練をするのか。まあ、あれだけ人手、代表候補がいればいい策の一つも出るはずだ。

 

「だね……私も昨日寝る前自分なりに試合振り返って反省点まとめたから」

 

 振り返りと言えば、策ではないが役に立つだろうものを用意していたんだった。

 

 

 早朝ランニングの後、朝食を食べると訓練は早々と始まる。

 前回の時より一時間も早い。

 とは言ってもいきなりアリーナで訓練を始めたわけではない。まずは試合の振り返り。ピットに集まり一同、映像を見ていた。

 

「備えあれば患いなしとはまさにこのことだな」

 

「ああ。日本の良き言葉だ」

 

「こいつの心配性が役に立ったわね」

 

 なんていうことを篠ノ之やボーデヴィッヒ、凰がからかい交じりに言ってくる。何かいろいろ言われているが、役に立っているのは事実なので気にはしない。

 見ているのは試合の時に撮った簪と更識会長の試合映像。全試合最初から最後まで全部撮れている。確認済みだ。

 

「本当よく撮れてますわ。これなら記憶を振り返るよりも正確ですわね」

 

「愛の成せるわざってわけだな」

 

「こら、一夏っ。茶化したらダメだよ」

 

 デュノアにしかられる一夏。

 好きに言うといい。役に役に立てているのならそれだけで満足だ。

 

「とっても役に立ってる。ありがとう。おかげでいろいろと見えてきた」

 

「だな。じゃあ、始めようか。まずは私が気づいたところなんだが」

 

 ボーデヴィッヒの言葉を皮切りに本格的な反省会のようなものは始まった。

 

「あっ、そこなんだけど……」

 

「うん」

 

 反省会は時間にして一時間ほど。

 皆時間が限られているということを念頭に置いているから、改善箇所や注意点が出るの早く、議論は濃い。

 案の定、出る幕はない。見ていることしかできない。

 それはただの一度ではなく、その後すぐに行われた実機訓練もそうだ。

 

「簪さん、注意点が疎かになってますわよ!」

 

「――っ!」

 

「一つにばっかり目を向けない! ほらほらっ、もっと行くわよ!」

 

「僕達も!」

 

「忘れてもらっては困る!」

 

 アリーナでオルコット達代表候補生四人を相手取る簪の様子がピット内にある大型モニターに映し出される。

 複数人で楯無会長の波状攻撃の再現。それに簪が対応し、突破するといった訓練内容。言葉にすると簡単だが、やってることは恐ろしい。

 試合映像で見た楯無会長の攻撃を再現するだけではなく、そこから更識会長が新たにしてくるだろう攻撃もやっている。

 四人で何とかギリギリ更識会長の攻撃を再現できている状態だが、それでも凄い。

 

「確かにすごいよ。でも、こうして見てるとさ、セシリア達が代表候補生なの思い出すな」

 

「おい、一夏。言い方ってものがあるだろ……まあ、分からなくはないが」

 

 失礼極まりない一夏の言葉に篠ノ之が小言を言いながらも同意する。

 

「あはは~……」

 

「あはは……」

 

 そんな二人に本音や試合での機体の様子をモニタリングしてくれている整備科の子達は苦笑いするばかり。

 本人達がこの場にいなくて本当によかった。聞かれていたら騒がしくなっていたのは間違いない。

 だが同時に一夏の言ったことにはよく分かる。

 今だディスプレイに映し出される皆の姿はまぎれもく代表候補生としての姿。エリートと言われる中でも専用機を持つことを認められた候補生筆頭。

 あいつらは一夏が絡まなければ本当に優秀すぎるぐらい優秀だ。特に今回は皆の意識は簪の再試合に向いている。一夏にいいところを見せたいという想いがないからこそ、いつもより動きがいいのは気のせいではないだろう。

 一夏がらみで一つ便宜するのなら、一夏がいるからこそあいつらは時として限界を超えた力を出し、能力をに充分に発揮できるのだろうがそれはまた別の話。

 

「状況はそのアレだけど……機体の状況を見る限り簪の調子よさそうだね」

 

「いい数値出してるよ」

 

「おぉ~」

 

 整備科の子達の報告に本音は嬉しそうな声を上げる。

 簪もまた代表候補生筆頭に相応しい動き。いきなり四人相手に勝ち抜くなんてことは流石になく、ジリジリ追い詰められているが、それでも対応し続け粘り続ける。

 勝敗という点では負けのままだが、回を重ねれば重ねるほど確実によくなってきているのが素人目ながらも分かる。

 

「俺ら三人控えだけどさ、この感じだと出番少なさそうだな」

 

「まあ、出番がないということはないだろうが悔しいことにこれだと私達が入れば質も精度も目に見えて違ってくるだろう」

 

 篠ノ之の言葉には同意するほかなかった。

 休憩で交代はするが、それ以外は今の面子のままがいいのは確か。訓練相手の質や精度がいいにことしたことはない。

 同じ専用機持ちでも正式であるかそうでないかではこうも違う。才能、技術力、経験の差。いろいろと思うところはあるが適材適所。

 できることしかできないのだ。できることをするだけ。

 

「はぁ~疲れたっー」

 

「ふぅ」

 

「皆お疲れ様~ほ~い、飲み物だよ~」

 

 休憩をしにアリーナにいた皆が戻ってきた。

 そんな皆に本音達が飲み物やタオルを渡す。

 

「かんちゃん、お帰りなさ~い!」

 

 遅れて簪が戻ってきた。

 

「ただいま。あ……ん、ありがとう」

 

 そんな簪は俺からも飲み物やタオルを渡した。

 できることと言えばそんなことぐらいからだが、コツコツと。

 

 

「じゃあ、おやすみ。簪、言われるまでもないでしょうけど頑張りなさいよ!」

 

「応援していますわ! では、おやすみなさいませ」

 

「うん。皆ありがとう、頑張る。おやすみなさい」

 

 簪と皆はおやすみの言葉を別れ際に交わす。

 再戦に向けた訓練は昨日今日と限られた日数、時間の許す限り行われた。そして今夜は試合前夜。訓練を終え、夕食を共に食べ、皆で簪の勝利を願った。

 時間も時間になったので各々自分の部屋へと戻る。俺も戻らないと。

 

「あなたもありがとう。今回もいっぱい世話になっちゃって……でも、助かった」

 

 簪の言葉を素直に受け取った。

 相変わらずできたことはしれているが、それでも簪の役に立てたのなら何よりだ。

 自分も皆と同じく明日、簪が勝てるように応援している。

 勝って、前へ進んでほしい。勝って終わりではなく、その先もあるのだから。

 できることがあれば、自分ができる範囲でどんなことでもするつもりだ。

 

「どんなことでも……だったら一つ、その……お願い、と言うか……わがままなんだけど」

 

 簪が我がままなんて珍しい。

 どんなことを言うのか一つ頷いて待つ。

 

「お姉ちゃんとの再試合……あなたには一番近くで見守っていてほしい」

 

 そう簪は言ってきたのだった。

 


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