ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
Unbreakable Security
「何っ! 鍵が開いてる!?」
豪華客船の最上階の大ホール。パーティー会場の去り際に、警備主任の茅野はインカム越しに静かに叫んだ。船の最下層フロアーにある特別用具室には何重ものセキュリティーが掛けられて、船内でも特に警備が厳重な場所だ。ここの鍵を扱えるのは、船の中には茅野しかいないはずである。インカムの向こうからは信じ難い事実が矢継ぎ早に報告された。
「いつからだ?」
「ついさっきです。セキュリティーが勝手に解除されてしまいまして……」
「はぁ? そんなわけないだろ!」
「それが、今、調べているのですが……」
インカムの向こう側の歯切れの悪さに、茅野の苛立ちが募り、船内の廊下を走る彼の語気が強くなった。
「カメラは見たのか?」
「それが、カメラには何も映っていないんです。そもそも侵入者があれば自動で迎撃用の警備システムが作動するはずですし……」
確かにその通りだ。最下層フロアーには監視カメラだけでなく赤外線センサーもあり、侵入者があればシャッターが下りて閉じ込めるシステムになっている。解せない。そんな表情のまま茅野は顎の髭をさすった。浅黒い顔に深く刻まれた眉間のしわがさらに深くなり、ただでさえ悪い人相が一層悪くなる。幸い、彼は誰ともすれ違うことなく船内の廊下を駆け抜けていく。間もなく廊下を右に折れると、船内最下層まで直通するエレベータがある。茅野はボタンを押してエレベータを呼んだが、一向にそれらが動き出す気配がない。
「モニター室!」
茅野はインカムに向けて怒鳴った。
「主任、エレベータはベースフロアで荷物に扉を塞がれていて……」
「姑息な時間稼ぎを!」
上着のポケットから名刺大のスマートホンのような端末(PDA)を取り出すと、階段へと続く扉の受信部にかざす。PDAは、船内の警備員はもちろん、清掃や給仕などのすべての従業員が所有している身分証のようなもので、船内のあちこちの扉のセンサーキーも兼ねている。茅野は勢いよく扉を開けると今度は2段飛ばしで階段を駆け降りる。インカム越しに状況報告が続いた。
「出港してから今まで、外部からのメインシステムへのアクセスは一切ありませんね。セキュリティーがハッキングされた可能性は低いです。理屈では、事前にプログラムでもされてない限り、こんな芸当は不可能ですよ」
「事前にプログラムか。面白いな。だが、それなら出港前のスキャンに引っ掛かるはずだ。とにかく、俺は現場に向かう。上への報告はそれからだ。そのままモニターを続けてくれ」
「了解。すでに南木曽と飯田を向かわせていますので、あとで合流してください」
「了解だ」
茅野は船内最下層の特別用具室へと続く階段を下っていく。破られるはずのないセキュリティーが破られた。お気楽な船旅は一転して、緊迫の修羅場と化していく。
◆ ◇ ◇
豪華客船の最上階の大ホールは立食パーティーの会場となっていた。パーティーとは言ってもドレスで着飾っている女性は数えるほどしかいない。ささやかな出会いを期待していた矢部は、となりで壁にもたれている大坂に愚痴るばかりだ。酒も入っているのだろうか、彼はさっきから同じ話ばかり繰り返している。大坂は、いい加減に矢部の話にうんざりといった様子で、会場の様子をぼんやりと眺めていた。
警備員がひとり、血相を変えて会場を去って行ったが、近くにいた人間はそんなことにすら気が付かない様子で、自分たちの会話に興じている。これが、社交界というやつなのだろうか。就職活動を始めたとはいえ、世間のイッパンジョウシキからは縁遠い学生の身分である大坂は、面倒なところに来てしまったと今更ながらに後悔していた。そんな折に大坂の視界に見覚えのある人物が映り込んでくる。
「矢部君、あれポートランドじゃね?」
「ポートランドといえば去年までライオンズにいた助っ人選手でやんすね」
くるりと矢部が振り返ると、分厚いレンズの眼鏡の奥にある目を細めた。
「こんな所で突っ立っていても始まらないんだ。お近づきになっておきますか」
大坂は通りすがるウェイターからシャンパングラスを受け取ると、会場を横切り始めた。
太平洋に浮かぶ南の島で野球大会が開催されるという噂が、突如ネット上で話題になったのがおよそ半年前。優勝賞金1億円という触れ込みは話題性十分だった。大手財閥系企業の主催と中堅スポーツ用品メーカーの協賛ということもあって、約1カ月間の拘束期間にもかかわらず応募が殺到したらしい。事前に書類選考と面接が行われた後に、セレクションで体力や適性の審査をパスした人間が、今回の大会への参加を認められたようだ。
高校時代まで野球の覚えがあった大坂は好奇心半分、冷やかし半分でこの大会に応募した。就職活動も行き詰っていたし、ちょっと気分転換のつもりだったが、運も良かったらしい。内定も、こんな風にとんとん拍子で決まらないものだろうかと思いながらの参戦だ。連れの矢部もきっとそんなところだろう。
人込みをかき分けるようにして会場を横切る大坂の後ろから、矢部が声をかける。
「でも妙でやんすね。ポートランドといえば去年のパリーグ3冠王でやんす。2年5億の提示があったにもかかわらず、契約更改しないまま帰国したでやんす。今更、たった1億に目が眩むとは思えないでやんす」
「確かに」
パーティーの直前まで行われていたオリエンテーションによれば1億円は優勝チームで山分けだ。ということは、一人の取り分はさらに少なくなる。最低人数の9人で割っても千百十一万千百十一円。余り、1円。学生の大坂や矢部にとっては充分すぎる報酬だが、“青いバース”の異名を持つ外国人選手が契約更改せず、ましてメジャーにも行かずに、こんな所で何をやっているのだろうか。
大坂が足をとめると、それは人の流れに逆らう事になった。大坂の背中に矢部がぶつかって、さらに後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「きゃっ!」
「も、申し訳ないでやんす」
「ちょっと! 危ないじゃないの!」
二人が振り返ると、鮮やかなピンクのミニのワンピを着た気が強そうな少女が立っていた。ボーイッシュに刈り込んだショートヘアーを、かなり明るい金色に染めている。こんな美少女が会場内にいた事に、どうして今まで気が付かなかったのだろう?吸い込まれるほどに大きな瞳で睨まれた二人は一瞬たじろいだ。
「犬も歩けば何とやらだな。矢部君、ここは頼んだ」
大坂は矢部の肩をぽんと叩くと、もう一度向き直ってポートランドの方へと歩き出した。矢部も満更ではないようだ。
「ちょっと、大坂君!……あ、お、オイラは矢部明雄でやんす。」
「名前なんか聞いてないでしょ? それよりヤンスって何? 今時そんな語尾ないわよ? いったいどこ出身なのよ?」
「埼玉でやんす」
「ゼンゼン標準語圏じゃない。頭おかしいの?」
「失敬な、これはオイラのキャラクターでやんす!」
「語尾も語尾なら、一人称も一人称ね。でも思い出したわ。三年前の甲子園の一回戦。埼玉代表埼玉第八高校×長野代表松代学園の試合。確か、二日目の第三試合だったかしら? あの試合、私観てたんだからね」
三年前の甲子園の一回戦。確かに印象的な試合だった。見ていたとはいえ、この刹那でそれを思い出したこの少女は、世間一般に考えれば相当な高校野球マニアといえるだろう。ピンクのワンピの少女は、わざと少し間を置いてから矢部の顔を見上げると、少し嘲りを含めて微笑んだ。
「続けましょうか?」
さっきまで小馬鹿にされ怒りに紅潮していた矢部の顔がどんどん青白くなっていく。矢部は、耐えられない様子で震える声を絞り出した。
「……やめろよ」
「そうね。まっとうな神経ならば、あそこで野球をやめていてもおかしくないわ。だけど、あいかわらず、牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけてるのね。今時そのセンスはどうかと思うわよ?」
「う、うるさいでやんす!」
矢部は右手に持っていたシャンペングラスを一気に空けた。
「あら、結構いけるじゃないの。見どころあるじゃない。あなたの飲みっぷりに免じてさっきの無礼は許してあげる。またどこかで会いましょ!」
ピンクのワンピースの少女は大きく手を振ると、ぴょんぴょんと跳ねるようにして人込みの中へと消えていった。矢部は振り返り、辺りを見回したが、すでに大坂の姿はなかった。ポートランドには会う事が出来たのだろうか。ため息混じりに空のグラスを持って立ちつくしていると、近くの気のいいおじさん達の集団のテーブルに彼は取り込まれた。酒の席とはいえ、彼らはもう島に着いて新しくチームを旗揚げする話がまとまっているようだ。
「兄ちゃん、いい飲みっぷりだねぇ、こっちおいでよ」
パーティーの前にあったオリエンテーションでは、大会会場がある常夏の島の風土、参加者全員に配布されたPDAの取り扱いなど、大まかな大会の流れについてレクチャーがあった。現役大学生である矢部と大坂は、講義の内容がオリエンテーション終了後にPDAに転送されると知った直後から居眠りを決め込んでいて知らなかったのだが、どうやら参加者同士がチームを組んで勝負することになっているらしい。
つまり、既にこのパーティーではチーム編成への根回しや勧誘活動が始まっていたのだ。利害の一致した者同士、気の合う者同士がチーム編成を始めつつある。仕切り始める者がどこからともなく現れて、ある所では実力がある者同士が集まって、優勝を狙うチームが作られはじめる。またある所では、気の合いそうな仲間同士が集まり、作戦会議という名の宴会が始まる。どうやら矢部が取り込まれた集団は後者のようだ。
「ところで、兄ちゃん。何て名前だ?」
「オイラの名前は矢部でやんす」
「デヤンス君か。変わった名前だな。ハーフなのかい?」
「違うでやんす。矢部でやんす」
「はっはっは! 違わない違わない。きみ面白いね、気に入ったよ」
「ところで、野球経験は?」
「高校まででやんす」
「高校球児とは心強いね~ どこの高校?」
「埼玉第八でやんす」
「埼玉第八? あ~聞いた事あるかも。とにかく、若い兄ちゃんが入ってくれたら心強いや」
3年前に甲子園に初出場して初戦敗退した高校の名前を覚えている人間がどれ程いるだろうか。
酒が入っていた矢部は、和やか雰囲気の中にすぐに打ち解けていった。一方のおじさん達も、思わぬ助っ人の登場に歓迎ムードである。
その時、船内放送が流れ始めた。ピンポンパンポン。落ち着いているものの緊迫感のある女性のアナウンスに、会場が静まり返った。
――中ノ鳥島ベースボールリーグへご参加の皆様にお知らせ致します。只今、船内におきましてルールブック規約0章第4項に反する行為が発覚いたしました。これより、船内のすべての扉を封鎖して、違反者の摘発を開始致します。係員にID提示を求められました際には、速やかにこれに応じて下さいますよう、お願い申しあげます。繰り返しお知らせ致します・・・
特にやましい事の思い当たらない会場の参加者たちは、すぐに元の談笑へと戻っていく。矢部が合流したグループもまた同じだった。
「そうだ。折角だから、お近づきの印にID交換でもしますか。チームに入るかどうかは後で決めればいいからさ」
IDは、オリエンテーションで配られたPDAに登録された個人データのことだ。液晶ディスプレイには顔写真と名前の他に、セレクションでの成績を元にした運営本部による「A」から「G」ランクの評定が画面に表示されている。このデータを交換することによって、相手の情報がPDAに登録されて、位置情報の確認や通信なども行う事が出来るらしい。チームの登録や編成も、この端末を用いて行うようだ。
「喜んででやんす」
矢部は野暮ったい着潰したジャケットの右ポケットからPDAを取り出そうとした。しかし、そこに仕舞ったはずの端末が見当たらなかった。続いて左ポケット、ズボンのポケットをまさぐり始めたが、やはりそこにもPDAは見当たらない。
「おかしいでやんす……?」
もう一回、ジャケットの右ポケットを確認したが、やはりそこに端末はない。矢部の表情が次第に曇っていく。
「おかしいでやんす、ないでやんす……」
テーブルを取り囲む一同も驚いた様子だ。冷たい汗が矢部の額から流れ落ちていく。この大会では、PDAの携行が義務付けられていた。理由の如何を問わずPDAを紛失した者や非携行者はその場で失格となるのだ。
「落ち着いて探そう。一緒に。矢部君といったね」
「……そうでやんす」
「何か、心当たりはないのかい? たとえば、トイレに行ったとかさ」
「無いでやんす。さっきまで大坂君と一緒に使い方を確認していたでやんす」
「友達と一緒なのかい?」
「親友でやんす。そうだ、ポートランド選手を見つけて……あっ!あの娘でやんす」
矢部はピンクのミニワンピ姿の美少女を思い出した。
その時、会場の照明が一度落ちて、すぐにオレンジ色の非常灯が点灯した。
◆ ◆ ◇
ポートランドは立ち止まると、振り向かずに片言の日本語でこう言った。
「ドウシテツイテクルノデス?」
こんな事になるなら、もっと早くに声を掛けておくべきだったと大坂は後悔した。パーティー会場では和やかに談笑していたポートランドだったが、彼は突然会話を切り上げて会場の出口へと歩き始めた。あと数メートルまで迫っていた大坂は、声をかけるタイミングを失ったが、引き続き後を追うことにした。会場を出たポートランドは客室がある方に向かって歩きはじめる。成り行き上、尾行する格好になってしまったが、彼の部屋番号くらいおさえても罰は当たらないだろう。そんな事を考えていた矢先に、ポートランドは突然立ち止まった。
「黙って後をつけたことは謝ります。大坂小波、ただの大学生です。チャド・ポートランドさんですよね。」
「ヨク知ッテルネ」
「去年のパリーグ三冠王。そりゃあ有名人ですよ」
パーティー会場でさんざん繰り返された問答なのだろうか。ポートランドのリアクションは薄かった。少し眉をあげて、やれやれといった表情だ。しかし、大坂にはまたとないチャンスだった。さすがにパーティーの最中にルールブックには目を通しておいた。ここでポートランドを口説き落とせれば、間違いなく1億円に近付けるだろう。今しかない。大坂はポケットからひとつの硬球を取り出した。これが運命の悪戯でなくて何だというのだろうか。
「これは、僕の御守りです。この大会、野球道具の持ち込みは一切禁止されてますけど、何だと思います?」
見ればわかるよ。とばかりにポートランドは両手を広げて見せた。
「ベースボール」
「去年の5月5日の西武ドームです。ライオンズ×マリーンズの試合、9回裏の3-3同点の場面で、あなたは代打で登場した。この時から、あなたの快進撃が始まります。覚えていますか?」
「オフコース 覚エテイルヨ」
「マリーンズのリリーフエース早川あおいのウィニングショット。地面すれすれのシンカーをすくい上げての右打ちにもかかわらず、打球はよく伸びました。追い風はラッキーでしたけどね。あの時、僕はライトスタンドにいたんです。これは、その時のボールです」
「……」
ポートランドは少し驚いた表情でボールを手に取ると、じっくりとそれを眺めた。
「サイン、してもらえませんか?」
「イイデショウ。ツイテキテクダサイ」
ポートランドの表情から警戒心のようなものはなくなっていた。ひとりのファンに対するプロの自然な笑顔だった。
「ワタシノ部屋マデアンナイシマス」
吹き抜けの階段を降りて行くと、一等客室のフロアーだ。大坂たちが寝泊まりしている一般客室のフロアーとは違って豪華絢爛だ。何かの小動物をかたどった青銅の置物が真っ白な大理石の上に並んでいる。赤い絨毯の廊下を奥へ進むと、ある客室の前でポートランドは足を止めた。
「オヤ?」
客室の扉に、一本のポッキーバットが立て掛けてあった。
「ポートランドさん、咎めるわけじゃないですけど、野球道具の持ち込みって禁止されてましたよね?」
「ソレハオタガイ様デス」
ポートランドは大坂が持っている白球を指差して笑ったが、どうも困惑の表情を浮かべているようだ。ポートランドがバットを手に取ると、扉との間に挟んであった紙が1枚ひらりと落ちた。大坂がそれを拾い読み上げる。習字のお手本のような丁寧な文字だ。
「何かのお役に立てれば幸いです。いずれあなたに会える日を楽しみにしていますピンク=パンサン……だそうです。」
「ピンクパンサン?」
ポートランドは全く心当たりがないようだ。首を傾げながらPDAをオートロックのルームキーにかざす。ピピピピッと機械音が鳴って、エラーコードが表示させる。
――認証エラーです。フロントまでお問い合わせください。
「そういえば、さっき船内の扉を封鎖するとかアナウンスされてましたけど……」
「困リマシタネ」
手持無沙汰になったポートランドは持っていたバットを構えると、軽く素振りをして見せた。一等客室のある廊下は、素振りをするには十分な広さだ。ブンという重低音が静かな廊下に響いた。
「コノバット フリ心地サイコウデスネ」
ポートランドはバットを握り直すと、今度は真剣な表情でバットを構える。さすがはプロの気迫だ。大坂は気圧されて半歩後ろへと距離をとった。さっきよりも、鋭くてキレのあるスウィング音が廊下に響く。すると同時に、パパンという電気系統がショートする音が船内に響き渡った。そしてほぼ同時に、ガチャンとドアのロックが解除される音がする。
「ニホンノ科学ギジュツハ スバラシイネ」
「いや、違うと思いますけど?」
その直後に廊下中が暗転して、直後に非常灯の明かりが足元を照らした。一瞬の出来事に、2人とも困惑したが、お互いに顔を見合わせた後で、ポートランドは恐る恐るドアノブに手をかけた。部屋に入ると、ポートランドのPDAがメールを受信したらしい。アメリカのパンクバンドTHE OFFSPRINGのPRETTY FLYのイントロが流れた。