ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
滑空するフリスビーを見事にキャッチしたり、投げたゴムボールを取って戻ってきたり、訓練された芸を巧みにこなす賢い犬にお目に掛かる事はあるが、野球をする犬がこの世界にどれだけいるだろう。マスクをかぶる龍ヶ崎夏苗の愛犬みかんがセンターの定位置で行儀よく座っているが「彼」にどの程度期待できるだろうか。
犬の脚力ならば、相当広い守備範囲を期待できるが、柔らかいフリスビーならともかくスピンの掛かった硬球をダイレクトでキャッチする事は叶わないだろう。某国民的子供向けアニメに登場する犬が巨大なパンの顔を大遠投するシーンを見た事があるが、それはおとぎの国の中でのこと。
「6回! しまっていきましょーっ!」
夏苗が元気良く叫ぶと、愛犬はワンと一度だけ吠えて呼応した。チームメイトの負傷に沈みがちなムードを覆い隠すように他の野手もそれぞれの言葉で呼応した。
右打席にモンキースの9番打者、中禅寺が入る。レフトの筑波さんはほぼ定位置だが、ライトの古河さんが大きくセンター寄りに守備位置を取り、ライトの定位置付近はガラ空きである。ライト方向に運ばれれば長打確定という布陣だが、よくよく考えれば、ここまで外野に飛ばされたのは4回の漁火のタイムリーツーベースだけだ。今となっては、ミラージュゾーンは頼もしい限りである。
夏苗はポンとミットを叩いてしゃがむと、これまで同様に打者の膝の高さで構えた。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
打席に向かう直前に、キャプテンの漁火の口からフロッグスバッテリーの能力について説明があった。生まれも育ちも東地区の俺には魔道術などという物は、遠い異国の超能力でしかなかったから、本戦ならばともかく、地区予選での魔道術という仮説には少々驚かされた。
漁火の説明によると、マウンドから本塁の間で蜃気楼のような現象が起きていて、ボールが本来の軌道とは異なって見えるのだという。もしも、その通りなら視覚したボールの数個下を叩けばミート出来る事になる。とにかく、ここまでバットに当たる気配がないのだから、ダメ元で言われた通りにやるしかなさそうだ。
マウンド上の大坂が、大きく振りかぶる。コントロールを重視した相変わらずの野手投げだが、ボールのキレは回を重ねるごとに増しているように見える。とはいえ、まだまだ力半分のいつでも打てそうな直球……の1つ下を叩く。ブン!
「ストライーク」
次は、2つ下を叩く。ブン!
「ストライーク ツー」
あっさり追い込まれるが、今、成すべき事は塁に出ることではない。今度は3つ下を叩く。バットがボールの上端を掠める手応えがあった。湖の底に深く沈んでいた宝箱を探り当てた気分だ。
コツン! 打球は前に飛んだが、これはキャッチャーの守備範囲だ。龍ヶ崎が機敏な動きで打球を処理する。彼女も、ただの箱入り娘という訳ではないようだ。いや、もはやフロッグスの秘密兵器と言うべき存在だ。
「ボール4個だ」
「OK」
次の打者に、情報を引き継ぐ。さて、後は若い連中のお手並み拝見だ。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
夏苗が野球を始めた10年前、東地区は今よりも野球が盛んだった。夏苗の父親はフロッグスのエースピッチャーとして活躍していた。シーズン中は遠征、オフはキャンプに忙しく交流はあまりなかったが、夏苗は素直な気持ちで父親を尊敬していた。
そんな彼女に野球を教えたのは、母方の祖父のヤソジだった。彼は既に現役を引退して、第一線から身を退いていたが、かつては東地区にこの人ありと名を轟かせた大選手だったらしい。
いつも優しい祖父と一緒に、家の庭先でやるキャッチボールに、当時の彼女は夢中だった。そして、しばらくすると、彼女の好奇心は自然と外の世界に向けられていった。
「夏苗も、みんなと一緒に野球がしたい!」
ある日の午後、彼女は思いを祖父に吐露した。優しい祖父はそれを快く聞き入れてくれると思ったが、意外にも祖父は認めてくれなかった。
「夏苗、これは大事な事だからよく聞きなさい。野球は危険なスポーツだから女の子がやってはいけません」
「なんで? 夏苗はキャッチボールできるよ!」
「ものすごい速さで飛んでくる打球を受け止めたり、体の大きな選手とぶつかったりするんだぞ?」
「夏苗へーきだもん!」
「すっごい痛いんだぞ?」
「大丈夫!」
「そうか。すっごい嫌な思いをする時があると思うけど、それでもいいのか?」
「いい! 夏苗はみんなと野球がしたいの!」
嬉々として告げる無邪気な笑顔を、ヤソジは寂しそうな表情で見守った。夏苗は今でも、あの時の祖父の言い得ない表情を覚えている。子供なりに、荊の道は覚悟していたつもりだった。しかし、それからの野球人生は、彼女の想像を充分に超えて辛いものだった。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇
「――これもまたファール! 足尾、粘ります。これで5球連続のファールチップ。肩に、足に、わき腹に…鋭い打球が龍ヶ崎に襲いかかります。さすがに辛いか龍ヶ崎。俯いたまま……いや、立ち上がってピッチャーの大坂に返球します」
「キャッチャーは打者から一番近いポジションですからねぇ。気の毒ですが、耐えるしかありませんねぇ」
「投げる大坂も、忍びない表情を浮かべていますが、ここは投げるしかありません」
「大坂君にねぇ、空振りを取れる決め球があればいいんですがねぇ…」
「そうなんです。カウントでは既に追い込んでいます。ノーボール2ストライク。さあ、今度はどうなる!? 足が上がって、投げました! ファールチップが顔面直撃! 龍ヶ崎の体が大きく仰け反って、マスクが後方へと飛んでいます。これは危ない――!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◇
パラキ村にある少年団チームに夏苗は暖かく迎えられた。名手品野ヤソジの孫娘、地元球団エース龍ヶ崎希の娘ともなれば周囲の目も違うものだった。実際に周囲の期待に応えるだけの実力が彼女には備わっていたし、彼女の野球人生は前途洋々かに思われた。
しかし、夏苗がチームに馴染んできた頃、ささやかな噂が流れ始める。
「あいつの球、気持ち悪くね?」
「お前もか? なんだか捕りづらいよな~」
夏苗の投げる球はホップしたりおじぎしたりして、手元で変化して取りにくいと評判になった。ウォーミングアップのキャッチボールで余計な神経は使いたくない。子供たちの素直だが残酷な反応だった。夏苗はキャッチボールの相手を少しずつ避けられるようになり、そして、そのままチームでも孤立しがちになっていった。10歳前後の年頃では周りと異なる事は大きなハンディキャップであり、残念ながら差別の対象と言っても過言ではないだろう。悪い事に、同年代の中では頭一つ実力が飛び抜けていた夏苗は嫉妬の対象でもあった。
周囲の大人たちはリスト(手首)が弱いから、スピンが十分に掛からずに、ボールが手元でおじぎをして捕りづらいのではないかとアドバイスした。しかし、彼女の「欠点」は一向に改善の兆しが見られなかった。むしろ、それは年を追うごとに悪化していった。
夏苗は満足に試合に出る機会すら与えられないままだったが、実力を認められたライバル達は次第にフロッグスの一軍練習に参加するようになっていった。時間が経つにつれて、差が開くばかりだった。やはり、女の子に野球は出来ないのだろうか。もう駄目だ。そう失望した時、彼女は野球を辞める決心がついた。彼女は練習グラウンドの裏で人知れず泣いた。野球が本当に、心の底から好きだったから我慢できずに泣いてしまった。
泣き止むと、かつて彼女に忠告した祖父の事を思い出した。祖父は、きっとこの時の事を予見していたのかもしれない。今まで支えてくれた祖父にお礼を言わなくては。彼女は使い慣れたグローブをカバンに詰めると、丘の上の祖父の家へと走った。祖父は庭の植木の手入れをしていた。祖父は充血した夏苗の瞳を見て、すべてを悟ったようだ。
「キャッチボール、しようか」
「はい、おじい様」
普通のキャッチボールだった。肩が温まるまでは、お互いに山なりの送球だが、少しずつ距離を伸ばしていき、やがて矢のような送球を応酬した。ドンくさいチームメイトとは違って、ヤソジはボールをこぼす様な事はなかった。
「どれ、座ってみようかな」
「……!?」
「いいから、投げてみなさい」
言われるがままに、夏苗は高く足を上げると渾身の一球を投じた。高めに浮いたが、彼女としては充分満足がいく投球だった。
「ボール……」
「……?」
祖父の意図がわからなかったが、彼は「低く低く」とジェスチャーでサインした。夏苗はもう一度、モーションを起こす。もう二度と投げる事はないだろう。大きく振りかぶって、思い切り右腕を振り抜いた。右打者から見てアウトローいっぱいのストライク。会心の投球だったが、祖父はミットを動かさず、茫然とそれを見送った。
スピンの効いた直球が、グラブを構える祖父の膝元を通過する。
パリーン!
祖父の後方で、彼が大切にしていた盆栽の鉢が悲しい音を奏でた。
「ご…、ごめんなさい! おじい様!」
「いや、謝らなければならないのは、ワシの方じゃ」
「……?」
「今まで、気が付いてやれなくて悪かったな」
「いいの。楽しかったから」
「何を言ってるんじゃ。夏苗の野球人生はこれからじゃよ!」
「……どういう事?」
その後の祖父の告白は、あまりにも驚くべき内容だった。
「この島に暮らす人間にはなぁ、不思議な力が宿るんじゃ。大半の人間は、自分にどんな力が与えられたのか気付かずに、あるいは気が付いていても、充分その力を発揮できずに人生を終えてしまうんじゃ。前者は諦めがつくからまだいいが、不幸なのは後者じゃ。力を持て余して制御できず自滅する者もいれば、力の使い方を誤って悪さを働く者もいる。夏苗みたいに周囲との違いに戸惑ってコンプレックスを抱えてしまう者もいる」
「何の話をしているの?」
「魔道術じゃ。語源は『惑う』からきている。その力に人は戸惑い、欲望に誘惑される」
「そんな、まさか……私に?」
「あぁ。大事なのはそれをコントロールする精神力と、夏苗自身にブレない覚悟があるかどうかじゃ」
「ブレない覚悟?」
「あぁ、何があっても、どんな状況でもブレない覚悟じゃよ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
マスクをかぶりなおした夏苗は、主審からボールを受け取ると、今までと変わらずボールを返してくる。グラブを伝わる衝撃もこれまで通りで衰えておらず、彼女の気持ちがまだ折れていないことがよくわかる。続けざまに至近距離でファールチップを受けているにもかかわらずだ。大坂は夏苗のサインを確認するが、これも変わらず低めの直球だ。これしか選択肢のない自分が不甲斐ない。試合前にカーブの投げ方を教わったが、あれは子供騙しだ。とても投球術に折り込める代物ではない。
頼むから打たないでくれ。大坂は祈る思いで7球目を投じる。しかしながら、130㎞/hの直球は慣れた人間ならば気持ちよく弾き返せるレベルの棒球だ。ましてや、同じコースに繰り返し投げていれば素人でもいずれタイミングが合うだろう。大坂の祈りも虚しく、ファールチップはミットの土手を掠めて夏苗のプロテクターを直撃した。夏苗は両手を地面に突いて呻き声をあげた。
大坂はたまらずにマウンドを降りかけたが、夏苗はすぐにボールを拾い直してそれを拒んだ。矢のような返球が、大坂の心にも突き刺さる。ここで負けるわけにはいかないのは夏苗も同じらしい。彼女のプライドに、どうにか報いたかった。
1球、高めに外してはどうだろう。いや、ミラージュゾーンは低めのコースでこそ威力が発揮される。間違って甘く入れば、間違いなく長打だ。これは却下。
逆に、ワンバウンドするような暴投はどうか。いやいや、バットには当たらないかも知れないが、満身創痍の夏苗が捕れる保証はない。後逸すれば振り逃げだってある。これも却下。
殊勝にも夏苗のサインは低めのストレート。これしかないから頷くしかない。グローブの中でボールの縫い目に指をかける。打ち取らなくてもいい。何とか打者の打ち気を逸らす術はないだろうか。目を閉じて考えろ。思い付かないのなら思い出せ。ヒントくらいはあるはずだ。
前のイニングの第3打席、菅野の勝負球はストレートだった。厳しいインコース攻めだったが、詰まりながらもライト前へと運んだ。しかし、組立ての中のSFFには反応できなかった。三塁にランナーを置いて、バッテリーも慎重になったのか決め球にこそしなかったが、もう一度投げられて見極める自信はない。初見の変化球に満足に対応できる打者なんてほんの一握りだろう。そうなると、付け焼刃のカーブもどきでも武器にはなるのだろうか。狙い澄まされている直球よりはマシかも知れない。
大坂はユニフォームの左袖に触れてサインを解除すると、そのまま投球モーションに入った。夏苗のミットは低めに構えられたまま動かない。大坂の右腕から、ドロンとした山なりのカーブが放たれる。緩い大きな弧を描いて、外郭からストライクゾーンを目掛けてスルスルとボールの軌道が変化していく。ブレーキの効いた投球に、タイミングを外された足尾はどうする事も出来ず、ただただ棒立ちだ。空を舞う一羽の渡り鳥が水面に静かに降り立つかのように、アウトローいっぱいのコーナーを白球が掠めて、地面すれすれで夏苗のミットに収まった。苦し紛れの一投は、どんぴしゃりのウィニングショットとなった。足尾が天を仰いだ。
「ストライーック! バッターアウッ!」
◆◇◆ 登場人物紹介 その4 ◆◇◆
名前:龍ヶ崎夏苗/年齢:17歳/身長:162cm/体重:標準/血液型O型
投打:右投右打/守備位置:捕手/基本データ(ミパ走肩守):EFEEE
特殊能力:ミラージュゾーン
本作のヒロインのつもりだが、いまひとつキャラが定まってないかも(汗
普段は清楚でおしとやかだが、ユニフォームを着ると一転して活発な元気娘になる。はず。
あんまり細かく決めてないです。
尊敬する選手:城島健司(元ダイエー)
好きな曲:柊(Do As Infinity)