ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
中ノ鳥島において、夜間のゲートの出入りは制限されている。だから、夜のゲートは専ら暇で退屈で平和なものだ。稀に許可なく不正に出入りしようとする輩もいるからゲートの警備員という職業は油断が出来ないが、そんな不届き者がいれば即時御用となる。
東地区と南地区を結ぶゲートは2か所ある。その一翼を担うヴォクスルトの警備は鉄壁と特に評判が良い。元軍人で自らの鍛錬にも余念のないルコフスクの指揮の下で、こんな田舎のゲートには過剰とも思える訓練を積んだ屈強な警備員達が、執拗ともいえる態勢で監視の目を光らせているのだから、それはたとえ話でも何でもなくネズミ一匹、ゾウ一匹通さない程の鉄壁を誇るのだ。その上、ルコフスクの重力系黒魔術によって張り巡らされた数々のトラップは侵入者があれば即座に彼らを拘束してしまうのだ。
そんなヴォクスルトの警備も今夜はいささか手薄である。そうは言っても、必要な人員は配置されているし、彼らも現場を任せるには充分に優秀な警備員達であるから、戦力が不足している訳ではない。何が手薄かと言えば、不測の事態に判断を下す最高指揮官が現場にいないということくらいだ。しかし、その程度の事で機能に支障をきたす程この組織は脆弱ではない。
……はずだった。
軽のミニバンがゲートの入り口に近づく。ゆっくりと徐行しながら裏門を潜ると少し様子がおかしいことに運転手の四路は気がついた。裏門にも当直の警備員がいるはずだ。四路は運転席から顔を出して警備員室をのぞき込んだが、当直の警備員の姿はなかった。彼女は警戒心を強めてハンドルを握ると、右足をそっとアクセルに乗せた。
ゲートの敷地に入ると警備員専用の小さな駐車スペースがあるのだが、彼女はそこを通り過ぎて敷地内の最も東寄りに位置する管理棟の入り口付近に愛車を停車させた。静かすぎるヴォクスルトゲートの状況を不審に思いながら、しかし、ただの思い過ごしだろうという祈りを込めながら彼女はエンジンを切り、車から降りた。
静かだ。まったく人のいる気配がしない。夜の小学校に忍び込む女生徒のように、四路はゆっくり入口の扉をひいた。暗く続く廊下に月明かりが差し込んだところで、彼女ははっとして振り向いた。どの部屋にも電気が点いていないのはおかしい。その場から確認出来る他の建物も確認したが、どの窓からも明かりは漏れていない。何かが起こっていると彼女は理解した。彼女はすぐさま暗い廊下を走り、地下へと続く階段を駆け降りた。PDAが照らす小さな明かりだけを頼りにして、地下の監視室へと急いだ。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
レイクサイドスタジアムの試合は3回ウラを迎えていた。先頭打者の波水出が右の打席に入る。初球、2球目と低めに外れるとカウントは2ボールナッシングとなる。すると唐突に波水出が口を開いた。マスクを被っている時もささやき戦術よろしく積極的に打者に話しかけるが、打席でもキャッチャーとのコミュニケーションという名の揺さぶりを怠らないようだ。
「随分と窮屈なリードをするのね」
「……」
相変わらずオカマのような独特の粘り気のある喋り方だ。波水出の指摘に夏苗は思い当たる節がない。波水出の問いに答えることなく、夏苗はマウンド上の菅野にシグナルを送った。次の投球は外角に外れてボール。これでカウントは3ボールナッシング。
「夏苗ちゃんって、男の人とお付き合いした事あるのかしら?」
「それが今関係あるのかしら?」
「あるわよ。大あり」
どう考えても心理的動揺を狙った揺さぶりだ。真に受けてはいけない。しかし、その話題は17歳のうぶな女子の心を揺さぶるには最もシンプルかつ効果的な話題だった。夏苗がミットを構えるのを一瞬だけ躊躇すると、間合いを嫌った菅野がプレートを一度外した。
「3歩下がって歩けとは言わないけど、相手に自分の考えばかり押し付けていてはだめよ。相手に気持ち良くなってもらう事も、お互い上手くやっていくためには必要じゃないかしら?」
「何の話よ?」
夏苗は少し不機嫌そうに答えた。夏苗のミットの位置は相変わらず打者の膝よりも下だ。昼間ほどの効果はないとはいえ、打者を惑わすミラージュゾーンは活きている。菅野の球威があれば、低めに集めて打たせて取るピッチングが計算できるはずだ。
「ボールフォア テイクワンベース」
夏苗の注文通り菅野は低めに投球を集めたが、ストライクゾーンを通過しなければ意味がない。4球目も明らかなボール球となってしまった。波水出はファールグラウンドにバットを転がすと、一塁へと歩いた。ノーアウト走者一塁となり、前の回にヒットを打っている金が右の打席に入る。
腕を前方に伸ばしてゆったりと構える神主打法。ガッチリとした肩から伸びる筋肉質な二の腕が引き締まり、その力強さがうかがえる。
先頭打者をストレートのフォアボールで出してしまったバッテリーとしては、どうしてもストライクが欲しい場面。夏苗のシグナルはストライクからストライクになるSFF。
ここぞとばかりに一塁走者の波水出が初球からスタートを切る!
無警戒だった。波水出は二塁に悠々到達した。金は落差のあるSFFの軌道を確認するようにじっくりと見送った。無死二塁。ファーストストライクの代償としては、あまりに大きな損失である。
2つボール球を挟んで4球目。やや甘く入った内角のストレートを金はセンターへ弾き返した。予め深く守っていた矢部がフェンス際で掴むと、波水出はタッチアップで三塁に到達。捉えたはずの打球がわずかに芯を外されて、打球がスタンドまで届かなかったことに金は悔しそうにベンチへと下がった。
ナイトゲームでもミラージュゾーンは通用しているが、扱いが難しい。制球難の菅野ならば尚更である。低めにコントロールできればいいのだが、少しでも甘いコースでは痛打される。上半身裸のルコフスクが打席に入ると、夏苗は再び低めにミットを構えた。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
「魔道術は、つくづく恐ろしいのう……」
フロッグスサイド、三塁側のベンチでヤソジが不意に呟く。
「どうかしたんですか?」
ミラージュゾーンを駆使して辛くも強打者を打ち取ったように見えた京子には、ヤソジの言葉の意図がわからない。
「便利な物があると、つい人はそれに頼りすぎてしまう。このままでは、夏苗は魔道術に惑わされてしまう。いや、もう既に惑わされているんじゃろうな」
「魔力を酷使しすぎということですか?」
「そうは言うとらんよ。今の夏苗は、魔道術に惑わされて大事な事を見落としている。京子さん、菅野君の持ち味は何だと思うかね?」
菅野は初球は高目にすっぽ抜けてたが、しっかり151㎞/hの球速をマークしている。それを見届けた後で、京子は答えた。
「やはり、150㎞/hを超える直球でしょうか」
「うむ。まさにその通りじゃ。それを活かすためには、コントロールなどを気にせずにストライクゾーンのど真ん中目掛けて力一杯投げるのが一番良いと思わないかね?」
「でも、それではミラージュゾーンが機能しない……あ、そうか!」
「そうじゃ。夏苗は自分のミラージュゾーンばかりに気を取られて、菅野君の持ち味を潰してしまっているんじゃよ」
「なら、そうと教えてあげればいいじゃないですか?」
「京子さんは誰かに説教された事と、自分で気がついた事とどっちの教訓が自分にとって重みがあるかね?」
「……そりゃあ、自分で気がついた方が良いに決まってます。でも、今のままじゃ、夏苗ちゃんも菅野君も共倒れよ」
「ふむ。ここで倒れるようじゃ、先が思いやられるのう……」
カキーン!
ルコフスクの打球がライトへと舞い上がる。波水出は三塁ベース上でタッチアップの構え。佐賀が落下点へと全力疾走で向かう。切れていく打球に少し窮屈な捕球態勢となったが、ステップを踏んで上手く体勢を立て直すと強烈なバックホームを返球した。
一度スタートを切った波水出も三塁ベースに釘付けとなる。
バシン! 重みのある返球が、夏苗のミットまでダイレクトで届く。
「菅野! いつまでふ抜けたピッチングしてやがる! 男ならバシッとインハイに決めんかい!」
ライトから檄が飛ぶ。普段は寡黙な佐賀の激励に、菅野も目が覚める思いだった。
「夏苗ちゃん……」
三塁走者への意識もそこそこに本塁付近に立ち尽くしている夏苗から、菅野はボールを受け取る。佐賀の熱い思いがそこには込められているような気がした。夏苗には、まだこの思いの全部を受け止めることができていないだろう。
「夏苗ちゃん、この後のバッター、初球は全部インハイに投げさせてくれないか。後のリードは任せる」
菅野の物言いはとても爽やかなものだった。嫌みとか皮肉とかそういう含みは一切なかった。どうして、この人の本心に今まで気がつかなかったのだろうか。どうして、この人は本音を今まで抑えたままでいたのだろうか。夏苗は、はにかんだ笑顔で、それに答えた。
「どうやら、心配なさそうじゃな」
ヤソジは目を細めながら、ベンチに深く腰をかけ直した。
「青春って感じですね……」
京子はスコアをつけながら、球場横の自販機で買った缶コーヒーをすすった。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇
地下の監視室に全力疾走で辿り着いた四路は、息を整える間もなくルコフスクのPDAへと発信をかけた。呼び出しコールの間に予備の電源を立ち上げると、それぞれのモニターに明かりが次第に灯っていく。起動画面にパスコードを入力して、セキュリティーを解除すると、端のモニターから順に敷地内の様子が映し出されていく。長い呼び出しコールの後に、電話が繋がった。
「大佐! 大佐! 大変です!!」
『どうしたんだね? 随分、取り乱しているじゃないか』
「取り乱しますよ。ゲートが何者かに襲われてまして」
『ハハハ! 冗談はヨシ子さん』
「大佐、それ、一周して面白いとか思ってたら勘違いも甚だしいですよ……って、冗談じゃないんです! 警備員が全員薬か何かで眠らされているみたいで」
『うむ。なかなかのノリ突っ込みだったな。ノリ突っ込みは求められる頻度の割に、素人がやると滑るリスクが非常に高いから、使いすぎるのは考えものだよな。でも、心ある人ならばその勇気は買ってくれるだろう……って、何っ! 侵入者か!?』
「わかりません。さっきまで停電していたのでカメラの映像も残っていません」
「…………」
画面越しに各フロアーの状況を確認していく。いつも賑やかな敷地内の映像が静まりかえっている。照明が復旧していないエリアは暗視カメラに切り替わっているが、侵入者らしい人影はない。武装している警備員も所々で倒れている。彼らも眠らされているだけだろう。目立った外傷はない。
「試合を中断した方が良いのではないでしょうか?」
『それはダメだ』
「何故ですか?」
『今夜、このタイミングでゲートが襲われた。奴らの狙いは何だ?』
「まあ、大佐の留守を狙っての物奪りとか……」
『違うな。四路君。我々の迎撃システムはそんなに軟じゃない。そのリスクを冒してまで欲しいものがあると思うかい?』
「そりゃ、やっぱり雷神バットの噂を聞きつけて……」
『噂? そんな情報がどこから漏れる? 今“ここ”に雷神バットがある事を知っているのは我々とフロッグスの連中、そして橘みずきくらいだ』
「そうか! 橘みずきの奪還!?」
『概ね正解だ。おそらく、橘みずきはそこにはもういないだろう』
「ですが、西の隔離棟には特に異常はありませんよ。施錠もされています」
『どうだろうな。吾輩のグラヴィティートラップを掻い潜ってるんだ。相当な黒魔術者がいる可能性が高い』
「ならば、尚のこと試合を中断して応援を……」
『ダメだ。奴らの本命は雷神バットだ。橘みずきを解放してめでてしめでたしとはならないだろう? こいつが欲しいに決まっている』
「まさか、大佐はそれを見越して今日の試合を……?」
『いいや、この試合はただやりたかっただけだ。実戦も久しく無かったからな』
――嘘だ。大佐は、初めから予期していたのだ。
『兎に角、試合中ならば奴らも手は出せまい。しばらく時間が稼げる。四路君は、念の為隔離棟の様子も確認してきてくれ。くれぐれも慎重に頼むよ』
「かしこまりました」
――違う。今すぐ球場に引き返して、奴らの素性を暴かなければならない。
素直に上司の指示に従うよりも、自分の直感を信じた方が良い事は時にはあるものだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◇
2死三塁、打席には6番打者の厚木が入る。前の打席は四球。
初球はインハイにストレート。明らかなボール球だったが、今日最速の154㎞/hが記録された。バシンとミットに掛かる圧力が夏苗を痺れさせる。
2球目、3球目とアウトローにストレートを重ねてカウントは2ボール1ストライク。
4球目。夏苗は今日はじめて自らインハイにミットを構えた。キレのあるストレートが打者の胸元を襲う。
キンッ!
詰まった打球が高く上がった。
「オーライ!」
菅野が夏苗を制して飛球をキャッチ。3アウト。三塁走者波水出は残塁に終わった。
◆◇◆ 登場人物紹介 その13 ◆◇◆
名前:波水出輝人/年齢:34歳/身長:180cm/体重:秘密/血液型AB型
投打:右投右打/守備位置:捕手/基本データ(ミパ走肩守|魔):BCBCC|E
特殊能力:ささやき戦術
ヴォクスルトゲートの警備員。オカマちゃん。
尊敬する選手:阿部慎之介(巨人)
好きな曲:すみれSeptember Love(SHAZNA)