ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
初回の第1打席にバットを弾き飛ばされたイメージが強く残っていた第2打席は、確かに慎重になっていた。無死で永瀬さんが出塁していたが、追い込まれるまでは迂闊に動きたくなかった。オレの気持ちを知ってか知らずか、ルコフスクは1つ2つとテンポよくストライクを重ねた。
「ストライーク! バッターアウッ!」
ところが、2つめのストライクで主審の茅野さんはアウトを宣告した。この人はひょっとすると野球のルールを知らないかも知れない。オレの口からは危うく審判を侮辱する言葉が飛び出しかかっていた。
「いつまで熱くなってるでやんすか! 見っとも無いでやんす!」
三塁コーチを務める矢部君の忠告がなければ、オレはいつまでも主審である茅野さんに抗議し続けていただろう。悪くすれば退場になっていたかも知れない。
高校時代に苦楽を共にした矢部君があそこまで言うのだ。素直にベンチへ下がるのが正解のはずだ。いつだって本気の彼は、誰かを冷やかしたり騙したりすることを良しとしない性格だ。状況に納得はできなかったが、審判も一度「アウト」と言ったのだ。今ここで楯突いたところで、オレに得がないことは明らかだ。
狐に抓まれた気持ちのままベンチに戻ったが、誰もオレの三振(この場合は、二振と言うべきか?)に疑問を抱いていないようだ。ちらりと加藤さんが記録していたスコアブックを覘くと、確かに3球分のチェックが入っていた。いずれも見送りストライクのチェックだ。そんなはずはない。俺は2球しか見送っていなかったはずである。
1球ぶんの記憶が丸々喪失しているのだろうか。それとも、敵チームと主審を巻き込んでのドッキリだろうか。悶々とした気持ちのままベンチの中をうろついていると「カキーン」という乾いた打撃音がベンチまで届いた。4番ガッテムが右中間を破るタイムリーツーベースを放っていた。あれだけの重い球を、よくもまあ平気で打ち返すものだ。それも、木製バットでである。三冠王の称号はダテじゃない。
「あれじゃあバットが何本あっても足りねぇな」
ベンチの端で独り黙りこむオレを不憫に思ったのか、井伏さんがオレに話しかけてきた。不意を突かれたオレは井伏さんと一度合った目をすぐに逸らしてしまった。見送り三振を責めにきた訳ではないだろうが、打席で何もせずに終わった以上、少し後ろめたい気持ちがある。それとなしにグランドの方を見ると、生還した永瀬がキャッチャーの波水出からさっきまでバットだった木片を受け取っている。ついでに強烈なボディータッチを肩に尻にと浴びせられていた。はじめのうちは永瀬も愛想よく応酬していたが、エスカレートするにつれて逃げるように永瀬はベンチへと帰ってきた。それを見届けた波水出は、次の攻撃対象を打席の佐賀へと移している。佐賀が露骨に迷惑そうな態度で応じると、ようやく波水出もマスクを被って定位置に座った。
「波水出もよくやるよ。悪い奴じゃないんだけどね」
井伏さんもその様子を見て苦笑いだ。井伏さんはフロッグスの初期メンバーの中では最も野球の腕が確かだった。堅実な守備とシュアーな打撃が持ち味で、今夜は7番サードでの出場である。42歳の厄年で、既にピークを過ぎてしまっているが、そこはベテランの経験と技術で上手く補っている。そんなナイスミドルだ。
「打席で、何か言われたのか?」
井伏さんの問いかけに、オレはまだ答えていなかった。きっと、陰気に俯いたまま物思いにふけっている無礼な若者にみえている事だろう。
「いや、特に……」
これでは答えになっていない。しかし、打席での奇妙な体験を、今ここで告げて良いものだろうか? おかしな奴だと思われるのではないだろうか? この場合、矢部君はどう答えるだろうか。試しに脳内シュミレーションしてみよう。
「矢部くん、実はオレ、打席で2球しか記憶がないんだ」
「えー!! 大変でやんす! 大坂君が記憶喪失でやんす!」
そうだ。彼は間違いなく取り乱して、不用意に周りに言い触らすだろう。これではダメだ。しかし、隣にいる落ち着いた雰囲気のナイスミドルならば、若者の馬鹿らしい悩み事にも付き合ってくれるだろうか。
キン!
ボテボテのゴロが三塁線を転がる。佐賀は初球をファール。
「そんなに力んでたら、打てるものも打てないぞ!」
井伏さんの言う通り、この打席の佐賀さんは少々かかり気味だ。午前中の試合のような打席での落ち着きがないから、きっとルコフスクも投げやすいだろう。きっと、この人は冷静に相手を見て物を言う人柄なのだろう。オレは思い切って打ち明けてみることにした。もしかすると、みっともない言い訳にしか聞こえないかも知れない。
「井伏さん、打席で記憶が飛ぶ事はありますか?」
「ん? 何の話だ?」
「実はオレ、2ストライク分しか記憶がないんです」
「さっきの打席のことか。いやにあっさり見送ったから、気にはなったんだ。怖じ気ついちまったのかと思って心配したがな」
「怖じ気ついてなんかいないです!」
「わかってるよ。だが、記憶が飛ぶとなると厄介だな。今のが初めてか?」
「はい……」
「そうか……」
井伏さんは短く答えて暫く黙った。少し表情が険しくなったような気がする。
沈黙に耐えられなくなったオレは、試合に集中するふりをしてマウンド上のルコフスクをぼんやり眺めた。どうして上半身裸なのだろうか? 今更ながらに素朴な疑問が湧いてくる。ピンク色に上気した肌から湯気のようなものが立ち昇っている。
「黒魔術対策の基本は、その発生源と術式を突きとめる事だ」
井伏さんもグランドをの方を見ながら話し始めた。
「――漁火のファイヤースターターだとか一目見てわかる黒魔術ならば話が早い。ルコフスクのグラヴィティーボールは見た目では分からないが、コンタクトがあれば正体がわかる」
このオジサンは、何の冗談を言っているのだろう。トンデモナイ事を立板に水の如く並べ喋っている。昨日までのオレならば、きっとそう感じたはずだ。しかし、今のオレはそうではない。この島には魔道術という異端の能力が存在していて、オレはそれを身を持って体験させられていた。
「――だが、厄介なのは目に見えないし、直接コンタクトもない魔道術だ。夏苗ちゃんのミラージュゾーンがいい例だ。原因がわからなければ対応が後手になって、いずれは致命傷になりかねん。何より、未知なものと戦っているという精神的負担がチームの士気に与える影響は言うまでもないな」
オレはもう既に、魔法とファンタジーが日常に存在するRPGの世界の冒険者になっているらしい。ゲーム冒頭の酒場かどこかで初心者に世界観を解説するチュートリアルのおっちゃんと井伏さんが重なって見えてくる。魔道術という得体の知れないものに遭遇して、少々の期待を抱いてこそいるが、その代わりにいくらかの危険に晒されている。全身火達磨になり、金属バットが皮のボールに弾き飛ばされ、今度は数秒間の記憶が飛んでいるようだ。それは、虚構だからこそ許容できた世界だ。
「――そして、俺の知る限り敵チームにも味方チームにも記憶を飛ばすような能力者はいない。そうなると、誰かが外部からこの試合に干渉した事になる」
「外部から干渉? そんな事が出来るんですか?」
「可能だ。でも、普通の試合ではそうはならない。観客がプレイを妨害したり手助けしたりしてはいけないのは本土でも一緒だと思うが、中ノ鳥島のルールブックでもそれは明記されている」
バックネット裏に報道クルーが詰めていた事は確認したが、この試合に観客はいなかったはずだ。オレは黒魔術の発生源を突き止めなければという衝動に任せて振り返ってベンチを去ろうとしたが、勢いよく振った右腕を井伏さんに掴まれた。
「待て。話はこれからだ」
キン!
渾身のスイングも虚しく、佐賀の打球はショート正面に転がっていく。ワンバウンド、ツーバウンド……。ショートを守る厚木は危なげない捕球動作から、上体を軽く捻ってスナップスローで一塁へ転送した。アウト。ガッテムは二塁釘付けで、2アウト走者二塁。打席には6番菅野が入った。
2アウトだ。菅野さんには悪いが、ルコフスク相手に菅野さんが粘ったり繋いだりという事は考えにくい。佐賀さんですら簡単に打ち取られたのだ。守備の間に記憶が飛んだりしてはたまったものではない。オレは井伏さんの手を振り解いた。
「でも、このままじゃ、おっかなくって守ってらんないですよ」
「大坂君の気持ちも良く分かるが、闇雲に動くんじゃない」
井伏さんは、もう腕を掴もうとはしなかった。掴んで強引に引き留めようとはしなかった。もう少し落ち着いたらどうだ。直接言葉に出さない分だけ、井伏さんの気持ちが伝わってくる。この人は、余計な事は言ったりやったりしない人なのだろう。
「そもそも、記憶を飛ばすような能力があるとしたら、それはとても強力な黒魔術だ。その辺のBランクCランクの魔力ではとても扱える代物じゃない。少なくともAランク、悪くすればSランクの術者だ。そんな奴と鉢合わせでもしたら、ただじゃ済まないぞ」
そうだ。再び記憶が消えるかもしれない。そうなれば、きっと返り討ちだ。今のオレは冷静に自重しているわけではない。恐怖で足がすくんでいる。AランクやSランクという評価基準がどの程度のものなのかは分からないが、手も足も出ない存在であろうということは理解できた。
「あと、村長とも話したんだがな――」
村長とはヤソジさんの事だ。今は現職を退いているのだが、井伏さんは村長と呼んで慕っていた。井伏さんは、丁寧に言葉を選んで話しを続けた。
「――大坂君の能力は、相手の魔道術を大幅に増幅させてしまうか、もしくは完全に消滅させてしまうかのいずれかだと思う」
どっちなんだ!? オレは露骨に態度に出ていたらしい。
「戸惑うのも無理はないな。前者ならただ厄介なだけの能力。反対に後者ならほぼ無敵の能力だ。しかし、この両方の性質を持った能力だとしたらどうだ?」
だとすれば、扱いづらいことこの上ない。
「そんなに嫌そうな顔をするな。落ち着いて考えるんだ。あの場面、さっきの大坂君の打席で大坂君の記憶を飛ばす目的は何だと思う?」
「そりゃ、オレを警戒して、三振が取れればラッキー……。いやぁ、それは無いか。それが出来るなら、オレじゃなくてガッテムさんに魔道術をかけるべきだった」
「ご名答。他に理由はあるかな?」
無いだろう。だいたいオレの能力は効きすぎてしまうか、無効化するかのいずれかだ。この仮定が正しいとして、無効化されるかもしれない魔道術を、リーグの規約を破ってまで使うリスクは大きい。しっかり効いたとしてもオレが審判に抗議した事で事実が発覚するのが関の山だ。もっとも、あの状況であればオレでなくても抗議をするだろう。
「そもそも、オレでなくても打席に立つ人間の記憶を奪うメリットがないですね。審判に抗議されれば不審に思う人間が現れて、外部からの干渉が発覚してしまうかも知れない」
「確かに。それは変だな」
これは見えざる敵が想定していなかった事かも知れない。いや、想定していなかったと考えるのが自然だ。冴える直感に心音が高く脈を打った。もし、オレにだけ黒魔術が効き過ぎていたのだとしたら。あの瞬間、記憶を飛ばされたのは球場にいた全員であり、オレの記憶だけが余計に飛ばされていたのだとしたら。それは、とある完璧な計画に綻びが生じた決定的瞬間となり得るだろう。
「どうだ、何かわかったのか?」
「井伏さん。もし、オレにだけ魔道術が効きすぎていたとしたら?」
「……ん? それは、みんなの記憶が飛んでいて、大坂君の記憶だけが余分に飛んでるって事かい」
「その通りです」
「いやぁ参ったねぇ……」
井伏さんは緑の野球帽を被り直して耳の後ろ辺りを掻きむしった。白髪の混じる短い前髪が後退し始めて、広くなっている額が露わになる。
菅野さんは2ストライクまで追い込まれているものの、何とかグラヴィティーボールに喰らい付いていた。タイミングは合うのだ。ただ、打球が前に飛ばないのだ。それがもどかしい。
しかし、この試合で全員の記憶を飛ばす目的は何だろうか?
雷神バットの行く末が掛かっているとはいえ、今夜の試合はリーグ戦の結果には関係のないエキシビジョンマッチである。まさか、雷神バットが狙われているのだろうか。雷神バットはそれほどまでに価値のあるものなのだろうか。
そもそもの発端は、このバットがガッテムさんの船室の入り口に立て掛けてあったことだ。今思えば、ピンク=パンサンを名乗る添え書きが非常に怪しい。茅野さんは、これを取り戻すために武装して船室の前に現れたし、島の北の端から東の端まで強行軍でやって来た。橘みずきは、単身これを持ち去ったが、どういう訳か今はルコフスク達が所有権を主張している。ちなみに、橘みずきの行方は未だにわかっていない。
雷神バットを狙う誰かが、球場にいる全員の記憶を飛ばしたと仮定してみよう。球場に忍び込んで、ルコフスク達が所有する雷神バットを奪ったのだ。フットレイクスベンチはその事実におそらくまだ気が付いていない。全員の記憶を完璧に同じだけ飛ばしていれば、彼らの完全犯罪は成立していたであろう。しかし、ここにいる馬鹿な一人の男が事実をややこしくしてしまった。オレ一人が、鍵を握らされてしまっている。この鍵で開く扉が、どこへ続いているのかわからないが、今更無関心を装う事は出来そうもない。何故ならば、二塁々上にいる男が扉の先へ行きたがっているのだ。彼は、この大会で優勝しなければならないと言ったし、この試合に勝って雷神バットを取り返す事に躍起になっているからだ。
カキン!
力のないポップフライが内野に上がった。セカンドの金が声をかけて内野陣を制すると、グラブにボールが吸い込まれる。スリーアウトチェンジ。
4回表の攻撃を終えてスコアは2-4。フロッグスの反撃は1点にとどまった。
◆◇◆ 登場人物紹介 その15 ◆◇◆
名前:井伏銀次/年齢:42歳/身長:172cm/体重:ふつう/血液型O型
投打:右投右打/守備位置:内野手/基本データ(ミパ走肩守|魔):DEEEC|G
特殊能力:いぶし銀、サブポジ○
大坂達が加入するまではフロッグス最年少も今年が厄年。
打撃も走塁も身の衰えをひしひしと感じているが、
守備に関しては、まだまだ若手に譲れないという自負がある。
まだまだ動ける鹿島と共にフットレイクスとの試合に挑むが、
新メンバーや敵チームとの力の差はやはり感じている様子。
それでも、悩める若者には惜しみなく手を差し伸べるナイスミドル。
尊敬する選手:井端弘和(巨人)
好きな曲:Innocent World(Mr.Children)