ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
球児達の熱いプレイに執筆意欲を刺激されて久々の更新です。
相変わらず表現は拙いですが、何となくでも伝わっていれば幸いと存じます(汗)
9回表一死一三塁。三塁には同点のランナーガッテムを、一塁には逆転のランナー橘を置いて7番井伏の打席。
何としても三塁走者のガッテムにホームを踏ませて、スコアーを振り出しに戻したいところだが、体重100kgオーバーのガッテムの走力は生憎だが知れている。フットレイクスの堅実な内野守備を考えれば、生半可な内野ゴロでは本塁生還は難しいだろう。内野は前進守備。バットを握る井伏の掌にもじわりと汗がにじみ出る。
マウンド上で悠然と構えるルコフスクはグラヴィティーボールの使い手である。上手いこと内野の間を抜ければなどという甘い考えは通用しない。ここまで3打数0安打の井伏は重々承知の上での第4打席だ。
バシィン―――!!
「ボール!」
スクイズを警戒したバッテリーは初球を大きく外したが、グラヴィティーボールは未だ衰え知らずのようだ。およそ皮のボールと皮のミットが衝突したとは思えない音圧に井伏の耳にキーンという耳鳴りが響く。よくもまあ、あれだけ重い球を9回まで捕り続けられるものだと井伏は敵ながら感心していた。まずはボールが先行。カウントは1ボールノーストライク。
「やっこさんは、一死一三塁からの得点パターン、何通りあるか知っているかい?」
先に口を開いたのは井伏だ。キャッチャー波水出の“ささやき戦術”を承知していた井伏は先手を打った。もし、スクイズがあるならば井伏がフラッシュサインを送ることを事前の打ち合わせで決めている。まずは、お互いの腹の内を探り合いが繰り広げられる。
「ヒットにホームラン、犠牲フライにスクイズ……あとは、そうねぇ、意表を突いてホームスチールもあるわね」
「50以上あるんだとさ」
「そんなにあるの……!?」
「どうだかな。俺も数えた事はないが、守っている時は一番気を使うからな」
ルコフスクの第2球もアウトコースに大きく外れてボール。波水出から「んっ♪」という吐息のような艶っぽい声が漏れる。2つボールが先行する。しかし、井伏は構う事なく続けた。
「だが、生憎俺にはグラヴィティーボールは打てそうにない。そうなれば、必然ヒットに頼らない得点方法を考えるよな。ディレイドスチールだとか、併殺崩れなんてのもあるよな」
「エラーや暴投を誘おうったって、そうはいかないわ」
「相手のミスを期待するは性に合わないが、それでも点は入るな」
「何が言いたいのかしら?」
「いや、別に。ただ、どうすれば点が入るのか、考えているだけだ」
「考えてるだけじゃ、点は入らないわよ」
“ズドォン!”
バットに当てて転がすだけ。それすらもはばかられる程の圧倒的な球威がインコースを抉った。カウントは2ボール1ストライク。会話は弾んだが、ピンと背筋が強張るのを打席に立つ井伏が感じたのは、冷えこんできている夜風のせいだけではない。大きく深呼吸をして、黒塗りのカーボンバットをさらに短く握り直した。
左耳に触れるだけ。それだけでスクイズは敢行される。しかし、勝負どころで仕掛けるということは、何故これ程までに勇気がいるのだろうか。顎の下まで動いた井伏の右腕は、そこでピタリと止まってしまった。
「どうにも俺は、昔からバッティングが不得手でね。ガッテム君とか佐賀君とかを見ていると、本当に羨ましいよ」
「でも、一昨年は4番打ってたじゃない?」
「それはチーム事情。センスっていうのかな。どうしても越えられない壁みたいなのがある。やっこさんも、金君のバッティングには敵わないだろ? それと同じ気持ちだろうな」
「アレはただ本能のままにバットを振り回してるだけ。来た球を打つだけじゃ、面白みがないわ」
「でも、ボールは1メートルでも遠くに飛ばせた方が気持ちいいだろ?」
「やきもち妬いてもヒットは出ないわ」
「そんなことは、わかっているんだがね」
弱気になった井伏に、ここぞとばかりにバッテリーはカウントを稼ぎに来る。
“ガキョン!”
タイミングだけ合わせて井伏が軽打すると、ボールは力なくファールグラウンドを転々としていく。たとえ芯を食っていても、インパクトの瞬間は鉄球を弾き返すような衝撃に襲われた。きっと、バッティンググローブの中の掌は真っ赤に腫れあがっている事だろう。井伏は手首をぶらぶらと振って激痛を紛らわせた。カウントは2ボール2ストライク。
「ひょっとすると、粘ってフォアボールとか考えているのかも知れないけど、あなたの腕、いつまでもつかしらね?」
波水出の戦術がただのおしゃべりに留まらない証拠に、彼の言う事はいつも的を射ている。
「あと、10年若ければなんてつくづく思うよ。ところで、やっこさんの腕は大丈夫なのかい?」
「あら、優しいのね。心配してくれるの?」
「心配はしてないさ。頑丈そうだからね。だけど、一度試合となれば、鉄球みたいなやつを100球も受けるんだ。奥の手である3倍、5倍のグラヴィティーボールだってある。何かコツでもあるのかい?」
「……そうねぇ、強いて言うなら愛かしら」
じっくりと、タメを作って波水出は答えた。憂いた瞳でウィンクする波水出を井伏は黙殺した。
「はっ? 愛で打てりゃ苦労はしないよ」
ルコフスクの5球目は高目にすっぽ抜ける。波水出は少し腰を浮かせて、左腕を目一杯伸ばすとミットを高々と上げてキャッチした。三塁走者のガッテムは動かない。カウントはフルカウント。
「重いはずの球なのに、いやに簡単に捕るじゃねーか。間違ってミットごと持ってかれたら同点だぜ?」
「お生憎様。このふわふわミットはねぇ、捕球時の衝撃を半減させるの。だから2倍のグラヴィティーボールならば普通のストレートと一緒なわけ」
「――ん、何だって!?」
「あら、今頃気が付いたの?」
「それで2倍のグラヴィティーボールには球数制限がないってわけか」
島の人間に宿る不思議な能力「魔道術」。人々はこれに憧れ、用い、島特有の文化を育んできた。勉強ができる人とできない人がいるように、運動が得意な人と不得意な人がいるように、仕事ができる人とできない人がいるように、魔道術にも得手不得手があった。誰にでも、思うように扱える代物ではなかった。
ところがある日、この魔道術の能力を引き出し、あるいは補助する「アイテム」がとある研究機関で開発された。これにより、人々は容易に魔道術を扱う事ができるようになった。島の人々の生活はより一層豊かになった。そして何より、野球道具への応用が進んで、この島の野球文化は革命的な進化を遂げる事になった。
ふわふわミットもその中の一つである。
「東地区の人には馴染みが薄いかも知れないわね。魔道術は才能だけど、アイテムは努力すれば誰でも使いこなせるようになるわ」
波水出の言う通り、東地区ではアイテムも魔道術に同じく消極的な考え方が占めている。この背景を説明するには50年前にパラキ村で起きた「魔力暴走事故」は避けて通る事ができない。
かつては東地区にも他の地区と同様に魔道術が繁栄しアイテムが普及していた時代があった。極東の小さな港町にあるフロッグスの黄金時代は風神打線と呼ばれ、その活躍に憧れを抱いたファンも多い。その風神打線を担ったのが、伝説のレアアイテム・風神バットである。
しかし、アイテムの使用は常にオーバードーズの危険を孕んでいると言ってよい。強力なアイテムであればあるほど、その使用には熟練を要し、また身体や精神に負担が掛かっていることは事故以前から警告されていた事だ。これらは、適正な使用方法と健康管理で予防できるとされていたが、50年前は事情が少し違ったようだ。風神バットは前例にないくらいに強力すぎたのだ。
強力すぎたアイテムは使用者の身体と精神を容赦なく蝕んでいった。そして、それがその使用者の許容量を超えた時に悲劇は起こった。通称マジッククランプ(魔道痙攣)である。一度暴走した魔力は連鎖反応を起こして周囲に伝播して、当時のフロッグスの主力選手のほとんどは引退の危機に迫られた。実際に、この事故が引金となって関係者のほとんどはバットを置いている。
関係者だけでなくファンの心にも癒えぬ傷跡を残したその事故は、いつしかタブーとなり、楔のように東地区に魔道術とアイテムへの嫌悪感と偏見を植え付けるものとなった。
“ガキィィン!”
鈍い打球音が響いて、打球が後ろに転がっていく。井伏は手首を柔軟にして、その衝撃を受け流しているが、それでも、掌、手首、肘、肩、腰と至る所にダメージは蓄積されていく。
「もう若くないんだから、無理しない方がいいんじゃない?」
「もう若くないから、後悔をしたくないんだよ」
バットを握る指先が小刻みに震えている。痛みのためにバットを握る感覚はだいぶ薄らいでしまっているが、もう一度、バットを立てて構える。ルコフスクはここまで変化球も緩急も織り交ぜてきていない。タイミングを取って、ミートさせるだけならばそれ程難しい事ではないのだが、下手に前に転がせば併殺打の可能性がある。なまじカットができる分、この打席はいつ終わるのかわからない苦行のように長いものと感じられた。
何とかして気を紛らわせようと、井伏はマウンド上のルコフスクを見た。彼は帽子を取って、額の汗を拭うとオールバックの金髪を掻きあげた。勝利目前の最終回だが彼もまた肩で息をしている。なるほど。彼も無尽蔵のスタミナと言うわけではなさそうだ。先程から、コントロールが乱れているのも頷ける。勝機がある以上、井伏の狙いは揺るがなかった。
比較的短いインターバルでルコフスクがモーションを起こした。体中の血液が循環して大木のようにパンプアップした剛腕から7球目が放たれる。
アウトコース――
――ボール1つベースの外側!!
しかし、そこは今日のアンパイヤ―茅野が何度もストライクとコールしてきたコースだ。カットしなければいけない。バットに掠るだけでいい。井伏は頭の中で念じ続けたが、身体はまったく反応しなかった。体内の神経を伝うはずの信号が渋滞していく。
これ以上の苦痛を肉体が拒絶したのか、あるいは長い経験で、そのコースのボールには手を出さないと身体に刷り込まれている為か、ボールが波水出のミットに収まるまで、井伏は彼自身の身体を動かす事が出来なかった。歯痒い一瞬は、眼だけが、ボールの軌道を逃さずに追いかけていた。
“バシィィィン!”
大袈裟な音を立てて、ボールはミットに収まった。
「ボール! テイクワンベース」
「――!」
「――!」
茅野は、一塁方向を指差した。
「ちょっ――」
「――波水出、早くボールをよこせ!」
振り返り抗議しようとした波水出をルコフスクは大声で制止した。ゆっくりとした抑揚のあるルコフスクの声が球場内に木霊して、両サイドのベンチはしんと静まり返った。
波水出はタイムを取るとボールを握りしめてルコフスクの元へ駆け寄った。レガースがガチャガチャと音を立てている。
「まずは、状況を確認しようか……」
「1アウト満塁。点差は1点。ホームはフォースプレイだから少しは守りやすいかしら」
「ガハハハハ! それがわかっていれば充分だ」
「ごめん、ちょっとアツくなってたみたい」
「なぁに、気にする事ではない。腕の悪い審判については後で本部に書面で抗議しておくとしよう。もっとも、吾輩がストライクゾーンにちゃんと投げていれば万事憂いなき事。ところで、吾輩のグラヴィティーボールはあと何球残っているんだね?」
「3倍が6球、5倍が2球よ。10倍は1度投げているけど、あの時は打たれているからまだ1回捕ることができるわ」
「ならば、この後の2人は3倍を3球、5倍を2球、最後に10倍を1球で仕留めようではないか。出し惜しみはいらない」
「わかったわ」
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
「――ルコフスクがポンポンと波水出の肩を叩いてマウンドから送り出しました。何だかルコフスクの方が波水出を励ましている様に見えましたね。解説の奈加乃さん、如何ですか?」
「先程のピッチングはどちらに判定されてもおかしくないコースでしたから、このフォアボールはピッチャーも堪えると思いますよ。下位打線を相手にピンチを広げてしまうのは嫌なものですからね」
「最後の最後の土壇場でチャンスを広げたのはフロッグス。ここは何としても結果を残したい。9回表1アウト満塁で、打席には8番の鹿島が入ります。ECBナイター中継、実況は私、荻窪譲二、解説にはプリティーガールズOG、元祖打って走れるアイドルの高円寺奈加乃さんにお越し頂いております」
「元祖っていうのは、ちょっと嫌味なキャッチフレーズですねぇ」
「先駆者という敬意を込めたつもりですが……さて、奈加乃さん。鹿島は、ここまでヒットがありません。同点、サヨナラのチャンスでの打席ですが、どんなバッティングが求められますか?」
「先程の井伏選手の打席が良いお手本となるのではないでしょうか。ルコフスク選手の投球が抜けて上擦る場面も増えてきていますし、粘ってフォアボールという形も悪くないと思います」
「満塁ではありますが1点差です。スクイズの可能性はどうでしょう?」
「フォアボールの後ですからね。ストライクを先行させたいバッテリーとの駆け引きはありますね。初球からでもあると思いますよ」
「さて、その初球です。ルコフスクの足が上がって、投げました! スクイズ!……は、構えだけ。バットを引いてストライク。カウントはノーボール1ストライク。今のは3倍でしょうか?」
「もう手加減は無しといった感じですね」
「こうなりますと、鹿島はなかなか手が出ないか。短い間合いから、ルコフスクが第2球を、投げました!」
“ズドンッ!”
「ほとんど真ん中ストライク! ノーボール2ストライクと追い込まれました。小爆発でも起きたかのような物凄い捕球音。3倍、3倍と続けてきましたバッテリー」
「球数制限のある3倍グラヴィティーボールをあえて続けてきましたね。鹿島選手も諦めないで粘って欲しいです」
「1アウト満塁です。三塁ガッテムは同点のランナー、二塁橘は逆転のランナーです。カウントはノーボール2ストライクと追い込んで、ルコフスクが3球目を……投げましたっ! 大きなスウィング空振三振!! 容赦ないルコフスクのピッチングで2アウトフルベース! 打席にはラストバッターの龍ヶ崎夏苗が入ります。彼女は品野ヤソジ監督のお孫さんですが、あのバットはひょっとして……?」
「風神バットレプリカですね」
「風神バットといえば、伝説のバット職人、初代鬼瓦棒之介の遺作として知られていますが、それと同時に50年前の魔力暴走事故の引き金となった元凶でもあります。レプリカは2代目鬼瓦棒之介がその事故の償いとして、当時のキャプテン、つまり現在の監督である品野ヤソジさんに非公式に贈った物ではないかと噂されていましたが、どうやら、ここで御披露目となりそうです」
「レプリカとはいえトリオスターくらいの性能はありますよ」
「トリオスターとなりますと、扱いは難しいのではないでしょうか?」
「この大事な場面で使うということは、かなりの練習を積んでいるのではないでしょうか。一方で、ここまで温存してきたという事は、完璧には使いこなせていないという不安要素も抱えている裏返しでもあると思います」
「試合は文字通り最終局面を迎えております。2アウト満塁、点差はわずかに1点です――」