ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
9回ウラ、先頭打者のルコフスクが打席に入り、ポッキーバットを振りかざす。初回から一貫して、彼の上半身は裸のままである。色白の肌がほんのり紅潮する程に男の熱気が溢れている肉体。体脂肪率の少ない前腕から浮かび上がる静脈はピクピクと躍動している。
そんな彼を前にして、マスクを被る17歳の夏苗は目のやり場に困惑していた。彼女の視線は、一定のリズムを刻んで揺れるバットへどうしても泳いでしまう。
「小娘よ! この雷神バットがある限り、吾輩を打ち取ることはできぬぞ! ガハハ!」
艶やかな光沢のある黒い塗装、妖しく浮かびあがる美しい木目。クインテットスターレアアイテムが放つ魅惑的かつ均整のとれたフォルムを忘れるはずもない。
雷神バットの能力について詳しい事は明らかになっていないが、強力な電気の力を帯びたバットを一振りした時の驚異的な飛距離は午前中の試合で実証済みだ。ルコフスクのバッティングは少々荒っぽい所があるものの、彼の打撃センスを侮ることはできない。1点のリードを守る為には慎重なリードが必要だ。
彼に対する橘みずきの持ち球はストレートと大小2種類のスクリュー。スクリューは右打者のルコフスクから逃げながら落ちる軌道で、かなり有効な決め球である。夏苗は前の打席でルコフスクを三振に取ったストライクからボールになる大きいスクリューを外角に要求した。これが打たれるのであれば、諦めるしかないだろう。
しかし、橘は首を横に振った。2つ年上の彼女は我儘で気まぐれなところがあるものの、野球に関しての知識・経験については年齢以上のものを夏苗は感じていた。橘が雷神バットの能力を侮っているとは思えないし、彼女の高いプライドが自身のウィニングショットを攻略されるのを恐れたとも思えない。
次のシグナルを夏苗が躊躇すると、橘は一旦プレートから足を離した。
そこに一塁からガッテムがのしのしと歩み寄っていく。傍目には息が合わないバッテリーを見かねて励ましている様に見えるだろう。ガッテムはミットで口を覆いながら、橘のすぐそばまで近寄って小声で彼女に尋ねた。
「本物ノ雷神バットハ ドコニアルノデスカ?」
橘ははっとした表情でガッテムを見上げた。大きく目を見開いた色白の小顔は充分に美しく、見つめられれば多くの男が戸惑う所だが、ガッテムは目もくれていない。
「今、ルコフスクが持っているじゃない」
澄み切った瞳を一切逸らすことなく、橘はガッテムに答えた。そこに、焦りや動揺の色はない。しかし、ガッテムは食い下がった。彼も取り乱すことはせず、あまり表情を変えなかった。
「私ノ目ハ ゴマカサレマセン アレハニセモノノ雷神バットデス」
「何か証拠でもあるの?」
「グリップテープデス 午前チュウノゲームデ端ノホウヲ少シハガシテイマス」
「ルコフスクが巻き直したんじゃない?」
「彼ガ 丁寧ニテープヲ巻キ直スデショーカ 私ハソウハオモイマセンガ」
打席に立つルコフスクは、腕力に物を言わせて素振りとばかりにバットを振り回していた。几帳面な彼の部下がグリップテープを丁寧に巻き直した可能性もあるだろうが、目の前の大男を口先だけでやり過ごす事は難しそうだ。
ガッテムはまだ視線を逸らさなかった。彼の目は、その眼差しの奥にある覚悟が、簡単に揺らぐものではないことを物語っていた。橘は観念して素直に事情を話す事にした。
「話せば、長くなるんだけど……」
「結論ヲ サキニ言ッテクダサイ 理由カラ言ウノハ日本人ノ悪イ癖デス」
ガッテムは大きなファーストミットを橘の顔面に向けて台詞を制した。
「雷神バットは、もうここにはないの……」
「オーケー 事情ハアトデキキマス」
そう言い残して、ガッテムはあっさりとマウンドを去っていった。
理由を聞かれ、責め立てられるだろうと思っていた橘は、あまりにも乾ききったガッテムの反応に戸惑った。多くを語らない彼の後ろ姿は、一切の情状を斟酌しようとしない冷淡な態度の裏返しにも見える。続きを話す事で、背負い込んだ重荷が少しでも軽くなるのではないかと至りかけた甘い考えが、逆に彼女の良心にチクリと刺さる。
橘は、まとわり付くネガティブな気持ちを振り払って、再びキャッチャーとのサインの交換に挑む。
――夏苗のサインは外角のストレート。
まともに勝負はしたくないのだろう。マスク越しの青ざめた夏苗の表情が気の毒だ。さて、18.44m先に座る弱気な彼女に真実を知らせる為にはどのようにすればよいだろうか。
球種はともかく、コースのサイン違いには対応できるはずだ。橘はインコースに狙いを定めてステップを踏むと、ルコフスクに対して初球を投じた。もとより、鬱々とした気持ちを晴らす為には、打者の胸元を抉るクロスファイヤー程気持ちの良いものはない。
“カキィーン!”
芯を食った快音がレイクサイドスタジアムに響くも、打球は三塁側スタンドの奥深くへ消えていく。ルコフスクはインハイのストレートを見事に捉えたが、あのコースは何度打ってもファールにしかならない。
「ファールボール」
球審の茅野から新しいボールを橘は受け取ったが、夏苗の表情は冴えないままだ。ただの「いい当たり」では「偽物である」という判断は難しいだろうか。
「ガハハハハ! さすがは雷神バット! 手応えも格別である!」
それは気のせいだ。少なくとも、打席の男は気が付いていない。ならば好都合。敵を欺くには味方もろともだ。最終回、橘は夏苗の慎重すぎるリードを受け入れる事にした。偽物の雷神バットの力にすがろうとしている打者を打ち取ることは、橘にとって難しい事ではなかった。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
「やはり、ここには雷神バットはないみたいですね。しかし、彼女の言う通りならば、この情報は高くつきそうです」
ルコフスクの大ファールをバックネット裏で見届けた保谷は、赤茶色の癖のある前髪を掻きあげながら、ゆっくりと立ち上がった。レースパンツに付いた砂埃を手で払い、眩しく光るカクテル光線に背中を向けると、出口へ続く通用口の階段を下りていく。
これから先、雷神バットを巡って必ずひと悶着あるだろう。だがしかし、今はそれどころではない。本物の雷神バットを持ったピンク=パンサン達はどこかへ消えてしまった。彼らはどこへ行ったのだろうか。
それを解く為の唯一の手掛かりは橘の記憶だが、彼女の記憶もいまひとつ理解に苦しい。彼女達は3人で行動を共にしていた。おそらく彼女は見張り役で、残りの二人が球場内に潜入して雷神バットを精巧な偽物とすり替えたのだろう。彼らがどの様にして、誰にも気付かれる事なくバットをすり変えたのかはわからない。そして、どういう訳か彼女は球場の外に置き去りにされてしまっていた。
橘みずきに、もう用はなくなった。と結論付けてしまえば手っ取り早いのだが、どうもそれでは腑に落ちない。論理的に考えている時に何かが引っ掛かるのは、何かを見落としているからだ。橘の記憶の中のピンク=パンサンは常に紳士的に振る舞い、義理堅い性格の持ち主だった。そんな彼の性格が、こんな地の果ての球場に年頃の女の子を置き去りにするなんて、余程の事情がない限り考えにくいのだ。
「よっぽどの事情か……」
球場の出口に差し掛かり、自身のロードバイクを目にした時、保谷ははたと立ち止まる。もし、雷神バットを持った二人が、球場に接近する自分の存在に気がついていたとしたら……どうするだろうか。
彼らは橘みずきとの合流を諦めて、逃走する事を選んだだろうか。保谷の絡まった思考がするすると解けていく。
「ガッデム!」
彼は上着のポケットからPDAを取り出すと、連絡先一覧から一人の女性の連絡先を検索にかける。この女と関わると色々厄介だが、蛇の道は蛇。今は彼女の情報網が頼りになりそうだ。
プルルルル♪ プルルルル♪
2コールで彼女は電話に出た。ムッハーッという荒い鼻息が受話器越しに響いてガサガサというノイズが彼女の声に紛れる。
『あら? どうしたの? あなたから掛けてくるなんて珍しいわね♪』
「姫野か。ちょっと聞きたい事があるんだが……」
『ムッハー! いいわ。保谷さんの頼みなら何でも聞いちゃう』
「雷神バットが盗まれたのは知ってるな」
『愚問ね。私を誰だと思ってるの? アンダーグラウンドの勘のいい連中はみんな血眼になって捜してるわよ』
「……そうみたいだな」
『あらぁ、もう、すでに何か握ってる口ぶりね。尊敬しちゃう』
「ありがとな。ところで、雷神バットを今手に入れたら、お前ならどうする?」
『そうねぇ。闇オークションにでも流しましょうかしら』
「闇オークション?」
『運営の目を盗んで法外な値段でレアアイテムを取引するの。そこに雷神バットが出品されるとなれば、話題性十分ね』
「その闇オークションは、どこでやってるんだ?」
『あら、保谷さんともあろう人が知らないの?』
「運営には目を付けられたくない身の上でね」
『ムッハーッ! 私と一緒に行ってくれるなら教えてもいいわよ?』
「ん…? あぁ。誘いは有り難いんだがな。レディーを危険に巻き込むのは性に合わない」
『んもぉ。心にもない事を言わないで。でも、いいわ。特別に教えてあげる』
「デートはしないぞ」
『会場で偶然ばったり出会うことだってあるでしょ。実はね、明後日の水曜日にジエンドで大規模な闇オークションが予定されているの』
「確か、ジエンドと言えば南地区にある砂漠の中の観光都市だよな」
『運営の目を逃れてコソコソ悪さをするには好都合ね。私も行ってみようと思うの。だって、パープル・オーの生ユニフォームが出品されるって噂なのよ。どこで待ち合わせる? ねぇ、ちょっと聞いてる……!?』
後半を聞き流しながら保谷は通話終了ボタンを押下した。
雷神バットが盗品となり、このタイミングで闇オークションが開催される。ピンク=パンサンがこの機を逃すはずがない。長い旅になる事を予期した保谷は、装備を整えに一度イーストタウンの自宅まで戻る事にした。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
“ピピッ!”
「会話ログ“雷神バット”ヒットしました」
「今度は与太じゃないんだろうな。場所は?」
「長距離通話ですね。西地区姫野カレンと、東地区保谷丈……」
「聞かせろ」
アッシュパープルの長髪を気障にアレンジした男が通信士から強引にヘッドホンを奪い取った。男はまだ若い。最新鋭の通信機材(とは名ばかりの盗聴システム)で埋め尽くされたこの部屋を仕切っているのは彼のようだ。
「随分とノイズが多いな。もっとクリアにならないのか?」
「あ、それは女の鼻息です」
長髪の男は20歳そこそこだろうか。スタイリッシュにグレースーツを着こなす出で立ちは起業したばかりの青年実業家のような知性と、初々しさがにじみ出ている。そして、その立居振舞は怖いもの知らずで自身に溢れたものだった。
彼の細く長い指が通信室のデスクをコツコツと一定のリズムを刻んで叩く。それだけで、ただでさえ張り詰めていた通信室の空気が更に張り詰めたものになっていく。
「闇オークションか。今回の警備部の有るまじき失態を除けば、レアアイテムは厳格な管理体制にあるはずだ。それなのに、裏取引を画策するとは。愚かな連中だな」
この部屋にいる多くの人間は、運営本部の管理下にないレアアイテムが存在し、それが事あるごとに闇で流れている実情を暗黙に承知していたし、管理下にあるアイテムでさえ、その一部が多額の裏金と共にしばしば不正に流通しているという噂を耳にしていた。しかし、それは表沙汰になってはならない。世間知らずな上官にそれを知らせる部下はこの部屋にはいなかった。
「よし。この闇オークションに潜入して、雷神バットを奪取しよう。取引を成立させた後で、闇オークションごと摘発する」
彼の作戦に異を唱える者はいなかった。彼は運営本部の汚れ仕事を一手に引き受ける特務部のエリート、神高龍である。彼は数名の部下を指名すると、南地区へ向けて旅支度を整えるように命令を下した。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
“キィン!”
橘さんの小さなシンカーは打者の手元でククッと沈んで、狙い通り7番打者の平塚さんは引っ掛ける形のバッティングになった。ボテボテのゴロが大坂さんの守るショート正面へと転がっていく。私はマスクを外して声を出した。
「ショート!」
既に2アウト。勝利を確信した私の声は今までで一番大きかったと思う。
何の変哲のないゴロでも丁寧にバウンドを合わせて大坂さんは掴む。捕ってから送球までの素早い動作を当たり前のようにこなすと矢のような送球が一塁へ……
あれ……、身体が……。
だんだんと視界に赤土のグランドが近づいてくる。パシンというガッテムさんの頼もしい捕球音を最後に私の意識は途絶えてしまった。
神高(息子の方)と姫野登場です。
すこしはパワプロ小説らしくなるといいな(汗