ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
三塁側ベンチの横に立て掛けて並べられていたバットが、ドミノ倒しのように倒れていく。ベンチ隅の小さな机の上でスコアを付けていた加藤京子は、カランコロンと大きな音を連鎖させながら崩壊していくバット群に気を取られて、茅野のコールを聞きそびれてしまった。少々演出過剰だったアクションも見逃してしまった。試合に集中していたはずの加藤にとっては、それほど心を掻き乱される出来事だった。嫌な予感がした。
「ストライクじゃ。2ストライク1ボール」
戸惑っている加藤の様子を察したヤソジが呟いた。彼は何かを噛みしめるように、グランド上の一点を見つめて、両手でベンチ前の柵を握りしめている。その腕がかすかに震えていることに加藤は気が付いた。
何か思い詰めた表情のヤソジとは対照的に、菅野はベンチに浅く腰掛けて背もたれに体重を預けてリラックスしている。彼はぴゅーと口笛を吹いて橘の快投を賛辞する言葉を並べていた。
二人の温度差もどこか薄気味悪い。加藤は胸騒ぎを覚えた。もう一度ベンチの横で散乱しているバット群を見ると、折り重なるバット群の中でただ一本、風神バットレプリカだけが粉々に砕けて原形を留めていなかった。思い返せばグラヴィティーボール10倍を打ち返したのだ。トリオスターとはいえ木製のバットが今まで原形を留めていた方が不思議なくらいだ。しかし、その無惨な姿を目にした加藤は背筋に冷たいものが巻きつくような嫌悪感を覚えた。漠然とした恐怖が知らぬ間に接近してくる恐怖映画のような感覚。
“キィン!”
打球はショート正面へ。
勝利の喜びに、というよりは現実に引き戻された安堵感に、加藤は思わずヤソジの方を見たが、彼女は再び戦慄した。
野球観戦をした事がある人間ならばわかるだろうが、売り子のお姉ちゃんの太腿に目を奪われたり、あるいは握りしめたビールを溢して前列のオヤジの禿げ頭にぶちまけたりでもしない限り、試合に興じる人間ならば、その視線は打球の行方を追いかけているものだ。いかに捻くれた野球狂でも打球を一切見ないという事はあり得ないだろう。
ヤソジの視線が、一点を見つめたまま動いていない。
視界の左端に両手を叩きながら立ち上がる菅野を捉えている加藤は、おそるおそる視線を右にスライドさせていく。ショート大坂が丁寧に打球を捌いて一塁へ転送。ファーストガッテムが胸元でガッチリ掴んでスリーアウト。
そして、更に右手、キャッチャーである龍ヶ崎夏苗がうつ伏せに倒れていた。
悪い事に、彼女の身体から少しずつ色が失われていく。貧血とか、そういう現実的な色の失われ方ではない。色褪せていく写真のように、あるいは画像処理ソフトで徐々に色合いを消してモノクロ化していくような、そんな異常な光景だった。
加藤京子は本でしか見た事がなかった。しかし、それが今、目の前で起きている出来事、魔道痙攣(マジッククランプ)だ。許容量を超える魔力を使用し続けると、肉体と精神が限界を超えて起こるアレだ。
「血は、争えないのぅ……」
かすれた声だったが、しかしハッキリとヤソジは呟いた。品野ヤソジ。伝説の風神打線を率いた中心選手であり、今も語り継がれる大惨事、魔力暴走事故の数少ない経験者。ヤソジはグランドの一点を見つめたまま話し続けた。
「京子さん。このままではいけません。マジッククランプは不足した魔力を求めて周囲の魔力を食い荒らします。無理は承知でのお願いじゃ。何とかなりませんか? このままでは、夏苗は真っ白になってしまう」
「ちょっと待ってください。夏苗ちゃんは魔力を使っていたと言っても、せいぜいミラージュゾーンくらいのもの。魔道痙攣なんて有り得ないわ」
「わしが、迂闊じゃった。今しがた、風神バットが砕けるまで失念しておったが……」
ヤソジは一度言葉を止めた。この間にも夏苗の色がみるみる失われていく。直射日光に晒された記念写真のように夏苗のシルエットがぼやけていく。
外野から戻る3人は倒れた夏苗を見て慌てて戻ってくる。まだマジッククランプには気が付いていない。永瀬は膝を突いてその場にしゃがみ込んでしまった。ガッテムと橘は、あまりに凄惨な光景に状況を飲み込めず立ち尽くしている。大坂が夏苗の名前を呼びながら本塁方向へ駆け寄ろうとすると、球審の茅野が厳しい口調で制した。
「近づくな!」
大坂はムッとしたが、すぐに井伏にも呼び止められた。彼もまた腕組みをしたまま仁王立ちして動かない。
「マジッククランプは最も近くにいる人間の魔力から食い荒らす。それで足りなければ、次に近くにいる人間、それでも足りなければ、その次に近くにいる人間……といった具合だ」
「だったらオレが!」
「だから待てと言っているんだ。一度マジッククランプになってしまうと、どれだけ魔力を食い尽くしても満足する事は無いんだよ」
「え……?」
「不足した魔力、つまりマイナスの魔力を補った後も魔力の吸収は続くんだ。やがて本人の許容量が満たされてゲージがMAXになる。だが、魔力の吸収が止む事はない」
「俺達は、いや、夏苗はどうなるんですか?」
「わからない。溢れる魔力を放出する為には強力な魔道術を放ち続けなければいけなくなる。あるいは……これは、言わずともわかるよな?」
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
一度言葉を区切ると、ヤソジはまた話し始めた。
「アイスブロックという魔道術を知っているかね?」
「最近はあまり見かけませんが、一時期流行りましたね。氷属性のキャッチャーが自分の身体を瞬時に凍結させてブロックするやつですよね」
「そうじゃ。夏苗は恐らく、無意識のうちにそれをやっていたんじゃ」
「アイスブロックってそんなに消耗する魔道術なんですか?」
「ランナーと交錯する一瞬だけならば問題なかろう。じゃが、これを1イニング継続していたとなると、どれだけの消耗か、見当がつかないの」
加藤は粉々に砕けたバットを思い出す。
「こんな危険な試合、早々に棄権するべきじゃった。いや、そもそも、夏苗に野球など……」
「それは、違います……!」
夏苗ちゃんは、あんなに楽しそうに野球をしていたのに。と、加藤は言えなかった。彼女の身体はバットと同様にボロボロのはずだ。
夏苗の魔力が暴走を始めるには、まだしばらく時間が掛かるだろう。それまでに、何かできる事があるはずだ。加藤は周囲を見回した。少しずつ頭がクリアになっていく。加藤は菅野の手を取るとグランドに向かって歩き始めた。
「ちょっと来て!」
「おぉい、何だよ……」
「いいから早く!」
渋る菅野を急かすように加藤はベンチを出た。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
車は人影のない一本道を飛ばしている。アウトインアウトで一筋のハイビームが暗闇を蛇行する。
そんな、とある車内――
「予定外の魔力を使ってしまいましたね」
「いいさ、予定通りに行かないからこそ面白い事もある」
「でも、いいんですか?」
「何がだ?」
「橘ですよ」
「……」
車内は沈黙に包まれる。シフトレバーを忙しく操作しながら軽快にハンドルを切る大みみず男には、この沈黙の意味がすぐに理解できた。橘をレイクサイドスタジアムに置き去りにした事は、後部座席に深く腰掛けている男も本意ではないと。沈黙に耐えきれなくなったドライバーは、無神経だった発言を詫びた。
「すみません」
「パンサンよ、どうして謝る?」
「いや、何となく……」
「事は計画通りに進んでいるんだ。それに、あの女の役目はもう終わっているであろう」
「はい」
「これ以上、彼女を巻き込む事はないであろう」
「しかし……」
「お前の気持ちはわからないでもない。だが、大局を見失ってはいけない」
「はい」
「野球超人伝最後の1ページの奪還。これを成し遂げない限り、俺達はこの島の呪縛から逃れることはできないんだ」
「わかってます」
「ならいいんだ。……しかし、あの男、気になるな」
「保谷掟ですか?」
「あぁ、何故、あのタイミングで現れた?」
「あの試合は地元のラジオ局でネット中継されていたんです。物好きな人間が観に来ても不思議ではないでしょう」
「だといいのだが……げほっ、げほっ」
「オーさん。余計な悩み事は身体に障ります。ゆっくり休んでいて下さい」
「そうだな。悪いが、お言葉に甘えさせていただくとするよ」
後部座席の男、パープル・オーは暗闇を映し出している車窓に目を移した。街灯もガードレールの無い山道をレンタカーのスポーツワゴンが駆け抜ける。この峠を越えた先にカオスシティという小さな街があるそうだ。今夜はそこで一夜の宿を構える事になっている。ここまでは、概ね順調。しかし、回り始めた歯車は少しずつ、確実に狂い始めていた。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇
「おい! 何を始める気だ?」
茅野が三塁線を跨いだ加藤に怒鳴りつけるように訊いた。
「何って、このまま放って置くつもり?」
加藤も眉間にしわを寄せてキッと茅野を睨みつけた。
「どうするつもりだ」
「結界を張って、これ以上の魔力の暴走を止めるわ」
「そんなことが出来るのか?」
「やってみなければわからないでしょ?」
加藤は菅野を呼び寄せると、刺青が良く見えるようにアンダーシャツを脱ぐように言った。菅野は言われるがままに上半身裸になった。ルコフスクやガッテムのように分厚い鎧のような筋肉で覆われている訳ではないが、広い肩幅にバランスよく鍛えられている見事な逆三角のシルエットに流石の加藤も舌を巻いた。
「永瀬くん! パワリンエーテルあるかしら?」
加藤は座り込んでいる永瀬に尋ねた。永瀬は首を横に振った。加藤は同じ事を一塁側ベンチにいるルコフスクに尋ねたが、彼の答えも同じだった。パワリンエーテルは島では最もポピュラーな魔力回復アイテムだ。
「もう、これだから東地区は……」
「もう、これだから東地区はいつまで経っても魔道術が進歩しないのよ」
加藤が溜息をつくのと同時に、背後からハスキーな女性の声が聞こえた。振り返ると、バックネット横の通用口から一人の女性が近付いてくる。高円寺奈加乃だ。一昨年、西地区の首位打者に輝き、翌年のシーズン途中に突然の引退宣言。なぜ、彼女がこんな所に居るのだろうか。良く見ると、彼女の手には栄養ドリンクのような小瓶が握られていた。
「あげる。1本しかないから大事に使ってね」
「いい……んですか?」
「いいわ。それにしても、見ない術式ね。でも、理に叶ってる。あと、ここはこうした方が良いわね」
高円寺は加藤に小瓶を渡すと、加藤が施した結界を覗きこみ少しだけ手を加えた。小瓶を受け取った加藤は礼を述べて結界を仕上げる。そして、小瓶のキャップを空けて夏苗の口元に注ぎ込んでいく。加藤が菅野の刺青の模様を確認しながら慎重に印を切っていくと、夏苗の色の後退が緩やかになり、やがて止まった。
「……こんな術式、どこで覚えたの?」
「見よう見真似よ。回復魔法でケガの治療とかは出来るけど、結界魔法なんて専門外。術式は彼の刺青を参考にさせてもらったわ。魔力の循環を抑制する効果があるみたいなの」
「それで、この術式か。……すごいわ」
「だけど、あなたのアドバイスのおかげで後半部分はだいぶ楽に展開できたわ。持続時間も延びたし」
「長くて2日って所かしらね。ところで、あなた何者なの? パラキフロッグスのチームドクターにしては博識すぎないかしら」
「私はただの通りすがりの洋服屋よ」
「ふ~ん。そうなの……。まあ、いいか……」
高円寺は腰に手を当てたまま、おもむろに菅野に視線を移した。そして、両手首から肩にかけてビッシリ彫られた刺青を舐めるように見つめた。
好奇の視線を容赦なく浴びせる高円寺に不快感を覚えた菅野は、不機嫌そうに長袖のアンダーシャツをさっさと被ってしまった。
「隠す事ないじゃない」
「見せ物じゃないんだ」
「……それもそうよね」
高円寺も何となく居心地が悪くなった所に、バックネット横の通用口から顔を出した髭のおじさんが早く戻るように催促してきた。高円寺は一同にお見舞いの言葉を残してその場を後にしていった。
夏苗が一命を取り留めた事がわかると、その場に居合わせた面々の緊迫が一気に弛緩する。まだ予断を許せない状況だが、最悪の事態は免れた。大坂が歩み出て夏苗を背中に背負い、加藤を伴ってベンチに下がる。
スコアボードを振り返れば6-5。フロッグスの勝利でゲームは幕を閉じた。
そして、一塁側ベンチから一本のポッキーバットを携えてルコフスクが姿を現した。
「手放すのは惜しいが、約束は約束だ。仕方あるまい。ガハハ!」
「ミスタールコフスク 気ガツイテイナイノデスカ?」
「ムムッ! ガッテム君、何の話だ!?」
グランドの真ん中でルコフスクは足を止めた。ガッテムがルコフスクに近付いてポッキーバットを受け取ると、その場で一振りして見せる。ビュオン。風を切る重低音が響いた。
「コレハ 雷神バットデハアリマセン」
「ガハハ! 何を言っているんだいガッテム君。これは正真正銘の雷神バットだ……と、思うが……」
よくよく考えてみれば、5番ルコフスク、6番厚木、7番平塚、そのいずれにもヒット性の当たりは無かった。3人ともクインテットスターレアアイテム雷神バットを手にしていたにも関わらずだ。確かに橘のスクリューは手強かったが、クインテットスターはそんな実力差を埋めて余りあるものだと謳われている。だとしたら、これは偽物なのだろうか? そんな疑念がルコフスクの頭の中をよぎる。
ルコフスクはもう一度ガッテムからバットを受け取る。
“ビュオン!”
「おかしいな……」
“ビュオン!”
「そんな筈では……」
より強く、より鋭く、ルコフスクはバットを振り込む。しかし、何も起こらない。もし、これが本物であれば、ナイター設備に何らかの負荷が掛かって、どこかしらで異常が起こるはずだ。今思えば、試合中もそのような事は無かった。
焦るルコフスクに茅野が追い討ちをかける。
「困りますなぁ、ルコフスクさん。試合前の契約は今更取り消しできませんよ。万が一不渡りなんて事にでもなったら、あなた、タダじゃ済まないんじゃないですか?」
「ぬぐぅ。言うではないか。だが、君の素性も調べさせてもらった。なかなか危ない橋を渡っているではないか。ここはひとつ取引しようではないか」
「聞きましょう」
「48時間でいい。吾輩に時間をくれないか。その間に雷神バットを何とかしよう」
「それで?」
「君に新しいIDを用意する。本部のデータは削除したらしいが、それだけでは何かと身動きが取りにくいだろう。そこで、東地区の一市民としての茅野啓吾を用意する。ただし、雷神バットを奪還するまでの期限付きだ」
「いいでしょう。ですが、雷神バットを取り戻せなければどうします?」
「それは、お互い困るのではないかな? 必ず取り戻して見せる。ガッテム君、面目ないが、これで容赦してくれないか」
ルコフスクがガッテムの方に向き直り、深く頭を下げた。ガッテムは目を瞑り、少し考え事をしているようだったが、やがて目を開くとルコフスク達に告げた。
「承知シマシタ デスガ条件ガアリマス……」
またしても評価10を頂いたようで嬉しい限りです。
ありがとうございました^^
夏苗の2試合連続の負傷は当初予定にありませんでした。
というか、風神バットの設定を真面目に考えていたら、こーなってしまいました。
必要な情報は記述しているので、勘の良い方はわかるかも知れませんし
機会があれば後の章で補足します。大した理由ではないのですが。
夏苗はケガしやすいになった(ベベー♪