ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
――リモーア市内。
緊急車両が、街の目抜き通りを絶えず往来している。一般住民の避難は済んでいるらしいが、逃げ遅れた者の悲鳴と、警察と消防関係者の緊迫した怒鳴り声が路地に響いていた。時折、どこかのガス管が破裂して、シューとガスが漏れている音や、充満したガスがどこか遠くで爆発してドーンという音が響いてきた。
矢部は雑居ビルの陰に身を潜めて、数人の警官をやり過ごした。彼は現在PDA(ID端末)を持っていない。PDAがなければ、不法滞在とみなされて厳罰に処せられるのがこの島の決まりだと聞いている。乗船していた船が、突然制御を失って、北地区最大の港町であるリモーアの市街地に座礁、そのまま炎上した。前代未聞の大事故の混乱に乗じて、彼は逃亡を図ったが、それは同時に船内で紛失したであろうPDAを取り戻す機会を失う事でもあった。このままでは、当局に身柄を抑えられるのも時間の問題だ。
一緒に乗船していた親友の大坂とは、昨夜の船上パーティーの会場で別れて以来、連絡を取っていない。正確には、船上パーティーの最中にPDAを紛失してしまい、連絡が取れないでいる。PDAの端末は電話としての通信機能がある。そして思い出されるのは、船内で接触した鮮やかなピンクのワンピースを着た女の子だ。PDAは彼女に盗られた可能性が高いのだが、彼女が今どこにいるのか、この混乱では知る由もない。
「おい!」
突然、後ろから腕を掴まれる。
「おい!」
男は、強い語気でもう一度言うと、矢部の腕をぐいと締め上げた。
「いでででで! 痛いでやんす」
「やっと気が付いたか、貴様も逃げる身ならば、周りへの警戒を怠るな」
「痛い痛い痛い! 放すでやんす」
「大声を出すな! 名前は?」
「矢部明雄でやんす! 痛いでやんす!」
男に腕を解放されると、矢部は表通りに出て大袈裟に石畳の地面に転がり、のたうち回った。
「おまわりさ~ん! 暴力でやんす! 助けるでやんす!」
「馬鹿か貴様は!」
男は再び矢部の腕を掴むと、路地裏へと引き戻した。
「捕まりたいのか!」
男はリモーア市内を巡回する警官と良く似ている様な身なりだったが、それは似ているだけだ。彼は警官ではない。彼は抵抗を続ける矢部の鳩尾に一発極めると、彼を担いで路地の奥へと消えていった。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
男のアパートは雑然と散らかっている。独身男の一人暮らしなんて、誰だってこんなものだと思う。パソコンデスクの上には読みかけの本と、飲みかけの薬と、数週間洗ってないコーヒーカップがそれぞれの領土を確保していた。男は自身のPDAとパソコンをケーブルで繋ぐと、深く深呼吸をする。パソコンを起動すると、お互いの端末が同期を始めた。
矢部と名乗った青年は、案の定PDAを持っていなかった。しかし、間違いなく本名だろう。あの刹那で偽名を使う男にはとても見えない。彼は、玄関先でまだぐったりと眠ったままだ。この青年を含めて、今回招待された選手のデータは、本部のバンクに登録されているから、本部のパソコンにアクセスすれば彼の身元を特定できる。
男は、自分のパソコンを本部のネットワークに接続して、慣れた手つきでパスワードを通す。警備部門と管理部門の一部の人間しか知らないパスワードだ。
続いて、矢部明雄なる人物のIDを調べて自分の端末に登録する。そして、そのまま所在地を検索にかける。今は、本部の仕事熱心な人間がシステムへの不正なアクセスに気が付いて妙なプロテクションをかけない事を祈るだけだ。
男は、さらにチャド・ポートランドと橘みずきのIDも検索にかけたが、それらは生憎ヒットしなかった。男は不審に思い、顎の無精髭をさする。
「おかしいなぁ……」
リモーアの中心街から3丁目にあるこの男の自宅付近は、緊急避難地域に指定されていて、町はとても静かだった。一度だけ、中心街に向かってけたたましいサイレンを鳴らしながら緊急車両が表通りを駆け抜けていったが、その時以外は、廃墟のように静まり返っていた。
男はケーブルからPDAを引き抜いて、先程取得したIDを連絡先に登録した。やはり、この青年に間違いない。そのまま現在地を検索にかけると、表示された地図の赤いポイントが市街地を南に向かって移動しているのがわかる。今ある唯一の手がかりは、まだそれ程遠くへは行っていないが、駅に向かっているようだ。やはり急がねばならないようだ。
「ここは、どこでやんすか?」
気の毒な青年が、ようやく目を覚ましたようだ。
「港通り3丁目だ。残念だな、青年。君のPDAは今、誰かの手に渡り、どこかに向けて移動中だ。PDAは指紋による本人認証をクリアしないと電源が入らないから、位置情報も発信できないはずなんだが、どういう訳か今も発信が続いている」
分厚い牛乳瓶の底のようなメガネをかけた青年は、間の抜けた表情で辺りの様子を探っているらしいが、男は構わず続けた。
「今から、取り返しに行く。取り返した時に電源が入らないと困るから、付いてきてもらうぞ」
男の名前は茅野啓吾。セントラルバード号の警備主任だった男だ。今回の事故は、船内の厳重なセキュリティーを破られた事に端を発している。厳戒態勢で保管されていた「雷神バット」が何者かによって盗まれたのだ。そして、その深夜に船は暴走し、今朝の事故に至った。これらの出来事が無関係だとは考えにくい。
茅野は当然、これらの責を問われる事となる。しかし、とても言い逃れができる状況ではない。星5つレアアイテムの紛失は大会運営の根幹を揺るがす大失態である。一刻も早く、犯人を突き止めるしかないのだ。
「…と、その前にだ。君が、仲良くしていた青年が一人いたな。彼の名前を教えてくれないだろうか」
メガネの青年は、憮然とした表情で黙った。見ず知らずの人間に、友人の名を軽々しく喋るほどバカではないらしい。しかし、目の前の人間が、自分にとって有益か否かを見極める賢さはないようだ。茅野は言葉を続けた。
「俺は、セントラルバード号警備主任の茅野だ。今から、君の友人の居場所を調べてやる」
再会したいはずだ。しかし、好条件すぎるだろうか。無闇に疑われて、情報を引き出せなければ元も子もない。
「大坂小波でやんす」
茅野は、キーボードを叩いた。しかし検索にヒットしない。間もなく、不正アクセスに対する警告画面がデスクトップのモニターに映し出された。これで、お尋ね者確定だ。
「大坂の坂は大阪府の阪じゃないでやんす。坂道の坂でやんす」
「ちっ、もうバレたか……」
「どうしたでやんすか?」
「時間がない。行くぞ」
ここは茅野の自宅だ。逆探知などせずともアクセス元が特定されただろう。
「待つでやんす!」
「何だ」
「船に戻るでやんす!」
「断る。時間がない」
「嫌でやんす。ガンダーロボ限定フィギアを置いてきてしまったでやんす! シリアルナンバー入りでやんす! 命よりも大事なものでやんす」
「吹けば飛ぶような命なんだな。諦めろ」
茅野は強引に矢部の腕を振り払おうとしたが、矢部は放さない。
「オイラ……オイラ……!!」
「鬱陶しいな。ガキじゃねぇんだ」
「オイラ、まだ死にたくないでやんす! 死ぬ前に好きな女の子とあんな事やこんな事だってヤッてみたいでやんす! でも、あのフィギアも手放せないでやんす!」
どっちかにしてくれ。リスクが大きすぎる。しかし、今、目の前でハリウッド女優級の涙を見せるメガネに事情を説明した所で理解できるとは思えなかった。
「男がそんな顔するんじゃねぇよ――」
――気持ち悪い。という言葉を茅野は慌てて飲み込んだ。近頃は口が悪くなっていけない。箪笥の引き出しを開けるとタオルハンカチを1枚取り出した。
「わかった。君の宝物は、俺の同僚に頼んで責任を持って回収させる。時期が来たら、必ず君に返そう。これでいいな?」
さすがに、船に戻れば当局に捕まる事くらいは理解しているらしい。とはいえ、彼の心を絶ち切るにはもうひと押し必要だろうか。茅野は一芝居打つことにした。PDAの電話帳をめくり“かつての”同僚に電話した。呼び出し音が鳴る。1回、2回……
「もしもし、原村か?」
『ちょっ、啓吾!? みんなあなたを探してるわよ?』
「うん、あぁ、すまない。迷惑をかける」
茅野は矢部を促して部屋を出た。アパートの階段を降りながら会話を続ける。
「違うんだ、聞いてくれ」
甲高い声に紛れて、彼女のオフィスの喧騒が聞こえてくる。茅野を取り巻く状況はあまり良くないらしいが、彼女は今すぐ現場に戻るように提案してきた。
「悪いが、それはできない。だが、信じてほしい」
同期で入社した2つ歳下の女は、これ以上、茅野を引き留める事はしなかった。
「今は言えない。でも、ひとつだけ頼まれてくれないか?」
少しの間を置いて、かつての交際相手は彼の要求をのんだ。茅野は原村に簡単に礼を述べると、船室のどこかにあるガンダーロボと言うおもちゃのフィギアを回収して欲しいと告げた。
「そうだ。それを俺が戻るまで預かっておいてくれないか?」
彼女は電話越しに頓狂な声をあげている。
「それはわからない」
アパートの小さなエントランスを抜けると、大通りへと続く路地を走りはじめる。
「本当にすまない。切るぞ!」
茅野は大通りまで全力で走った。途中何度か振り返ったが、ドンくさそうな青年はしっかりと後を付いてきている。息が上がっている様子もない。少々見くびっていただろうか。大通りに出ると、驚くほど良いタイミングでタクシーが通りかかった。すかさずそれを捕まえると、矢部と共に乗り込んだ。
「新リモーア駅」
「あいよ」
朝から何度も往復しているルートなのだろう。運転手は無表情でハンドルを回しはじめた。
見慣れた街の景色が通り過ぎていく。目を閉じると、暗闇に浮かぶ2つの蛍光オレンジが波に煽られて遠ざかっていく様が思い出された。忌々しい光景だ。彼の悪夢は、ここから始まったのだ。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
船がコントロールを失ってから3時間後。外部との通信もできず、打つ手がなかった。このままでは船は港に衝突してしまう。市街地への被害も甚大なものとなるだろう。非常用の発炎筒や信号弾も何者かに持ち出され、緊急事態を外部に知らせる術もなかった。お飾りのような緊急時用の救命艇では暴走する船のスピードを追い越せるはずもなく、女性と年配の参加者と数名のベテラン従業員だけを避難させる事で手一杯だった。
翌早朝、息の詰まるような衝撃と共に船が止まると、混乱に乗じて茅野は船を降りた。そして間もなく、予めカメラでチェックしておいた青年を発見すると、彼の後を追いかけた。ポートランドと一緒に海に飛び込んだ何者かと行動を共にしていた青年である。特徴的な分厚いメガネをかけていたので、すぐに彼とわかった。しかし、下船してからの彼の様子がおかしい。他の乗客が、近くの警官や消防士のもとにイの一番に保護を求めているのに対して、メガネの青年は人目をはばかるように建物の影へと消えていく。それでもなお、誰かを探しているようだ。「あいにく、君の連れは今頃、太平洋の海の中だよ」と茅野は心の中で呟いた。それにしても、連絡を取りたければPDA端末を使えばよいものを。そして、茅野はある事に思い至った。
彼は、事情はわからないが、この混乱でIDを紛失したのだ。当局にも出頭するわけにはいかないし、友人にも連絡が取れないでいるのだ。そして、橘みずきがまんまと厳重なIDチェックを逃れた事にもこれで合点がいく。しかし、もしそうだとすると事態は厄介な方向に進んでいる事になる。
そもそも、招待選手がPDAを紛失するなんていったいどういう了見なんだ!?
にわかによぎる苛立ちと共に、茅野はメガネの彼に声をかけた。