ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
大坂はもともと球種やコースの得手不得手によるムラが少ない選手だった。同様に、調子の好不調による波も少ない安定感のある選手でもあった。そんな大坂だったが、高校時代にただ1試合だけ調子を大きく崩した試合があった。
3年生の夏の埼玉県大会予選の2回戦。対戦相手は地域最凶のヤンキー高校として名を轟かせていた極亜久商業高校。この時、応援団に紛れ込んだ極亜久商業の工作員が部員の弁当に毒を盛る事件(と言っても選手数名が食中毒を引き起こし体調不良を訴えるにとどまり、確かな証拠もなかったので表沙汰にはならなかった)があった。
球八高校ナインも例に漏れず甲子園出場を目標に掲げていたものの、強豪校ひしめく激選区埼玉を勝ち抜き、その頂点に立つことなどまだまだ射程圏外の頃の話である。
この試合、大坂は3番サードでの出場。慣れ親しんだショートのポジションを一年生に譲り、引退した元キャプテンの定位置へコンバートしての公式戦2戦目だった。ちなみに初戦は超格下のバス停前高校に5回コールド勝ちをしていた。
極亜久商業も格下だったが、荒井三兄弟をはじめとする機動力と亀田・水原などの中軸打線には定評があり、気を抜ける相手ではなかった。
この日は曇天の空に程よく風もあり、7月の埼玉県にしては比較的過ごしやすい天候だったと記憶している。とはいえ、埼玉は一部の地域を除くと海からも山からも離れた立地にあるため、夏場は関東圏でも屈指の猛暑地となる。試合が始まればその熱気は容赦なく高校球児たちに襲いかかっていたことであろう。
序盤は両先発投手の好投により膠着状態で展開していた。両チームともチャンスメイクに事欠かなかったが、両投手ともにピンチをよく凌いだ。そして、その均衡は5回表、極亜久商業の攻撃時に破られることとなった。この試合、初めてのエラーが球八高校に記録されたところからゲームが動き出した。一死一三塁で、4番亀田の打球はホットコーナー三塁を強襲した。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
“バシン!”
「ボールフォア! テイクワンベース」
初回、先頭の富士川はストレートの四球で出塁した。
「………」ルコフスクはミットに収まったボールを見つめて黙っていた。
調整が甘かったのだろう。ロボは本来のパフォーマンスを発揮できていないようだ。しかし、最終調整を行った矢部を責めることも出来ない。それだけ、マウンドの状態は投手のピッチングを繊細に左右するものなのだ。もちろん、ピッチングの良し悪しをマウンドの所為にする投手は三流だが、その僅かな違いを、短い投球練習の時間に修正する事は人間だってなかなか上手くいくものではない。無理矢理に修正を試みてフォームを崩してしまうことさえある。
さて、この状況に及んでロボのスペックは如何なものか。ロボはマウンドの状況に合わせて自分の投球を修正していくのだろうか。それだけの繊細なパフォーマンスが彼に可能なのだろうか。手探りのまま、ルコフスクのリードが続く。
2番の磐田が打席に入った。彼はセオリー通りバントの構えだ。ここは素直に送らせて、アウトを1つもらうとしよう。ここまでの4球の間にルコフスクはロボが持つ致命傷と言うべき癖を発見していた。しかし、その癖さえわかればそれを逆手にとってリードすればいい。彼のピッチングは右打者から見てボール1〜数個分内角に制球される。ならば、欲しいコースよりも、少し外側に構えればいいだけ。ルコフスクはインコース、やや甘いゾーンにミットを構えた。
球場の静寂にロボのボーターが駆動する音が響いて、オーソドックスなオーバーハンドから初球が投じられた。しかし、ロボの初球は激甘のインコース。ボールがシュート回転しながら、ど真ん中へと流れていくコースだ。要求通りだったが、思惑の外れたルコフスクは小さな声で悪態をついた。
「ガッデム!」
そして、これを見逃すほど磐田も甘くはなかった。磐田はスッとバットを引くと上から叩きつけた。バスターエンドランの形になる。
“カーン!”
高いバウンドがショート正面へ飛んでいく。一塁ランナーはスタートを切っているが、エンドランにしてはスタートが悪い。併殺が狙えると大坂は判断した。ショートバウンドにはグラブは届かないが、次のバウンドを待っていてはセカンドフォースアウトは無理だ。大坂は前に出てハーフバウンドのタイミングで捕球した。ハーフバウンドは最も捕球が難しいタイミングだ。打球は、サード方向に大きくイレギュラーしていたが、それも想定の範囲内と言わんばかりに大坂は華麗にグラブを捻ると、ダンサーのように身を翻して二塁へ転送した……。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
3年前の極亜久商業戦。試合は5回表に動き出す。一死一三塁、打席には4番の亀田。内野は併殺を意識した中間守備。
“カキィン!”
そして、痛烈なゴロが定位置よりも前進しているサード正面を強襲した。地を這うような打球は直前でポンと跳ね上がり、大坂はグラブでつかみ損ねてしまったが、打球は胸元でしっかりと受け止めていた。
「2つ! 間に合う!」
高校生とは思えない気迫の声でキャッチャーの指示がかかり、セカンドがベースカバーに入る。大坂も決して焦ったわけではなかった。落ち着いてボールを拾い上げる。念のため握り直しても、タイミングはまだ余裕がある。しかし、不意に訪れた刺すような胃の痛みに大坂は耐えられなかった。
「……!」
ボールは二塁手のはるか頭上を飛び越えて外野グランドを転々としていく。その間に走者2人が生還して球八高校は2点を失った。
◆ ◆ ◆ ◇ ◇
……難しいバウンドに華麗に合わせた直後、刺すような胃の痛みが大坂に襲いかかった。全身の血の気が引いて、指先に力が入らない。守備位置こそ違えど、あの時をなぞるような暴投に永瀬のジャンプも及ばない。ボールはセカンド後方の砂地に埋まって動きを止めた。
一塁走者の富士川は逸れる送球を見て迷わず三塁を狙ったが、砂地に埋まったボールをすぐに拾う右手があった。
「甘いでやんす!」
走り込んだ矢部は勢いをそのままにステップを踏むと、三塁目掛けて矢のような送球を放つ。滑り込むランナーのすぐ隣をすり抜けたボールが井伏のグラブに収まる。そのグラブに滑り込んできたランナーの右足が触れて、井伏は左手のグラブを高く上に掲げた。
「アウトォ!」
「ナイスセンター!」井伏は矢部の素早いバックアップを称賛すると、ショート定位置付近で膝に手を当てて俯向く大坂に近寄って声をかけた。「どうした? 顔色悪いぞ?」
「まだ、気分が優れないみたいで……」
「そうか。辛いだろうが、今は弱みを見せない方がいい。後で永瀬に診てもらえ」
「はい、そうですね……」
そうは言っても大エラーの直後である。フェニックスの中軸はショート大坂を狙って強烈なゴロを立て続けにお見舞いした。ろくに整備されていない土と砂のグラウンドはボールを不規則に弾ませて、どれも不自然な軌道を描いていたが大坂はそれでも喰らい付いた。
一死一塁から3番浜松ショートゴロ、4番清水ショートゴロ。
早くも砂まみれのユニフォームを払いながら大坂はベンチへ戻ると、フェニックスベンチから死角になる岩陰に永瀬に連れられて消えていった。
「凄いなぁ、よくあんな無茶苦茶な打球に反応できるね」永瀬はただただ純粋に大坂の好守に驚嘆していた。同じ内野手だからこそわかる。球際の粘り強いグラブ捌きや絶妙なジャンプのタイミング感に改めて大坂の野球センスを感じていた。「……ってか、相当具合悪そうだね」
「永瀬さん。最初はただの車酔いだと思ってたんです……」
「僕もそう思って油断してたよ。何か心当たりでもあるのかい?」
「えぇ、実は……」
大坂はカオスシティのカフェ『Giants Star』での出来事を話した。
「そうだな。確かに、みずきちゃんも具合が悪そうだ」
「もしかして、気付いてたんですか?」
「僕を誰だと思っているんだい? こう見えてもフロッグスの元チームドクターだよ。だけど、その話が本当ならば、大坂くんとみずきちゃんは出井というスコアラーに毒を盛られたということになるな」
「何とか、なりませんか?」
「解毒剤があれば、すぐに楽になると思うけど」
「じゃあ、すぐにそれを……」
「あいにくだけど、調剤道具一式はトレーラーに置きっぱなしなんだ」
「なら、加藤先生に持ってきてもらいましょう」
「いいのかい? それだと夏苗ちゃんを一人にしてしまうよ」
「……!」
「それに、こっちも控えはみずきちゃんだけだ。具合の悪い彼女を炎天下の中お遣いに出すのも考えものだ。まずは監督代行に訊いてみよう。話はそれからだ」
大坂と永瀬がベンチに戻ると、ガッテムがカラカラとバットを引きずりながら打席から戻ってくるところだった。大坂は無理な笑みを浮かべてガッテムに尋ねた。
「あれ? ガッテムさんもう終わりですか?」
「私デモ 打チソンジルコトアリマス」
二人は苦笑して顔を見合わせると、井伏監督代行の姿を探した。彼はベンチの端でルコフスクと真剣な表情で何やら話をしている。周囲には聞こえないように声を潜めている様子で、少し近寄りづらかったが、会話の内容は聞き取ることができた。
「……吾輩のグラヴィティーゾーンを力任せに押しのけてまで砂を操っている。きっと腕の立つ術者がいるに違いない」
「徹底したゴロ打ちと不規則なバウンド。狙いは恐らく我々の失策だろうな……確かに、フェニックスの対戦相手は極端にエラーが多い」
井伏は自身のPDFを指先で撫でながら南地区の公式戦の記録を検索している。
「これ以上吾輩の重力を大きくすると、砂が重くなって選手の足腰に負担が掛かってしまう。かと言って力を緩めればフェニックスのやりたい放題だろう。如何致す?」
「う〜ん。あんな出鱈目なバウンドをまともに処理できるのは大坂君くらいなものだが、これ以上砂を重くすれば、身動きが取れなくなってしまうだろう。今は下手に動かない方がいいかも知れないな。まずは、術者がわかればいいんだが……」
「ムムゥ。それは、吾輩も思念していたところである」
「あのう……」そこに大坂と永瀬が現れた。
ガッテムがセカンドゴロに倒れると、一死走者なしで佐賀の打席となった。相手投手の水田ポポは左の速球派で、大きなくくりでは菅野と似たようなタイプだ。しかし、長身の菅野のような上から角度をつけて投げ降ろすタイプではなく、球速でもやや劣るため、水田の方がくみしやすいと予想していたのだが、その予想はすぐに誤りだったと思い知らされる。
水田の武器は150km/hを数える球速などではない。異常なほどに精密なコントロールだ。アウトロー、そしてインハイ、教科書通りの揺さぶりが効果的に展開して、佐賀もあっという間に追い込まれた。ここまで、矢部を除いて全員が2ストライクから臭いコースのボール球を打たされている。つまり、次は厳しいコース。
一般に追い込んだピッチャーはストライクは要らないが、追い込まれた打者はボール球が来るなどと決めつける事はできない。あっという間に投手有利のカウントが出来上がった。
水田が右足を高く上げると、スパイクの刃先からサラサラとマウンドの土がこぼれ落ちて、風になびいて消えていく。胸元に構えたグラブをゆっくりと身体に押し付けながらの第3球を投じられた。
そして、水田の第3球はボールは佐賀の打ち気をあざ笑うかのような……チェンジアップ!
もちろん、膝元のギリギリのストライクだ。
タイミングを外された佐賀は当てるので精一杯だ。
“コツン!”
三塁線をボテボテのゴロが転がる。佐賀はがっくりと肩を落として一塁へと走りだしたが、サード浜松の守備範囲内だ。浜松が難なく打球を処理して2アウト。
「ガハハハ! ついに吾輩の出番である」
両手で持ったバットを高々と掲げながら、上半身裸の男が右打席に入った。そのままバットを振り回すように僧帽筋や広背筋をストレッチするとぐりんぐりんとおよそ野球に必要とは思えない筋肉群が躍動して、彼は満足気にバットを立てて構えた。
ルコフスクはフットレイクスのエースピッチャーではあったが打撃にも定評がある。打率こそ3割に及ばないが、調子が良ければレイクサイドスタジアムの上段まで打球を飛ばすほどの実力者だ。
水田の初球はアウトコースのフォークボール。きっちりストライクからボールになるように制球されていた。打ち気満々のルコフスクは、これを強振して空振り。ノーボール1ストライク。
「ムムゥ……なかなかやるではないか」
水田の第2球は高めの釣り球。さすがにルコフスクもこれは見定めて1ボール1ストライク。
この時、ルコフスクには予感めいたものがあった。1番矢部から5番佐賀まで、形はどうあれ全て内野ゴロに打ち取られている。佐賀を打ち取ったチェンジアップや、さっきのフォークボールといい内野ゴロを打たせるにはとても有効な球種である。つまり、バッテリーが意図して内野ゴロを打たせているのではないかという予感だ。
データのない一巡目とはいえ、ガッテムや佐賀といった実力のある打者が打ち取られている。ここは無理に抗うのではなく、敵の戦術に身を委ねてみようではないか。
水田の第3球はコーナーを丁寧につくアウトローの直球。素晴らしいコースだ。手を出しても凡打になるのがオチだろう。1ボール2ストライク。追い込まれてルコフスクは次の投球に狙いを絞る。水田の第4球はインコース。ストライクともボールともつかない臭いコースだったが、ルコフスクのスウィングに迷いはなかった。腕を畳んでの軽打だったが、それでも鋭い打球がショートの左方に転がっていく。
普通のショートであれば守備範囲内だ。しかし、ルコフスクはショート方向に左手をかざすと遊撃手ギャネンドラの足元にグラヴィティーゾーンを展開する。彼の足元の砂が枷のようにスパイクにまとわり付いて彼の身動きを封じると、砂に足を取られたギャネンドラはよろめいて動きを封じられた。その間も打球は地面を弾み転がっていく。
足を取られたギャネンドラが打球に追いつけないと誰もが思ったその時、打球が突然イレギュラーバウンドしてギャネンドラの正面へと舞い戻ってきた。
『……!』
フロッグスナインの誰もが目を疑った。いや、偶然の仕業か。ショート定位置付近は大坂が再三にわたりイレギュラーバウンドに苦しめられたばかりだ。
まさかのラッキーバウンドにギャネンドラも重い足元に耐えて身を捩ると、よろめきながらも何とか一塁へと送球した。投球後、彼は膝に手をついて呼吸を整えた。頭にきつく巻かれたターバンが揺れている。
“パァンッ!”
「アウト!」
ルコフスクの必死の走塁も及ばす、送球は一塁手清水のミットに収まった。3アウトチェンジ。2回表、フロッグスは三者凡退に終わり無得点。0対0。試合はまだ序盤であるが、お互いの強かな鍔迫り合いはもう既に始まっている。