ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~   作:マリリンマンション

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Advantage and Disadvantage

 一塁側ベンチの日陰に腰掛けた出井は、悔しそうにグランド上の一点から視線をスコアブックに移してショートゴロを記録した。シャープペンを握る白く細い指先に真紅のマニキュアが妖艶に光って、かすかに震えている。思い通りにいかない試合展開への苛立ちもあったが、それよりも、思いがけない好敵手の出現によって闘争心が掻き立てられているのだ。

 

「あの裸の6番、ルコフスクと言ったわね。まさかとは思ったけど、あの術は間違いない。でも、フットレイクスのエースピッチャーがどうしてこんな所にいるの? しかも、キャッチャーで出場だなんて……」

 

 視線の先にはプロテクターもなしにロボの投球練習を受けるルコフスクの姿がある。強いフィジカルに強い肩、キャッチャーとしての資質は十分に備えていると言っていいだろう。正捕手不在のフロッグスには悪くない補強だ。しかし、フットレイクスにも正捕手はいたはずだ。なぜ、彼ではなくルコフスクを選んだのか。ひとつの答えは、すでに出ていた。

 

「道理で、私の術が効かないわけね……」

 

 出井はベンチの奥で人知れず納得して頷いた。シャープペンを小さいテーブルの上にそっと置いて腕を組むと、彼女の豊満なバストがユニフォームの中で大きくたわみ胸元のボタンをキツく締め上げた。続けざまに、彼女が両腕を高く上げて伸び上がると、ベルトで締められた細いウエストとの対比がより一層彼女の悩ましい曲線美を強調した。ベンチの注目は既に彼女に集まっていたが、彼女はパンパンとふたつ手拍子を打った。そして、艶やかに伸びた黒髪をゆっくりと掻き上げるとチームメイトに告げた。

 

「この試合、あまり派手に砂を動かせないわ。何せ、主審は運営本部の茅野だからね。予想通りチェックが厳しい。加えてキャッチャーのルコフスクがグラヴィティーゾーンで砂を重くしているから、私の魔導術もかなりの制約を受けているの。今日はあまりみんなのバッティングを援護できないけど、必ず突破口はあるはず。何としても先制点、お願いね」

「姉さん。言われなくても、そのつもりですよ」打席には、5番の掛川が向かう。「まあ、見ていてください……」

 掛川は、よく日に焼けた肌に短い白髪頭の似合う退役軍人のような風格のある男だ。チーム最年長だが、長打力でも若い選手にも負けない実力を彼は備えている。彼は厳つい顔を綻ばせると、白い歯を見せて笑ってみせた。

 

 

◆  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 その頃、マウンドでは菅野と矢部が投球練習の合間でロボの調整を行っていた。

 

“パシン!”

 

「おい、矢部よ。このままだと、こいつがフェニックス打線に捕まるのも時間の問題だぞ」

「わかってるでやんす!」

「コントロールはイマイチ、球速もそこそこ、変化球は初期設定のレベル1フォークだけだ。こんなのが実戦で通用するとはとても思えない」

「だから、今ダウンロードしているでやんす」

「ダウンロード?」

「OSを書き換えているでやんす」

「おいおい、何の話だ?」

「オイラ色々調べたでやんす。このロボが作られたのは10年以上も前でやんす。このロボは10年以上も前のソフトウェアーで動いていたでやんす。だけど、オイラが組み込んだ部品には最近のものもあるでやんす。古いOSでは、新しい部品の性能に対応できていないでやんす。すまり、ロボはまだ真の実力を発揮できていないでやんす」

「そうか。で、そのオーエスの書き換えとやらが終われば、球速は上がるのか? 何か変化球でも覚えるのか?」

「今ダウンロードしているのは無料の体験版ソフトでやんすから、球速はそのままだし、変化球も覚えないでやんす。強いて言えば、ちょっとコントロールが良くなる程度でやんす」

「ハァ!? 大して変わらないじゃないか!!」

「ぼ、暴力は反対でやんす!」

 

 菅野は一度振り上げた腕を矢部の頭上で一旦停止させた。

 

「……いや、待てよ。無料体験版って事は有料の製品版もあるんだよな」

「もちろんでやんす。最新ソフトには期間限定でレベル6高速スライダーのパッチも付いてお買得でやんす。更にメーカーの無料メンテナンス保証が100イニングも付帯しているでやんす」

「だったら、早速そいつを落とそうぜ」

「それはできないでやんす」

「何で?」

「先立つものがないでやんす」

「…………あっ」

 

 菅野はカオスシティのジャンク屋で矢部が一文無しになっていたことを思い出した。

 

「菅野さんが立て替えてくれるなら話は別でやんす」

「ほほう。いくらなんだ?」

「10万ペラでやんす!」

「そんなにするのかよっ!? 俺だって、持ち合わせねーよ!」

「高性能の最新機種は1億ペラ以上で取引されているでやんす。野球ロボットなんて、所詮は金持ちの道楽でやんす。オイラ達貧乏人に手が出せる物ではないみたいでやんす」

「マジか……」

「でも、がっかりするのはまだ早いでやんす。OSさえ書き換えてしまえば、比較的安価な海賊版アップデートである程度はスペックの向上が見込めるでやんす。ふっふっふ、でやんす」

「お前、そんな情報いつの間に……」

「おいらの情報収集能力を侮ってもらっては困るでやんす」

 

「ボールバック!」

 

「まあ、今更うだうだ言っても仕方ないか。矢部、いくぞ」

「言われなくても行くでやんす!」

 

 ロボの最終投球は今度はワンバウンドとなってルコフスクは捕り損ねてしまう。足元に落ちた砂まみれのボールを太もものユニフォームでぬぐうと、ルコフスクは矢のような送球をセカンドへ丁寧に送球した。わずかにホップするボールを大坂が中腰で受けると、ベースタッチしてそのままサードの井伏へ。ボールは井伏から再び大坂へ戻り、今度はセカンド永瀬へ。かなり一塁寄りで捕球した永瀬がファーストのガッテムへトスを上げると、ガッテムはそれを素手で掴んで山なりのボールをマウンド上のロボに返した。

 その頃には、矢部と菅野も定位置までたどり着いていた。

 

「……ところで、アップデートはいつ終わるんだ?」

「う〜ん。実は試合開始からやってるでやんすけど、この辺りは電波状況があまり良くないみたいでやんす。メーカー推奨の通信環境には程遠いでやんす」

「……後どのくらいかかるんだ?」

「実は、まだ半分も終わってないでやんす」

 

 矢部はPDAの液晶を菅野の方に向けた。

 

「ハァ? このゲージちっとも進まねぇじゃねぇか!」

「オイラに当たらないで欲しいでやんす! オイラもいい加減イライラしてきたでやんす! ムキー!」

 

 

◆  ◆  ◇  ◇  ◇

 

 

 2回ウラ、フェニックスの打線は5番掛川から。ロボの制球はぐらぐらで、ストライクとボールのハッキリとした投球になったものの、制球に苦しむロボに対して打者の対応は慎重なものとなった。これはダウンロードの完了を待つバッテリーとしては好都合だ。投球と投球の間合いを充分に取って、なるべく多くの時間を稼ぐ。

 しかし、フォアボールを出すわけにいかないから、最後は結局甘い球にならざるを得ない。

 

“カキン!”

 

 思い切りよく引っ張った打球がサードを強襲する。ライン際、抜けたら長打コース。井伏が横っ飛びで打球を抑えると、すぐに起き上がって一塁への送球。やや短い送球が本塁側に逸れたが、ガッテムがこれをショートバウンドで難なくすくい上げる。1アウト。

 打席には6番ギャネンドラが入った。

 

 

 ギャネンドラは初回の大坂の守備を見ていた。迷いのない一歩目を踏み出す野生動物のような鋭い打球判断、積み重ねた努力の跡がうかがえる確かな捕球技術、送球のエラーこそあったが同じ遊撃手だからこそわかる彼の総合的な守備能力の高さ。これだけの選手が今まで頭角を顕せていなかったのが不思議なくらいだ。守備はある日突然能力が開花することはまずない。彼が今日までに積み重ねてきた努力が、中途半端な代物でないことはギャネンドラにはすぐに理解できた。

 三塁手井伏はどうか。彼はここ十数年来のフロッグスの中心選手だ。成績不振の東地区の田舎球団とはいえ、魔導術がないからこそ求められる純粋な野球人としてのスキル。そのスキルが偽りではないことは、先ほどの三塁線の打球反応を見れば明らかだ。

 そして、一塁手ガッテムもなかなかの手練れだ。いつイレギュラーが起こるかもわからないこのグランドコンディションの中で、ベースから大きく離れたショートバウンドを長い手足を伸ばして軽々とすくい上げた。内野手として、これほど投げやすい一塁手はいないだろう。

 消去法だが、内野に穴があるとすれば二塁手の永瀬だけだ。彼は怪我で長期間戦列を離れていた選手だ。メンバーが足りないにも関わらず欠場を続けていた彼のことだ、何も問題を抱えていないはずはないだろう。突破口が存在するとすれば自ずと見えて来るものだ。

 ロボの制球が不安定な今のうちに、……叩く!

 

 3ボール1ストライクからの4球目。ギャネンドラの打球は一二塁間への痛烈なゴロ。当たりこそ鋭かったが打球の勢いは砂に吸収されて永瀬が深い位置で回りこむ。臍の下で丁寧に打球を掴むと軽快にステップを踏んで、永瀬が一塁へと送球の構えをした。

 

 ビリッ!

 

 何かが破断したような緊張感がフロッグス内野陣に共鳴した。発信源はセカンド永瀬だ。これまで、全く予期していなかったわけではない。永瀬が肘を痛めて戦列を離れていた事は知っていたし、加藤の治療があったとはいえ、再三のボール回しを何となくファーストガッテムに近い位置でやり続けていたのも事実だ。ちょっと長い距離の送球でも、彼は頑なにサイド気味のスナップスローで対処していた。ただ、そういうプレイスタイルの選手もいる。重く受け止めることはない。知らず知らずのうちに、誰もがそうやって意識の隅へと受け入れがたい事実を遠ざけていた。そんな積み重なった小さな、取るに足らないような予兆の数々がフラッシュバックして、それらの記憶のつながりがビリッビリッと音を立てて破断した。

 

「……!」

 

 永瀬の肘は完治していなかったのだ。ボールは永瀬と一塁の中間あたりでボフッと埋まり、砂の中に消えた。

 送球に自信がなければ、ワンバウンドでも確実に送球することは選択肢としては是だ。しかし、今は違う。ここはフェニックスが用意した名もなき扇型の窪地なのだ。今までも不可解なイレギュラーバウンドが野手たちを苦しめてきたのだ。なるべくであれば、接地しない送球が望ましい場面………!

 

 ギャネンドラは一塁ベースを勢い良く蹴り上げ二塁を目指す。俊足だ!

 

「止まれ! ギャネンドラ!」

 

 一塁を大きく回ったところで、ギャネンドラは背後の一塁ベンチから身を乗り出す水田に呼び止められた。ギャネンドラもハッとした表情で、慌てて一塁に帰塁する。

 

「忘れたのか! ルコフスクのグラヴィティーゾーンを!!」

 

 

◆  ◆  ◆  ◇  ◇

 

 

 この球場の魔力の循環は特殊な構造故に、広範囲に及ぶようになっている。一般に魔導術は特殊な呪具や術式がない限りは術者に近ければ近いほど強力になり、一方で遠く離れると魔力が弱まり、その効果も薄れるというのが理屈である。つまり、離れたところで大きな力を発揮させるには熟練と、それに相応しい強い魔力が必要となる。

 しかし、この扇型の窪地では状況が異なる。どういうわけか、砂上に引かれた一塁線や三塁線のラインが魔力の伝導性に優れており、それに挟まれたフェアーグラウンドでは実際よりも容易に能力の解放ができるのだ。また、ファースト、セカンド、サード、ホームの各ベースも簡易な魔力誘引スポットとなっていて熟練の術者であればこれらを中継スポットとしてより遠方での魔導術の展開も可能になるという魔導力学的には比較的高度な構造になっているのだ。

 特に、フロッグスの守備の間はホームベース、一塁線、三塁線の三ヶ所がルコフスクの直接の支配下に置かれるために、フェアーグランド内はルコフスクのグラヴィティーゾーンが主導権を握っていた。

 水田がギャネンドラの進塁を止めたのはその為だ。

 

 ルコフスクは初回の守備からこの球場の魔力循環の構造に気がついていたし、この構造こそがベンチの奥からでも出井の魔導術が効き及ぶ要因でもあったのだ。出井の魔導術は一塁ベースを起点として展開していたが、ルコフスクがホームベースで「壁」となり魔力の伝導を押さえつけているため、出井の魔導術が球場全体を支配することはなかった。

 出井の魔導術が偶然で説明のつくイレギュラー程度に収まっているのはその為だ。9回まで、出井がこのまま手を拱いているとも思えないが、今の所は力は拮抗していると言っていいだろう。だからこそ、試合そのものの主導権をみすみす与えるわけにはいかない。

 

 打席には7番の服部が登場した。

 ロボはクイックモーションなんて気の利いた事は出来ないが、一二塁間に強力なグラヴィティーゾーンを展開して盗塁を封じている。しかし、一度打球が飛べば永瀬の守備があるから、このグラヴィティーゾーンは直前に解除しなければならない。ギャネンドラの走塁は、通常と変わらないものとなる。状況判断が難しいところだ。

 

 一死一塁から、服部の打球は一二塁間への痛烈なグランダー。カウント2ボール1ストライクから甘く入った4球目だった。ロボには打者と駆け引きするコントロールも、打者を確実に仕留めるウィニングショットも存在しないから、内野守備の弱点を狙う打撃を容易に許してしまう。

 しかし、フロッグスの内野陣も二度同じ手を食わない。ファーストのガッテムが大きな体を横に投げ出すと、長いファーストミットの先端で打球を叩き落とした。地面に転がる打球を、その体格に似つかわしくない俊敏な動作で拾い上げて二塁ベースカバーの大坂に転送、大坂から一塁ベースカバーのロボにボールが渡って3−6−1のダブルプレーが完成した。

 

 2回ウラを終えて0−0。ロボのピッチングと永瀬の守備に不安があるものの、ルコフスクが球場の特性を逆手にとってフロッグス有利に見える展開。しかし、フロッグスナインは水田の卓越した投球術にまだ気がついていない。

 3回表の攻撃は7番菅野から始まる。

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