ドラフ島列伝 ~The last page of baseball legends chronicle~ 作:マリリンマンション
“ズバンッ!”
「ストライーク!」
カオスシティの西方にある扇形の窪地での試合は3回表、フロッグスの攻撃が始まる。この回先頭の菅野が左のバッターボックスに立つ。初球はアウトローのコーナーいっぱいに直球が決まりストライク。
“ズバンッ!”
「ストライーク! ツー!」
2球目も膝元いっぱいのストライク。ボール半個の誤差もない精密なコントロールに、たちまち菅野も追い込まれた。ノーボール2ストライク。
ここまでを狙って配球しているのだろうか。だとすれば、およそ人間業ではない。打者心理として、早いカウントでは厳しいコースのボールに手は出したくないものだ。無理に手を出して、それを凡打するくらいならば、いずれ来るであろう好球に狙いを定めているものだ。打撃が得意でない選手ならば四球だって狙うだろう。菅野もそんな一人だ。
そんな打者心理の隙をつく水田のピッチングは、ひとつの完成形といえる。しかし、それを実現できるのはほんの一握りの投手だけだ。理由は簡単である。なぜなら、投手のコントロールは100%カンペキではないからだ。日常生活で狙ったゴミ箱に紙くずが入らないように、常に狙ったコースに狙い通り投げることは容易ではない。それを一試合中一球狂わずやってのける為には、持って生まれた素質だとか、それを磨き上げる努力だけで説明できるものではないだろう。100球以上それを持続させる集中力とスタミナも必要である。
打者との駆け引きに負けない精神力、天候や体調などの運、他にもいろんなものが混ざって合わさって、その日のコンディションは形作られる。どんなにコントロールの優れたピッチャーでも人間である以上、どこかに失投は付きまとうものだ。それは打席に立つ菅野が一番よくわかっていた。
“バシンッ!”
「ボール!」
3球目は目線の高さに見せ球を織り混ぜる周到さだ。これをやられると、打者はどうしてもボールとの距離感がリセットされて、次の投球への対応が弱くなってしまう。
次の投球はどこだって構わない。つまり、何が来ても嫌だ。水田の第4球が、嫉妬する程のコントロールが菅野の膝元まで伸びてくる。インローの角一点を目掛けて、ブレることなく伸びてくる。
“キィィンッ!”
菅野は当てるのが精一杯だった。真上に詰まった打球が上がる。キャッチャーとファーストがファールグランドへ駆け出した。太陽光線がほとんど真上から差し込んできているが、さすがホームグラウンド。その対応は慣れたものだ。器用にミットで庇を作り、ファーストの清水がキャッチャーの御殿場を右手で制した。1アウト。
「いいようにやられたな」
ネクストサークルから出てきた井伏も苦笑いで水田の投球を称賛した。
「あんなん人間業じゃねぇよ! あの球速であのコントロールなんて不公平だろ」
「妬んでも始まらないさ。制球がいいなら、それを逆手に取ればいいだけだ」
「……!?」
「相手の配球を逆手に取るんだよ」
“カキーン!”
不敵な笑みを浮かべて井伏が打席に入ると、間もなく快音が響いたが、彼はサードへのハーフライナーに倒れた。菅野はすかさず喰ってかかった。
「おっさん! さっきの自信は何だったんだよ!」
「当たりは良かっただろ?」
「ヨレヨレのハーフライナーじゃねぇか!」
続いて打席にはロボが入る。菅野がネクストサークルへ向かう矢部を引き止めた。
「おい。あいつのバッティングってどうなんだ?」
「初期設定のままでやんす。多分、というか絶対に150km/hの球速には反応できないでやんす」
「そんくらい先にやっとけや!」
菅野が矢部をどつく間にロボはピッチャーゴロに倒れた。3アウトチェンジ。
◆ ◇ ◇ ◇ ◇
「友沢くん、その情報は確かなのかね?」
役員室の中央に立つ男は友沢と呼ばれた。友沢が頷くと、短く刈り整えられた金髪が揺れて、額に乗せたサングラスが蛍光灯を反射して虹色に光った。一流ホストクラブの人気ホストか、あるいは人気ヴィジュアルバンドのフロントマンのような美形で細身のブラックスーツがよく似合っている。一見すると軽薄そうな印象を受けるルックスだが、一度でも彼に接したことのある人間ならば彼の性格がそうではないことを知るはずだ。
「はい。間違いありません。南地区第二の都市、砂漠の街ジエンドの高級ホテルで現地の有力者が主催するパーティーが執り行われます」
友沢の対面にある革張りの役員席に深く腰を下ろしているのは神高龍だ。彼は若くして運営本部の幹部に上り詰めたエリートだが、彼の手腕に疑問を持つ人間も組織の中には少なくない。親の七光りとやっかむ声がその大半を占めるが、彼の功績のほとんどが右腕である友沢によるものと考える者も多いようだ。しかし、当の神高はそのような評判など意に介していないらしい。常に結果を求められる組織の中で、優秀な部下を従えて扱いこなすことも才覚の一つであろう。アッシュパープルの長髪をかき上げると、彼は節張った長い指を組んで頬杖をついた。
「なるほどね。パーティーは表向きのカモフラージュ、その内実は闇オークションというわけか」
「如何でしょう? 神高さんもパーティーに参加されては?」
「汚れた不正行為に手を貸すのは気が引けるが、敵の事情も知っておくのも悪くないかも知れない。……友沢くんは、どう考える」
「私も同意見です。百聞は一見にしかず。直接現地に赴き情報を収集することが、雷神バット奪還への最善策かと」
「わかった。いいだろう。早速、チケットを手配しておいてくれないか?」
「そう仰ると思いました。既に手配済みです。北地区のベンチャー投資ファンドの社長とその付き人という事にしてあります」
「なんで、身分を偽る必要がある? 運営本部の神高が行くと言えばそれで良いのではないか?」
「そんな事をすれば、警戒されてオークションが中止になってしまいます。オークションが中止になれば、せっかく掴んだ雷神バットの情報も無駄になってしまいます」
「そうか。なるほどな。……やはり、友沢くんは頼りになる」
「……それから、お伝えしておきたい情報がもう一つあります」
「何だ?」
「オークション出品者リストの中にピンク=パンサンという名前がありました」
「ピンク=パンサン!? 三才山隊長が言っていたアレか……」
「はい。雷神バット強奪の実行犯と思われます」
「ならば彼の身柄も取り押さえねばなるまい。良くやってくれた、友沢くん。この仕事が成功した時の報酬は存分に弾ませてもらうよ」
「ありがとうございます」
「ところで友沢くん。例の件については、考えてくれたかね?」
例の件、その言葉を耳にして友沢の愛想の良い表情がにわかに曇った。神高はそれに気がつかなかったようだが、友沢は曖昧な返事をして答えを先延ばしにした。友沢は深々と頭をさげるとセントラルタワー役員室を後にした。
◆ ◆ ◇ ◇ ◇
3回裏、フェニックスの攻撃は8番の御殿場から始まる。ベース近くにスクウェアスタンスを取り、188センチの長身をベースに覆いかぶせるように構える独特の構えだ。長いリーチを考えればアウトコースには投げにくい。まずはインコースで様子を見よう。と思わせるために、わざとインコースに隙を作る構えで誘っている場合があるから、初球はボール球でいい。ルコフスクは御殿場の膝下にミットを構えた。
“バシンッ!”
「ボール!」
ロボの初球は膝下に外れてボール。狙い通りのコースだが打者の御殿場に反応はない。インコースは眼中に無いのか、はたまたポーカーフェイスの食わせ者か、初球は捨てると決めている変わり者か。もう一球、様子を見たいが、あまりカウントを無駄にもできない。今度はインコース低めいっぱいにミットを構える。
“パシンッ!”
「ボール!」
コースは申し分なかったが、ボール1個分低い。ルコフスクは御殿場の様子をよく観察していたが、彼はロボの140km/h台中盤の球速にタイミングこそ合わせていたが、打ち気は見せなかった。ルコフスクの視線を感じた御殿場が口を開いた。
「自分が投げないと、随分と慎重になるんだな」
「吾輩が投げれば、一捻りなんだがな。ガハハ」
「噂通りの自信家だなぁ」
「ウチの4番以外にマトモに打たれた記憶がないものでね」
「オタクの4番もウチのエースには敵わないみたいだが?」
「侮らない方がいい。彼だけじゃないさ、このチームは強い。強いだけじゃない。いいチームだよ。吾輩も強いチームはたくさん見てきたが、いいチームにはなかなか無いものさ」
「何を言っているのかわからないが、とにかく、お手並み拝見させてもらいますよ」
“カキーン!!”
ロボの3球目は外角低めへのフォーク。空振りを誘うほどの大きな変化ではなかったが、御殿場は巧みに打ち返した。ピッチャーの右横を打球がすり抜ける。センターへ抜けそうな痛烈な打球だったが永瀬が回りこむ。ルコフスクのサインを見ていたとはいえ、データのない打者に対してなかなか大胆なポジショニングだ。そのまま大坂へグラブトス。セカンドベース手前で大坂は受け取ると、丁寧にボールを握り直して一塁へ転送した。1アウト。
一塁側ベンチ前で打席に向かう水田を出井が呼び止めた。
「……ショート寄りの打球は大坂くんに預けるか。内野に穴は無さそうね。さすがに、モンキース、フットレイクスを破っているだけの実力はあるわ。ライトの佐賀、レフトの菅野は強肩だし、センターの矢部は砂のフィールドに足を取られることもなく守備範囲も広い。崩すなら、やはり即席のバッテリーからになるわね。ちょっと早いけど、水田さん。いいわね」
「あぁ。構わないさ。この試合に勝って俺たちは街を取り戻すんだからな」
「そうよ。運営南支部から遠征公式戦の認可が下りたわ。この試合に勝てば、私たちは勝率でジエンドキャッスルズに並ぶことができるわ。そうすれば、プレーオフよ」
「でも、今は目の前の勝負に集中だ」
「わかってるわよ」
出井が頷くと、水田はゆっくりと打席へ歩みを進めた。
水田が打席に立つ頃には、どこからか吹き付ける砂漠の風が赤茶けた砂塵をグランドに連れてきていた。選手たちの視界が徐々に砂嵐で奪われていく。砂嵐はどんどん濃くなりルコフスクの位置からは外野の3人が見えなくなり、さらに4人の内野手も影でしか追うことができない。ピッチャーのロボは何とか目視できるが、目をまともに開けていては砂が目に入ってしまう。
ルコフスクがタイムを取ろうと茅野を振り返ると、背後から水田ポポの声が聞こえた。
「この辺りでは、たまにあるんだよ。余所から来た人はみんな驚くけど、風向き次第ではもっと酷くなるよ。タイムを取っても構わないけど、試合を遅延させるつもりなら抗議させてもらうからね」
「うぬぅ。……言うではないか。だが、ここはタイムだ。茅野さん。いいよな?」
「あぁ。問題ないだろう。……タイム!!」
茅野が大きなジェスチャーでタイムを告げると、内野陣がマウンドに集まった。
「これじゃあキャッチボールも危ういですね。試合は中断できないんですか?」集まる内野陣の顔を見比べながら大坂が口を開いた。ルコフスクが打席の方に視線を送りながら、それに答える。
「そのようだ。このタイムすら遅延行為と言わんばかりだったからな。監督代行。どうしますか?」
「どうするも、こうするも、やるしかないだろう。ピッチングに影響はないのか?」
「ロボハセキガイセンセンサーモトウサイシテイマスノデエイキョウハアリマセン」
「砂が目に入って、吾輩のサインやミットが見えないということはないようだな。ならば良かろう。吾輩が全て受け止めてみせよう」
ルコフスクがドンと胸板を叩いてそれに応じた。半ば呆れ顔で井伏はルコフスクの身を案じたが、ルコフスクは「吾輩が鍛えているのは今日この日のためである。ガハハ」と笑って見せた。それならばと、内野陣も彼の心意気を買ってそれぞれのポジションへと戻っていった。
3回ウラ、一死走者なしからゲームは再開される。
「プレイ!」
茅野がゲーム再開を告げると、ロボがゆっくりとワインドアップモーションを起こした。彼のモーター駆動音は砂嵐にかき消されて聞こえない。マウンドが少し遠くに感じられた。ルコフスクが感じた小さな不安をよそに、機械とは思えない滑らかなフォームから初球が放たれる。
……甘い!
外角の直球。やはりシュート回転しながらベルトの高さに外から真ん中に入ってくる。水田もこれを見送るほど甘くない。
“チィィン!”
「…げふっ!!」
「ファールボール!」
ファールチップがルコフスクの腹筋を直撃した。
「…大丈夫か?」
「な、何の、これしき……」
ルコフスクは上半身裸である。膝をついて俯くルコフスクを茅野が案じたが、ルコフスクはすぐに足元のボールを拾い上げた。水田も気の毒そうな表情だ。
「プロテクターくらい付けたらどうなんだ? 危ないぞ」
「生憎、吾輩のサイズに合うものが無くてね……」
ルコフスクは水田の同情など気にも留めなかったが、彼の様子から察するに、どうやら先のファールチップは狙った訳ではなさそうだ。あのコースを打ち損じるとなれば、水田の打撃も底が知れる。ルコフスクは強靭な腹筋の上で赤く腫れる痣を摩りながら、次の投球のシグナルを送った。まだ、ストレートにタイミングは合っていないはず。
真ん中低めのストレートでカウントを稼ぐ……!
“キィィン!”
ボールが見えないのは打つ側も同じはずだ。しかし、視界が悪い中で試合の中断を善しとしなかったのは何かしらの勝算があったからに違いない。水田のコンパクトでシャープなスイングがロボの146km/hを捉えた。
「ショートッ!」
不規則に弾む速いグランダーがショート左へと転がるも幸い大坂の守備範囲内だ。深く腰を落として柔軟に膝をクッションさせてバウンドの変化に対応する。遊撃手の華麗なグラブさばきには敵軍ベンチからも賞賛の声があがった。体調不良をおしてなお、砂嵐による視界の悪さを差し引いてなお、この男に捕れないイレギュラーはないのではないか。そう思わせるほどに彼の守備は研ぎ澄まされていた。
しかし、足元の打球を掬い上げた大坂には一塁手ガッテムの姿が砂塵に霞んでしまい、陽炎のようなシルエットでしか確認できない。フェニックスの狙いはこれだ。このまま大坂が矢のような送球を放てば、ガッテムがそれを捕球できるという保証はどこにもない。後逸すれば、次の塁を許すことにもなり得る。ただの内野ゴロが労せずに二塁打へ変わるのだ。
「ボールヒトツ 投ゲテイイヨ!!」
ガッテムの位置からも、大坂の姿がはっきりと見えるわけではない。一塁側に陣取るフェニックス軍には彼の言葉はただの虚勢にしか聞こえなかった。これに釣られて大坂が投げようものなら、この試合は優位に展開できる。そんな思いがベンチを支配した。
そして、大坂の軸足付近の砂面が出井の魔導術の干渉を受けて流砂のごとく沈み始める。すでに送球体勢に入っていた大坂は足を取られてバランスを失った。
「短い!! ごめんなさい!」
その言葉を受けてガッテムは目一杯に足を広げて大股を開き、ミットを地面すれすれで構えて目線をギリギリまで地面に近づけた。砂塵の奥からボールが黒い影となって現れる。幸いコースは逸れていないが、確かにガッテムのミットまでは届きそうもない。…が、ボールに勢いも衰えそうにない。
ガッテムは冷静にこれまでの大坂の送球の感触を思い返して、黒い影の軌道を分析した……。
砂塵の中、それは一度ガッテムのミットの中に収まったかのように見えたが、ボールはミットからこぼれてしまう。彼はショートバウンドの変化を嫌ってか上からミットを被せる形での捕球を試みた。本来であれば、地面からミットを立てて捕るのがセオリーだがグランドコンディションが信用できない中での苦肉の策だ。ボールは後ろに逸れることはなかったが、ミットのポケットにもやはり入らない。一度こぼれた球をそのままミットで掴み上げる頃、全力疾走の水田が一塁ベースを駆け抜けた。
一塁コーチが派手に両手を横に広げて、水田の好走塁を引き立たせるセーフのジェスチャー。
しかし、10m先のファールグラウンドでヘルメットを右手で押さえながら振り向いた水田の耳には、37m先で、おそらく右手で握りこぶしを掲げているであろう男の声が聞こえた。2アウト。
二死走者なしからフェニックスの打順は先頭に返り、1番富士川の打席。富士川も視界の悪さを利用した内野ゴロ作戦を試みたのだが、ルコフスクもまた視界の悪さを逆手にとったリードで翻弄。結果はファースト正面へのゴロ。ガッテムが自分でベースに入り3アウトチェンジとなった。
むぅ。去年は4話しか進まなかったのか(汗)